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12 : 氷人の一角

 セイクリッドは瞬く間に、山盛りのご飯を食べきった。

 奈枝に毎日でも作ってあげたいと思わせるほど、見ていて気持ちのいい食いっぷりだった。


 米粒一つまで平らげられた皿は、恥ずかしがり屋のセイクリッドからの、美味しかったという何よりのメッセージ。緩んだ頰で皿を片す。


「そういえば、綺麗だねぇ。ここに春に来たのは初めてじゃない? これ桜? こっちにも桜って咲くんだねえ」

 何気ない奈枝の言葉に、セイクリッドは驚く。

常世(とこよ)でも、この花のことをサクラと呼ぶのですか?」

「うん? うん。たぶん桜だと思うけど……」

 奈枝はおぼんの上の皿を片し終えると、聳える枝を見上げた。立ち上がり、自分がいつも転がり出てくる木に近づいていく。人二人が両手を回しても、指先が触れ合えないだろう太い幹。木の皮にそっと触れる。


「枝が高すぎて花が見えないなぁ」

 日本であれば神木として扱われるだろう大きさだ。

 んーと額に手を当てて目を凝らす奈枝のために、セイクリッドはぴょんと木を登った。奈枝は唖然とその姿を見上げている。

 セイクリッドは、ぴょんと。ほんの一回幹を蹴っただけだ。そのセイクリッドが、奈枝の身長よりもずっと高い場所にある枝にいる。

「枝、折りますか?」

「え、あ、あ! だだだ駄目! 桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿って言ってね! だからええと、下りてきて!!」

 あまりにも平然と声をかけるセイクリッドに、奈枝は思考がついていけなかった。訝しみながらも花を幾つかぷちんぷちんと手折るったセイクリッドは、ひょいと枝から飛び降りた。


 奈枝は大口を開けたまま、無事に着地したセイクリッドを見つめ、尻もちをついた。


「……奈枝さん?」

「……男の子は、おおらかに育てましょう。多少お転婆なのは、元気な証拠です……」

「……おーい?」

 心臓がバクバクと鳴る胸を奈枝は押さえつけた。


「心臓に悪い……セイ君、あんな危ないことしちゃ……いや、危な気はなかったなぁ……」

 びっくり超人ショーのような、華麗な飛躍を見せられた奈枝の声は震えている。


「何あれ、ああいうのよくするの?」

「ああいうのとは?」

「ぴょんっとか、ひょいっとか」

「……木登りという単語すら、常世(とこよ)には存在しないのですか?」

「そうかー! あれ、木登りって言っちゃうんだー! 奈枝さんの知ってる木登りとはちょっと違うなー!?」

 心底驚いたため、奈枝は気のきいたリアクションも取れなかった。珍しくおろおろとする奈枝に、セイクリッドは溜息を零す。

「花を摘んで参ったのですが」

「あぁ、うん、ありがとう。もう、見なかったことにする……」

 奈枝は差し出された花を力なく受け取った。その花を見て、あれと首を傾げる。


「花の形が随分違う。桜っていうより、ハナミズキ? でもハナミズキは幹細いしなぁ。林檎の木とか? もしくは、こっちの世界の木なのかもねえ」

 奈枝はまじまじと木を見た。そう言えば、落ち着いてこの木を見るのは初めてかもしれない。いつも何かと慌ただしく過ごしていたからな――そう思った奈枝はふと気づいた。


「この木、一度切られてるの?」

 ぐるりと庭を囲む木は、どれ一つとしていびつな形はしていない。その中で、奈枝が行き来する木だけが特殊だった。奈枝がトンネルのような隙間だと思っていた部分は、自然にできた形と言うよりも、まるで誂えられたようだったのだ。

「専門的なことは庭師に聞かねばわかりませんが―― 一度切った木に、接ぎ木をしているようにも見えますね」

 二本の枝は台木から二股に分かれたあと、アーチ状に広がりを見せている。しゃがめば人一人程度なら入れそうな高さで捻じれた枝。まるで、人がここを潜り抜けるために、この空洞を意図的に作ったかのようだった。


「その木は、何百年も、何千年も前からこの地に聳えていると言われております。我々等よりよほど、沢山のものを見ているでしょう」


 奈枝は木に頬を擦りつけた。ほのかに香る匂いに息を呑む。


「我々にとって、この木は神にも等しい存在。その木を切るほどのことです。余程何か理由が――」


「箪笥だよ」


 セイクリッドは言葉を止めた。奈枝の声が、震えていたからだ。


「――箪笥だ。きっと、箪笥をこしらえたんだ……。そうでしょ、ばあちゃん」


 奈枝は木にぎゅっとしがみ付いた。桐でもけやきでもない、不思議な香りがする木に。

 まるで、祖母に語り掛けるかのように抱き付いた奈枝を、セイクリッドは瞬きもせずに見つめていた。




***




「セイ君、今日は時間いつまでいいの?」

「聖女が望まれるのなら、いつまででも」

 規律にのっとった答えを返した可愛げのない弟を、奈枝はふーんと半眼でねめつけた。ポケットから携帯を取り出してスイッと操作する。途端、まばゆい光を発した携帯をセイクリッドに向けた。

