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第二話

「知ってるか? 子鹿ってのは生まれてすぐに立つんだ」

 赤ん坊を抱いたリットは、前を歩く二人に恨みがましく言った。

「知ってるぞ。草食動物っていうのは、肉食動物から逃げるために早く立つんだ。逃げなけりゃ死んじまうからな」

 カーターは振り返らずに言った。リットに合わせていちいち足を止めるのは、赤ん坊にとって良くないからだ。二日酔いで悲鳴を上げる体にムチを打って、早足で歩き森を抜けようとしているが、更に二日酔いが酷いリットは、抱いている赤ん坊の重みと、胃からこみ上げてくる酸っぱいものに限界を向かえようとしていた。

「だれがうんちくを聞かせろって言った? オレが言いたいのは、もう自分の足で歩いて良い頃だってことだ」

 リットは大木により掛かると、酒臭いため息を落とした。それが顔にかかって癪に障ったのか、赤ん坊は大声で泣き出した。

「おい、リット泣かすなよ」

「なに言ってんだ。赤ん坊は泣くのが仕事だ。オレの口が酒臭かろうが、花の匂いがしてたって泣くもんだ」

 リットは赤ん坊をカーターに押し付けると、そのまま木の根元に座り込んでしまった。

 せめて水でもあれば体力も回復するし、頭もスッキリするのだがとカーターは思った。しかし周囲にあるの木ばかり。木の太い根によって起伏する地面に、体力は奪われていくばかりだ。

 見習いたくはないが、一度赤ん坊を忘れて、リットのように一休みするのがいいのではないかという考えが頭をよぎったとき、まさに求めていた音が耳に届いた。

 あまりのタイミングの良さに幻聴のようにも思えるが、カーターの耳に響いたのは間違いなく水の音だった。

「おい、リット! 聞こえるか? 川だ、川の音だ!」

 すっかり目を閉じていたリットを無理やり立たせると、カーターのは片手で赤ん坊を抱き、もう片方の手でリットの胸ぐらをつかみ、水音のする方へと走っていった。

 そして、その音が大きくなると「助かった! 飲み水だ!」と叫んだ。

 しかし、カーターの目に映ったのは川ではなく、ローレンの後ろ姿だった。

「まさか、僕のこれを飲むって言うつもりかい……。どんだけ泥酔しててもそれだけはありえない。悪いけど断らせてもらうよ」

「長い小便をしてるから、川の音と間違えたんだよ……。いつまで呑気にしてるつもりだ」

 未だ止まらないローレンのおしっこの音に、カーターの落胆のため息が混ざった。

「飲みすぎたせいで、一回出したら止まらないんだよ。さっきもそう言ったろう。だいたいカーター……キミのせいでもあるんだぞ。僕はキミの酒場でトイレができないんだ。いっつも床が汚れていて最悪だからね。しずくを踏まないように、距離をとっておしっこをするのは大変なんだぞ」

