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どちらかと言えば、まとも

ポテチを食べただけなのに

都心のビジネスパーソンは、きっとこんな感じ

 今日も満員電車にすし詰めにされて私は出荷されていく。出荷先はもちろん職場のある新宿である。新宿駅近くの一等地にある高層ビルが私の職場だ。夢と希望と野心と陰謀が交錯する伏魔殿である。


 ぎゅうと山手線に押し込まれて、空気を抜かれた浮き輪のようになった私だが、改札を抜ける頃には徐々に体積を取り戻し始める。少しづつだが、人間の形を取り戻していく。職場に着くころには八割がた人間になっている。神経質な人間以外は、私の姿を見ても人間だと思うだろう。


 職場について一番にやることは換気だ。夜中の間に、ビルの内部を下人達に占拠されてしまうので、換気をする必要がある。この点は、新宿の唯一にして最大の汚点だと私は思っている。だが、新宿で働いているというステータスが私にとっては重要なので、文句を言わず換気に参加する。


 オフィス前の廊下には、既に社員が集まり始めている。窓からオフィス内を見ると、いつもの様に下人達がお菓子の奪い合いをしている。ポテチの人気が尋常ではない。とてつもない数の下人がポテチの争奪戦を繰り広げている。流石はポテチだ。私もあの抗争に混ざりたいが、我慢する。私は都心で働くビジネスパーソンなのだ。ビジネスパーソンはポテチ一つで狼狽えたりしないと、インターンシップの際に学んだのだ。私は模範的なビジネスパーソンであろうと心がけている。


傾注(アハトゥン)! これより換気を開始する! 各自、魔法の杖(マジックワンド)を用意せよ!」


 朝の号令がスピーカーから流れる。日本語とドイツ語と英語が入り混じっているのが癪に障る。いつか、放送係を殺そうと思っている。朝から、この気障(キザ)な文句を聞きたくないのだ。ただ、放送係が誰でどこにいるかの情報が得られないので実行に移せていない。


 言われた通りに杖を取り出し構える。杖は長さ20インチ、直径1/2インチの樫で出来た丸棒である。米国系企業のため、インチなどと言うガラパゴス規格で出来たものが支給されている。杖を両手で持ち上段の構えをとる。ちょっとした拘りだ。外資系企業の歯車と言えど、大和魂は忘れてはおらぬと言う気概を見せているのだ。要するに気分の問題だ。


 周りの社員も杖を取り出し、各々好き勝手に構えている。オフィス内の下人達は相変わらずポテチ一つで盛り上がっている。ポテチ一つであんなに熱狂できるなんて、なんてエキサイティングな人生なのだろうかと思う。それに比べると、我々はとても冷めている。社会的地位の向上が、必ずしも(クオリティ)(オブ)(ライフ)の向上に繋がるわけでは無いのだと思い知らされる。


「行動を開始せよ!」


 スピーカーから流れる声が、私の気持ちを逆なでする。なぜ、軍隊の様な言い方をするのか。おかげで、膨らみ切りかけていた体が少し萎んだ。本当に碌でもない放送係だ。


 萎える気持ちを奮い立たせながら魔法の杖を魔法を放つ。

「コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ。」


 呪文を唱えながら魔法の杖を大上段から振り下ろすと、鮮やかな青色の光の塊が尾を引いて飛んでいく。


「コンセンサス。」

「ハナキン。」

「ディープ・ラーニング。」

 周りの社員たちも各々、好き勝手に呪文を唱えながら魔法の杖を振るって魔法を放っている。


 極彩色の光の塊たちがオフィス内に向けて飛んでいく。オフィス内は一瞬で、クレヨンの箱をひっくり返した様な、色の暴力で染め上げられた。光の塊にぶつかった下人達は、バラバラになる者、窓を突き破って彼方に飛んで行く者、影だけを残して消えてしまう者など様々だ。


 散らかってしまったオフィスをロボット掃除機がすぐさま掃除をしてしまう。いっそ換気自体もロボットにやってもらいたいものだが、換気機能付きのロボット掃除機は非常に高価らしい。米国本社、重慶支社にしかない。ここ日本支社にも、ベルギーの欧州本部にも導入されていない。欧州よりも日本よりも、中国が優先されているのだ。世界の重心は、ここ10年で大きく動いてしまった。我々、ビジネスパーソンは世界の動きを大局的に見据えながら生きていかねばならない。目の前のポテチ一つで、大騒ぎするような下人達とは見えている世界が違う。


