スライム研究家
結局、翌日にはトマトパスタとトマトソース炒めというメニューが、請負人組合の食事処に追加されることになった。
最初は物珍しさからたくさん注文されたようだけど、獣人はトマトソース炒めや普通のステーキのような歯応えがあるものを好む。
人族はパスタの柔らかな歯応えが気に入ったみたいで、知らないうちにたっぷり野菜のスープパスタができたほどだ。
ほとぼりが冷めるまで数日ぶらぶらのんびりしようと思っていたのに、組合から呼び出されたことで顛末を聞くことになってしまっている。
「組合長ー。ウチウチ、エルやでー」
「入りな」
ウチを呼び出しに来た職員から話を聞いてすぐに組合長の部屋へと向かう。
ノックして許可をもらって入ると、応接用のソファに2人座っていた。
1人は大柄な男性で普通の人間なのに顔の周りが黒い毛でもじゃもじゃしている。
口ヒゲ以外を伸ばしていて、もみあげと繋げているようだ。
もう1人は男性の半分ぐらいしかない小柄な女性で、見習いよりは大きいけれどアンリよりは明らかに小さい。
しかし、慎重に似合わない大きな胸が子供じゃ無いことをしっかりと主張している。
そんな2人の前にあるテーブルには、ジャイアントスライムや他のスライムの魔石に、取ってきたばかりのスライム液が入った小樽に、変化したスライムの皮がたたまれたまま置かれている。
「この子が組合長の秘蔵っ子なんですか?」
「そうだ。あんた達の要望を叶えられるのはその子しかいない」
「なるほど。君と同じで固有魔法だね」
「それしかありませんね」
なぜか女性というより女の子という方がしっくりくる方が会話の主導権を握っている。
あんたと呼ばれた体の大きな男性は固有魔法を使えるようだ。
ウチ以外で固有魔法が使える人を初めて見た。
「エル、とりあえず座りな」
「はーい」
言われて、2人の前のソファに座る。
ベルデローナは執務机のところから動かない。
いつもならウチと雑談から始めるのがベルデローナのやり方だけど、お客さんがいるからか、あるいはすでに雑談した後なのかはわからないけど、本題を話すようだ。
「エル。この2人は魔物研究を生業にしている組織の所属だ。さらにその中でスライムを中心に研究しているそうだよ」
「へー。魔物の研究かぁ。しかもスライムならここの迷宮にピッタリやな……ん?あれ?ウチがスライム液渡したのって2日前やで。やのにもう研究してる人来てるん?」
ウチがスライム液を持ち帰り、家で料理を作った翌日がトマトパスタ誕生の昨日だ。
流石に情報が回るのが早すぎるし、2人が普段どこにいるのか知らないけれど移動も早い。
空を飛んで来たのだろうか。
「それはボクたちが迷宮にスライムの階層ができたと聞いてすぐに出立したからだよ!しかもその間にこれだけの変質したスライムが現れているなんて!さすがボク!運が良い!」
「先輩、先輩。抑えてください」
男性が先輩と呼ばれる女性の肩を掴むと、興奮していたにも関わらずピタッと動きが止まった。
文字通り止まっていて、まばたきもしていない。
呼吸はしているようだけど、手も口も動かないのは正直怖い。
これが固有魔法なんだろうか。
何か言うべきかと口を開こうとしたら、男性が手を離した。
すると女性が動き出して大人しく椅子に座る。
「ごめんなさい。興奮しすぎました……」
「それはええねんけど、全く動いてなかったのは大丈夫なん?」
「それは大丈夫。こっちのジーンが使える固有魔法だから」
「へー。どんな固有魔法なん?」
「僕の固有魔法は拘束です。手で握った相手の動きを封じるので、両手の2つまで止められます。まぁ、色々条件があるので使い所が難しいんですが……。それより先輩、自己紹介をしましょう」
男性はジーンという名前で、固有魔法は拘束。
掴んだ相手の動きを止める能力で、女性の肩を掴んだだけなのにまばたきすらできなくさせる滅茶苦茶さは固有魔法じゃないと納得できない。
ただ、ウチには効果がないというか拘束するために掴むことができないと感覚でわかる。
そして気を取り直して自己紹介に移ることになった。
「そうだね!ボクはチェリッシュ!スライム研究を生業にしたいと思って活動している魔物研究者だよ!」
「僕はジーンです。チェリッシュ先輩の助手をしています。よろしくお願いします」
「ウチはエル!よろしく!」
チェリッシュは肩まで伸ばした薄い紫色の髪が緩くカールしている。
ジーンは黒っぽい茶色の髪やヒゲがもじゃもじゃしていて、人族なのに熊のようにも見える。
ベアロと比べたら一目瞭然だけど、体格も似ているから後ろ姿だけだと間違えるかもしれない。
ただ、熊耳の有無で判断できそうではある。
2人の服装はウチよりもしっかりしている防具をつけていて、部屋の隅に置かれた鞄には使い込まれたマントや、よくわからない形の鞄がある。
小さい鞄は一つしかないから、それがチェリッシュの物だというのがわかる。
「ほんで、ウチが呼ばれた理由はなんなん?スライム階層の素材集め?」
「それはここにあるので十分!エルちゃんにはボクたちをスライムのところまで連れて行ってほしいの!」
「さらに護衛もお願いするつもりだったんですが……」
ウチを背負うことでスライムの攻撃を弾けることはベルデローナに伝えてあるため、1人だけならなんの危険もなく迷宮を彷徨うことができる。
