26 : 鬼のいぬ間の選択
「いつまで待ってても仕事斡旋してもらえないし、いっそ乗り込んじゃおっか?」
奈枝は警護に立つクレイにそう言って、部屋を飛び出した。
セイクリッドと仲直りをし、ウィルとひと悶着あって、3日が経った。
軟禁状態は相変わらず続いていた。
痺れを切らした奈枝は、ウィルを探すよりも仕事探しを選んだ。そして、共犯はジンではなく、クレイを。
「なんで俺の時にやってくれますかね……」
慌ててクレイが追いかけてくるのも計算済みだ。室内で打ち出せば、クレイに分がある。しかし、外に出てしまいさえすれば、目立ってしまうため大っぴらに引き留めることは出来ない。
「ジンさんは婚約者いるんでしょ? もし怒られたりして給料下げられたら可哀想じゃん」
「俺ならいいって!? それに、恋人がいないなんて一言も――」
「え! クレイさん、そんな怒りんぼで、彼女いるの? まじで? 嘘でしょ?」
奈枝はケラケラと笑いながらクレイをおちょくると、廊下を突き進む。クレイは呆れかえった顔で眉間に皺を刻むと、頭を抱えている。
「こんなのが――とか、くそっ……」
「あら、知らないの。人は基本的に、我儘言える環境の人が、我儘になってくのよ」
「自分で言うな!」
怒るクレイに、奈枝が笑う。あまりにも迷いのない足取りにクレイは自然とついて行っていたが、それ以上行っても奈枝に用事があるようなものは何もない。クレイが慌てて引き留める。
「え、外に出ればなんかあるかなって」
楽観的な奈枝の言葉に、クレイは更に頭を抱えた。
「そうだ、クレイ先生教えてよ。そこそこなんでも出来るつもりでいたけど……実際問題、全部ボタン一つで機械がやってくれてたし……結局何もできないかも。そんな私でもなんか出来そうなことある?」
クレイは頭を抱えたまま眠ってしまいたかった。持ち合わせる答えがない。
「……まず、基本的にお心に留めていただきたいことがあります。問題が起きた場合貴女以外の者が責任を取ることになる、ということです。責任ある行動を心掛けていただきたい」
「はい」
「そのため、厨房は無理です。一番問題が勃発しやすく、質が非常に悪い。避けるのが無難でしょう」
「はい」
「手があって嬉しいのは下水関係でしょうが、病気を発生しやすい。衛生面の問題でこちらも見送ります」
「はい」
「医療関係、事務、武具関連、こちらも厨房と同じ理由により却下致します」
……出来る事、なんもない? 弱気になった奈枝に、クレイが意地悪く口角を上げる。
「よって、問題・病気が発生しにくく、大事になりにくい上、衛生面についてもさほど問題がない持ち場を与えましょう」
奈枝は冷や汗を流した。
***
「なんだーもーよっぽど脅すからさー何やらされるかと思ったよー」
ばしゃばしゃばしゃ、奈枝は洗濯板で洗濯物を擦りながらほっと息をついた。
奈枝が連れてこられたのは洗濯場だった。納得の現場である。一度は干すことを手伝った奈枝にとっても、この世界で一番馴染みの深い仕事だ。
洗濯場は区画として用意されてあり、アルバイト先だった中華店の土間とよく似た造りだった。
「まずはこれを、汚れが落ちるまでは何度でもやり直しです」
そう言ったっきり出て行ったクレイは、中々にロックな量を奈枝の隣に置いて行った。
クレイのいなくなった洗濯場で、腕まくりをして洗濯板に布をこすりつけるが、落ちない。強くこすりすぎては生地が痛むし、と、奈枝は真剣に洗濯をし始めた。
冬に真水でおしぼりをすすいでいたことに比べれば、なんてことのない水の冷たさだ――と楽観視していた奈枝は、その厳しさを知る。汚れを素手で洗い落とすというのは相当の力が必要で、開始してしばらくすると奈枝はへたり始めた。
何処からか帰ってきたクレイが、奈枝の洗ったものを見て「やり直し」と残酷にも言い放った。奈枝は搾った洗濯物を、再び桶の中に入れる。
「仕事をすると言ったのは貴女ですよ。仕事として従事してください。現場担当と予定を組んできましたので、これから私が警護の際はここでの時間を設けます」
了解です、奈枝はへとへとになりながらも頷いた。一ヶ月近い軟禁生活は、予想以上に奈枝の体力も奪っていたようだ。
「クレイさんには迷惑をかけるねえ」
わかっているのかいないのか、のんびりとした発言にクレイがため息を投げつける。
「貴女は、見た目より存外肝が据わっている」
「いやーどう見ても、虎の威を借る狐かな……」
ふっと笑った奈枝に、クレイもそこは同意する。奈枝はセイクリッドの姿を思い出し、ぶるりと震える。
「仕事をくれないのは彼にも何かしら理由があってのことだろうけど――セイクリッドさんにはなるべくばれたくないなあ」
「同感です。私も減俸どころの話じゃなくなります」
セイクリッドと仲直り後、いくつか変化が訪れた。
まず、警護に当たってくれていたクレイとジンに、正式に奈枝が聖女であると伝えられた。更にセイクリッドとは旧知の仲であり、家族同然の付き合いをしているとまで念を押された二人は、今まで以上に警戒して警護につく破目になった。
次に、セイクリッドの睡眠時間が確保された。奈枝の厳命によるものだ。
