第3話 三人の少女と懐古
「……おい、もうそろそろいいんじゃねぇか?」
そろそろ日も沈む時間帯、レーヴェンシュタイン王国の辺境の街、デアイドルから北に進んだところにある魔物巣食う森林の中で、黒目黒髪の中年冒険者ヴォルフラムがそう言った。
背には大剣を背負っており、いかにも荒くれ冒険者然とした彼はその見た目通り強力な剣士であるが、今の彼はかなり疲れた顔をしている。
「そうじゃなぁ。もう十分狩ったことだし……これで今日の酒代くらいは十分に賄えそうじゃ」
ヴォルフラムの声に応じたのは、彼が一応のリーダーを務めているパーティの一員であり、熟練の魔術師であるジュゼッペ=カッサーノ老である。
長い白鬚にローブ、学者のような帽子を被った彼の趣味は酒と女だというのだから、どれだけ終わっている爺さんかはすぐにわかるのだが、しかし残念なことにその実量は本物だった。
魔術の腕もさることながら、その学識も経験も飛び抜けている。
普通ならこれくらいの腕と知識がある魔術師はもっと大都市に生活の居を構えるもので、望まずとも様々なところからスカウトがかかるはずなのだが、そうであるにも関わらず、こんな辺境の街で冒険者などやっていることを考えれば、彼の腕も知識も大したものではないのかもしれない。
いや、腕というよりかは人格に問題があるからスカウトされないということだろうか。
そもそも、ヴォルフラムもこの爺さんのことはそれほどよくは知らないのだ。
長年付き合っているという訳ではなく、三年ほど前になぜか意気投合してパーティを組むことになったに過ぎないからだ。
それは、もう一人の男についても同じだ。
「ジュゼッペ爺さんは相変わらず酒のことしか考えていないのか……」
呆れたようにそう言っているだけ、まだ彼にはジュゼッペよりは良識があるのかもしれない。
ジュゼッペと同じく、三年前にヴォルフラムとパーティを組むようになった最後の一人、巨漢の戦士、フランク=ヴェルジュである。
重そうな鉄鎧を纏いながらも全く行動速度が落ちない彼は、いかなる武具も器用に扱う技量も持っており、相当に強力な戦士であるはずだ。
しかし、やはりジュゼッペと同じく人格的な問題があrのだろう。
ヴォルフラムとジュゼッペと同じように辺境都市デアイドルで冒険者をして適当に暮らしているということは、つまりそういうことなのだ。
そのことは、フランクがジュゼッペの広げた魔法の袋の中身を覗いた後に、首を振りながら口にした台詞からも理解できる。
「……これでは三日と持たんぞ。もう少し狩るべきだ。俺たちの酒のために」
この台詞に、ヴォルフラムは、
「お前の酒量が一番多いんだろうが! ったく……だが、確かにお前の言う通りなのは間違いねぇ。こんなもんじゃ俺たちを酔わせることは出来ねぇからな……酒代がなくなる度にまた遠出するのもめんどくせぇし、もう一稼ぎいっとくか」
そんなことを言った。
結局、なんだかんだ言いながら三人とも似た者同士なのである。
特に人生に目標のない、その日暮らしで生きている三人。
ただ、美味い酒が飲めればそれで満足。
あとは適度に魔物相手に戦って体を動かしていれば健康にもいい、とその程度の心持ちで生きている。
どうしようもない、と言われればその通りだし、また、欲張り過ぎず満ち足りることを知っている、と言えばまたその通りとも言える三人だった。
これほどまでに人生への取り組み方が似ている三人ではあったが、実際のところその付き合いは意外なほど短い。
なにせ、パーティを組み始めてまだ三年ほどしか経っておらず、そしてそれ以前にお互いが何をしていたのかも全く知らないのだ。
ふつう、一度パーティを組んだら、何年、何十年と組み続けるのが基本の冒険者の中では非常に珍しいことと言える。
けれど、そうであるにも関わらず、三人ともお互いの過去を知ろうとも無理に聞き出そうともしてこなかった。
それは、冒険者には脛に傷を持つ者が少なくない、とういう事実もさることながら、他人には触れてほしくない部分というのがあるということをそれぞれがよく知っていたからに他ならない。
他人の事情には決して無断で立ち入らない。
