第四十四話:混乱
イスラの撃破が確認された後、タクトは茫然自失とした表情で自らの脳裏に流れる情報の本流に身を委ねていた。
なぜ? の言葉が何度も繰り返され、どこで間違ったのだろうか? という疑問が浮かんでは答えが出ぬまま消えていく。
マイノグーラ全軍が混乱をきたし、連絡権を持つダークエルフや配下のユニットからひっきりなしに判断を問う念話が届く。
その全てを聞き流しながら、タクトはある種の穏やかさすら感じさせる思考の空白の中に身を置いていた。
……凡百の存在であればこのまま消えゆくのだろう。
己の心を閉ざし、そのまま膝を抱え現実から逃げるかもしれない。
もしくは誰彼かまわず怒鳴り散らし、自らの失態を隠すかのように叫び回るのかもしれない。
だが、伊良拓斗という人物はそのどちらでも無かった。
エターナルネイションズ最優のプレイヤーは、その程度ではかれる精神構造をしてはいなかった。
タクトは静かに瞳を閉じ、大きく深呼吸する。
その時間にして数秒。まるで健康的な人間が朝起きて太陽を前にする動作のように緩慢で、自然体だ。
だが……。
再度彼がその瞳を開けた時、そこには明らかに今までとは違ったある種の悍ましさを感じさせる光が浮かんでいた。
『何が起こったのですかタクト様!?』
示し合わせたかのようなタイミングだった。
驚愕の気配と共にアトゥより念話が届く。
先ほどまではイスラや双子の少女達に意識が向けられていた為に返答する事が出来なかったが、今度は静かに意識を切り替え言葉を返す。
『イスラが撃破された。死亡イベントに巻き込まれた』
『そんなことが――ッ! チィィィッ! あれか!!』
返答と共にアトゥが苛立ちの声をあげる。
この時、アトゥの脳裏に四天王のアイスロックより受けた攻撃が思い起こされていた。
と同時に戦闘の興奮と混乱にかまけその重要な事象を自らの王へと報告しなかった失態も想起される。
思わずその顔を憤怒に歪めながら叫ぶアトゥ。
だが彼女にとって咎を報告し罰を受けるのは今ではない。いますべきことは何よりもタクトの安全を確保する事だった。
『イスラの撃破は緊急事態。直ちに進路を変更し王都へと戻ります。護衛を用意しどうかそこから非難してください!』
イスラが破れたということは、現在マイノグーラの王都を守る兵力がほぼ存在しないことを意味する。
無論ダークエルフの防衛部隊もいるし、足長蟲などのマイノグーラ由来のユニットも存在している。
だがそこらの魔物ならともかく四天王級が現れては手も足も出ないだろう。
事態は想像以上に逼迫している。
アトゥは今までに感じたことのない苛立ちと危機感を覚えながら、進路を大呪界へと向ける。
『それだけど、待って』
だが、その足を止めたのは他ならぬ彼女の王だった。
『なぜですか、我が王よ!?』
土埃をあげながら立ち止まり、空を見上げてその意図を問う。
その表情はもはや苛立ちや怒りを超え、すでに泣きそうなほど歪んでいる。
だが自らの王よりもたらされた言葉は、その表情を更に険しく歪めるものだった。
『イスラは死んだ。残念ながらこれは事実だ。だけれどもあの双子が残っているんだ。彼女達がいま、敵を蹂躙しながら南下している。おそらく仇討ちをするつもりだ』
『あの双子がっ!? 何をいったい、しかし彼女たちでは――』
『イスラが《王位継承》を使った』
この時点で、アトゥはタクトが伝えようとしていること全てを察した。
イスラの能力が一つ――《王位継承》は対象のユニットに《英雄》のスキルを付与する効果がある。
それだけでなく、イスラが破壊された時に有していた戦闘能力もある程度継承されるのだ。
すなわち、今の双子は英雄に匹敵する能力を有している。
イスラが撃破された事にどのような経緯があったのかは不明だ。
だが彼女は最後の最後で自らの力をその娘達に継承する事に成功しており、新たな英雄が生まれることとなっていた。
タクトは……その英雄の確保を考えているのだ。
エターナルネイションズで生産出来る《英雄》のスキルをもったユニットはあまりにも重要で、簡単に換えがきくような代物ではない。
通常のユニットと同じように破壊されたからすぐに再生産という訳にはいかない。
決して無視できない脅威が世界に存在すると露呈した以上、これ以上の戦力低下はなんとしても避けるべき重要事項だった。
『今ここで二人を失う訳にはいかない。英雄ユニットの存在は今後の国家運営に大きく影響を及ぼす。……何より、あの娘達は僕らの国の民だ』
理屈は分かる。道理もある。
そして……心情としても理解はできる。だが、それは平時の判断だ。
五里霧中で決断して良い選択ではない。
アトゥは相手が自らの王であることも一瞬忘れ、思わず声を荒げてしまう。
『ならばすぐに二人を呼び戻してください! 一旦王都にて合流し、態勢を整えた上で反攻作戦に出ることを提案します!』
『それはできない。なんとか状況は確認出来るけど、命令が届かないんだ』
『ありえない! 命令の出来ぬユニットなど不要! 破棄を具申します!』
『却下だ』
『タクト様!!』
