27 : 足下から烏が立つ
「奈枝さん、飴いりませんか?」
この世界でただ一人、奈枝の名を呼ぶ人物が、どこか困ったように笑いながらポケットから包みを取り出した。
奈枝が洗濯物の持ち場について、数日後。セイクリッドは就寝前の奈枝の部屋にやってきてそう言う。ランプが灯された部屋はセイクリッドの笑みの微かな変化も読み取った。クレイが警護に立つ部屋で、奈枝はセイクリッドの手に広がった飴を一つ摘まむ。
紙に巻かれた飴は、それぞれ種類が違うようだ。丸くキャンディのように括られているもの。杏子飴のように棒にくっついるもの。奈枝は平べったく、紙が貼り付いているものを手に取った。ベリッと剥がして中を見る。果物の蜜を練り続けたような、美しい色だった。
「美味しそうだねぇ」
「最近、何故か部下たちが顔を出しては飴を持ってくるのです……最初は賄賂かと断っていたのですが――あまりに重なるので、少し不気味で」
「えっ」
「はい?」
「いや、うん、なんでもない」
「夕食も、最近何故か揚げた鶏ばかりで……年のせいか胃もたれが……」
「そ、そうなんだーいいね、鶏肉。奈枝大好き」
いただきまーす、そう言って奈枝は紙についた飴を齧り取った。濁っていて、見た目は美しくない。ねっとりと歯にくっつく。甘みは少なく、少し薬臭い。なるほど、以前ウィルが、基本的に飴は薬用品だと言っていたのを思い出した。
「ぶ、不気味に思う必要ないんじゃないかなあ。隊員の方々が持ってきてくれてるんでしょ? 皆セイクリッドさんと仲良くなりたいんだよ。ちゃんと笑顔でお礼言った? 邪険にしてないでしょうね?」
「10下になっても、姉貴分は抜けないんですね」
「残念。9でした。それに、大丈夫よ。セイクリッドさんが三十路のおじさんになろうとも、四十路のおじさまになろうとも、奈枝さんは変わらず仲良くお話してあげますからね」
おじさんと呼ばれたセイクリッドがにこりと微笑んだのを見ると、奈枝は彼を押し出して部屋の戸を閉めた。追い出された女性の部屋の戸を、もう一度叩く趣味の無いセイクリッドは、戸の向こうから「おやすみなさい」と奈枝に挨拶すると、クレイに釘を刺して、廊下を下る。
戸に耳を押し付け、気配が完全に消えたことを確認した奈枝は、うーーーんと腕を組んで唸った後、わざとらしくクレイに向かって舌を出した。
「てへっ、どうしよ。逆効果?」
「だから俺は、止めておいた方がいいと言ったんです」
最近すっかりこんな役が板についてきてしまったクレイは、はぁと大きく息を吐きだした。
奈枝は洗濯場に、すっかり馴染んでいた。馴染んでいたどころか、まさかの人気者になってしまっていた。
男にしては可愛らしい容貌に、新人らしい真面目な態度が功を奏したようで、「チビ、チビ」と、セイクリッドが聞けば卒倒しそうなあだ名で可愛がられている。
そんなチビは何処から来たのか。他の修練には参加していないようだが。そう言った質問に、どう答えればいいのかわからなくなった奈枝は、虎の威を被った。
「実は、頭目に縁があって……天涯孤独の自分を、とりあえず洗濯係として置いてくれてるんです」
嘘はついていなかった。しかし、こんな大ざっぱな説明でも、潤んだ瞳で訴えただけで、先輩たちはあっさりと信じてくれた。
あまり思春期の内から男ばかりで固めているのは、情操教育上よくないんじゃないかな――と、その日の帰りがけに奈枝はクレイに進言した。クレイは、額に青筋を浮かべながらもそれをしっかり受け取った。
そんなこんなで、可愛がられる理由に「頭目の縁者」と言う理由が加わった奈枝は、セイクリッド関連の質問をよくされるようになった。