 一通り掃除が終わると、いつものデスクに座ってPCを起動する。フリーアドレスオフィスとは言うものの、結局デスクは半ば固定されてしまう。私物を持ち込んでデスクに置いてしまうためだ。私物と言っても私の場合は仕事の参考にする書籍類である。フィギュアなんかを飾りだす者もいる。良くも悪くも自由なので誰が何を持ち込もうと、だいたいは黙認される。成果さえ出せば良いのだ。ただし、成果が出なければ、最悪の場合、首を切られてしまう。『毎日、夜遅くまで頑張りました。』は、評価されない。徹夜でやろうと、さっさと帰ろうと成果を出したものが正義なのだ。


 PCが起動するのを待っていると、私のデスクに一枚のポテチが落ちているのが目に入った。ギザギザの波型で薄黄色のポテチだった。ビジネスパーソンになる前はよく食べたものだ、と懐かしい記憶が思い出された。そして、なんとなしにその一枚のポテチを口に放り込んで咀嚼した。刺激的な塩味の後に、ほのかな甘味が口の中に広がっていった。


「おいおいおい、お前、今、ポテチ食べただろ?」


 はす向かいの男性社員が声を上げた。

 しまったと思った。模範的なビジネスパーソンは、目の前のポテチなど口に入れないのだ。特に誰のものやもわからない落ちていたポテチを口に入れるなどあってはならない。野心溢れる彼ら彼女らは同僚である以前にライバルであり、隙あらば蹴落とさんとする道義心の欠片もない人間達なのだ。そのような畜生道を突き進む者たちに、拾ったポテチを口に入れるところを見られてしまった。なんてことだ、私のキャリアに傷がついてしまう。


「いや、そんなもの食べるわけが無いじゃないですか。私は新宿で働くビジネスパーソンですよ。」


 苦し紛れの誤魔化しだ。すぐばれると分かっていても、何とか言い逃れたい。キャリアに傷がつくことだけは何としても避けたい。私は苦労して、この地位を手に入れたのだ。ポテチひとつで失ってなるものか。


「いや、私も見ましたよ。あなたがポテチを食べるところ。随分と満足そうな顔をしてましたね。」


 隣の女性社員が、せせら笑うかのように追い打ちをかけてきた。皆、私がポテチを口に入れようとするのを見ていたのだ。そして、誰一人として止める者は居なかった。きっとライバルが減る瞬間を、胸を躍らせながら見守っていたのだ。自分の迂闊な行動を悔いるが、もう手遅れのようだ。


「ポテチなんて脂質と糖質と塩分の塊みたいなものじゃないか。そんな意識の低いものを拾い食いするような人とは、一緒に働けないね。」


 後ろの男性社員が声をあげる。皆が皆、私を責める。弁解しようにも、ポテチを食べたと言う事実が圧倒的な不利を私に強いてくる。仮にいくら私が雄弁に語ろうとも、事実は覆らない。この実際的世界においては事実に勝るものは無い。理論の裏付けは事実によってなされる。逆に事実を説明するための理論が構築される場合もある。


 私はどうにもできなくなって、ただ俯きキーボードをじぃと眺めていた。キーボードの印字が掠れているのを見て、この会社での数年間を思い出した。この会社に対して、一定の貢献を果たしてきた自負がある。そんな私でもポテチ一つで追い出されてしまうのだろうか。会社に貢献しているのだから、ポテチを拾い食いしようが自由だと不問に付されるのではないだろうか。そんな淡い期待を抱いていた。


 そうこうしているうちに、騒がしかった周囲が急に静まり返った。顔を上げると、(ゼネラル)(マネージャー)が目の前にいた。騒ぎの原因を周囲から聞き出していた。私がポテチを拾い食いしたと言う事実のみを端的に伝える者も居れば、意識の低い下人が紛れ込んでいるから換気が必要だと訴える者まで居る。ゼネラルマネージャーは聞き取りを終えると、何かを得心した様子で深く頷き口を開いた。


