退魔のハリセン
「エル!エル!しっかり!」
「んぁ?……アンリさん?どうしたん?」
「よかった。気がついた。エルが叫んでから固有魔法が溢れ出した。覚えてない?」
「え?叫んだのウチやったん?んー覚えてないなぁ……なんかぼんやりしてた気がする……」
気がついたらアンリに肩を揺らされていた。
何か重要な事を考えていたような気がするけれど、全く思い出せない。
ぼんやりと周りを見ると、ハロルドが遠くで膝をつき、ウチらとハロルドの間にモヤをまとった黒い球体がいる。
ウチらの後ろには焚き火と逃げるために放り出した機材、その先に馬車とそこから様子を見るガドルフたち護衛や見習いがいる。
まだ逃げないのかと思ったけど、もしかしたらウチを待っていたのかもしれない。
あと、馬が言う事を聞かず暴れているので準備に手間取っているのも原因だろう。
「それで、それは何?」
「ん?え?!なんやこれ!」
アンリが示したのはウチの右手。
そこには金色に輝く板が折り重なって繋がった物が握られていた。
扇を縦に伸ばしたようなそれは、持ち手の部分は白っぽい金色の布のような何かが巻かれて固定されていて、布のないところから先に向かって開いている。
山と谷が何度も繰り返された蛇腹状のそれをしっかり見ると、何となく頭に言葉が浮かんできた。
「退魔のハリセン……」
「たいまのはりせん?」
「魔力をスパンと叩けるハリセンっていう……武器というより道具やな」
これを武器と言うのは、実際に剣や斧を持って戦っている人たちに失礼な気がした。
これでいくら叩いても魔物を倒すことはできないのだから。
恐らく。
「それであれを叩く?」
「そうやな。そのために今現れたんやし」
なぜ今なのかはよくわかっていない。
だけど、黒い球体をこれで叩かないといけないということだけははっきりと分かる。
むしろこれ以外は通用しないんじゃないかとすら思えるほどだ。
初めに見た時の気持ち悪さもなく、今見てもいつも通り大丈夫だという感覚もあるから、近づいてスパパンと叩くだけだ。
何故か戦いたい気持ちも湧き上がっていて、気合を込めてハリセンを掲げる。
「本当に大丈夫?」
「問題ないで!行ってくるわ!よっしゃー!」
ふんすふんすと鼻息荒く黒い球体へ向かう。アンリは少し迷った上で、いざという時のためにか少し後ろをついてくる。
黒い球体へ向かうウチとアンリを見て、ハロルドがふらふらとしながら立ち上がり、ゆっくり縁を描くように移動し始めた。
どうやらアンリと合流するつもりのようだ。
何もできそうにないけれど、組合の責任者として逃げ出さないのは格好いいと思う。
「うわぁ〜、モヤがうねうねしてて気持ち悪いなぁ」
ある程度近づくと進むのをやめた黒い球体。
それでもまとっているモヤは動き続けていて、脈動しているようにも見えることに嫌悪感を覚える。
黒い球体もウチを観察していたのか、しばらく睨み合ったあと、動いたのはモヤだった。
まとっているモヤの量よりも遥かに多いそれが、上下左右に伸びてからウチへと向かってくる。
身体強化をしていても確実に捉えられるよう、一旦後ろに回してから背中を狙う徹底ぶりだ。
「大丈夫や。問題ない」
問題ないとわかっていても黒いモヤが前後左右上下から迫ってくることに内心恐怖を感じつつも、それを見せないように悠然と立つ。
実際は腰が少しひけて、いつでもハリセンを振れるようにしているのだが、心意気が大事だ。
「おわっ!なんやこれ!」
いつもならただ弾かれて遠くいくだけのモヤがウチの周りに纏わり付き、バチバチと音を立てながら金色の光を放つ。
よく見ると金色の光はハリセンと同じ色と雰囲気で、どうやらウチを守っている魔力だというのがわかる。
モヤが固形ではないため弾けないのか、弾いた部分はごく少数で次から次へと押し寄せてくるため弾けていないように見えてるのかはわからないけど、ウチへの被害は全くないので気にしないことにした。
「えっと……どっちやったっけ?」
バチバチと鳴る金と黒の空間で周囲を見回したことで、黒い球体の位置がわからなくなってしまった。
何となくで移動してもいいけれど、そうする事でアンリやハロルドに被害が出るのは避けたい。
このモヤを一時的にでも無くすことができれば見えるのに。
そう思って手を握ると持っていた事を再認識できた。
「これで、こうや!」
ブンと目の前に向けて両手で持ったハリセンを振る。
片手でも振れないことはないけど、少し大きいのですっぽ抜けそうなのだ。
振るった場所はバチバチと鳴っているところだったけど、ウチの魔力には影響がなく黒いモヤだけが、その空間から消えていた。
しかも、振ったハリセンから少しだけウチの魔力が放出されているみたいで、押し寄せてくるモヤが少し先で止まっていた。
「いけるな!」
周囲のモヤを晴らすためにブンブンとハリセンを振る。
確かに黒いモヤは消せた。
でも、少し先が見えるようになっただけで、周囲は黒いモヤのままだ。
それでもモヤが流れてきている方向はわかったから、その大元に向けてハリセンを振りながら近づいていく。