好きな食べ物は、いくつの時に入隊したのか、生まれは何処か、身長は。
奈枝は記憶を引っ張り出して、答えられる限り応えてやった。15歳という若さで隊長に着任したと教えてやった時は、ついお姉ちゃんパワーを炸裂して鼻を高くしてしまったものだ。
そしてその中に、セイクリッドの好物の回答として飴やから揚げも含まれていた。
「ほら見なさい。自分で足元を掬われてりゃ世話ない。これに懲りたら、少し自重することですね」
「えー……うん、そうだね、わか、わかってるんだけどさぁ」
少年にキラキラした目で見つめられると弱い奈枝は、どうしようと頭を抱えるのだった。
次の洗濯日。奈枝は洗濯場について早々取り囲まれることとなった。
頭目が飴の受け取りを拒否し出したらしい。
「商売女の部屋から戻ってすぐだって。絶対、あの女が何か言ったんだ」
「あの女、いつ出て行くのかなぁ……俺たちの気持ちまで取り上げる権利なんて、あると思う?」
「頭目の目が覚めたら御寵愛を受けられなくなるから、引き留めるのに必死なんだろ」
奈枝はどうどう、と先輩達を宥めた。最近は、彼らの言う「商売女」の話も辛くなくなってきている。
「今日は曇りですよ。早く洗って干しちゃわないと」
「チビ! 頭目がもっと好きな物知らないか?」
「俺の父さんが商売をしてることは言っただろ。多少変わったものだって手に入る。あの尻軽女が手に入れられない珍品だって――」
え、うーん、好きなもの。他になぁ。奈枝は腕を組んで頭を悩ませた。
その時、視界の隅にこっそりとクレイが顔を出した。珍しいな、いつも完全に隠れてるのに。そう思ってクレイを見つめていると、彼は常になく焦った顔で口をパクパクさせている。
あぁそうか、あんまり言うなって話だったな――奈枝がクレイに了解の意志を伝えるために首を縦に振った時、頭上から声がした。
「ほう。お前か。私のことを何でも知っているという新人は」
奈枝は、サーッと血の気が引くのを感じた。
周りの先輩たちは、先輩と言ってもまだ新兵にすらなっていない見習いたちである。洗濯場に突如現れた、憧れの人物を見て言葉を失っている。
「貴女は余程、私の言うことを聞くのが嫌いらしい」
あ、敬語に戻った。奈枝はパチパチと瞬きをする。
「はっきりとわかりました。貴女は私が足を縛ろうが、耳を塞ごうが、羽をもごうが――何の頓着なく、飛んでいくのだと」
奈枝は減らず口を叩こうとして、やめた。へにゃりと頬が緩む。
そうか、セイクリッドはあの評判を聞かせないために、奈枝の外出を制限していたのか。
素直に心配だと言えない天邪鬼な弟に、奈枝がふふふと笑った。
「帰りますよ、尻軽」
「ちょっと、誰のせいだと思ってんの」
以前向けられた、軽蔑した視線とは全く違う、柔らかい目線。
奈枝の不満を意にも返さなかったセイクリッドは、奈枝を無言で促しながら洗濯場を出て行こうとする。
「あ、あの! 頭目、そ、そいつ新人でして、その――まだ日も浅くて!」
何がどうなっているのかわからないのに、憧れの頭目に盾突いてまで先輩が奈枝をフォローした。見習い兵を見たセイクリッドは、後ろをついてきていた奈枝を見下ろす。
「帰りますよ、新人」
「そう言うところ、よくないと思う」
「ええ、私も貴女のこういったところに、いつも手を焼いているなと思っていたところです」
本日付で、この新人は洗い場を解雇とする。皆、十分に励むように。
そう言い残して、嵐のようにセイクリッドは奈枝を連れて洗濯場から立ち去った。
解雇と言う強い言葉と、頭目が新人に敬語を使うというちぐはぐさに、その日の洗い場はいつまでも騒然としていた。




