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06 : 噂をすれば彼


 目を開くとそこは、見知らぬ場所でした。


「え、なにこのデジャヴ」


 初めて和箪笥から世界を渡った時を思い出した奈枝が、素早く起き上がる。規則正しい生活の中で育てられた奈枝に、惰眠を貪る習慣はついていない。


 木の床に敷かれた緻密な模様の絨毯、石膏の壁。小さなサイドボードと、テーブル。大きな衝立、柔らかいタータンチェックの赤い毛布。見覚えのない場所。シンプルな内装。ホテルの部屋のようなその空間に、奈枝は顔を蒼白にさせた。


 硬い寝台の上で目を覚ました奈枝が、頭を抱える。飲んで、酔って、見知らぬ場所で目が覚めるなんて、成人女性にあるまじき失態。


「だめだ……。じいちゃんが生きてたら、絶対雷落ちてる……」

 じいちゃんごめんなさい、と唸って奈枝はシーツに顔を埋める。嗅ぎ慣れないシーツの匂いに、すんと鼻を鳴らしてみた。いい匂い。嗅いだ覚えもないのに、誰かの匂いを思い出す。


 教授にセクハラとかこつけて奢らせた昨夜の酒は、そりゃあもう、美味しかった。


 ただで飲む酒ほど美味いもんは無い、が口癖だった祖父の気持ちもわかるというものだ。そんな風に余裕をかましていたのは、いつまでだったか……。生春巻きの上にてんこ盛りになっていたイクラを、一つずつ皿に整列させ始めた頃かもしれない。

 あのあたりからパッタリ、記憶にない。奈枝はシーツの海の中で冷や汗をかいていた。

「待って、落ち着こう。たぶんここは、ビジホだ。ビカビカしてないし、小さな自販機もないし……友達によく聞くラブホじゃない。多分……。服――……着てる。よし」

 自らを見下ろして、ほっと息をつく。

「教授はお孫さんまでいるようなお歳だし……もしかしたら、ご厚意で酔っぱらった私をビジホに突っ込んでくれた……?」

 ぶつぶつぶつ、と絶望する奈枝の独り言は、突然の声に中断された。


「お悩み中のところすみませーん」


「んああああああああ! 駄目だ声が若い! 駄目だ! じいちゃんごめんなさい、じじ不幸な孫で、ごめんなさい!!」

 わーーーん! と奈枝はシーツの中に潜り込んだ。現実逃避だとは分かっていても、現実という名の男の声から、今は少しでも遠くへ逃げたかった。

「お姉さん、起きてんですよね?」

「ひぃいい! お姉さん、ってことは、年下、年下連れ込んじゃった、おも、おも、お持ち帰りしちゃった……?!」

 眩暈がするようだった。奈枝は今まで、人様に後ろ指刺されるような生き方を決してしてこなかった。どれだけ辛くとも、寂しくとも、奈枝はしっかりと前を向いて歩いてきた。なのに。

「やばい、未成年淫行……。女子大生、一人寝寂しく年下男と淫らな夜……嫌だ待って、そんな見出し! 一面飾りたくない! せっかく復学したのに……!」

「お姉さん、おねーさーん! 一人芝居はいいんで、ちょっと、起きたんならこっち来てもらえませんかねぇ! なるはやで!」


 奈枝は冗談を吐き出すことで現実に立ち向かう気力を布団の中で養うと、のろのろと布団から顔を出した。明るい声が聞こえてくるが、そう言えばどこからするのだろうと部屋を見渡す。

 奈枝がいる部屋は、声の持ち主の顔が見えぬほど広い部屋ではない。ドアが開け閉めされた様子もなかったので、男は元からこの部屋にいたのだろう。それなのに、この簡素な部屋の何処にも、声の持ち主の姿が見えなかった。


「ここ! ここっす! その衝立の裏!」

 なるほど、と奈枝が頷く。部屋の隅に、確かに大きな衝立がある。その裏に人がいるとまで思い至らなかった奈枝は、シーツを防具のように体に巻き付けたまま、ベッドから抜け出そうと下を見る。ホテルの室内らしい部屋履きを見つけ、更に顔色を悪くした奈枝は毛布に身を隠しながらそれを履いた。


 衝立からひょいと顔を出す。そして、奈枝は固まった。


「……え、未成年淫行罪から、まさかの、誘拐罪……?!」


 そこには、椅子に座った少年がいた。それだけならよかった。それだけなら、なんてよかっただろうか。しかし、それだけではなかった。


 椅子に座っている少年は、その体にロープを巻かれていたのだ。まるで誘拐された被害者のように、椅子に縛り付けられている。そして問題なのは、この部屋には私と、彼しかいないということだった。


「待って、流石に記憶にないにしろ、え、え、嘘でしょ……? 私がやったの……?」

 奈枝は唖然として呟いた。少年は椅子の後ろで手を組まされている。どう見ても、自分で縛ったということはないだろう。

 椅子と完全に一体化している少年は、動けない体をもじもじと揺らし、半笑いを浮かべながら、奈枝を見上げている。

「大丈夫、大丈夫。これやったのはお姉さんじゃないし、勿論俺でもない。お姉さんが、よーっく知ってる銀髪変態野郎の仕業」

 へらへらと笑っている少年は、この格好にあまりにも似合わない気軽な口調でそう言った。その明るさに、奈枝はほっと息を吐く。

「銀髪ってことは……セイ君?」

「そう、正解」

 変態野郎を無視して言うと、少年はにかっと笑う。

 じゃあここってもしかして、まだアッチの世界? 奈枝は安心して力が抜けた。現実世界でないのなら、非日常だってセーフだろうと甘く勘定する。


 しかし、どうやってこっち来たんだっけな。奈枝は首を捻った。

 今までこちらの世界に来た時、必ずセイクリッドがあの場所にいた。ということはきっと、セイクリッドがあの場所にいることが、こちらの世界に来ることの条件になっているのだろう。

 今回も間違いなくセイクリッドが自分を発見したはずだ。そして、この少年をここで縛ったのがセイクリッドなら、この部屋に我々がいるのは、彼の意志ということになる。


 あの場所以外に来たのは、初めてだな。奈枝は、もしもそんなことが起こるなら、その時はセイクリッドにそばにいてほしかったなぁなんて。子どものようなことを思った。


 奈枝は目の前の少年をじっと見る。悪いことをして、セイクリッドに捕まっているようには見えない。そもそも、悪い人間ならば、自分が眠っている部屋に置いておくことはないだろう。


「あ」

 奈枝は毛布からしっかりと顔出す。少年の顔を見て、ポンと手を叩いた。

「君、この間いた子だよね……?」

「この間って言うには、昔すぎますけどね。あんな暗かったのに、よく覚えてましたねー」

 奈枝が「この間」とだけ告げたのに対して、少年は迷うことなく「暗かった」と答えた。信用に値するだろう。


 縛られている少年は、前回奈枝がこの世界に来た時に出会った人だった。夜中にも関わらず駆けつけてくれた寝間着集団の中に、彼によく似た少年がいたのだ。面影もよく残っている。

 椅子に縛られた彼が、携帯を探してくれたセイクリッドの小さな友達だと気付き、奈枝は安心する。


 目の前の見知らぬ少年に奈枝は急に親しみを感じた。共通の思い出を持っているのは、思いのほか親近感を持たせるものだった。

「あの後、どうだったの? セイ君は無事だった?」

「ええ。奴は無事だし、悪者は捕まえましたよ」

 そう、よかった。と息を吐く奈枝に、少年はてへぺろと舌を出した。


「ね、お姉さん。これ解いてもらえませんかね」





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