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第一話

 その日は、孫娘が結婚をしたというおじいさんの祝いの酒が、カーターの酒場で盛大に振る舞われた。

 リットは「おごりだから来てくれ」という一言に、ローレンはその誘いに乗る女の子を目的に、店主のカーターは言わずもがな酒を出すために店にいた。

 理由は三者三様だが、飲むという目的は変わらず、他の客が酔いつぶれても三人で夜遅くまで飲み続け、最終的には三人も酔いつぶれてしまった。


 そして、三人共いつもと同じ酒場で目覚めるはずだった。

 最初に異変に気付いたのはカーターだ。

 尿意を催し立ち上がると、ゆっくりと前方を確認した。あからさまになにかがおかしいと思ったが、二日酔いのせいで頭が回らない。

 今度は下を見て、酔いつぶれて寝転がるリットとローレンを見た。

 床にひっつくように倒れて眠るリット、マントに身を包んで転がっているローレン。

 カータはいつもどおりの光景に安心すると、溜まっていたおしっこをするために歩き出した。

 しばらく歩いたところで、なにかがおかしいという疑問が、ゆっくりとカーターの頭を覚醒へと導いていった。いくら歩いても壁に当たらないのだ。おかしいと頭を悩ませるついでに空を見上げた。

 綺麗な青空だった。のどかに流れる雲は、昨夜の楽しい酒の席を映し出し、風は二日酔いに汗ばんだ体を優しく冷やしてくれる。柔らかい草むらのクッションも、まだふらつく足には丁度いい感じだった。

 二日酔いにしては、なかなかに良い目覚めだ。

 カーターがそう思ったのもつかの間。浅黒い肌には、まるで結露のように大量の汗が吹き出た。

「オレの店が消えちまった!」

 いくら辺りを見回しても、あるのは木、木、木。それにまた木。どう見ても自分の酒場はおろか、町中でさえなかったのだ。

 カーターの叫びを聞いて目を覚ましたのはローレンだ。

 ローレンは「うるさいよ……」と汗で張り付いた長い前髪をかきあげて立ち上がると、倒木に腰掛けて「椅子が低いよ。また酔っぱらいが壊したのかい」と、まだ寝ているリットに横目を向けた。

「椅子の低さに気付いたんなら、空の高さに気付いたらどうだ?」

 カーターがあまりの剣幕に詰め寄るので、ローレンは思わず顔を上げた。映ったのは、カーターの瞳に映った空と同じ空だ。

 ついで慌てて左右を確認してから、カーターを見つめた。

「……昨日揺れてた胸がないじゃないか。夢見心地で胸のまにまに揺られて、こんなところまで流れ着いたと言うなら、酷いジョークだよ。今すぐ揺れる谷間の元へ帰してくれたまえ。僕は現実で揺れる胸を見たいんだ」

