珈琲
朗読動画を作りました。
https://youtu.be/NZCvO2msTn4
あの人の、こだわり。
飲み物は珈琲、ホットで。
必ず。
真夏でも、アイスコーヒーは頼まない。
冷たいと、味がわからなくなるから。
飲み方は。
まず、ブラックで、一口。
美味しい珈琲なら、二口、三口。
3分の1まで飲む。
一口ですぐ砂糖を入れたなら、あまり美味しくなかったということ。
美味しい珈琲は3分の1まで飲んでから、砂糖をひとさじ入れる。
残り3分の1のところで、ミルクを投入。
一つでもいいけど、できればたっぷり、珈琲よりは少なめに。
ブラックで香りと苦味、砂糖を入れて深い味わいを、ミルクを入れてコクを楽しむ、ということ、らしい。
そうそう、忘れてはいけないのは、出されたら直ぐに一口目を飲むこと。
熱いうちに味わう、それが礼儀。
誰に対して?
「勿論、珈琲によ」
あの人は、当然のように、言っていた。
***
「そういう訳で、私はあの人の前ではコーヒーを飲めなくなったのよ」
「どうして?」
「だって、どんなに美味しいコーヒーでも、私、ブラックじゃ無理、苦くて」
「ああ、砂糖3杯は入れてるもんね」
「ミルクをたっぷりは賛成よ。でも、一番失礼になるのが」
「熱いうちに味わう、か。猫舌だもんね、アンタ」
「そう。だから私はあの人と一緒の時には、アイスティーとか、コーヒー以外のものにしてたの。本当はアイスコーヒーが飲みたくても」
「好きなんだね、その人のこと」
「何で?」
「嫌われたくなかったんだろう? コーヒーに失礼なヤツ、なんて思われたくなかったんだ」
「……多分、そうなんだろうなあ」
「それで、結婚するのが面白くないんだ」
「ちょっと違うかな。あんなにこだわっていたくせに、乗り換えたのが腹がたつのよ」
「乗り換えた……って?」
「初めて相手の人に紹介された時ね、アイスコーヒー頼んだの、その人」
「?」
「オマケに、ガムシロもミルクもたっぷり入れて、ガシガシかきまぜてから飲んだのよ」
「……まんま、アンタの飲み方じゃん」
「そうよ! 私が今まで、散々ガマンしてきたことを、ソイツは何の気なしに、当たり前のようにやっているのよ!」
「……わかった。その人がそれを許しているのが、気に入らない訳ね」
「そうよ! 私のガマンは一体何だったの!」
「まあ、同じなんだろうね、アンタと」
「……」
「アイスコーヒーガマンしても一緒に過ごしたかったアンタみたいに、自分のこだわり引っ込めても、その人といたいんだろ」
「正論聞きたい訳じゃないー!」
「まあまあ。もう時間だろ? 式場まで送って行くから」
「……うん、ありがと」
「……実は俺、熱いもの、大好きなんだ、甘いものは苦手で」
「え?」
「でも、アンタが旨そうにケーキとかパフェ食べるとこ見ると、結構楽しくてさ、幸せそうで、嬉しくて」
「ゴメン」
「謝らないで。再確認しただけ。俺、考えてたより、アンタが好きみたいだなって」
「今度は私が付き合うよ。鍋でも焼肉でも。……冷ましてから食べるかも知れないけど」
「楽しみにしてます。ほら、早く。大好きな従姉の結婚式だろ」
「うん!」
ブーケ貰えたらいいな、というのはちょっと図々しい気がしたので、心の中でそっと呟いた。
同時に、どうしたら猫舌を治せるか、本気で考えてしまった。
あの人の時よりも、もっと、ずっと、真剣に。