第1話 プロローグ
「……注文は?」
冒険者たちで賑わう酒場に新たに入って来た客が、使い古されたテーブルに着くと同時に、店主は怪訝な顔でそう、尋ねた。
どんな人物であろうと、店に入ってくれば客は客だ。
注文を聞かないわけにはいかない。
そう思っての判断だったが、それにしても見れば見るほど不思議な客だった。
……いや、客たち、か。
彼女たちは三人組だった。
「え? あ、ええと……な、なににする……かな?」
まず店主であるルイスの質問にまずそう口にしたのは、一人の少女だった。
茶色の柔らかそうな髪の上に赤い帽子を載せて、ひまわりの髪飾りを身に付けた、背の低い、愛らしい顔立ちの少女である。
おそらくは、十五になったかならないか、それくらいの年の頃だろう。
「……なんでもいい。とにかく、一息つければ」
疲れたような声で、赤い帽子の少女にそう答えたのは、水色の流行のドレスを身に纏ったボブカットの髪型の少女である。
赤い帽子の少女よりかは年上で十七、八、というところだろう。
ドレスが良く似合う、出るところの出たメリハリのある体系をしているが、全体に華奢であり、顔立ちはかわいい、よりかは美しいと評されるようなものだ。
肌にはシミ一つなく、真っ白で、こんな酒場にはまるで似つかわしくないが、奇妙なことに椅子に座るその姿は妙に堂に入っている。
「おうおう、わしもなんでもいいぞ! 酒もってこい! 酒!」
明るく、というよりかは、もうすでに酔っているかのようにそう答えたのは、この三人組の中で最も小さな少女で、7、8歳、という感じの身長と体型をしていた。
華奢というよりかはまだまだ成長途上で、折れそうなほどに細く小さいが、態度は三人組の中でもっとも大きかった。
髪は長く滑らかで、腰まで伸びた亜麻色が美しい。
それに加えてよく見ると頭には長い耳が二つ付いている。
あれが本物なら、彼女は獣人ということになるだろう。
一体どういう三人組なのか、店主のルイスは酷く頭を悩ませた。
少女三人組、しかも獣人も加えての……。
しかし、いくら考えても答えは出そうもなく、ルイスは早々に諦めて、店主としての仕事に戻ることにした。
「……わかった。酒だな?」
十にも達していない子供のいる集団に酒を、というのも問題のありそうな注文だが、しかし、別にこの国には飲酒する年齢に決まり事などない。
倫理的に流石に、というのは多少はあるが、まぁ、本人たちが呑みたいというのだ。
別にいいか、とルイスは思う。
ただ、そうはいってもこんな少女たちにエールを、というのはないだろう。
苦味の強い安酒は基本的に荒くれ者の冒険者が好んで飲むもので、ああいった若い娘の口には合わないのが普通だ。
やはり、彼女たちには甘さのある果実酒などの方がいいだろうと気を遣う。
それに加え、値段も懐にあまり痛くはないものを選ぶ店主の心づかいはまさに熟練の業と言ってもよかった。
……普段であれば。
「……おまちどう」
不愛想な店主の言葉と共に、三人の娘たちのテーブルに透明なグラスに注がれた見るからに甘そうな果実酒が、ことり、と置かれた。
何も不思議なことは無い、至って普通の光景である。
いくらここが荒くれ者の冒険者ご用達の店とは行っても、女性客が全くいないというわけでもない。
年頃になって街で働き、少し金を貯めた若い娘がほんの少量の酒を舐めにここに来る、ということもままあることだ。
そういうときのために、こういった綺麗なグラス、というものも用意されていて、今回の三人組もおそらくはその口であろう、と店主は予想していた。
それなのに。
「……なんだこりゃ?」
きわめて不思議そうな顔でグラスを見つめ、そう呟いた赤い帽子の少女に、水色のドレスの少女が冷静に言う。
「見ればわかるだろう? 果実酒だ。主に若い娘が好む、甘めの酒だな。まぁ、酒精は意外と高かったりするが……」
言っていることは非常に正しく、実際はエールより果実酒の方が若干酒精が高い。
