08 : 一日万秋
「まぁ、ユージン・アルスターを頭目に据えたのは、黒幕である隊長の兄に対する牽制もあったんでしょう。屋敷が長男の味方なら、私兵隊は次男の味方だ―ってね。全私兵隊員が動くとあらば、彼も容易には手を出し難いでしょうしねぇ」
ウィルが笑いながらのほほんと告げた内容に、場が固まる。
「……ん?」
異常さに気付いたのか、ウィルは口元に笑みを張り付けたまま、冷や汗を垂らした。
それを、同じく冷や汗を流しながらセイクリッドが彼を睨みつける。
「――貴様は、失言の宝庫だな」
「セイ君、どういうことなの? ……君のお兄ちゃんが、なんだって?」
目をすわらせて詰め寄る奈枝から、セイクリッドは一歩、また一歩と距離を取る。逃げるセイクリッドにカッと怒りを沸かせた奈枝が、大きく足踏みした。
「だいたいねえ、この際だから聞きますけど! セイ君ちょっと、隠しごと多すぎなんじゃないかな!? ここが何処かもよくわかってないし、昔倒れてた詳しい経緯さえ、私は満足に教えてもらってないんだよね!?」
「おーっと、そうだ俺、急ぎの仕事あったんだったー! 失礼しやーっす!」
「あっ、こら! ウィル! ――逃げるな!」
ウィルは足早に廊下に旅立った。バタン、とドアが鳴る。
「言いづらいだろうと思ったし、異世界のことだ、私には想像もつかないようなことが色々あるんだろうと思って聞かなかったけど、この間は死にかけてたんだよ!? 落ち着いたんなら、少しぐらい説明あってもよくない?! 私はねえ、セイ君! 君のこと、弟のように大事に思ってるんだよ!?」
奈枝のこれまでにない剣幕にたじろいでいたセイクリッドが、ふっと笑う。
「……やはり、弟か」
「ん?なんて? ……あ、ちょっと! 何で今笑ったの!」
「いえ、小さな犬程よく咆えると思いまして」
「セ、セイ君~……!?」
肩を怒らせた奈枝にセイクリッドは両手を上げた。所謂投降のポーズである。
「ここが何処か、と言うお話でしたね。私兵隊の兵舎にある、私の部屋です」
「その私兵隊って――」
「奈枝さん、そちらのお時間は?」
「ん、え? ちょっと待って」
勢いを削がれた奈枝は携帯を探すため、体中を弄った。その様子に見覚えのあったセイクリッドがクローゼットを開く。そして、「これでしょうか」と奈枝に荷物を差し出した。
「あっ鞄と靴! ……私もしかしなくても、飲みからそのままこっちに来ちゃったみたいね……」
酔っていてもしっかりと靴を持ってくる、自分の絶大なる女子力に舌を巻く。
受け取った鞄から携帯を取り出すと、スケジュールアプリを開く。エチケット違反にも、興味深そうに覗いてくるセイクリッドが見やすいように、手をずらしてやった。
「あっちに戻った時どのぐらい時間が立ってるかわかんないけどー……うん。今日講義午後からだし、しばらくは大丈夫だよ」
頷きながら振り返った奈枝だが、セイクリッドの目は携帯にくぎ付けだった。そういえば幼い頃のセイクリッドは、奈枝の世界の文化に興味があったことを思い出す。
「触る? どんなのか、説明しよっか?」
「――いえ、結構です。法力に触れてしまえば、きっと我々は手を伸ばさずにいれないでしょう。奈枝さん、貴女の羽を捥ぎたくない。どうか、決して。今後、私の前以外では法具に触れませんよう」
聖女が法力? なんて笑いながら聞いていた奈枝であったが、セイクリッドの真剣な表情を受けてこくりと頷く。忠告通り、すぐさま鞄にしまう。
「時間が許すのであれば、食事でもとりながら話をしましょう」
「セイ君は大丈夫なの? なんか会議とか、忙しそうだったけど」
「忙しいと言えば、取りやめるのですか?」
静かな瞳を向けて訪ねたセイクリッドに、奈枝は溜息をつきながら腰に手を当てた。
「またそんな言い方して。お友達ちゃんとできてる? さっきもウィル君にあんな言い方して。奈枝さん心配だよ」