「わかるぞ……。いや、胸のことじゃなくてだな。混乱してるのがわかるってことだ。いいか? 落ち着いて聞けよ。ここは――見知らぬ森の中だ」

 焦りと動揺に、目まぐるしく表情を変えるカーターとは違い、ローレンは妙に落ち着き払って鼻で笑った。

「だっておかしいじゃないか」

「そうだ。おかしいことだらけだ」

「僕は谷間と言ったんだ。森とは言ってない」

「いいかげん目を覚ませ……!!」

 カーターはローレンの胸ぐらを掴むと、脅迫するかのように体を揺らした。

 ローレンは「そうは言っても……」と言いながらカーターを引き離した。「昨夜は飲みすぎたことくらいしか覚えていないよ。カーターはなにも覚えてないのかい」

「それが、思い出そうとすると頭痛が……」

「僕もだよ……」

 カーターが顔を歪めてこめかみを押さえるのと同時に、ローレンもこめかみを押さえた。

 二人はこめかみを押さえたまま、睨みつけるような目つきでリットを見た。

「となると、頼りは一人しかいない」

 寝ながらも頭痛に眉をひそめるリットの表情は不快さをあらわしていたが、この事態に気付いていないだけでも、二人の目には幸せな表情に映っていた。

 だから、起こす時は自然と手荒に体を揺すぶってしまった。

 しばらくなにをしても起きる気配がなかったリットだが、「起きろ、リット! 大変なんだ!」とカーターに強く頬を叩かれ、ようやく体を起こした。

「かんべんしてくれ……ただ酒の日の次の日は、昼まで起こすなって約束しただろうが」

 ローレンは「そんな悠長なこといってる場合じゃないんだよ」と早口で言うと「周りをよく見たまえ」とリットの顔を掴んで、無理やり左、右、また左と、周りの景色を見せた。

 リットは急に目覚めたように目を力強く開けると、すっと立ち上がった。

「覚えがあるのか。良かった……」

 カーターは胸をなでおろすが、リットは「小便」と言って真っすぐ歩きだした。

 カーターは「おいおい……」と呆れつつも、自分もおしっこをしたかったことを思い出してリットの後に続いた。

 ローレンも続き、三人横に並んで水音とほっとしたため息をついたところで、リットがおもむろに口を開いた。

「なんで仲良く並んで小便をしてんだよ……。連れションってのは、連れ立って小便をすることで、寄り添って小便をすることじゃねぇぞ」

「離れたら、もう二度と帰れないかもしれないからだよ」

 ローレンの言葉にリットはなにを言ってんだと眉をしかめるが、ローレンを見た時に、その顔の向こうに森が広がっていることにやっと気付いた。

「なんだここは……カーターの酒場で飲んでたんじゃねぇのか?」

「君の鈍さが心配になるよ……」

 リットもなにも知らないことにローレンはがっかりと落としたが、カーターは別の意味で肩を落とした。

「オレはここをどこだと思って小便をしたのかの方が心配だよ……。まさか、店の中だと思ったままズボンを下ろしたんじゃないだろうな?」

「んなことより、なんで森にいんだよ!」

 リットが横を向くと、カーターは慌てて飛び退いた。

 カーターの足元では、リットの股間から伸びる放物線が地面に濡れた道を作った。

「こっちに向けるな!」

「なんでお前らは落ち着いてんだ!」

 リットが今度はローレンの方を向くと、ローレンもカーターと同じく慌てて飛び退いた。

「危ないじゃないか!」

「いきなりこんなドッキリされたら、縮み上がって消えちまうよ。なんだ? なにが目的で森に連れ込んだんだよ。これが欲しいならオマエらにも平等についてんだろ」

 慌てるリットを見てカーターは鼻から笑いを漏らした。

「なに笑ってんだよ。人のを笑えるほど差はねぇだろ……」

「これでやっと平等になったから。オレもローレンも、もう取り乱し終わった後だ」

 カーターは満足だと喉で笑った。

「なに笑ってんだよ。のんびりと、三人仲良く小便を飛び散らかしてる場合じゃねぇだろ」

「飛び散らかしたはキミだけだよ……。一度修理したほうがいいと思うよ」

「男の寝起きの小便の行末なんて、神のみぞ知る。だろ」

「違うよ。頭の方をだよ」

 ローレンがバカにするように自分の頭を人差し指でつついた時、三人の背後から「おぎゃー!」という声が響いた

「これが修理の音か?」

 カーターの怪訝な顔に、ローレンは「嫌な風の音だ」と顔をしかめた。

 しかし、それで耳を傾けたせいか、三人の耳には先程よりもしっかりと「おぎゃー! おぎゃー」と泣きじゃくる赤ん坊の声が聞こえてしまった。

「おい……悪魔の産声が聞こえるのは気のせいか? これ以上ドッキリがあると、縮み上がるどころか、めり込んで口から出てくるぞ……」

 出していたものをズボンにしまいながら、リットは顔を歪めた。

「なにを言っているんだい、リット。ここは幸い森の中だよ。赤ん坊がいるはずもない。いたとしたら……まさしく悪魔だ。悪魔が産声を上げたなら、逃げればいい……」

「おいおい……。本当に赤ん坊だったら大変だろう」

 子供嫌いの二人とは違い、カーターは急ぎ足で泣き声のする方へ走っていった。

「……どうする?」

 ローレンが横目でリットを見た。

「まずはその長え小便を止めろよ。いつまで出してんだ。ミイラになっても棺桶には入れねぇぞ」

「飲みすぎたせいだよ。まったく……目が覚めて、男三人見知らぬ森の中。それに、カーターは悪魔を連れて戻ってくる……。とんだ悪夢だよ」

 おしっこを終えたローレンは、尿意の開放だけではない、深い溜め息をついた。

「走って崖に落ちるとはな。惜しいやつを亡くしたよ。ツケがきかなくなる。いや、今までのツケがチャラになったからいいのか」

「なにもなかったことにする気かい? そうだね……僕もそういうことにしておこう」

