2. 妖精の悪戯と導き
妖精は悪戯好きで、特に困っている人間を見るのが楽しいらしい。
物を隠したり、足をかけたりするのも慌てふためく人間の姿が面白いからとされている。
妖精は子どものようなものだ。気まぐれで、短気。
基本的に温厚で、気に入った相手には幸運と導きを授けると言われている。
ある地域ではそんな妖精を神の遣いとして、崇めていると聞いたことがある。
信仰までいかないとしても、妖精は神聖なものと考える人は多い。
僕も妖精は好きだ。
彼女らは、おいしい食べ物の居場所をよく知っている。僕は街の甘いお菓子を、妖精は新鮮な果物をよく物々交換していた。
ウィンウィンの関係だ。
しかし一度妖精を怒らせたら、その性質は180度変わる。
相手を執拗に追い詰め、必要とあらば自身の手を汚すことすら厭わない。
その苛烈さから、親が子どもを言い聞かせるときに度々怒った妖精の話が出てくる。
悪い子は怒った精霊に連れていかれるぞ、という感じで恐れられている一面もある。
「ちょほんと、やめて。音立てたら、モンスター来るから」
風の魔法で木をバッサバッサ切り倒す妖精。僕をここに飛ばした妖精。
食事を終えた後、ふらりと現れた彼女はあらゆる場所に魔法を撃ち始めたのだ。
怒ってはいない。むしろ楽しんでいるように見える。
どうやら僕は目をつけられたらしい。初めて会ったんだけどな、妖精の琴線はわからない。
そんなことよりも、早く止めないと大変なことに……
「あっ」
虎型のモンスターと目が合う。
獰猛な目つきで僕を獲物として捉えている。
前足を高くあげて、強く地面を叩く。その衝撃で、切り倒された木と一緒に僕は吹き飛ばされる。
地面に転がるように受け身をとり、直ぐ様立ち上がると眼前に大きな口が開けられていた。
それをステップを踏んで避ける。
運がいいことに、大きく開けられた口に倒れた木が引っ掛かって蓋をしている。
四苦八苦している内に、逃げよう。
反対方向に走り出した僕の耳に不吉な音が響く。
――バキバキ
「マジかよ」
自分よりも大きな木を顎の力で噛み砕いた。
しかも興奮しているのか、呼吸とともに口から炎が漏れだしている。
「キャハハハ、こっちこっち」
危機的な状況の中、楽観的な声で僕を誘導する。
この状態を引き起こした妖精は、鱗粉を撒き散らしながら空を翔ぶ。
どの口が言ってるのか問いつめたくなるが、僕ではこの盤面をひっくり返せないのは自分が一番知っている
だったら、妖精の導きに賭けるしかない。
僕は妖精の後を追う。
そうはさせないと、虎は大きく息を吸う。
一瞬の間をおいて、放たれた炎の塊。地面を抉りながら、獲物を焼き殺そうとする。
「甘い!!」
横っ飛びでかわす。
溜めのある直線的な攻撃。
これでも三年間冒険者として死地を乗り越えてきたのだ、避けるぐらい造作もない。
と思っていたら、炎の塊は単発ではなかった。
広い範囲でばらまかれた内の一発が、僕が避けた方向に置かれていた。
これ、やばいかも。
衝撃に備えて、体を捻るが肌を焼くような熱さも衝撃もこない。見えない壁によって炎の塊は弾かれたのだ。
僕もモンスターも驚いた顔をした。
「こっちこっち」
「あっ、ありがとう。助かる」
僕は妖精と一緒に森を駆けた。
障害物として期待した木は、しなやかな身のこなしで軽々と避けて徐々に距離を縮めてくる。
何分かこの死の鬼ごっこをして気づいたことがひとつ。
どうやら僕は弄ばれているらしい。
あの虎型のモンスターは僕の反応を見て、楽しんでいるのだ。現に、追いかけてくるあいつのスピードは一定だ。
たまに吐く炎の塊も当てる気はないらしく、僕の近くで被弾させて、衝撃で吹き飛ぶ僕の反応を見ている。
「あと、少し。頑張れ」
だとすると、この妖精はグルなのか。
いや、それは違う、と思う。
感覚でだが、違うような気がする。
気まぐれと思われがちな妖精にも、分別はある。
気まぐれで人を殺すことはない。
この妖精は本気で僕を助けようとしている。
理由はわからない。でも、彼女の真剣な目は、信じるに値する目だ。
恐らくだが、妖精がいるからモンスターは迂闊に手を出せないのかもしれない。
一定の距離を保つのも、僕ではなく妖精から距離を取っているような節が見える。
「もう、すぐだから」
「あっ!!」
僕のことを心配して、妖精がモンスターから視線を外した瞬間だった。
跳躍で一気に距離を縮めて、鋭い爪が迫る。
考える前に体が動いていた。
僕は妖精を庇って、背中を切り裂かれた。
「メルシー!!!!」
少女の声。
メルシーって、誰だ……
てか背中イテェ………真っ暗だ………
――ドゴオオオォォォーーーン
手離しかけた意識が無理矢理戻される。
「あんた、メルシーから離れなさいよっ!!」
「イテッ!!」
「あっ、ごめん」
触れられた背中がじんじんする。
かなり深く入ったみたいだ。頭が朦朧とする。
俺は急いでポーチを探って、背中にポーションをがぶ飲みする。
ぷしゅーと煙をあげて、背中にある傷が塞がる。
「ぷはー、生き返る」
「凄いポーションね。あの傷が、一瞬で消えるなんて。傷も残ってない」
「僕の友だちが作った特注品だからね、見ての通り効果は折り紙つきさ。ところで、これどういう状況?」
破壊の跡。
土は抉れ、その一部だけ開けた焼け野原と化していた。僕たちを襲っていたモンスターの形跡は、跡形もなく消え去っていた。
「私はただメルシーを助けただけよ」
「ありがとうエメル。とても面白い子。仲良くしてね」
「どうして、私がこんな奴と仲良くしないといけないのよ」
「表層から連れてきた。それと命の恩人」
妖精――メルシーは楽しそうに少女の頭を周りを翔ぶ。
若い子だ。ソウルスキル持ちだとすると、12歳は越えてるのだろう。
蒼い長髪を揺らして、妖精と言い争いをしている少女――エメルは唐突に話を打ちきって、僕に近づく。
「あなた、名前は?」
「グラトンです」
「そう、グラトン。私はソウルスキルの研究をしているの、それを手伝うなら仲良くしてあげるわ。元いた場所にも返してあげる。どう? 返事は」
「はぁ?」
「はいかいいえかで答えなさい!!」
「はい、手伝います」
勢いに負けて返事してしまった。
まあ、願ってもない申し出だ。みんなの元に帰れるかもしれない、それだけで十分だ。
「よろしい。じゃあ、まずは水浴びしなさい。あなたとても臭うわ」
鼻を摘まむエメルと、それを真似るメルシー。
地味にショックだ。