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自画像

作者: 小五郎

午前6時、目覚まし時計の音に眠い目を擦りながら応えると、そのまま電子ピアノの前に座り、カチコチ、メトロノームを鳴らし始める。


「ここは2の指じゃなくて、3の指で弾かないと次の音が弾けない」「この4が弾きにくいんだな。ここさえ鍵盤にのれば次に進める」


それがあたかも、そうでなければならないといった風に、ブツクサいいながら、鍵盤を指で押す作業を繰り返している。左から右へ、右から左へ、順番に規則正しく鍵盤を押していく。


午前7時、身支度を整えると会社に出かける。


仕事を終えて家に帰ると自室にこもり、またもやカチコチ、メトロノームを鳴らし始める。


そして今度はトランペットを手に持ち構えると、その規則正しい音に合わせて、息を吐き、唇を震わせ、ピストンをカシャカシャ。


今度は口が楽器でふさがっているものだから、頭の中で、ブツクサ、ブツクサ。口の形がどうの、息の速さがどうのとつぶやいている。


それが終わると、今度は喉を鳴らし始める。

あ行の発音の時は響きやすいが、イ行の時は響きにくい、滑舌がどうのこうの、腹筋が云々とブツクサ考えている。


そしてどうやら、息がキレイに流れるとうれしいらしい。同じ速さで喉が振動している感じがたまらないという。


少し頭がおかしいようにも感じなくもない。

それに何の意味があるのだろうか。

その音がそうでなくても、誰も困ることはない。


むしろ、微妙な塩加減を味見しながら、毎日繰り返し、食事を作る人の方が、よほど建設的である。


会社では、機械のように同じようことを繰り返すのはおかしいと言いながら、家に帰れば機械仕掛けの人形のようになることを望んでいる。


それが自分の心を映す鏡になることを信じて


絵に自画像があるなら、文にも自画像があってもよいのではないだろうか?客観的な第三の視点で自分を見ることは面白い。


絵というのは、物の全ての線を描くものではなく、ある種のデフォルメ化されたものであるように感じる。もし、画家が全ての線を描いてしまったら、キャンバスはきっと真っ黒になってしまうだろう。


また、今度は違う視点で書いてみよう。

読んでくださり、ありがとうございます。


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