「皆さん、下人がまだ残っているようです。換気しましょう。」


 そんな! ポテチを食べただけなのに! 解雇もあり得ると覚悟していたが、換気だなんて、あまりにも残酷ではないか。そんな無体な処遇など到底受け入れられるものでは無い。


「GM! 私はこの会社にしっかりと貢献してまいりました! 何卒、お考え直しください! 何卒、ご再考を!」


 何とか換気だけは避けなければと、遮二無二、大声を張り上げてGMに哀願した。だがGMは私に一瞥すらくれない。顎で周りの社員に”やれ”と命じている。


 周りの社員が魔法の杖を構え始めた。

 全身が総毛立ち、嫌な汗がじくじくと染みだす。全身の筋肉が強張り、背中がぞくぞくと震え、胃から酸性の液体が昇ってくる。


 もはやこれまでかと、目を閉じた時、一人の男が声を上げた。


「待ってくださいGM! きっと彼は疲れてるんです。正気じゃないんです。」


 同期の田中だった。


「田中……。」


「彼はこれまで我が社に十分な貢献をしてまいりました。換気ではなく、解雇と言う形にしてあげられないでしょうか。何卒、換気だけは許してやってください。」


 田中がGMに頭を下げて、私の換気を取り下げようとしてくれていた。私は胸に暖かいものを感じながら、田中とGMのやり取りを見守っていた。


 田中とは馬が合って、仕事でもプライベートでも仲が良かった。彼にはゴルフをドライバーの握り方から全て教えてもらった。私は彼にスポーツクライミングのシューズの履き方から全てを教えてあげた。彼にはワインの良し悪しを教えてもらった。私は彼にウィスキーの飲み方を教えてあげた。彼には香港の裏通りのスリルを教えてもらった。私は彼にフランクフルトの街並みの歴史的価値を教えてあげた。彼にはスポーツハッチで秋のワインディングロードを駆け抜ける熱狂を教えてもらった。私は彼にクロカンで初夏のアウトドアに出かける爽快を教えてあげた。


 田中との様々な出来事が思い出され、私の目から涙が流れていた。


「田中くんは甘すぎるね。お人好しも大概にしておかないと、いつか痛い目を見るよ。まぁ今回は田中くんの顔に免じて、換気ではなく解雇と言う事にしよう。

 そこの下人、1分以内にオフィスを出ていきなさい。」


 田中のおかげで、換気だけは免れたようだった。GMは私に向けて親指で首を掻き切るジェスチャーをした後、つまらなそうな顔でオフィスを後にしていった。


「ありがとう田中。お前のおかげで解雇にしてもらえたようだ。」


 私は涙ながらに田中に感謝した。


「下人の分際で俺の名前を気安く呼ぶんじゃない。あと40秒しかないぞ。さっさと出ていけ。二度と我々の前にツラを見せるんじゃねぇぞ。」


 荒々しい言葉とは裏腹に、田中は涙を流しながら私を急かした。もう田中と働けないということに対する残念な気持ちを強く感じた。しかし、全てはもう終わってしまったのだ。


「あんまり君に甘えるわけにもいかないですね。本当にありがとう。私は田舎に帰るよ。」


 私は取るものも取り敢えずオフィスを後にした。



 その後、どうやって家に帰ったかは覚えていない。翌日、酷い二日酔いになったのを覚えている。私はその後、マンションも引き払い地元に帰った。


 今は職を探しているところだ。もう私は都心で働くビジネスパーソンでは無い。ただの無職である。ここは都心と意識に大きな差がある。昼間からカップ酒片手にふらつく下人も換気されることも無い。私は普段、酒もタバコもパチンコも嗜まないので、表面上は意識が高い。


 私はこの文章をポテチとコーラで完全武装しながら、ベッドで寝転がりながら執筆している。もう糖質など気にしなくて良いのだ。ただ田中とは住む世界が変わってしまったというのが心残りである。

ポテチは悪魔(断言)

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― 新着の感想 ―
[一言] 色々執筆とか忙しくて、評価した日に書けなかったので気晴らしに感想投下など。 チャイコフ田中さんの作品を全部読んだ訳ではありませんが、今のところ本作が最高傑作かよ。と言いたくなるくらい腹を…
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