6. 魔女の絵本
「食糧が尽きた。ありえない、あんな量を一人の人間が……」
「ごちそうさまでした。いやー久しぶりにこんなに食べたよ、ありがとう」
「どういたしまして、どういたしまして」
カオスである。
エメルは空になった鍋を覗いて不気味な笑みを浮かべ、メルシーはお辞儀を繰り返しながら笑っている。
貯蓄していた食糧が尽きたらしく、僕の食事は終わった。
それでも腹が満たされることはなかった。自分のことながら恐ろしくも感じる。
食べ終わった大鍋は気がつくと消えていて、最後に使った大鍋も時間が経つことによって消えた。生成したというより、どこかから持ってきたというのが正しいのだろうか。
本人に聞こうにも、エメルは顎に手を添えて何か考え事をしている模様。
「集中、集中。邪魔はダメダメ」
「そうだね、じゃあ少しの間外で遊ぼうか。結界内なら安全だろうし」
「イエーイ」
極力音を立てないように扉を開ける。
それを制止する声。エメルだ。
「どこ行くつもり、まだ終わってな……あなた大きくなってない?」
「そうかな、いつもと変わらないと思うけど」
「いやいや明らかに大きくなっているから。横にも縦にも。だってさっきまで頭下げなくても、体を横にしなくても扉通れたでしょ」
言われてみると確かにそうだ。
少し身長が伸びたのかな。成長期に入ったのかもしれない、やったね。
というのは冗談で、自分でも薄々気づいてた。
「子どもの時からなんだ。いっぱい食べると、こんな風になるんだ。ここまでなったのは初めてだけど」
お腹をポヨンと叩いて見せる。
メルシーは面白がって僕のお腹に全身でタックルして、志望の力によって跳ね返される。楽しいのか何度かそれを繰り返す。
エメルは呆れたように頭を抱える。
「私としたことが読みを見誤ったわ、まさか食べたものを脂肪に変換する能力だなんて……面白いじゃない。まぁいいわ、少しあなたの能力に興味が出た。ソウルスキルの研究ついでに、その能力の有効な使い方について一緒に考えてあげる。感謝しなさい」
「ありがとう」
「よろしい。まずは食糧の確保かしら。誰かさんが食べ尽くしたからね」
「照れるな」
「照れるな、照れるな」
「誉めてないわよ。あとメルシーに変なこと教えるな!!」
ということで、外に出る準備をするエメル。
やはり魔法職に必須の補助武器を持つことはなく、マジックバックを複数持つと食糧調達に向かおうとする。
「僕に手伝えることはない?」
「無理よ。ここは魔境の森の深層、あなたみたいな足手まとい必要ない。でもそうね、私が帰ってくるまでメルシーの遊び相手してくれるかしら。その子、暇だとすぐにどこか遊びに行くから」
「ああ、任せておいてよ。遊び相手は得意だから」
「ふん、まぁいいわ。行ってくるわメルシー、すぐに戻るから」
「いってらしゃい」
エメルがいなくなった後、僕とメルシーは小屋の中にいた。
随分遠いところまで飛ばされたものだ。魔境の森の表層ではないと思っていたが、まさか深層とは。人生なにが起きるかわからないものだ。
「こっち、こっち」
「ん?」
手招きするメルシーに導かれて、本棚の前まで移動する。
古びた本が棚にヒッシリ並べられ、ほとんど魔法に関するものだ。研究対象であるソウルスキルに関する本はそもそも少なく、ほとんど見当たらない。
「読んで、読んで」
何度も読まれたのかページは擦れてボロボロの本がひとつ。比較的新しい書物だ。
『魔女』という絵本だ。ぺらぺら捲って内容を確かめるが、読んだことない本だ。
「読んで、読んで」
「わかったわかった。じゃあ、テーブルで読もうな」
ほっぺたを引っ張るメルシーを宥めて、椅子に座る。
「よし、じゃあ読むぞ」
「イエーイ」
メルシーが肩に座ったのを確認して、テーブルに置かれた絵本を開く。
僕は絵本に書かれた文字を声に出す。
「むかし、むかし悪魔と契約をした女の人がいました。彼女はひとびとに『魔女』とよばれました――」
内容は至ってシンプルなものだった。悪事を働く魔女を倒す騎士の物語。序盤は魔女の数々の悪行を描きフラストレーションをためさせて、終盤で騎士に倒される魔女によって読者はカタルシスを得るように作られている。
この本では、一貫して魔女は悪者として書かれている。
魔女が行った悪事をコミカルな絵と簡素な説明文で表現することで、魔女に対する不快感が強まる。内容だって意味のない殺戮から、人の醜い部分を暴いてそれを見て楽しむなど理解に苦しむものだ。
結末は魔女と契約した悪魔が彼女の魂を持ち去り、残された肉体は罪人として磔から火炙りにされて終わる。
教訓として、悪いことをすると罰が受けるだろうか。それとも魔女は許されない存在というものだろうか。あるいはその両方。
なぜこんな本を魔女のエメルが持っているのだろう。
メルシーはなぜこれを僕に読ませたのだろうか。わからない。
「敵。倒すべき、倒すべき」
メルシーは最後のページに登場した悪魔を指さして、そう叫ぶ。
エメルの友達である彼女にとって、魔女の命を直接的に奪った悪魔は確かに倒すべき敵である。それなら、魔女を倒す騎士も彼女にとって敵ではないだろうか。騎士の時は叫ばなかったのに、どうして悪魔にだけ。
目をつぶって考えていると、ページがめくれる音がする。
「デタラメ、デタラメ。この本ウソつき」
序盤のページ。魔女が悪事を働くシーンだ。
そこを指さして同じ言葉を連呼する。
「そうだね、魔女だからって悪い人ばかりじゃないよね」
「うんうん」
魔女と言っても、悪魔と契約をしても得た力の使い方は人それぞれだ。良い人がいれば悪い人もいる。
悪魔は世界の敵だ。だからといって、悪魔の力を利用するのは果たして悪なのだろうか。魔女は排除される存在なのか。僕にはわからない。
少なくともエメルは信じるに値する人間だ。
「この本は戻そっか。他に読みたい本はある?」
「うん、外で遊ぶ」
「そっか、じゃあ本を戻してからだね」
「イエーイ」
本を戻したあと、僕らは庭に出た。
夜になっていたらしい。
「あいつら、今なにやってるのかな」
幼馴染みたちのことを考えながら、僕は綺麗な星空を眺める。