・・・これ、外から見たらウチも黒い球体みたいになってそうやな。見てる方は心配が尽きへんからちょっとかわいそうやわ。
「はぁ、はぁ、ここかぁ!」
周りではなく進む方にだけ縦にハリセンを振って進んだ。
それだけで息が切れるほど体力のないウチだけど、時間をかけただけあって晴らした先にモヤではなく黒い球体がかすかに見えた。
少し萎んでいた気合を入れ直すために、吠えながら踏み込んでハリセンを横に一閃。
球体の一部を消し飛ばすことに成功したことが、削り取られた部分が見えたことでわかった。
実態がないせいために音が鳴らないことを少し残念に思いつつ、ようやく近づけたから全力で叩くことにした。
「まだまだいくでぇ!」
敵が見えるならこっちのものだ。
モヤは後ろから狙ってこれても球体の内側までは流せないようで、息を切らせながらがむしゃらに振るう。
魔法生物ならどこかに魔石があり、それを奪うか壊すことで倒せるはずだ。
「ぬぁー!!届かん!!もっと下に降りてこんかー!!」
球体ではなくモヤに対して攻撃してしまった。
どうやら奥まで突き進んだようで、残る球体は頭上にある分だけになる。
ハリセンの軌道部分しか削られていないから、まだ叩ける場所はある。
でも、そこを叩いたところで頭上の方が削った量より遥かに多い。
恐らく魔石も上にあるのだろう。
「ん?あれ?掴める?」
今すぐどうにかできることではない身長に対して苛立ちながら飛び跳ねていると、少しバランスを崩して思わぬ方向へ動いてしまった。
その先には削り取られた残りがあり、思わず手をついてしまった。
触っても固有魔法による魔力の層があるから問題はないけど、いつもなら弾かれるはずの魔物の体に魔力越しではあるが触れることができた。
スライムの体液は溶解液なので触れることはできなくて、ウチの手から逃げるように移動していた。
この魔物も同じようなものだと思っていたから驚いた。
でも、掴めるならやりようはある。
「ふんっ!!ぬぐぐぐぐ……あかん!降りてこうへん!!それならウチが登るだけや!!」
左手で掴み全力で下に引っ張るも動かず、ぶら下がってみても結果は変わらない。
ならばと突起を作って足をかけ、ハリセンで足場を作りながら登っていく。
全力で振らずに軽く押し当てるだけでも削れることがわかったから、登るのは意外と簡単にできた。
ただ、降りるのが少し怖い。
落ちても固有魔法で痛くはないはずだけど、それとこれとは別だ。
よく見えない高いところから飛び降りるのが怖いのだ。
「ふふん。もう逃さへんで!このやろー!面倒な攻撃してきやがってー!この!この!このー!!これは村のみんなの分!!これも村のみんなの分!!これはタロスの分!!これは父上の分!!!これは母上の分!!!これはエルの分やー!!!!」
無我夢中で叫びながらハリセンを振るう。
何を叫んでいるかわからなくなっていたし、体力の消耗も激しいけど、妙にスッキリするので全力だ。
それでも、何度も振るっているけれど一向に魔石らしき物には当たらない。
肩で息をしながら球体を観察していると、急に動き出したのがわかった。
もしかしたら振り回している間も動いていたかもしれないけど、そんなことには気づかないほど夢中だったことには目を瞑る。
「何する気や?」
念のため飛び降りて見上げていると、球体の外側付近が波打って形を変えている。
攻撃されるのか身構えていると、ウチが登るために作った足場もなくなり、球体がハリセンの届かない位置まで上がっていく。
周りを確認するとモヤも薄くなり、薄らと草原が見え始めている。
「もしかして逃げる気か?させへんで!」
徐々に高くなり球体に向けて、全力でハリセンを投げた。
回転しながら上がるハリセン。
せっかく整えた部分を大きく削ると、表面を波立たせたり、突起を生やしたりしている。
その動きが悲鳴のようにも感じたけど、一度投げたハリセンは止まらない。
ウチの力でも振り回せるハリセンは、球体の中央より高い位置まで飛んだように感じる。
魔石は中央ではなかったのかと残念に思いながら見上げていると、球体が一瞬大きく膨れ上がった。
せっかく空けたウチとの距離が一気に詰まるぐらい膨らんだ後、ギュッと縮む。
普通のスライムよりも小さく、形はどことなく人形のようにも見えるし、歪な岩にも見える。
そんな真っ黒で変な形になると、ぐるぐると回転して天高く飛んでしまった。
「え?逃げたってこと?なんか爆発しそうな雰囲気やったやん……」
モヤもなくなり見えるのは草原と、黒い球体が通ったことでできた乾いた土。
倒れた護衛と魔物に、頭上を見ているハロルドとライテ方向の空を見ているアンリ。
ようやく馬が落ち着いたからか、急いで出発準備を整えている馬車組とガドルフたち。
ウチの周囲は放り投げたハリセンが溶けるように消えて、その残滓として金色のカケラがキラキラと降り注いでいるだけだった。
・・・とりあえず危機は去ったってことでええんやろか?なんかモヤモヤするけど……。というかあのハリセン無くなったけどええんか?もう一度出すにはって出たわ。出そうと意識したら背中から魔力集まってできたわ。なんやのこれ……。




