ある男の話4-②
人間の男は、ドラゴンの手の拘束から逃れると、腕をクルクル回し体の具合を確認している。
明らかに格上の、生態系のトップに君臨するであろうドラゴンがずっと睨んでいるというのに、そんなものは気にも留めていない様子だ。なんという不遜、なんという不敵な態度だろうか。殺してくれと言っているようなものだ。
しかし、ドラゴンの手を斬り落としたのがこの男だと言うのなら、それも頷ける。この体格差ではとてもじゃないが信じることは出来ないが、殺されない自信があるのだろうか? ミーナには信じられなかった。
二人がボーッと見ていると、その視線に気付いた男は、ドラゴンが睨む中ドラゴンに背を向けこちらに近づいて来た。
ドラゴン相手に無防備に背を見せている。正気の沙汰とは思えない。人間の感覚がおかしいのか、それともこの男がおかしいのか、もうわからなくなっていた。
ドラゴンに食べられそうになった恐怖、はじめて人間を見た驚き、そしてその人間のこの行動。二人の思考は状況の変化についていけていなかった。
二人は近づく男の顔をジッと見つめていた。ガタガタと震え、涙を拭うことも忘れ、ただ見つめていた。
男は二人に手を伸ばす。
二人はビクッとし、目を瞑り体を強張らせる。今度はこの男が自分たちを殺すつもりなのだと思ったのだ。
人間は、この世界に災いをもたらすと言われている。災いと言われてもピンとは来ないのだが、自分たちに危害を加える何かだという認識でいた。その為、二人にとってはドラゴンと同じように脅威でしかなかった。
しかし、思いがけないことが起こった。
男は伸ばしてきた手で、二人の涙を拭ったのだ。
二人は頬を触れられたことに気付き、恐る恐る目を開いた。
目の前の男は優しげではあるが、どこか悲しげな表情で微笑んでいた。
二人には頬を触れられた理由も、そんな風に微笑まれる理由もわからなかった。そんなものは二人が今まで聞いて来た人間像にはありえない事だったのだ。
困惑の中にいる二人は、男の顔をボーッと見ていた為、完全に無防備だった。この男がその気になれば殺されてもおかしくなかった。
男は急に動き出す。二人に抵抗の暇を与えなかった。
気付いた時には、二人は瓦礫の陰に連れて来られていた。
何が起こったのかわからず、再びボーッとしてしまう。
男はそんな二人の頭にポンと手を乗せ、ワシャワシャと頭を撫でた。少し乱暴ではあったが痛くはなく、その手からは温かさが感じられた。
二人は目を閉じ成すがままになっていた。
「ここに隠れてろ。すぐに終わらせるから、出てくるなよ」
男はそういうと、乗せていた手で頭をポンポンとし姿を消した。
「「 え? 」」
二人は見事なハモリを見せる。
最後に見た男の表情は優しく微笑んでいたが、その瞳はどこか怒っているようだった。
「今の、どういう意味? すぐに終わらせるって? ドラゴンと戦うってこと?」
ミーナがそう呟くと、ニーナは怪我をした足を引きずるように進み、瓦礫の陰から顔を出し様子を窺う。
「……そうみたい」
男はドラゴンの前に立ちドラゴンを見上げていた。戦うつもりのようだ。自殺行為としか思えない。
「あれ、人間、だよね……」
同じように顔を覗かせたミーナはボソリと呟いた。
男の耳は小さく頭の横についている。尻尾も見当たらない。服の下に隠している可能性もあるが、今確認することは出来ない。獣人の特徴が見当たらない。間違いなく人間だろう。
「うん。あたし、はじめて見た」
ニーナはジーッと人間の男を見つめていた。はじめて見る人間に興味があるようだ。
「あたしも……でも、どうして人間があたしたちを助けるの?」
ミーナは男の行動の真意がわからなかった。
「わからないけど、あの人間が時間を稼いでくれている間に逃げなきゃ」
ニーナは男の言うことを聞くつもりはなく、隙を見て逃げるつもりのようだ。
「そうだね、すぐに応急処置するからニーナは監視してて」
「うん」
ミーナはニーナの足の怪我を診て、ニーナはドラゴンと人間の成り行きを見守る。
男はドラゴンを睨みつける。
「あんなかわいい子たちを怯えさせやがって、トカゲ風情が調子に乗るなよ!」
男がそう言い放つと、男を中心に地面が円を描くように陥没した。
そして、男は姿を消した。
次の瞬間、
ドスッ
男はドラゴンの腹に拳を打ち込んでいた。
Gugya!