「ウィル君……」
「まだよくわかってないけど、セイ君は今、責任のある立場なんでしょ? 抜けられなくて当たり前だと思うし、忙しいならまた今度来た時に聞くよ」
バイトを始めた奈枝は、社会の在り方というものを少しずつ学んでいる。気を利かせた奈枝の言葉に、セイクリッドは眉を潜めた。
「……すぐと言い残して、三年も来ないではないか」
掠れるほど小さく呟かれた声は、奈枝の元まで意味を届けなかった。
「ん? なんて? なんて?」
「――なんでもありません。その事についても、説明いたしましょう」
セイクリッドはそう言うと、明るい陽が差し込む窓を勢いよく開けた。そして階下を覗き込む。ここは二階以上の部屋だったのかと奈枝も窓に近づいた。
「おい誰か! 食事を二人分、食堂から持って来てくれ! 茶もだ!」
窓の下から、元気のいい「ハイ!」と言う声が響いた。それを聞き、先ほどウィルの言っていた言葉が真実だと奈枝は知る。彼は、人にこういう頼み方をできる立場にある。
セイクリッドの隣から顔を出し、下を覗こうとした奈枝を彼が止めた。えっと思う間もなく、窓がパタンと閉められる。奈枝の見慣れない丸いポッチの付いた鍵をセイクリッドが閉める。
「……もしかして私、あんまり露呈しないほうがいい感じ?」
「……ええ、そうですね。出来るならば」
独占欲、という完全に私情が混じった理由を、セイクリッドは奈枝に隠した。初めての場所、知らない環境でどう動けばいいのかわからない奈枝は、彼の足りぬ説明に不承不承従う。
「奈枝さん、こちらへ」
「はーい……あれ? そう言えば私、いつ名乗ったっけ」
心底呆れた。そんな目でセイクリッドに見つめられた奈枝は、酔っぱらった自分に心の中で罵声を投げかけた。
ほどなくして、食事が届けられた。食事を届けてくれたのは、セイクリッドの部下のようだ。
隊員たちは食事を届けた後も、何かとセイクリッドに話を振った。その場になんとか留まろうとしているのが見え見えだ。しかし、セイクリッドの強い眼力に勝てず、お目当ての者も見れないまますごすごと立ち去ってゆく。その様子を、奈枝はこっそりとドアの隙間から見送った。
「若い子達だったね」
「ええ。先日見習いを卒業したばかりの者たちですね」
「ほほー」
セイクリッドも若いが、配膳しにやってきた隊員達はより若い。黒髪の子と、赤毛の子。どちらも、奈枝の価値観ではまだ職に就くような年頃ではない。なのにもう隊員として日々命を賭けているのだろうか。
「いいの? なんかあったんじゃないの? あの子達」
セイクリッドに何か言い難いことがあったんじゃないかと気を配る奈枝に、彼は届けられた食べ物をサイドテーブルに置きながら首を振る。
その顔は少し照れが混じり、拗ねているようにも見えた。
「奈枝さんが見たかっただけですよ。私が自分の女を連れ込んでいると、馬鹿げた噂がのさばっておりましたので」
「あら、セイ君ももう彼女とか言い出す年なの?」
からかう訳ではなく、本気で驚いているとセイクリッドにはわかった。先ほどの様子と合わせ、これは昨夜の事を全て忘れているのだろう。セイクリッドは椅子に座った奈枝に再び告げる。
「今年で、17を数えましたよ」
驚いて奈枝はぽかんと口を開けた。その様を見てセイクリッドが鼻で笑う。
「食べさせてほしいのですか?」
スプーンですくったグラタンを口まで運べば、奈枝はそのまま受け入れた。
一瞬ぎょっとしたものの、セイクリッドは誘惑に負け、もう一口差し出す。もぐもぐもぐ……。もぐもぐもぐ……。
親鳥と雛のような穏やかな時間が流れた。
「っは! ……ごっくん。もういいから! そうじゃなくて、17って! 高校生……?! 嘘、こ、こないだまで、こーーーんなちっこかったじゃん!」
