第7話 三人の少女とその実力
一体なんだ、と扉の前で息を切らせている少女に目を向けた店の中の面々だったが、その直後、
「待ちやがれ! このアマッ!」
「逃げようたってそうはいかねぇぞ!!」
と二人の冒険者崩れと思しき男たちが勢いよく入ってくる。
少女はそれに驚き、走って、店の奥の方へ進んできた。
そしてなぜか、ヴォルフラムの後ろに隠れた。
状況を見れば、何が起こっているのかは店の面々にもなんとなく理解できる。
少女がこの二人の男に追われて、どうしようもなくなりここに入って来た、とそういうわけだろうと。
しかし、なぜヴォルフラムの後ろに隠れたのか。
もちろん、ヴォルフラムは経験豊富なベテラン冒険者である。
屈強な肉体とそれに見合った覇気を纏うある意味分かりやすい冒険者だ。
しかし、それは数日前までの話で……。
今のヴォルフラムは入って来た少女よりもずっと幼く華奢な、可愛らしい少女なのである。
「お、おいっ! お前なんで俺の後ろに隠れやがる!?」
ヴォルフラムもそう思ったのか、後ろにいる少女にそう、怒鳴りつけた。
当たり前だが口調それ自体は冒険者時代そのままの粗暴なものだが、声が非常に細く高いため、まったく迫力がない。
少女がただ、驚いて叫んでいるだけ、そんな感じだ。
そして、隠れた少女の方も、
「え、あ、あのっ? あれっ……おかしいですね、ちっちゃい女のか……?」
と自分の行動をなぜか不思議がっていた。
慌てすぎてあまり周りを見ていなかったのかもしれない。
しかし、それにしても分からない選択だった。
なにせ、この店はあまり広くないとはいえ、冒険者御用達の店である。
ヴォルフラムたち以外にも客はいて、その中にはそれなりに強そうな、屈強な男たちが何人かいるのだ。
いくら慌てていても、あえてその中でも下から数えた方が早そうな華奢さの少女をあえて選ぶ理由はない。
「おい、ガキ……お前、この女の知り合いか?」
冒険者崩れの方も、ヴォルフラムをその見た目通りの少女と思ったのか、居丈高な態度で近づいてきて、そう尋ねた。
当然だが、ヴォルフラムには少女の顔に見覚えなどなかった。
だから、今後どうするのであれ、とりあえず正直に首を横に振ろうとしていたら、その前に横合いから、
「知り合いじゃぞ。非常に親しい間柄じゃ。その少女をどうにかしたいなら、まず、そこの娘を倒してからにするがよい。そう申しておるぞ」
と、ふざけた茶々が入る。
声は幼い少女のものだが、明らかにジュゼッペの悪ふざけであった。
しかし、冒険者崩れたちにはどうも、そうは聞こえなかったようで……。
「てめぇ、俺たちを相手に言いやがるな……!?」
「覚悟は決まってるんだろうなぁ? あぁ!?」
といきり立ち始めた。
ヴォルフラムは唐突に投げ込まれた修羅場に、ふざけるなとジュゼッペを睨んだが、当の本人は、
「ぴゅー♪ ぴゅー♪」
と、ふざけた態度で口笛を吹いていた。
いや、正確にいうなら、口で、ぴゅーと言っている。
どうやら口笛を吹けないらしい。
ふざけやがって、後で絶対にぶんなぐってやるぜ、爺、と、この時点で決めたヴォルフラムは、再度、冒険者崩れたちに少女とは無関係であると告げようと思った。
なにせ、本当に全くの無関係である。
あえて巻き込まれる理由はないのだ。
しかし、ふと、隠れた少女の方を振り返ると、
「……お願いします……助けて……」
と、涙目で震えながら言っている。
流石に血も涙もないヴォルフラムも、これを見捨てるのは男が廃るのではないか、とそう思ってしまった。
まぁ、今は女であるので特に廃るものもないのかもしれないが、けれど、男に戻った時に、誇りをなくした人間には決してなりたくはない。
それに、別にもともと見捨てようとまでは思っておらず、適当に話をつけようとは思っていた。
ただ、よくわからない事情に巻き込まれるのは嫌なだけで……。
まぁ、こうなったら仕方がないか、とヴォルフラムは諦める。
「ったく……しかたねぇなぁ。話し合いでどうにかしようと思ってたんだが……いいぜ、特別だ。……ほれ、お前ら、相手してやるからかかってこいよ」
腹が決まればヴォルフラムの思い切りは三人組の中で最もいい。
軽い様子でそう言って、手のひらを上に向けてくいくいとしながら、分かりやすく挑発し始めた。
冒険者崩れ二人は、やはり単純に額に血管を浮き上がらせ、
「てめぇ……女だからって容赦はしねぇぞ!?」
「泣きわめいて許しを請うまで許さねぇからな!? くそが!」
そう言って向かって来た。
「ヴォルフラム!」
ルイスがそう叫んだのは、冒険者崩れたちと今のヴォルフラムとでは、差がありすぎる、と思ったからだ。
