14 何事も許容量は守りましょう
もう時間も遅かったから、千草には休んでもらうことにした。
「はいはーい。お客さんですね。かしこまりましたー。うっわ。すっごい格好ですね」
案内に、と呼んだのはメイドの空良だ。若い女の子だけれども、フェデリーから付いてきてくれた古参の使用人の1人だ。
いつもののんびりマイペースな彼女は千草を見るなり素直な感想を漏らした。
空良を見てぽかんとしていた千草だったが、自分がバニーガールのままだと思い出したみたいで真っ赤になってる。
「士族の方がそれじゃーたいへんでしょう。あとでてきとーな服もってきますね」
「かたじけない……。だが十和の者が居るとは思わなかった。猫族の者か?」
千草がそう聞いた空良には、主張するように猫耳としっぽがある。
うむ、彼女も十和の人なんだよな。あそこはまだまだ国交が薄いからこっちに居るのは珍しい。
ふよ、とその細いしっぽを揺らめかせた空良は、あっけらかんと言った。
「あーはい。あたしエルア様に買われたのでー」
「なっ!?」
「ほらあたしの目、まっさおで珍しいからって売られたんですよー。獣人を観賞用だったり愛玩用にするお貴族様は多いもんで。はじめに買われたゴシュジンサマはド畜生だったんですけど、エルア様のおかげでのーんびりしてます」
「空良、無駄話はそれくらいにして、仕事をしなさい」
「はーいアルバートさん。んじゃあてきとーに付いてきてください」
驚きさめやらない様子で千草は、私と空良を見比べていたが、空良はすたすたと先に行ってしまうので、結局彼女を追い掛けていく。
彼女を見送り、部屋に戻った私は、全力でソファに潰れていた。
「……過剰摂取だった。不意打ちは卑怯」
胸が痛い、萌え転がりすぎてつらい。
ようやくこらえなくてすむので存分にぽすぽすクッションに顔を埋める。
「エルア様、化粧を落としてからにしてください」
「うええん……だってぇ、だってぇ……へぶ」
推しが尊すぎて余裕がない。
うじうじしつつも顔を上げると、アルバートが蒸しタオルを当ててくる。ぬくい。
その後、オイルが塗りつけられ、少し硬い指先がいつもの通り肌をなぞっていく。
日頃の習慣で反射的に目をつぶった。
優しくなぞるように指が肌をまんべんなく滑っていったあと離れる。
「はい、流してください」
「別にもうここまでやんなくてもいいのに」
「あなたはいつも雑にすませるでしょう。まだ肌が若いからと言って手抜きは許しません」
ごもっともです。
仕方なくアルバートに言われるがまま、いつの間にか用意されていた洗面器のぬるま湯でパシャパシャやって、洗顔剤を付けてもう一回ぱしゃぱしゃ。
タオルで水滴をぬぐっていると、アルバートがさっと化粧水を含ませたコットンを当ててきた。
ついと、左手であごを持ち上げられて、長い前髪から見える紫の瞳が、真摯に私をのぞき込む。
「まって、顔が良い」
アルバートがコットンで私に触れる前に顔を手で覆って天を仰ぎかける。だが、それは当の本人に阻止された。
「動かないでください」
「むりです。ささやかないでください、もう私の情緒は限界です」
「……正常そうですね」
「……ん? どういうこと?」
私がそろーりとアルバートを見ると、彼はすました表情の中に安堵を滲ませている気がした。けど、彼はそこには触れなかった。
「あの女性はどういう関連なのですか。それによっては対応も必要かと思います」
「えーと、うーんとね。彼女は私が初めて仲間にしたキャラクターの1人なんだよ」
ゲーム時代の思い入れを話すのは、アルバート相手でもちょっと緊張する。
だけど、彼女に付いての情報共有も大事だったので十年前の記憶を掘り起こしつつ続けた。
「はじめはどんな子かわからなかったんだけど。初心者でも使いやすいスキルと運用法だったから、アルバートと同じくらい連れ回していた子でねぇ。どんどん好きになっていったんだよなあ」
私のプレイスタイルは、効率寄りの短期決戦派だから、素直に強い千草は常にパーティメンバーだった。コネクトストーリーも積極的に攻略して、特に彼女のスキル「兎速」は鋭くスタイリッシュな演出で飽きずに見ていたものだ。戦闘スタイルの相性も良かったから、アルバートとも良く組ませていた。
だからこそ、千草については隅から隅まで知っている。
「だけど本来ここに居る人じゃないんだよね。彼女の初出はもっと後で、何より萩月を携えているはずなの」
「ストーリーの進捗に関わるということでしたか」
「うん。いないはずの彼女がいることで、ストーリーに不具合が出るかもしれない。とはいえ、修正力が働いて、私が介入しなくてもなんとかなったかもしれないけど」
何がなんでも必ず起こるストーリーと、こちらで整えないと起きないストーリーの見極めが難しいんだよな。
「あの方の性質を考えると限りなく不可能に近いのでは」
うはは、アルバートってば辛辣だけど、ぶっちゃけその通りではあるんだよね。
「と、言うわけで、目標は、彼女の刀を取り戻すこと。カジノについても詳しく調べておきたいから、オルディ一家にアポを取っといてくれる?」
「わかりました。刀はそれほどの値打ちものでしたら闇ルートでも慎重に動かすでしょう。流通網についてはこちらでも調べてみましょう」
「よろしく」
と、今後の方針についてまとめたのだが、アルバートが離れない。
あれ、スキンケア終わったよね?