「そうやって、飛距離を競い合うから床が汚れていくんだよ……。それと、いいかげんイラつくから、さっさと小便を終わらせてくれよ」

 吐き捨てるように言ったカーターの言葉に、ローレンは首を傾げた。もう既におしっこは終えていたからだ。

「僕の体の中にエール樽でもあるように見えるのかい? キミんちの酒場じゃないんだぞ。そんなに出るか」

「それじゃあ……この音は……?」

 カーターとローレンは顔を見合わせると、一度リットの股間を見て寝小便をしていないのを確認した。そして問題ないとわかると、再び顔を見合わせた。

「川の音だ!」と叫んだは二人同時。

 今度こそ本物の川へ向かって、走っていた。



 幸いに、森を流れる川はとても透き通って綺麗だった。

 カーターは頭を突っ込んで、脂汗で気持ちの悪かった頭を綺麗にすると、まるで常習性のある成分を含んでいるかのように、水をがぶがぶと飲みだした。

 ローレンは長い髪が濡れないように、顔だけを綺麗に洗うと、同じく水をがぶがぶと飲み始めた。

 リットはといえば、川に突っ込む直前に赤ん坊を押し付けられたせいで、お預けを食らっていた。

 カーターが存分に満足するまで水を飲むと、ようやく水にありつけた。

「澄んだ水に、緩やかな流れ。この川を下っていけば、間違いなく人里がある。なぁ、そう思うだろう? C・J」

 カーターは必要以上に赤ん坊をあやしながら言うと、川に突っ込んだずぶ濡れの顔を向けた。

「なんだシージェイってのは? まさかとは思うけど名前をつけたのか?」

「カーター・ジュニアでシージェイだ。いつまでも赤ん坊とか、こいつとかそいつじゃかわいそうだろう。なにより教育によくない。名前を呼んでやらんと」

「そりゃよかったな」

「そうだろう、いい名前だろう」

「もうひとりの息子は、日がな一日ズボンの中でぶらぶらしてるだけのやつだからな」

「誰かさんが、日がな一日酒場に入り浸らなければ、オレの息子ももう少し忙しくしてるよ。アホなこと言ってないで、さっさと川沿いを行くぞ。村があれば赤ん坊のご飯も、オレ達のご飯もある。文句はないだろう?」

「どうしてもって言うなら、なんとかひねり出すぞ。捨て犬に名前をつけると面倒事になるとかな。文句を言うのは得意中の得意だからな。言ってほしくなったら言えよ」

「知ってるよ……嫌ってほどな」



 カーターの思った通り、川沿いを下っていくと村があった。

 思ったよりも大きな村で、地図に載っている可能性がある。地図に載っていれば、自分の家に帰ることも出来る。

 カーターの頭には今後のことがたくさん思い浮かんだが、まずは自分の腕の中にいる赤ん坊のことが最優先だ。体温を感じ、無防備に身を預けきっている赤ん坊に、すっかり愛情が湧いていた。

 しかし、そう思っているのはカーターだけのようで、村に着くなりリットとローレンの二人は忽然と姿を消していた。

 赤ん坊の世話はカーターに押し付けて、まず自分の欲望を満たしに行っていた。

「まったく……どうしたもんだろうな」

 カーターに困惑の表情を向けられたシージェイだが、当然意味がわかるわけもなく、腕の中で身じろぐだけだった。

 カーターは気を取り直すと、「最近、子供を産んだ母親はいないか?」と村人に聞き始めた。

 これが小さな村だったならば、誰が子供を産んだという情報は瞬く間に広がり皆が周知の事実だが、中途半端に大きな村のせいで、他人という概念が生まれてしまい、聞き込みは難航していた。

 子供を産んだ母親を探すというのは、もちろんシージェイの母親を探すということもあるのだが、そっちのほうはあまり期待していなかった。赤ん坊が行方不明になっていれば、さすがに村中に噂が広がっているからだ。

