第百五十六話 挑戦
暗黒大陸大呪界。
マイノグーラの宮殿にある拓斗の執務室では、ようやく一段落ついた暗黒大陸の状況に拓斗がほっと胸をなで下ろしていた。
「ふぅ、暗黒大陸の全国家が一つに纏まったか……」
「お疲れ様です拓斗様。結局、サザーランド以外はこちらが動かずとも決まりましたね」
飲み物を持ちながら、地図に描かれた勢力図とにらめっこする拓斗をねぎらうアトゥ。
今までの苦労もコレで報われる。そう言わんばかりに椅子でだらける拓斗を微笑ましく眺めながら、いつもの定位置で王の言葉を待つ。
「まぁ暗黒大陸のトップ3で話が付いたんだ。都市国家レベルじゃあどうあがいても首を縦に振らざるを得ないって感じだろうね」
仰る通りです。アトゥは頷き拓斗の言葉に追従した。
暗黒大陸の全ての国家で正統大陸連盟に対応するとは聞こえが良いが、実質はサザーランドを味方に付けるだけだ。フォーンカヴンは元々マイノグーラと蜜月の関係であるし、二つの都市国家はそもそも戦力等にも乏しく参戦したところで賑やかし程度にしかならない。
その推測はかの犯罪都市国家グラムフィルの長と会談したときに確信へと変わった。
「偉大なるマイノグーラの元に参じることが出来るというのです。むしろ向こうからもっと早い段階で恭順の使者を送ってくるべきですよ! まぁトップが直接大呪界に来たことは多少認めるところではありますが……」
「とは言え、ちょっと可哀想な位怯えていたね」
「犯罪王とか言われていたので期待したのですが、蓋を開けたら単なる粗暴者でしたね」
「まぁ僕らと比べたらダメだってのもあるだろうけどね」
アトゥの言葉に先日宮殿まで顔色伺にやってきたグラムフィルの長を思い出す。
こちらを見てガタガタと震える姿は蛇に睨まれた蛙どころか、罠にかかった獲物とでも言わんばかりだった。
そもそも今の拓斗と相対して正常な思考でいると言うことの方が難しい。特に初回ということで拓斗も相手を威圧するために王としての畏怖を存分に出していたのだから。
ヴィットーリオの策略で手に入った新たなる力――《イラ神の権能》はこういう場面でも通用する。
単純な戦闘能力だけではなく、様々な面で融通が利くのがずいぶんといやらしい。便利すぎてついつい使ってしまう。
ともあれ、今は目の前の事を一つずつ着実に、だが急いで処理しなければならない。
その点で言えば犯罪王などと言われていたグラムフィルの長含め、都市国家のグラムフィルとアイアンヘンジが軍門に降ったのは吉報だ。
下手に反抗されたり交渉を持ちかけたりされたら対応が面倒なのは言うまでも無い。
「雑事に気を取られないということは喜ぶべきことだよ。もちろん完全に信頼した訳じゃないから予防線は張らないとダメだけど、その点は配下をいくつか駐留させることでなんとかなると思うよ」
正直名前負けしている。形式的には一国の主ではあるが、実際のところはドラゴンタンの都市長であるアンテリーゼに毛の生えた程度の立場でしか無い。
国の国家元首として扱うには些か国家としては小さすぎるが、とは言え形式上は同盟国であり実質的には傘下に下った配下である。
あまり無体な事も出来ない。相手がこちらに害意を持っていたり敬意を持っていなかったりするのであれば話は別だが、拓斗は恭順の意を示した者をいじめる趣味はないのだ。
「しかしもう8ヶ月目か……出来れば中間の時点で抑えておきたかったけど」
正直都市国家の併合は時間をかけすぎたというのが拓斗の印象だ。その他で少々イレギュラーな出来事が頻発したため、その対応の為に都市国家に十分な力を避けなかったのだ。
逆に言えば都市国家はその程度の立ち位置とも言える。
居ても居なくても良い賑やかし、本来ならどうとでもなる要素ではあった。しかしながら拓斗がこの遅れを気にしている理由は一つだ。
「その代わりサザーランドは早く抑えられましたし、結果としては良かったのでは? どちらにしろあの二国家では大した戦力にもなりませんし、そもそも繰腹慶次捜索の為の併合でしたからね」
「そうそう。繰腹君だ。サザーランドにもフォーンカヴンにも居なかったから、間違いなくどっちかにいるはずなんだけど……」
拓斗は頷く。そう、都市国家の併合は通過点でしか無い。
その本旨は繰腹慶次との接触。TRPGのプレイヤーである彼を仲間に引き入れることが、来るべき戦いにおける重要要素となり得るのだから……。
「早速捜索を始めないとね。向こうの国の人員は当てにならないから、無理を通してでも探索能力に優れた配下を送るか」
残り4ヶ月。果たしてすぐ見つかるだろうか?