体重一つとっても、ヴォルフラム五人分はありそうな二人である。
どうやっても勝ち目はない、そう思ったのだ。
しかし……。
「うおらぁぁぁ!!」
と大声を上げながら殴りかかって来た男。
その一撃は、今のヴォルフラム程度の少女が食らえば命にも係わりそうに見えるものだった。
それなのに、その拳が振り下ろされた直後、
――ぱしっ。
と、何かを受け止めるような音が酒場に響く。
驚いてルイスが見てみると、そこには、
「へへっ。悪くねぇ拳だな? だが、俺に放つにはまだまだ、修行が足りねぇぜ」
そう言って野卑に笑うヴォルフラムがいた。
一切の傷を追わず、男の拳を片手で受け止め、しかも限界まで力を入れているからか、プルプルと震えている男と比べて、ヴォルフラムは全く微動だにしていない。
余裕で男の拳を受け止めているようにしか見えなかった。
巨体の男が真剣に放った一撃が、その男の胸元にも届かないほどの身長しかない小さな少女に簡単に受け止められているのだ。
あまりにも異様な事態である。
それに気づいた男は、目を見開いて叫んだ。
「う、嘘だろっ!?」
しかしヴォルフラムは、
「嘘じゃねぇんだよなぁ、これが。ま、少し眠ってろよ」
そう言って軽く拳を掲げた。
なぜかとてつもなくスローに見えたのはその動作である。
実際、その動きは決して早くはなかった。
にもかかわらず、男は唖然として何もできない。
それでも、完全に拳が挙げられた時点でこれはまずい、と思ったのか声を上げる。
「ちょ、ちょっと、まっ……!」
しかし、そんな願いもむなしく、ヴォルフラムは一言、
「……待たねぇよ」
そう言って拳を振り下ろした。
その速度は、拳を振り上げた時とは比べ物にならなかった。
まっすぐに男の腹に向かって放たれ、それは確かに男の腹部に深く突き刺さる。
どう見ても、小さな少女の放つような拳ではない。
「ぐ、ぐえぇぇぇ!」
男も耐え切れず、うめき声をあげ、それから白目を剥いて酒場の床に倒れ込んだ。
男の完全な敗北であった。
気の毒なのは、もう一人残った方の男である。
「そ、そんな……馬鹿な!」
どう見ても起こるはずのなかった出来事が、目の前で確かに繰り広げられた。
仲間であった男は、すでに意識を失っている。
このままでは自分一人で男を一撃で気絶させた拳を持つ、目の前の少女を相手にしなければならない。
しかし、たった今見せた実量からして、そうそう簡単に勝てるとも思えない。
そもそも、この少女は一体何なのか。
あれほど小さな体で、どうして巨体を持つ仲間を倒すことが出来たのか。
そんな疑問が、男の頭の中を行ったり来たりしていた。
それを分かってかわからないでか、ヴォルフラムはまだ、意識のある男の方を向いて言う。
「おい、まだやるか? やるならさっさとかかってこい、こら」
その言葉に絶句する男、しかしそんな男に思ってもみなかったところから助け船が入る。
「今そこで失神している男を連れて逃げ帰れば特別に見逃してやるぞ。どうじゃ?」
そう言ったのは、ジュゼッペであった。
男はそれを聞き、
「……お、」
「お?」
「……覚えていやがれっ!?」
そう叫んで、倒れた男を慌ててかけ、それから脱兎のごとく、という形容がまさに当てはまる様子で酒場から逃げ帰っていった。
完全な負けであったと認めるのは、あの男にとっては許されないことだったらしい。
誰がどう見ても小物の行動でしかなかったが、しかしそれでもヴォルフラムはわざわざ追いかけることはしなかった。
「……ったく、嘆かわしいねぇ。あんな雑魚が冒険者とは」
そう呟いたヴォルフラムに、フランクは、
「……これから強くなるのかもしれないぞ」
と思ってもいないことを真面目な顔で言う。
「ないじゃろ。あのタイプはいつまで経ってもあのままじゃ」
ジュゼッペが笑いながらそう言った。
男たちが逃げていった方向を見ながら、和気あいあいとそんな話をする三人に、ルイスと、そして今まさに助けられた少女は唖然としている。
「すっごーいですぅ……! この人たちは、一体何なんですか……店主さん!」
少女がルイスにそう尋ねたが、
「……それは、俺にも昔からよくわからん」
とルイスは首を振って答えた。
正直な気持ちだった。
ただ、ルイスは答えながら安心していた。
どうやら、ヴォルフラムたちの実力は、小さな体になっても健在らしい、と今の一幕でわかったからだ。
これならなるほど、冒険者を続けることもできるだろう。
そして店に対するツケもしっかりと支払ってくれるだろう、とルイスは期待したのだった。