危機的状況。非常に不味い状況にある。アトゥの焦りがどんどん強くなり、最悪の事態が脳裏をよぎる。
タクトの判断がどのような考えによってもたらされたものかは分からない。
だが彼女にはタクトが無謀な決断を行っているようにしか見えなかった。
同時に、自らの失態がここまで事態をこじれさせてしまったことにアトゥは絶望的な気持ちになる。
いくら王都への敵軍進行が判明したからと言って、システムに介入する攻撃を受けたことを報告し忘れるなどあってはならないことだ。
否……王都へと危機が迫っているという重要な局面だからこそ、必ず報告しておかなければならない最重要案件とも言えた。
彼女は歯が割れるほど食いしばり……そして叫ぶ。
『偉大なる我が王よ! 僭越ながら報告申し上げます。先般の戦いにおいて敵四天王よりシステムに介入する回避不可能の攻撃を受けておりました! 此度の危機は全てこのアトゥの報告が遅れた事によるもの! この失態の罰は如何様にも! だから――だからこのご決断だけはどうかご再考を!』
アトゥは苦渋の決断を行う。すなわち自らの失態をここで明かし、全ての原因を自らに集約させることで事態の打開を図ったのだ。
確かに彼女がシステムに介入する攻撃について早々に報告しておけばこの事態を防げた可能性はある。
だがその報告はもしかしたら王を余計に混乱させることかもしれない。
場合によっては失望されるというアトゥにとってはもっとも耐えがたい苦しみを与えるかもしれない。
しかしながら自分を生贄に差し出すことで王が抱いている焦燥感や罪悪感を少しでも和らげ、なんとか冷静な判断を下して貰おうと考えた。
そう考え、この場で叫んだ。
だが……。
『そっか。ありがとう。だとしても行ってくれ。僕らは――イスラに託されている』
タクトの答えに、意思の揺らぎは一切存在しなかった。
『感傷でマイノグーラを、御身を危険に晒すわけにはいきません! 貴方さまは――タクト様は私にとって!』
魂の叫びは届かない。
このままいけば、今以上に最悪の事態も予想される。
すなわち予期せぬ現象――システムによる双子の敗北、そしてアトゥの敗北。
自らの死は痛くもかゆくもない。
だがアトゥにとってタクトが死ぬことは何よりも耐えがたい苦痛だった。
他ならぬ自分に原因が存在する状況では、その未来を予想する恐怖はなによりもアトゥを苛む。
だから、その言葉を受けた時……アトゥは雷に打たれたような衝撃を受けた。
『アトゥ、命令だ。――君にしか頼めないんだ』
『――――ッ!!』
その言葉で、熱してたアトゥの心がスゥっと冷えていく。
それは落胆や失望ではなく、まるで真理に気づいた狂信者のようだ。
彼女は命令を受けたのだ。であればすることは一つしかなかった。
やがて苦渋の表情からどこか納得したような表情を浮かべ、
『仰せのままに、我が王よ』
彼女は自らの王の言葉を受け入れた。
『ありがとう、アトゥ。君を信頼している』
アトゥの心変わり、その理由は彼女が全てを思い出し理解したからだ。
自らの王がどういう存在であるかということを。
いつだって彼が下した命令を信じて進んできたことを。
イラ=タクトは……エターナルネイションズでもっとも強いプレイヤーだったと言うことを。
ただ混乱し恐慌をきたしていたのは自分だけだったということを……。
そしてなにより、自らの主が持つ信頼すべきある特徴を。
アトゥの足はやがて南方へ向く。
すでに王から情報の受領は完了している。
どうやら双子の少女達の視界を通じて土地の状況は把握済みらしく、タクトとの繋がりがより強くなっているのかアトゥの脳裏にも朧気ながら状況が浮かんでいた。
現在は魔王軍が集合する場所の前方にある前哨基地のような場所にて戦闘が始まっているらしい。
敵側の戦力を確認したわけではない。双子の戦力を確認したわけではない。
間に合わない可能性ももちろんある。
だがアトゥには今から全力で向かえば、きっと彼女達と合流できるという確信めいたものが存在していた。
何よりイラ=タクトが命じたのだ。
であれば結果は一つしかない。
アトゥは駆ける。その踏み込みは大地を削り、人外の脚力が生み出す速度は馬をもしのぐ。
すでに決断は下された。そして覚悟も決まった。
ならばあとは自らの使命を全力で全うするだけだ。
アトゥの瞳に強い意志の光が灯り、邪悪な気配がより強くなる。
同時に散発的に襲ってくる敵の魔物達が塵芥の如く散らされていく。
主のサポートは十全に存在している。
ならば今の彼女の進撃を止められる者など、世界のドコをさがしても存在しない。
ただ……。
『アトゥ。一つ伝えておかないといけないことがある』
『……はい、なんでしょうか?』
道なき道を進むアトゥに、静かな声でタクトより思い出したかのように言葉が届く。
すでに覚悟が決まっている彼女は、いつも通りその一字一句を聞き逃すまいと意識を集中し返答を行う。
『十分気をつけて――』
だが彼女の表情に少しだけ疑問の態度が浮かび。
やがてそれは険しいものへと変わる。
『今の二人は狂っている』
事態は、彼女の予想よりもはるかに混沌としたものであった。