じーっと見つめられて戸惑うけれど。
「毎度のことですが、熱意がすさまじいですね」
「そりゃあ推しの幸せのためだもの! なにより思い入れのある人だし!」
「あなたがあそこまで急激な反応を示すのは久しぶりでした。勇者と聖女に出会った時以来ですか」
「うんん?」
なんかアルバートの様子が変だな。へんだ。
不機嫌そうというか、寂しそうというか。ふてくされているような?
「アルバート、疲れた? 結構大暴れしたし」
「……エルア様、俺に触れられます?」
へ? 触れられるか?
この、芸術品のような美しい男に? 自分から?
「イエス推し! ノータッチ!!」
反射的に叫んで腕でバッテンを作ると、アルバートはびくっと離れた。
面食らった様子の彼に、私は真顔で言い放った。
「推しは、愛でてあがめて萌えるもので、実際にお触りしてはいけないものです!」
「そういえば、押しと勢いはすさまじいですが、全く触れようとはしませんね」
まあ画面から出てこないっていう身も蓋もない理由はあるけれども! 二、五次元という世界もあることだし、そこには必ず中の人と言う概念がある。
彼ら、彼女らは絶対に自分だけのものにならない。自分と同じかそれ以上の熱意で推している人が必ず居る。応援するのはかまわない。そして何より自分たちの振るまいが、大好きなキャラクターの対外的な印象になってしまう恐れがあるのだ。
大げさなようだが、自分の行動一つで推しの不利益になるかも知れない。
空想、想像、妄想の上では自由だ。時と場所を選びさえすれば、誰かに迷惑をかける訳ではない。
だが、それは絶対外には出さない。それが私の昔から変わらない信念だった。
「推しには触れるべからず! これが絶対法則です!」
「俺が良いと言っているのに?」
私はきしりと固まった。
なにを言われたかわからなかった。
視線の先では、アルバートが読めない表情で私をのぞき込んでいる。
その拍子に彼の前髪がさらりと流れた。
「俺は、あなたにとっては例外なんでしょう? 推しであっても、あなたの望むまま、いくらでも触れて良いんですよ」
「うえ、あ。そのええと」
「しかも俺はあなたの従者なんですから、元々好きなように命令できる権利があるんです」
ささやくように注ぎ込まれた低い声が麻薬のように頭にしみる。
私は椅子に座ったまま、アルバートが覆い被さって来るのをただ見ていることしかできない。
確かにあの時そう言った。だけど、長年いっそ信仰の領域で推してきた人物である。
そうそう態度を変えられる訳ではない。
なのに、彼はその暴力的な美貌を近づけて、私に迫ってくるのだ。
「ねえ? 俺に惚れているんでしょう?」
「ひえ……」
このような台詞が許される神が与えたもうた奇跡の造形で。似合う言葉をのたまわってくれやがったアルバートに、私は一瞬意識が飛んだ気すらした。ぐらぐらとした熱と昂揚で理性が溶けくずれていく。
けれど、けれども頭の隅にかすかな違和がひっかかる。
こういうことを普段はしない。切れ味抜群な言葉で切り捨てる感じなんだけど、今のは威圧的に誘導するような物言いだ。
今までだったらアルバートの突然のファンサにうろたえるばかりだっただろう。
けれど、けれども私はアルバートの中にあるぐるぐるとした想いを思い知らされた身としては、うなずけないわけで。
心当たり、と、言えば。
「ある、あるばーと。そのもしかして、ほんとうにもしかしてなんだけど。いや私の自意識過剰かも知れないんだけど」
「なんですか」
うろうろと視線をさまよわせながらも、何度か言葉をかき集めてうわずった声で聞く。
「妬いてますか」
その恐ろしくおこがましい質問をした私はいやに鳴る心臓を感じながら、じっとアルバートを見上げる。
彼の紫の瞳が瞬いたことで隠れた。
「……意外と鈍くはなかったのですね」
「あれだけ赤裸々な告白をしてきた人に対して何も思わないほど枯れてはおりませぬが」
なんか妙な口調になったが仕方ないだろう。今理性と萌えがせめぎ合ってるんだ。
アルバートは私に覆い被さった姿勢のまま、気まずそうに目をそらす。
その、耳は、ほんのりと赤く染まっていた。
「あなたの性質を理解はしていても、感情で納得できるかは別なもので」
照れている。
恥ずかしがっている。
あの、いつもすまし顔で、悠然としているアルバートが。
「で、あなたの返事は、」
「ふぎゃう」
頭が沸騰した私が、萌えの過剰摂取で鼻血を吹き出すのはしごく当然の成り行きだった。