続いて、セイクリッドと時間を持つことが出来た。昼食の時間だったり、就寝前だったりと様々だが、1日5分程度、奈枝とセイクリッドは顔を合わせて会話出来ている。会話の内容も概ね良好で、先日までの殺伐とした空気など微塵も感じさせないものであった。
最後に、 セイクリッドが奈枝に対し、ゆきすぎる過保護になった。
元々、軟禁したり、欲しいものは何でも買い与えると言う発言等。少々怪しげな言動があったが――今はその比ではない。
立とうとすれば手を差し出し、クローゼットに歩み寄れば先回りして扉を開ける。見送りがてらトイレに行こうとしたときなど、頭目自ら護衛すると言い始めたのだ。
一体、隊員に奈枝をどういう風に見てほしいと言うのか。まさか、迷惑をかけた罪としてからかっているとでも? と笑いたくなったが、彼は本当に奈枝のことを心配しているようだ。
奈枝が歩けば棒にあたって死ぬ。とでも信じ込んでいるらしい過保護のことを思い出した奈枝とクレイは、二人でブルブルと身を震わせた。
「私が共にいれば、貴女が誰だか名札を付けているようなものです。隠れていますが、傍に必ず控えてますので、ご安心を」
「その間に私も隠れるか」
「――鬼ごっこがお望みで?」
鬼の首をとってやりましょうか。と凄むクレイに、奈枝は白旗を上げる。ちょこっと茶化しただけじゃないか。
「真面目に励みます」
「どうぞ、そのように」
洗濯の仕方を簡単に指示したクレイは、奈枝が土間を見渡して確認する間に消えていた。
「おぉ……超人ショー、クレイさんも出来るんかい……」
恐ろしい集団だ。奈枝は一人ごちると、ごしごしと洗濯物を洗い始めた。
どうやらクレイの計らいで、しばらくの間、奈枝が一人で洗濯場を使えていたらしい。中腰で作業する為、足がパンパンになってきたころ、ガヤガヤと隊員たちが洗濯場に入って来た。
奈枝は小さく会釈すると、特に自分から話しかけることなく、隅の方で洗濯を続ける。
先輩にご挨拶はー? あーん? とかあったらどうしよーと、足の痛みも忘れて一心不乱に手を動かし続ける奈枝に、幸いのこと誰も話しかけてこなかった。
本当に本気で、奈枝を少年隊員だと思っているらしい。なんだか面白くない気持ちの中、奈枝はたらいの中の洗濯物をこねこねぎゅっぎゅし続ける。
奈枝の隣の流しで洗濯物を洗い始めた先輩達の会話をBGMに、奈枝は汚れた服を擦っては濯いでいく。次第に仕上がりに満足する物が出てきたころ、聞き慣れた単語に手を止める。
「どうやら、ワーズ隊長の妹さんじゃなくて、頭目の恋人らしい」
「恋人っていうか、屋敷じゃなくてこんな辺にあげてんだから、商売女か……よくて愛人だろ。図々しいよなぁ、いつまで居続ける気だか」
「誰が世話してると思ってんだろうな。食いもんも服も、ベル鳴らしゃ勝手に出てくるとでも思ってんのかねえ」
あえて聞き続ける話題じゃない。洗い終えたものを先に干しに行く分には構わないだろう。奈枝は搾り終えた洗濯物を籠に入れると、土間を出て物干し場へと移動するため立ち上がる。
「あ、新人だろ、お前。場所わかるか?」
たった今まで奈枝の悪口を言っていた先輩隊員が、奈枝を見上げてそう言った。同僚には親切な子らしい。奈枝は少しだけ傷ついていた心を優しく撫でられた気分だった。
「先ほど教えてもらったから。ありがとう」
おう、と手を上げる先輩に背を向け、奈枝は土間を出る。
少し歩いたところで、ふと背後に人の気配を感じた。驚いた奈枝は籠を落としそうになる。しかし、落ちる直前に拾われた。
「クレイさん」
「お耳煩わせを。洗濯場は基本的に、見習いの持ち場です。辛い修行を課しますが、認められるに程遠い位置の者は、時折ああいった冗談を――」
真剣な顔つきで必死に弁解を始めたクレイに、奈枝は嬉しくて破顔した。
「まさか慰めに来てくれたの? ありがとう。大丈夫だよ」
それどころか、彼らの言っていることは的を得ていると奈枝は思った。
ここは宿屋ではない、共同の宿舎だ。皆それぞれの立場に沿った仕事をして成り立っている。
奈枝は自覚していた通り、セイクリッドの客人と言う立場に甘えてずるずる長居を続けていた厄介者だ。世話をし続けるものから不満が出ても当然だろう。
常にない奈枝のしおらしい態度に、クレイは冷や汗を流した。
「――やはり、訂正を」
「いやいやいや、クレイさん、君そこそこ偉い人なんでしょ!? だめだって! やばいって! あの子たち、ちびっちゃうって!」
洗濯場に足早に向かおうとするクレイの袖を掴んだ奈枝は、慌てて引き戻す。小声でしゃべってはいるが、いつどこで誰に聞きとがめられるかはわからない。
「人に嫌われることなんて慣れてないから、そりゃあ心はめっちゃ痛むけど、もうあれは自業自得だし、いいやなんだったらあの状況を余儀なくしてるセイクリッドさんのせいだし、もうそうだ、全部セイクリッドさんのせいだから、しょうがない、うん。それに、さっき優しく声かけてもらったし、居心地は悪くなさそうな職場だよ」
言い募る奈枝に、クレイは大きく息をつく。
「……そもそも、何故仕事なんて……」
「……いや、おたくの隊長が、仕事しなきゃ殺すって言い始めたから……」
「……」
「……」
奈枝とクレイは、ひっそりと息を吐きだした。