ドラゴンは声を漏らすと、男を振り払おうと腕を振るう。
男は素早く飛び退くとドラゴンの腕を躱す。
男は石柱を足場にし、再び跳び殴りかかって行く。
殴っては離れ、殴っては離れ、その素早い動きでドラゴンを翻弄していく。
そして、
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ドゴッ
男がドラゴンの左膝を裏から殴り飛ばした。
ドラゴンはカクンとバランスを崩し、片膝をつき、体を支えるため手をついた。
片手は斬り落とされていた為、これで使える手は無くなった。
男は左腕を真っ直ぐに上げ手刀をつくる。
男の左腕からブゥゥゥンという振動音のような音が聞こえてくる。
そして、男は地面を蹴り跳び上がると、ドラゴンに首を狙い左の手刀を振り抜いた。
ドラゴンは、それを喰らてはまずいと気付いたのか、体を屈め頭を下げて手刀を躱した。
しかし、手刀の勢いは止まらず、その進行方向上にあるドラゴンの羽を襲った。
ザシュッ
ドラゴンの左羽は血飛沫を上げ見事に斬り落とされた。
Gyaaaaaaaaa……
ドラゴンは絶叫を上げ、振られれない背に手を伸ばしていた。
「やっぱりこれなら斬れるな」
男はニヤリと笑っている。鮮血を浴びたその表情は狂人のそれのように見える。
怒り狂うドラゴンは、男に向け、いや、それだけではなく辺り構わずファイアーブレスを吐き出した。
ゴォォォォォォォォォォ
男はそれをジャンプして躱す。
そのブレスの勢いは凄まじく、様子を見ていたニーナの下にまで届いていた。
「キャッ!?」
ニーナは咄嗟に頭を引っ込め、ギリギリで難を逃れる。
ニーナの悲鳴に気づき、見上げたミーナが見たものは、ニーナの頭上を覆う炎の海だった。
あまりの光景に治療の手が止まってしまった。
そして、こんな地獄のような場所から早く逃げ出さなければと、二人は頷き合う。
ブレスを躱した男は、そのまま石柱に飛び付き、それを足場に別の石柱に跳ぶ。そして、その石柱を蹴り飛ばし、破片をドラゴンにぶつけようとする。
ドラゴンはブレスを止め、尻尾を振り回し破片を薙ぎ払った。
男はブレスを止める為に石柱を蹴り飛ばしたようだ。
ブレスが止むと、ニーナは再び顔を覗かせた。
そこで見た光景は宙を跳んでいる男にドラゴンの尻尾が迫っているところだった。
「危ない!」
ニーナは思わず声を上げてしまった。ハッとし口を押さえたが間に合わなかった。
ずっと戦いを見ていたなら、声を上げはしなかっただろう。顔を覗かせた瞬間にその光景を見てしまっては、優しいニーナは条件反射で危険を知らせてしまう。それは褒められることであり、責められることではないだろう。
しかし、ニーナの声が届く頃には、男はドラゴンの尻尾に薙ぎ払われていた。
男は腕をクロスさせガードしていたようだったが、宙にいた為尻尾を受けとめきれず、吹き飛ばされてしまう。
男は石柱に打ち付けられ、その衝撃で石柱は崩れ落ちた。
男は瓦礫共々落下していく。
ニーナは焦りを見せはじめる。
男の息があるうちに、ドラゴンの注意がこちらに向いていないうちに逃げなければならないのに、今の一撃は致命的だった。そのうえ、瓦礫の下敷きになってしまっては、もう男は生きてはいないだろう。あの男がやられたら次は自分たちの番である。
ニーナの心に再び絶望が押し寄せてくる。
しかし、まだ希望は潰えてはいなかった。
ガラガラガラ……
瓦礫が押し退けられ、下から男が這い出て来た。
「イテテテ、油断した」
ニーナは愕然とする。
今のは確実に死んだと思っていた。人間がこんなに頑丈な生き物だとは知らなかった。これなら本当に災いをもたらすこともできるのではないかと恐ろしく感じる。今ここで共倒れになってくれることを切に願う。
ニーナがそんな事を願っていると、ミーナが声を掛けて来た。
「ニーナ、応急処置は済んだよ。そっちはどう?」
「うん、どっちもお互いを警戒してるからあたしたちが逃げ出しても気付かないと思う。行こう!」
ニーナがそういうと、ミーナはニーナの手を取り、出口に向かって駆け出して行った。
その間にも戦いは続いている。ドラゴンは追い打ちをかけるように、瓦礫から出てこようとする男にもう一度尻尾で強烈な一撃を打ちつけた。
