Herself(三十と一夜の短篇第67回)
かの女の着こなしは素晴らしい。
「スタイルが悪いから工夫しているだけですよ」
と笑うが、かの女の姿は実に均整がとれている。丈の長いブラウスやチュニックにバックルの大きなベルトを締め、ふんわりと裾を垂らした服装では、腰のくびれが強調されて、その上下の曲線がより際立って魅力的だった。別の日には髪をまとめ上げたらしく、鍔のない大き目の帽子を被って髪を覆い、いつもは隠されているうなじが剥き出しで、たとえが古いが子ども向け番組の体操のお姉さんのようにショートパンツですんなりとした足のラインを披露し、私の目は釘付けになった。
かの女は姿が優れているばかりではない。顔立ちも素敵だ。輝く瞳にちょこんとした鼻、弧を描く唇、ああ、あまり見詰めているとおかしな奴だと思われてしまうだろう。すべてにおいてかの女は私を魅了する。
かの女は私に眩しい笑顔を向けてくれる。挨拶する声も朗らかで耳に心地よい。私はかの女を目で追い求め、姿を垣間見ればそれで心が充たされる。生きている甲斐がある。
かの女の職場を訪問した際、かの女は隅に寄り、同僚と何か話していた。私が視界に入っていないのだろう。仕事中の私語なら感心しないが、何事なのだろう。私はかの女に気付かれないようにそっと近付いた。
「この頃怖くて、本当に困っているのよ」
「どこまで注意したらいいか、判断に迷うし、逆恨みされたら嫌だものね」
「店長に相談しているの?」
「ええ、たまたまわたしが休みの時に店にきて、わざわざどうしたのか尋ねてきたそうなのよ。今度来店したら店長に出てもらうか、きっぱり注意するかにしようって」
大変だ。かの女が対応に苦労する客がいるらしい。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
私に声を掛けてきた者がいたが、眼中になかったので無視した。
かの女を困らせ、職場にも不安を与えている……。これはいけない。一体誰なんだ。曇りないかの女の笑顔を翳らせる輩は許せない。私なりに解決策を考えてみて、かの女に提案してみよう。
私は閉店時間に合わせて、かの女が店を出るのを待った。通用口の扉からかの女が現れると、私は驚かせないように気を付けながら、前に進み出た。しかし、暗い中、急に道を塞ぐように姿を見せた私にかの女は凍り付いた。かの女を落ち着かせなければと私は親しみを込めて話し掛けた。
「やあ、こんばんは」
「こ、こんばんは」
「偶然だね、これから帰るのかい?」
「ええ、まあ」
かの女は足早に歩きだした。
「もしよかったら……」
呼び留めようとすると、かの女は車道に飛び出さんばかりに乗り出して手を振った。耳障りな音が響いて、タクシーが一台停まった。私の言葉は続かず、かの女はタクシーに乗り込み、タクシーは走り去った。
かの女の悩みを聞き、分かち合いたいと思ったのだか、いきなりすぎて驚かせただけだったようだ。また今度声を掛けてみることにしよう。きっとかの女は私の真情を理解し、共に解決に取り組もうとする私に感謝してくれるに違いない。私の心は逸った。しかし、ここは抑えよう。かの女は猛禽に怯える小鳥、温かさと節度で接しよう。
翌日、は無理だったが、なるべく日を置かないようにして、かの女の職場に訪れた。大きなショッピングモールのテナントの一つがかの女のいる店。私が店のスペースに入り、かの女の姿を認め、かの女も私を見た。
かの女は小さな悲鳴を上げ、しかし、すぐに口に手を当てた。
私は信じられなかった。私はかの女を助けたいのに、何故恐怖で強張った顔を私に向けるのだろう。
さっと私の前に立ちはだかった者がいた。
「いらっしゃいませ、お客様」
こんな作り笑いの無礼な店員よりも、かの女に応対してもらいたい。きちんとかの女と話をしたい。
「お客様、わたくし店長でございます。わたくしがお相手いたしますが、今日はどのようなご用でしょうか? ご入用の品があればさいわいなのですが」
「いえ、私はあの人がいいんです」
「この店はご婦人向けの服や、小物を販売する店でございまして、お客様に品物を選ぶ際に説明や助言をいたします。それがここの店員の務めでございます。お客様との個人的なお話し相手、接待はしておりません」
「話し相手だなんてそんな……」
「お客様には以前奥様へのお洋服をお買い上げいただき誠に有難うございます。あの者がお役に立ててよろしうございました。しかし、その後もお客様がいらしてくださいますが、品物をご覧いただくよりもあの者とお話しされるばかり、それもプライヴェートなことを聞き出そうとしたり、先日も待ち伏せされていたとか。あの者に誤解させるところがあったのでしたら誠に申し訳ございません。あの者にはお客様によいお買い物をしていただきたい、その気持ちだけでした。
ですから、これ以上あの者が応対するのはお客様にとってもよろしくないかと。これからはわたくしがご相談に乗ります」
私はかの女に視線を向けた。かの女はこれまで見せたことのない顔をしていた。困惑と嫌悪を丸出しにして、離れた位置から私に警戒しているようだ。
「いえ、やましい気持ちなんてこれっぼっちもないんです」
急にかの女がつかつかと寄ってきた。
「お客様にやましさがなくてもこちらは迷惑です! こんな言い方して申し訳ないですけど、怖くて仕事が手につきません。それに帰り道に現れるなんて何を考えているんですか。ストーカーですよ!」
店長が途中で止めようとしたが、かの女ははっきりと告げた。気が済んだようでかの女は背を向け、店の奥に引っ込んだ。
なんてことだ! かの女を悩ませる輩が私だったのか! 私のどこが迷惑だったのだろう。皆目判らない。
かの女が私に向けてくれた笑顔や優しい言葉の数々は全て仕事の為で、偽りだったのか……。
私は激しく失望した。