 二人は顔を見合わせると、同意の握手をしたが、ローレンが先に手を離した。

「失敗したよ……。なんで握手なんか……」

 そう言って自分のズボンで執拗に手を拭く。

「お互い様だ。ここには手を洗う水なんてねぇからな……」



 二人が自分のズボンで手を拭き終えるのと同時に「やっぱり赤ん坊だったぞ。ご丁寧にゆりかごに入ってる」と赤ん坊を抱いたカーターが戻ってきた。

「たしかに酒は生命の水だ。でも、命を作る水じゃねぇんだぞ」

 昨夜女性を口説いていたのを知っていたリットはローレンを睨んだ。

「……昨夜知り合って今日生まれたとでも言うのかい? キミの方こそ、昨日はめずらしくずいぶんべったりと女性と話し込んでいたじゃないか」

「イミル婆さんか。婆さんてのは、もう女じゃないから婆さんって呼ばれてんだよ」

「ギリギリ女性だよ。若い頃は胸が大きかったらしいからね。キミのそういう発言に、いつも僕は気を悪くするんだ。悪いけど、キミとはとてもじゃないがやってられないよ」

「こっちもだ。もう二度とオマエと顔を合わせることもねぇだろうな」

 リットとローレンは睨み合って瞳でなにかを伝え合うと、同時に逆方向に歩こうとした。

 リットは伸ばされたカーターの足に、ローレンは手によって、一歩目を踏み出す前に、行く手を遮られてしまった。

「お二人さん……こんな時に猿芝居で逃げようとするなよ。こんな森の中に、赤ん坊一人置いていけるわけないだろ」

「武器を持って脅そうとしてくるから逃げたくなんだろ。どうすんだよそれ……」

 リットにそれと指をさされた赤ん坊は、いつの間にか泣き止み笑顔を浮かべていた。

「よく考えろ。酔っぱらい三人が見知らぬ森にいるんだぞ。それにゆりかごに入った赤ん坊だ……。酔いの勢いで、どっかから黙って連れてきた可能性がある……」

「よくそんな突拍子もない事を言えるな。一人で歩いてきて、木を切り倒して、加工して、自分でゆりかごを作って寝てただけかも知れねぇぞ」

「……赤ん坊がか? できると思うか?」

 カーターは赤ん坊をゆりかごから出してあやすと、これが赤ん坊だという現実を突きつけるように、赤ん坊の顔をリットに見せた。

「できてもらわねぇと、こっちが困る」

「大真面目な顔でなにを……」

 カーターは途中で言葉を止めて、ふぐのように頬を膨らませた。そして、ローレンに赤ん坊を押し付けると、口元をおさえて近くの木の根元にうずくまった。

「ちょっと、カータ! 困るよ! どこを持てばいいかわからないんだから!」ローレンは釣ったばかりの大きな魚でも抱えるようにあたふたすると「リット! キミが持ってくれたまえ」と赤ん坊を差し出した。

 しかし、リットは両手を後ろで組んで首を横に振って拒否した。

「物を持つときは取っ手を探せよ。どっかについてるだろ」

「どこに取っ手があるって言うんだい」

「オレが細工職人なら背中につけるな」

「それなら、いますぐ取り付けてくれたまえ! はやく!」

 二人であーでもないこーでもないと話し合った後、ローレンのマントで包むことになった。

「よく考えりゃ、ゆりかごに戻しゃよかったな……」

 リットは疲れ切って地べたに座り込んだ。

「そういうのは、僕のマントに地図が描かれる前に言ってくれたまえ……」

 ローレンはよだれで汚れたマントを見て顔をしかめた。たとえそれがよだれではなく、涙だったとしても良い顔はしないだろうと言った嫌悪の表情だ。

「そんな文句ばかり言うなよ。赤ん坊もいいものだぞ」

「本当にそう思ってるなら、一つでもいいから理由を教えてほしいものだね」

「ただの気休めだ。意味を求めんなよ。酒の席で一応言う、飲みすぎんなよと同じだ。お互い言い合うだろ? 守らねぇけど」

「僕達は守らなかったせいで、こんな状況になってるわけだけどね……」

 ローレンはゆっくり辺りを見回すが、何度見ても、何度確認しても見たことのない景色のままだ。

 どの方角からここに来たのかさえわからない。

 変わったことといえば、深い茂みを足でかき分けてカーターが顔を出しただけだ。

 カーターは戻ってくると青ざめた顔で、リットとローレンの顔をそれぞれ見てうなだれた。

 そして、そのまま両膝と両手をついて、具合が悪そうに生ぬるい息を吐いた。

「つわりだ……もしかしたら赤ん坊がもう一人増えるかも知れない……」

 リットは「言っとくけど、父親はオレじゃないぞ」と言いながら、まだ吐くならあっちを向けと、カーターの肩を支えて立ち上がらせた。

「こんなに酷い二日酔いは初めてだ……なにも覚えてない。頭が真っ白だ」

「真っ白ってことは何でも書き込めるってことだ。都合のいい記憶に書き換えりゃいい。それか、もう一度飲んで今日の記憶も忘れるって手もある」

「明日も、もう一回このやり取りをしろっていうのか?」

 カーターはうんざりとした様子で空を仰いだ。

「そうは言ってねぇよ。――明日はオレ抜きでいいぞ」

 ローレンは「そうはいかないよ」と、リットが油断した隙に赤ん坊を押し付けた。「今日森を出て、道を探して、街に出る。そして――」そこまで言うと、意気込んで拳を握るが、次に出てきたのは言葉ではなく酒臭い嗚咽だった。「そして……僕達が住んでいる町に……帰るんだ……」

 それが人生最後の言葉のように弱々しく言うと、ローレンはその場で胃の中のものをすべて吐き出した。

「なんだ? 帰るってのは、昨日食ったものを大地に還すって意味か?」

 というリットの言葉は、森に響く前に嘔吐の音にかき消されてしまった。






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