3
チリーン
高く澄んだ音が館に響く。
ラウルをちらっと見やると、くいっと顎で扉をさす。
「ラウルが代わりに行ってくれたらいいじゃない」
「お前の仕事だろう」
そうだけど。
せっかくのお茶の時間、満喫したいじゃない。
「体は大丈夫か?」
働けと言うのに過保護なラウルに苦笑する。
「お茶を飲んで回復したわ。残念ながらね」
やらねばならないのはわかっている。
それでもちょっと駄々をこねてみたくなっただけなのだ。
呼ばれたからにはいかないと。
一歩一歩が重い。
人間に会わないといけない。
そう思うと気が重くて仕方ない。
きゅっと握った指先が冷たく冷えていくのがわかった。
「システィール、ちょっと待った」
ラウルの腕が伸び、私の目の前が薄暗くなる。
「ありがとう」
緊張のあまりベールを下ろすのも忘れていたようだ。
人間と会話をするのはどれくらいぶりだろうか。
いつも客の相手はラウルに任せていた。
話す必要があるときは私が耳打ちしたことをラウルが伝えてくれる。
今日もそれでいいんだろうけど。
でも連れ帰った以上は私の客扱いになるので挨拶もしないというわけにはいかない。
緊急事態だったとはいえ、面倒なことをしてしまったと悔やんでももう遅い。
ドアをノックすれば中から返事が返ってきた。
ガチャリ、ともったいぶるようにゆっくりと扉が開かれる。
ラウルが開けてくれた部屋に、深呼吸をして踏み入れた。
「この度は大変ご迷惑をおかけいたしました。黒の国、第2王子、キースと申します」
男は床に跪いて私を待っていた。
顔色は幾分良くなっているが、まだ疲労の色は消えていない。
「呼びつけるような真似をしてしまい申し訳ありません。館を歩き回るわけにもいかず、お言葉に甘えさせていただきました」
ベルを使ったことを言っているのだろう。
「構わない」
私が答えるとパッと顔を上げた。
こちらの顔は見えていないはず。
そういう魔術がベールにはかけてあるのだ。
こちらからは少し薄暗くはなるけどしっかり見えるというエクシオール様からの贈り物。
「私はこの館の主。《守人》と呼ばれるもの。この男はラウル。私の大事な側近なのでくれぐれも害をなさないように」
「勿論です。他の者達はどうなったか伺ってもよろしいでしょうか」
真っ直ぐとこちらを見やる灰色の目は、私の目を捉えている。
そう錯覚してしまうくらいに真っ直ぐにこちらをみてくる。
怖い。
「ラウル」
私が名前を呼ぶと察してくれたラウルが前に出た。
「他の者達は皆森の外へ案内した。あんた一人はここで預かることになることも伝えてある」
その言葉に、キースは肩の力を抜いたようだった。
「みな、無事なのですね。よかった」
安堵の滲んだ声に、珍しさを感じた。
上に立つものがここまで下のものを思うこともあるのか。
今まで見てきた者達は、護衛を盾のように使うものばかりだった。
「私を守れ」「私を誰だと思っている」「命の価値が違うのだ」と。
ますます人間という生き物が嫌いになっていった。
魔物の方がまだましだと思ってしまうくらいに。
「お前が一番傷が深かったのだ。瘴気の影響もな。何故だ」
男、キースは2、3度瞬いた後、目を伏せた。
「私の国は今少し荒れております。そのため、私につくことで不利になるもの達が出てきます。それでもあのもの達は私に支えてくれているのです。この国の民である彼らを守れずに人の上に立つことができるのでしょうか」
言い訳のように感じたのは、先ほど私がラウルにデコピンされたことを忘れていないからだろう。
「お前は綺麗なのだな」
皮肉だ。
通じたかはわからないが。
キースはどう受け取れば良いのかわからないのか、返事はしなかった。
「数日はここにいてもらう。体の状態が良いと判断され次第、森の外へ案内する」
私の言葉に、キースは頭を下げる。
「ご迷惑をおかけします」
「これが私の役目だからな」
もう話すことはない。
踵を返し部屋の外に出るのと同時に声がかかった。
「あのっ」
話は終わったのではなかったのだろうか。
「なんだ」
私が疲れたのがわかったのか、ラウルが代わりに答えてくれる。
「私に何かできることはないでしょうか」
「何かできること?」
「はい。私をしばらくの間、ここに置いてくれないでしょうか」
由々しき事態だ。
顔がひきつるのがわかる。
何を言い出したのだこの男は。
「なぜ」
振り返りもせずに口にした言葉に、自分でも違和感を感じた。
「だめだ」と言うはずだった。
なぜ理由を聞いてしまったのだろう。
その答えで何かが変わると言うのだろうか。
「それは…」
けれどその答えは返ってこなかった。
そのことに一人ホッと息をつく。
親切に答えを待ってやるほど私はお人好しでもこの男に肩入れしてるわけでもない。
「ラウル」
私の一言でその扉は閉じられた。
あ、でも忘れてた。
ダメって答えてないわ。
ラウルが言ってくれるかもってちょっと期待したんだけど、なぜか押しだまっちゃうし。
「お茶が飲みたい」
見上げれば、しょうがないなという目が待っている。
この安寧の日々を、私は崩したくないのだ。