セイクリッドが無表情ながらもウキウキと差し出したスプーンを跳ね除けた奈枝は、大声で叫んだ。大きさを示すために広げた両手は、奈枝の肩幅ほどしかない。
「おしめを変えてもらった覚えはないのですが」
「そ、それ! それだ! なんか違和感と思ってたら、セイ君、なななななんで敬語……?!」
最初は小生意気な、そして次に会った時は尊大な話し方をしていたセイクリッドの、三度の口調の変化。
先ほど、何か違和感があると思っていたその正体に、奈枝はようやく気付いた。
「以前、拐かしを撃退した際、奈枝さんの残留物を調べさせていただきました。国にはまだ届け出を出しておりませんが、この領地内において、貴女を正式に聖女として扱うと通達が出ました」
正式に、聖女。
奈枝はぽかんと開いていた口を更に広げる。
「如何なる者であろうと、奈枝さんに害をなすことは勿論、制限を課すことも禁じられております。また、奈枝さんが降臨なさっている場合、他の何よりも優先されます。もちろん、代えのきく私の職務よりも。――貴女の言葉は神勅にも相応しい。どうぞ強いご自覚をお持ちいただけますよう――」
「じょ、冗談でしょっ!?」
奈枝は耐え切れずに、セイクリッドの言葉を遮った。
度々耳にしていた「聖女」と言う単語。あれは言葉の綾や冗談の類ではなかったのか。
セイクリッドはつらつらと述べていた口を閉じ、口角を上げる。
「冗談です」
「セイクリッドォオオオ!! そこになおれええええええ!!」
「と、言うのが冗談で」
「どっち!?」
人に対して初めて殺意を持った奈枝は、テーブルの上の食事をひっくり返さん勢いでテーブルを叩いた。
「もちろんこのことは、屋敷の者はもとより、私兵隊員全員が周知しております――が。皆は“聖女”の姿かたちを存じません。余程の美女と思い込んでいるようですから、自ら身分を明かさぬ限り安泰でしょう」
「殴られたい?」
「しかし、絶対の保証はありません。万が一、奈枝さんが聖女だとばれた場合、私は規律に従います。今後、自分の言動に責任を持ちたくなくば、私以外の者とは極力関わりを持たぬよう、その蛙よりも小さな脳でご留意ください」
「あ、あんま怖いこと言わないでよ……って言うか、蛙って! あまりにもちっさくない……?! せめて猫ぐらいに……」
「では、猫で」
「あああ待ってやっぱりもうちょっと大きいのがいい! 猿とか、熊とか!」
「では、猿で」
「セイ君、馬鹿にしてるよね!?」
「次は馬にしますか? 鹿にしますか?」
「どっちの方が頭よさそうだろう……馬の方が頭よさそう……?」
「どんぐりでも並べておきなさい」
セイクリッドは溜息をつくと、上品な仕草でパンを千切った。セイクリッドの食事風景は、幼い頃から変わらない。奈枝も慌てていただきます、と両手を合わせると食事に口をつける。
「でもそれなら別に、セイ君以外と話す時に気をつければいいだけだから、セイ君は今まで通りでもよくない?」
どんぶらこどんぶらこと流れていった話題を拾い上げた奈枝は、セイクリッドの前にでんと置いた。どうだ、これで流せないだろう。と無言の訴えを感じ、セイクリッドはスプーンを置いた。
「それは、私が大人になったということでしょう」
静かな口調で告げられた内容に、奈枝はパチパチと目を瞬いた。
「……え、17で大人なら、20の奈枝さんもきちんと敬語使うべき……?」
「――あとたったの、3つ」
セイクリッドはどこか嬉しそうにそう呟くと、目尻に皺を寄せて食事を再開した。釈然としない気持ちを抱えながら、奈枝も倣う。
「ねぇ、今まで通りでいいよ。奈枝さん相手に、無理に“大人”しなくていいじゃん」
「寝言は寝てから、馬鹿は休み休み言うものですよ」
「せ、セイ君、言葉の刀砥ぎに余念なさすぎでしょ……」
唖然とする奈枝に、セイクリッドはにこりと微笑んだ。