そんな心がけが、この三人が三年の間、関係を変えずにやってこれた最大の理由なのかもしれなかった。
◆◇◆◇◆
「うおりゃあ!!」
「ぷぎぃぃぃぃぃ!!!」
ヴォルフラムが裂帛の気合いを込めて大剣を振るうと、彼の目の前にいた豚頭の魔物、オークの首が一刀両断され、血を撒き散らしながら地面に落ちた。
それは間違いなく熟練の冒険者の業であり、駆け出しではこうも鮮やかにはいかない。
オークは決して弱い魔物ではなく、駆け出しに倒せるような存在ではないからだ。
しかし、そんな魔物を前にしても、このおっさん三人組はだらだらとしている。
「……オークの皮はあまり高値では売れんのじゃがのう……まぁ、つまみ代くらいにはなるが……」
オークを解体しながらぶつぶつとそんなことを言う、ジュゼッペ。
「本当に酒のことばかりだな……爺さん。まぁ、つまみは重要だが」
それに呆れた顔をしつつも、やはり最後には同意するフランク。
ヴォルフラムはそんな二人をどうしようもないものを見るような目をしつつ、
「お前ら……まぁ、いい。それよりも、この辺りの魔物はもう寄ってこねぇな? 場所を移した方が良さそうだぜ」
周囲を見渡しながらそう言った。
ジュゼッペとフランクの会話に呆れていても、実際のところは目的はヴォルフラムも同じだ。
出来るだけたくさん魔物を狩り、数日分の酒代を手に入れる。これだ。
しかし、魔物というのは強力な敵がいると察知すると、余程強力な魔物でない限りはそう言った場所を避ける傾向があり、同じ場所で狩りを続けると徐々にその周辺から魔物が減少することがある。
ヴォルフラムたちがずっとこの周辺で狩りをしていたからだろう。
出現する魔物の数は減り、徐々に効率が悪くなってきた。
ヴォルフラムの言葉にはフランクもジュゼッペも同意のようで、
「レンズ湖の方に行ってみるか? あのあたりなら大物が狩れるだろう。魚も捕れるし、後で直接酒場に売ればそれこそいいつまみを作ってくれる」
「悪くないのう。湖ならわしの魔術が大活躍できるしな。この辺りの魔物はお主らがほとんど狩ってしまうから、ちょっと体がなまっておったんじゃ」
ジュゼッペは魔術師であるところ、剣で一撃した方が魔力の節約になるだろうと今日はあまり活躍の場がなかった。
しかし、湖となると必然的に彼の仕事は増える。
足場を作ったり、雷撃系の魔術で攻めたりとすることはたくさんあるからだ。
いくら老人とはいっても、彼もまた、冒険者である。
血が滾り、戦いたくなることも少なくないのだった。
「うし、じゃあ、レンズ湖畔に向かうか……そういやぁ、あの辺について最近なんか聞いたような気がするんだが……?」
決めたはいいが、それと同時に何か思い出したらしいヴォルフラムがそう言った。
すると、フランクが、
「あぁ、あのあたりで何かおかしな幻影が見えるとか言う噂話だろう? 俺も聞いたぞ。だが、あれは若い娘が……という話だったし……言っては何だが酔っぱらいの話だからな。噂としての価値はゼロに近い」
要は酒場の与太話、ということだ。
そしてそんなものは挙げれば枚挙に暇がなく、そのほとんどが勘違いか嘘なのだから気にするだけ時間の無駄だ。
しかし、これにジュゼッペが反応する。
「なに、若い娘じゃと!? ヴォルフラム、フランク! 早くレンズ湖畔に向かうぞ!」
途端に元気になってそう言い、老人にあるまじき速度で走り出したジュゼッペを見ながら、顔を見合わせるヴォルフラムとフランク。
気づけばジュゼッペの背中は遥か遠くの方にまで過ぎ去っている。
「……まぁ、あの年で元気があるのはいいことかもしれねぇな」
ヴォルフラムがそう言うと、フランクが面白そうに笑いながら、
「たまにあの爺さんが俺たちの中で一番若いんじゃないかと思うときがあるよ」
そう言った。
それから、二人はジュゼッペの後を追いかけて歩き出す。
一人先行している格好のジュゼッペであるが、その実力に疑うところは何一つない。
魔物の二匹や三匹出てきても瞬殺するだろう。
だから問題ないと二人とも思っていた。
妙な信頼に結ばれた三人である。
この三人に、まさか奇妙な運命がこのあと降りかかることになるとは、このときの三人は誰一人として考えていなかった。