しかし、赤い帽子の少女はそんなドレスの少女の説明に、
「俺が効いているのはそんなこっちゃねぇ! なんでエールが出てこねぇって話をだな……!」
と激高しつつ叫んだ。
その台詞は若い娘の口からは中々聞かないもので、店主であるルイスは面食らったが、直後、獣人と思しき少女が妙に達観したような表情でぽん、と赤い帽子の少女の肩を叩き、言った。
「……お主、色々と忘れておらぬか? わしらの今の格好をよく見てみぃ。まさに……若い娘、じゃろうが」
これに今にも拳を振り上げそうになっていた赤い帽子の少女の様子はみるみるうちに意気消沈し、
「……そうだった。くそ……」
と悔しそうな表情に顔を歪めた。
どうも、自分の運んできた果実酒のせいで、少女たちの間で妙な会話が行われている。
店主として、少女たちのことを考えて最善の一杯を提供したつもりだったが、間違えたようだ。
店主は即座にそう理解して、素直に謝ることにした。
「……悪かったな。若い娘たちだったから、てっきり酒と言えば果実酒を注文されたのかと思ったんだ。エールの方が良かったんだな?」
すると、先ほど激高していた赤い帽子の少女は申し訳なさそうな表情で、
「あぁ……まぁ、そうだ。いや、はっきりと注文しなかった俺たちも悪かった。この酒はもらう。ただ、次はエールで頼むぜ」
店主の早とちりの理由を理解し、即座にそう言った少女の判断力に、店主は少し驚く。
エールを頼む若い娘、というのも珍しいことには珍しいが、全くいないわけではない。
冒険者に憧れ、また誰かと喧嘩して自棄になり、とかそういう理由で苦い酒を飲みたいときが若い娘にもあるらしいからだ。
そういうときに今回のような気の利かせ方をすると、当然怒られるわけだが、そういうとき、ルイスは素直に謝ることにしている。
しかし、こういう場合、このくらいの少女であれば、そんなルイスの謝罪のあとに出てくる言葉は、なぜ子供に出すような酒を自分に出すのか、とか、そう言った怒りの声であるのが普通だ。
本来であれば子供に出すも何もないはずなのだが、彼女たちにはプライドがあるらしく、大人の飲む酒はエール、と思い込んでいることが少なくないからだ。
しかし、今回の少女はどうやらそういうおかしな気負いとは無縁であるらしく、ただ単に、好きな酒が最初から出てこなくて残念、という感じのようだった。
長く酒場の主をやってきたルイスにして初めての出来事で、ひどく新鮮な気持ちがした。
しかし、彼の驚きはそれだけで終わることは無かった。
むしろ、ルイスにとって最大の衝撃は、その直後に襲ってきた。
「しかしよぉ、ルイス。俺たちに果実酒はねぇぜ!」
改めてエールを持って来ようとカウンターに戻る店主の後ろから、そんな声がかけられた。
ルイス、というのは確かに店主の名前で間違いないのだが、客に対してすらあまり名乗ることはしていない。
聞かれれば答えるが、常連でもほとんどから店主、マスターで通っているくらいだ。
だから、親しげにその名前は呼ぶのは常連の中でも限られた人間だけのはずだった。
ただ、だからと言って名前を知っているというだけで驚く必要はない。
何も名前を隠しているわけではなく、誰かに聞けば分かることだからだ。
それなのに店主ルイスが驚いた理由。
それは、親しげに話しかける赤い帽子の少女の、店主の名前の呼び方に、聞き覚えがあったからだ。
全体として明るく、楽観的な響きでありながら、その奥に何処か気だるげで、世の中すべてを呪ってそうな倦怠が隠れている、そんな声。
ルイスが好きな声の響きだが、しかしあまりにも若い少女には似つかわしくない響きだ。
けれど、それでもルイスには、もはや、その声が、本来のその声の持ち主のものにしか聞こえなかった。
「……まさか、お前は……ヴォルフラム!?」
ルイスの口からふっと出た名前。
それはこのルイスが営む酒場の常連であり、しかも熟練と言われる冒険者であるが、しかしここ数日間行方が杳として知れなかった中年男性の名前であった。