 驚いたのか、すかさず身構えたセイクリッドに向かって奈枝がケラケラと笑う。

「そんじゃ、セイ君正直に答えてくれないし、邪魔したくないからまた来るよ。次はセイ君、休みの日だといいなー」

 あっけらかんと伝えると、奈枝はくるりと身を翻した。セイクリッドは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「……一刻ほどであれば」

 愛情をこんな風に確かめることはよくないと知りつつも、奈枝は口元がにやけるのを押さえられなかった。唇を噛み、神妙な顔つきを取り繕って振り返る。

「一刻?」

「およそ、しばらくは大丈夫でしょう」

「そう、じゃあその時、ちゃんと教えてね。嘘付いたら、もう飴持ってこないからね」

 子どもを叱るような文句を笑いながら奈枝は口にした。そうだ、とポケットから取り出した飴の袋を裂く。転がり出てきた飴は、葡萄色。

「見て、セイ君の目とお揃い」

「本当ですね。美しい」

「でしょ。あんまりね、でこぼことかしてなくて、綺麗なやつ選んできたの」

 奈枝はいつものように飴をセイクリッドの口元に運ぼうとして――手を止める。


 そこには、幼い日の面影を残した、自分と同じ年の、男がいた。


 セイクリッドは、いつものように口を開けて待っている。奈枝は慌てて放り込もうと手を伸ばす。セイクリッドの唇に指が触れそうになり、動きが鈍る。ポトリ、と草の上に飴が落ちる。


「あ、ああ、勿体ない。ごめん、も一個開けるから」

 慌ててポケットに手を突っ込む奈枝を制し、セイクリッドは飴を拾い上げた。そして奈枝の手に、ぽんと載せる。


「これで構いませんよ」

 そして再び、口を開けた。入れろと言うことらしい。奈枝は手にした飴の土を払いながら、呼吸を整える。


 セイクリッドは、男だ。

 そんなことは最初から知っていた。セイクリッドは、奈枝よりもずっと早く年を取る。そんなことも、ずっと前から知っていた。セイクリッドは、いつか遠くない日に自分よりも年上になる。それも知っていた。


 セイクリッドは、家族じゃない。わかりたくないそれも、きちんと心得ているつもりだった。

 知っているつもりだった。


 セイクリッドが、家族ではない年頃の異性だと――知っている、つもりでいた。


 セイクリッドが、口を開いている。

 葡萄色の瞳は、ぶれることなく奈枝を捕える。


 そこにはもう――いいや、きっと。もうずっと前から、どこにも。


 痩せ細り、傷つきながらも意地を張り続ける、貧弱な男の子はいなかった。


 ぽかん、と口を開いて現実を受け入れられずにいる奈枝に業を煮やしたのか、セイクリッドは不審げに眉を寄せると奈枝の手首を掴んだ。え、ちょっと、何する気?! 声にならない声を、ぱくぱくと開け閉めする口で叫ぶが――時すでに遅し。セイクリッドは、奈枝の指ごと飴を口に咥えた。


 背筋に震えが走り抜ける。思いっきり口から手を引き抜くと、今なぶられた手を胸に抱えて叫んだ。


「な、な、な、舐めたーー!!」

「飴は舐めるものなんでしょう?」

 しれっと答えるセイクリッドに、奈枝は足を出す。揺れもしない腰に、綺麗に足跡がつく。


「奈枝さんの手は飴じゃないでしょ!?」

「それは失礼いたしました。甘そうでしたので、つい」

「千歳飴のように白くて美しいってんなら許すけど!? 違うんでしょどうせ!? なんか頭の馬鹿さが滲み出て~とか言うんでしょ?!」

「何をおっしゃってるのかさっぱり」

「ひー、もうやだよーぞわっとしたよー。これで拭いとこ」

 半泣きになりながら、奈枝は先ほどまで自らの尻で敷いていたセイクリッドのハンカチを摘まむ。不自然なハイテンションを、どうか、気づかないで欲しい。


 それを微妙な顔で見下ろすセイクリッドを見て、奈枝は呼吸を止める。誤魔化せて、ない?

 普通・・に話すって、どうするんだっけ。吸った息を吐き出すことすらうまく出来なくなっている。


 普通に、なんて。そんなこと、意識したこともなかったのに――奈枝は全てのものを一度頭から追い出し、思考に足を取られないように、思い切り大きな声を振り絞った。


「――よし! じゃあ移動、移動しよう! これはここに置いといて平気? 誰かの邪魔になったりしない?」


 不自然に映らないかと、奈枝は恐る恐るセイクリッドを見上げた。しかし彼はあまり頓着しなかったようで、はぁと溜息を吐いてハンカチを胸に仕舞う。


「この場所は限られた者しか入ることを許されていない聖域。置いていても平気でしょう」

「そうなんだ――私はここに来ても大丈夫なの!?」

「聖女が駄目ならば、一体どこの徒人が許されるというのです」

 あ、なるほど。と手を打つ奈枝を見て、セイクリッドは呆れたように首を横に振った。





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