どちらにしろ、やらないことには始まらない。早速拓斗が繰腹捜索の方針を決定しようとした瞬間だった。
プレイヤーとして、そして《イラ神の権能》として超常の能力を有する拓斗の耳に飛翔音が飛び込んでくる。
「――ッ!? 拓斗さま!!」
刹那、素早い動作でアトゥと護衛の《出来損ない》が拓斗のカバーに入る。
やがてトンと小さな音とともに拓斗の執務机に一本の矢が刺さった。
「襲撃です! すぐに厳戒態勢に移行しなさい!」
アトゥが叫び、室外で警護していた兵士達に指示を出す。
一方拓斗はただ眉間に皺を寄せて先程の事象を吟味していた。
あり得ない。
拓斗がまず抱いた感想はそれだった。
マイノグーラの宮殿はダークエルフたちの護衛によって周囲を固められているし、そもそも大呪界に侵入者がいたのならその時点で拓斗が把握している。
暗殺者という線もあったが、それならば護衛の《出来損ない》が持つ《看破》能力を防ぐ手立ては無いはず。
そもそも論として、矢の飛んで来た位置、刺さった場所、そして速度から換算して、おおよそあり得ない場所から放たれたとしか思えないのだ。
だがそのあり得ない事をしでかす勢力に、拓斗は心当たりが一つあった。
「ん? もしかして……や、矢文?」
あり得ない事象がもう一つ。机に垂直に立つ矢の中頃に何やら紙の様なものが巻き付けられていたのだ。
ドタドタとダークエルフの兵たちがやってくる音が聞こえてくる。
目まぐるしく状況が変わる中、思わずポカンとした表情を取る拓斗。襲撃の衝撃よりも今時こんなやり方を取る人がいたことにただただ驚くのであった。
………
……
…
「矢文と言えば果たし状。えらく古風なやり口だけれども……」
その後の騒動はそれはもう酷いものだった。
王が直接襲撃を受けたのだ。警備の者は慌てふためき謝罪の言葉を述べ、アトゥは己の不甲斐なさに激昂と落胆を繰り返し、どこからともなく話を聞きつけたヴィットーリオは窓の外からニヤニヤとこちらを眺めるばかり。
状況的に無駄だと思われた周囲への捜索もすでに終わったものの、未だピリピリとした空気がマイノグーラの宮殿には漂っている。
本日の業務は全てキャンセルとなり、サザーランドに出向いていたモルタール老とギアが慌てた様子で帰還の旨を申し出てくる。
上から下まで大騒ぎだ。
対応力としては満足する結果ではあるが、些か騒ぎすぎて冷静さに欠ける。この辺りも今後の課題だなと感じつつ拓斗は矢文にくくりつけられた手紙を広げる。
一体何が書かれているのだろうか?
早速その内容をしかと確認しようとする拓斗だったが、
(字が、字があまりにも汚い……)
この試みは最初の一歩で挫かれる。
文章があまりにも汚く内容が伝わってこないのだ。
一瞬なんらかの呪文でも描かれているのかと警戒したが、かろうじて読める「果たし状」という文字でその考えも霧散する。
ただ単純に字が汚かった。それ以上でもそれ以下でも無い。
もっともだ拓斗はその感想を表に出すことはしなかったが。
(けど僕もあんまり人の事は言えないからなぁ……)
正直なところ、拓斗も字に関してはあまり人の事を言えないのだ。
マイノグーラの王として国家運営を始めた当初、認可のサインを描くのにえらく苦労した記憶が脳裏をかすめる。
元々が現代っ子。しかも病床で長らく過ごした人間だ。
ペンを持って文字を書くという機会がほぼ無かった上に大抵の事はキーボードで事足りる。
自分の字の汚さに気づいたのはここに来てからだというのも仕方なしといったところだろう。
そんな苦々しい記憶が、ある種の共感を持てるこの文章を批難することをよしとしなかった。
だがそれは拓斗の問題であり、腹心であるアトゥにとっては関係無い事だった。
「拓斗さま、これ字がめっちゃ汚くないですか?」
拓斗の額に汗が伝う。
自分の事では無いのに、何故か自分が批難されているような気がしてきた。
大丈夫、僕の事では無い。
拓斗は己に言い聞かすが、真剣に文章を読もうと拓斗の背中からのぞき込んでいるアトゥは何ら気づく様子はない。
「あとなんか誤字ったのかぐちゃぐちゃって誤魔化してたり、行がズレていったりして読みにくいです……」
「う、うん。そうだね!」
うわずった声で思わず返事をした拓斗だったが、どうやらアトゥは気づいていないようだ。
ほっと一安心するが、よくよく考えてみるとこの文章は自分のものではないためそこまで気にする必要がないことに思い至り冷静になってくる。
自分の字の汚さは一旦置いておくとして、今は解読が先決。拓斗はそう考え再度難解な文章へと目を通す。
「解読班呼びます? 魔法研究所の」
「古文書解読してた人たちにこれお願いするの? 流石に可哀想だと思うんだけど……」
「ま、まぁそうですね。とりあえず私も頑張ってみます」
結局、アトゥとああだこうだと言いながらも解読は成功に終わる。
最初の文字が果たし状だったことも幸いした。おそらくの内容で当たりをつけ、なんとか判別を進めることが出来たのだ。