他の階層主が復活していたとしても無視して奥へ進めばいいだけだ。
だけど、それが2人となると少し面倒になる。
1人ずつ交代で進むこともできるけど、離れている間は守れない。
魔物の研究をしているからウチより戦えると思うけれど、今の情報では判断できそうにない。
そう考えながらベルデローナの方を見ると、向こうも何かを考えていたようで口を開いた。
「1人だけなら何とかなるんだが、2人だとねぇ……。仕方ない、もう1人出そう。弟子を1人連れて行きな」
「弟子?事務仕事の?」
「そんなわけないだろう。組合の職員を出しても……まぁ、戦えるやつもいるが、出すのはわたしの戦い方を教えている請負人だよ」
「えー!組合長戦えるん?!」
「あぁ。今でも何かあれば前線に立てる者が組合長になるのさ。事務仕事しかできない場合は副組合長までしかなれないね」
「そういうもんなんや」
請負人を束ねるのに請負人の為すことを知らないのはダメだということで、そういう決まりになっているそうだ。
発足時点では戦える請負人しかおらず、サポートのために事務仕事が得意な者が書類整理や依頼の受注業務を行うようになった。
そのまま自ずと組合長も事務方の人がやるようになっていったけど、現場と衝突することが増え、やがて請負人を物のように扱う人が現れたことで暴動に発展。
戦いを本業としている人たちには勝てず、事務方が組合長から下されることになる。
とはいえ事務仕事は必要なので、副組合長までは上がれるように制度を作ったという経緯だった。
「で、組合長の戦い方ってどんな感じなん?」
「魔闘といって、魔力を纏って闘う方法さ」
「んー?身体強化とどう違うん?」
「身体強化は魔力で満たすことで頑強になったり、体の力を後押しするものさ。魔闘は極限まで魔力の流れをコントロールして無駄なく正確に攻撃や防御に使うものなんだが……身体強化のすごいものだと思っておきな」
「そうするわ〜。なんか凄いってことしかわからんし。で、そのお弟子さんは強いん?」
「せっかく推薦するんだから、下手なやつは出さないよ」
「そらそうやわな」
何人の弟子がいるのかは聞いていないけど、依頼されて紹介する以上しっかりと実力のある人が選ばれるだろう。
少なくともスライム階層まで護衛できて、道中の魔物は倒せるはずだ。
魔闘がどういう戦い方なのかはよくわかっていないから、あくまでウチの想像上だけど。
「2人もそれでいいかい?」
「ボクたちはスライム階層に行くことができればいいですよ!お任せします!」
「わかった。じゃあ3日後の2の鐘で迷宮入り口に集合だ」
「「わかりました!」」
「はーい」
チェリッシュとジーンは組合長が決めた内容で問題なく、ウチも依頼を受けただけだ。
拒否もできるけれどする理由もないし、ウチが掃除と迷宮しかしていないのはベルデローナに知られている。
後は食べ物を求めてふらふらしているのと、ミミを連れ回しているぐらい。
2人と組合長室を出ると少し話しをしたいと言われたから、食事処に移動する。
ウチはスープパスタを頼み、2人はトマトパスタに決めた。
「何これ!すごく美味しい!」
「そうですね先輩!おかわりをお願いします!」
「いや食うの早いな!ウチまだ2口しか食べてへんで!」
味に興奮した2人の勢いは凄かった。
チェリッシュはパクパクと次から次に口に運び、ジーンはかき込むというより飲むという勢いで平らげていた。
2人ともおかわりのパスタと切ったパンを追加で頼み、トマトソースを拭って平らげるほど気に入ってくれている。
ウチがスープパスタを何とか完食する間にチェリッシュは3皿、ジーンは6皿も食べていた。
体の大きさに似合わない食事量と、似合う食事量だ。
「ほんで、ウチを誘った理由はなんなん?」
「え?親睦を深めるためだけど?あと、この街について教えてもらおうと思って」
「それは重要やな!」
一緒に迷宮に潜るなら仲が良い方が楽だ。
我慢した結果無茶をして動けなくなることがあったと、迷宮で会った請負人から聞いたこともある。
護衛としての心得みたいなものは聞いてないけれど、チェリッシュたちもウチにプロの護衛は求めてないようなので問題ないと思う。
一緒に行くベルデローナの弟子から聞こう。
2人には普段のスライム階層から迷宮の進み方、ウチの固有魔法や水生みの説明、掃除依頼で出入りしたお店を中心に街の説明をしてから別れた。
「……というわけで2日後からまた潜ることになったわ」
「エルも大変ね」
「キュークスたちは?」
「わたしたちは3日後から依頼よ」
「次も森の探索と魔物の間引きをする」
「そっちも大変やな」
ウチのいた開拓村が魔物に襲われて壊滅したことで、各地の町村付近を再調査しつつ魔物の間引きが行われている。
キュークスたちは戦闘が得意だから、討伐の依頼を受けることが多く、アンリの魔力を見る力を利用した調査も請け負っている。
落ち着いたら一緒に迷宮に潜ろうという約束をしているけれど、今のところいつになるかはわからない。
・・・お互いやること詰まって大変やなぁ。ウチはもっと美味しいもの食べたいし新しい魔道具欲しいから、明日はなんか作ってもらいに行こかな。