 要はシージェイのご飯のために、母乳が出る人を探していた。こればかりは誰でもいいわけではないし、自分達でどうにか出来る問題でもなかった。

 まったく見つからず、シージェイもお腹をすかして泣き出してしまったが、これが功を奏した。赤ん坊の鳴き声につられて集まった人が、次々と情報を出してくれたのだ。

 そして、酒場の女将が六人目を産んだばかりというありがたい情報が手に入った。


 酒場についたカーターがその女性に頼み込むと、快く二つ返事でオーケーをもらえた。

「いやー……助かったよ。こればかりはどうにもならないからな」

「私にとっては、一人も二人も同じだよ。それに、私のミルクを飲んだ赤ん坊は、皆丈夫に育ってるよ。ね、あんた?」

 ミノタウロスの夫婦は顔を見合わせて豪快に笑った。

「丈夫に育つのが一番だよ。……できれば酒の味も覚えないでくれればとも思う――なんでここにいるんだ?」

 カーターは隣りにいるリットとローレンを二人まとめて見た。

「なんでって、ここは酒場だろう。酒を飲む以外あるのか?」

 リットが酒の入ったコップを傾けると、ローレンがそれに乾杯をした。

「僕は女の子を探してたらここにたどり着いた。まさしく山の頂に立った気分だよ。こんなに見事な山は見たことがない」

「オレは情けないよ……」

 カーターは肩を落とした。

「結局皆同じ酒場にいるんだ。情けないのも皆同じってなもんだ」

 リットが食べかけのツマミを押しやると、お腹の減っていたカーターは文句を言うのを一端やめて、それを食べ始めた。

「言っとくけど、僕は無駄に過ごしていたわけじゃないよ。ちゃんと情報収集もしたんだからね。まず、ここはミノタウロスが多く住む村だということ」

「まぁ、たしかに」

 カーターは咀嚼しながら辺りを見回した。

 純粋なミノタウロス、純粋な人間、ハーフにクォーター。遺伝する箇所も様々に存在していた。

「婦人の言っていた。私のミルクを飲んだ赤ん坊は丈夫に育つっていうのも本当らしい。ここは楽園だよ!」

 ローレンはたまらずに大声を張り上げた。どこを見ても膨らんだ山々。目移りするどころか、勝手に向こうから思う存分に揺らして視界に入ってくる。

 巨乳好きというより、巨乳にしか興味のないローレンにとっては、言葉通りまさしく楽園だった。

「それが情報って言わないだろうな……」

 聞かずともローレンからの答えがわかって落胆するカーターに「安心しろ」と、リットが声を掛けた。

「その栄養のある乳を輸出するために、定期的に川船を出して隣町に行くんだとよ。残念ながらこの村は地図にないが、町まで行けば周辺の地図は手に入るそうだ」

 リットは船頭に話をつけてきたと伝えるが、カーターの顔は浮かないままだった。

「とてつもないアホを見たあとだと、リットがまともに見えるよ……。たとえ同じアホでも」

「二人が必死に女の乳を探してる間に、こっちは帰る手段を探してたんだぞ。酒の一杯や二杯でとやかく言うんじゃねぇよ」

「川船なんて、めちゃくちゃ揺れる乗り物だろう。明日のリットの姿が容易に想像できる……」

「偉そうに言うなよ――オレにだって想像できる。船のヘリにしがみついて吐いてる姿がな」

「だから、アホだって言ってるんだ」

「それで、三人のアホのうち誰が赤ん坊を産んだんだい?」

 母乳を上げるついでに、おしめもまで取り替えながら女将が聞いた。

「乳と一緒に栄養を全部吸い取られたのか? どんだけ尻の穴を痛めても、オレらには産めやしねぇよ」

 リットが鼻で笑うと、女将はそれよりも豪快に鼻で笑い飛ばした。

「あまりに悲壮的だから。言葉を変えてあげたんだよ。それで、誰が女房に逃げられたんだい? 飲んだくれに、女好きに、空回り。三人とも充分ろくでなしの父親の素質がありそうだけど」

 女将はリット、ローレン、カーターと順番に指をさすと、この上なく呆れた表情で肩をすくめた。

 リットとローレンは「空回り」と声をそろえた。

「おい! なんでオレが!!」と慌てるカーターにリットは耳打ちをした。

「誰かの子供のほうが面倒がなくていいだろう。信じるか? 女ならともかく、朝起きたら赤ん坊が一緒に寝てましたって」

「でも、オレの子ってわけじゃ……」

「カーター・ジュニアでシージェイなんだろう? だいたい、オレは忠告したぞ。捨て犬に名前をつけると面倒事になるって」

「面倒事にしたのはリットだろう。だいたい皆の責任だ。全員記憶がないんだからな」

「赤ん坊に、責任の所在に、記憶がない。実に見事な三拍子だな。世の女を皆敵に回せる。いいか、敵は厄介だぞ。泣いて叫んで注目を集め、自分の間違いを世の正論にさせちまう。赤ん坊と一緒だ。それに比べて男は単純で弱いぞ。乳を吸って、服を脱がされて下半身をいじらてれば満足するんだからな。まぁ、これも赤ん坊と一緒だな。つまり皆赤ん坊ってことだ。この責任は全世界で分かち合おう」

「それで……気が紛れたか?」

「紛れるか……オレもアホになりてぇよ」

 リットは人妻を旦那の横で口説き落とそうとするローレンを見ながらため息をついた。






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