そして記された内容は案の定繰腹慶次からの果たし状。
互いの格付けを行うとの事で都市国家グラムフィルに近い何もない荒野での決戦を求めてきたのだ。
「決戦……ねぇ。何を考えているやら」
「すでに繰腹慶次とは決着が付いています。これ以上かの者の我が儘に付き合う必要はないのでは?」
「けれどもこの内容から見るに、一度向こうに出向く必要はありそうだ」
文章の言葉遣い、内容、筆跡からでも相手の心情はよく分かる。
特に繰腹の果たし状は悪文であったが彼の心の内がありありと示されていた。
どうやら少し面白い事になっているらしい。
彼に何があったかは分からない。ただどうやらどこかに引きこもっていたあの時よりも気合いと覚悟が決まっているらしい。
その変化にニヤリと思わず笑う拓斗。自分の知る強敵がまだ折れてないと知り、警戒の前に喜びが来たのだ。
そして拓斗は挑戦から逃げない。『Eternal Nations』世界一位の挟持でもあったが、彼自身のプライドの問題でもある。
こんな古風な真似までされて臆すなどイラ=タクトではない。
立ち塞がる敵は打ち砕くのみ。それも真正面から徹底的に。
それが拓斗のやり方だった。
「決着を、おつけになるのですね」
そして拓斗の性格を、その配下はよく知っている。
アトゥは自らの主が実に嬉しそうな、そして好戦的な笑みを浮かべていることにある種の納得をする。
彼ならそうする。王ならそう判断する。それがアトゥが『Eternal Nations』というゲームの中の存在だった頃から知っていた拓斗なのだから……。
だが、二人の出鼻を挫く存在があった。
「いやそうしたいところなんだけど、無理。ってか大儀式の事忘れてないアトゥ?」
その言葉でアトゥは思わず「あっ」と小さな声を漏らし、自らの口に手を当てる。
表情には驚きと、重要な事実を忘れていたというばつの悪さがにじみ出ている。
同時に拓斗も困った様子で小さく笑った。
気持ちは完全に繰腹慶次との戦いに向いている。だが環境がそれをよしとしていなかった。分かってはいたが、かなり消化不良だ。
「これ、どうなるんですかね?」
「GM能力無いだけマシだなぁ。なんとか言いくるめてこっちの戦力にしなきゃ」
「役に立ちますかね?」
アトゥが不安げに聞いてくる。この文章を見ればそのような感想も出てくるだろうと拓斗は思ったが、その勘違いは否定しておかなければならない。
「間違いなく役に立つ。僕が一番警戒しているのは伊達じゃないよ。まぁこの繰腹くんがどの程度仕上げてくるか分からないけど、少なくとも警戒を怠って良い相手じゃない」
「拓斗さまが一度打ち倒した相手だとしても……ですか?」
TRPG勢力には一度かなり手痛い目を見ている。特に自身をまるごと奪われたアトゥとしては相手を軽んじる発言をするのは複雑な心境だろう。
だがすでに一度決着は付いた。であれば何度やっても結果は同じ。
更に言えば相手は無敵のGM権限を剥奪されているのだ。
その事実が、アトゥに先の発言をさせるに至った。
だがそれでもなお、拓斗はアトゥの言葉に否と応える。
「彼は一度負けている。調子に乗った人間が大負けしたとき、大体は二種類の結果に分かれる」
ピッと指を立てながら流れるの用に説明する。まるであらかじめ用意していた、あらかじめ吟味していたとでも言わんばかりのその説明にアトゥはゴクリと息を呑んだ。
「そのまま腐るか、もしくは再起して大きく成長するか、だ」
敗北は人の運命を大きく変える。特に大負けの時はなおさらだ。
拓斗は自分の経験からそれを語る。事実彼は自らの敗北によってイスラを失って以降、甘えを完全に捨てたのだから。
もちろん、完璧に出来ているとはまだまだ自信を持っては言えない。
だが少なくとも今までのように物事を軽く考えるという悪癖は無くなった。
拓斗は敗北によって一段階高見へと至ったのだ。
繰腹慶次がどちらに転ぶかは分からない。
だが彼は果たし状を送ってきた。
敗北したはずのイラ=タクトに、決着がついたはずの相手に。
こちら側が見つけ出す前に、あちら側が先手を打ってきた。
「警戒は怠らないよ。そのことだけは忘れていない」
拓斗はここを一つの、最も重要な地点と定める。
イラ=タクトは、確かに繰腹慶次を敵として認めていた。
例え直接決着を付ける手段が防がれていようとも、どのような方法を用いても互いに危害を加える事が不可能だとしても……。
この世界では、何が起こるのか全く分からないのだから。
「さて、果たし合いか。この状況でこう思うのは少し良くないんだけど」
拓斗は嗤う。
「――少しばかり、楽しみだ」
その笑みは、確かに破滅の王たるもので、同時に多くの人々が信仰する邪神のソレでもあった。
=Message=============
以下の国家との同盟が締結されました。
【犯罪国家グラムフィル】
【技術国家アイアンヘンジ】
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