地面を抉るような一撃は、男を打ち上げ天井に激突させる。そして、落下してきたところへ、もう一撃腕を振り下ろし、その鋭い爪を男を叩きつけた。
ザンッ
「ぐふっ!?」
男はふっ飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられ再び瓦礫の下敷きとなった。
ドラゴンは男が再び、起き上がって来ないかとしばらく待っていた。
しかし、男が出てくる様子はなかった。
邪魔者がいなくなったドラゴンは、メインディッシュである獣人の姉妹を捜しはじめる。
瓦礫が散乱し、どこにいるのかすぐには見つけられないと思われたが、思いのほかすぐに見つけられてしまった。
ドラゴンが先ほど微かに声の聞こえた辺りに視線を向けると、出口へ向け駆けていく後ろ姿を捉えたのだ。
ドラゴンは目を細めるとロックオンし、ズシンズシンと二人の後を追った。
二人は後ろから重い足音が近づいて来ていることに気付いた。
それはつまり、人間の男が死んだことを意味する。もう時間を稼いでくれる者はいない。後は自力で逃げ出すほかないのだ。
すでに見つかっているため、石柱に隠れるということもできない。二人は、死に物狂いで出口へ向け駆けていく。
しかし、子供の足では、ましてや怪我をした足では逃げ切ることなどできなかった。
二人はすぐに追いつかれドラゴンに回り込まれてしまう。
「そ、そんな……」
「ど、どうしよう……」
どちらが声を発したのかもわからない。ミーナ、ニーナの順なのか、ニーナ、ミーナの順なのか、はたまた二人ハモって発したのかもしれない。
だが、もうそんなことはどうでもよかった。ただ目の前に絶望だけが待ち構えていた。
二人は身を寄せ合いガタガタと震え、涙が溢れて来た。
度重なる邪魔を受け腹を空かせ過ぎているドラゴンは、先ほどのような前戯なしに二人を喰らいにかかってきた。
二人は目を閉じ、離れ離れにならないよう強く抱きしめ合った。来世でもまた一緒にいようと誓い合っているかのように。
そして、ドラゴン口が迫り、その息が吹きかかる距離にまで近づいて来たその時、
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」
という声が聞こえたかと思うと、二人は突き飛ばされていた。
「「キャッ!?」」
ドサッ
二人が眼を開いて目撃した光景は、二人の代わりにドラゴンに喰われていく男の姿だった。
「イ、イヤァァァァァァァァァァァッ!?」
ニーナは悲鳴を上げ、ミーナは目を見開いてその凄惨な光景を見つめていた。
ドラゴンは足をバタつかせる男を咥え上げ、顎を上げバクバクと口の中へと運んでいく。
そして、ゴクリと喉を鳴らし、飲み下した。
ゲフッ
ドラゴンは満足気にゲップを漏らす。
「……あたしはなんて……」
その光景を見てミーナはわからなくなった。人間は災いを招く者だと聞いていたのに、今自分たちを助け身代わりとなってしまった。人間は本当に恐ろしい生き物なのだろうか? そして、そんな人間を見捨て、見殺しにしてしまった自分は、なんて酷いヤツなのだろう。と自己嫌悪していた。
「……あたしのせいだ……」
ニーナは後悔していた。あのとき、男の言うとおりに隠れていれば、逃げ出そうなどとしなければ、男が喰われることもなかったはずだ……すべては我が身可愛さに男を見捨てた自分のせいだ。と自分を責めていた。
しかし、そんな自分に対する嫌悪も、後悔の念も、ドラゴンの前では何の意味もなさない。すべて噛み砕かれ飲み下されるだけなのだ。
二人は地べたに座り込んだまま立ち上がることもできずにいた。
そんな二人にドラゴンは近づいて行く。
前菜に男を喰らったおかげで腹に余裕ができたのか、目を細めじっと二人を見据えていた。お待ちかねのメインディッシュをどうおいしく喰らおうかと悩んでいるようだ。
すると、異変が起こる。
ドラゴンが苦しみ出したのだ。腹を押さえうめき声を上げはじめた。
Guruuuuuuuu
そして更なる変化が起こる。
Gugyaaaaaa……
ドラゴンは絶叫を上げ、のたうちまわりはじめた。
その異変に驚いた二人はハッと正気に戻った。そして、ここにいると巻き込まれると思い、ドラゴンから離れ石柱の裏に隠れる。
「どうしたんだろう?」
ミーナがボソリと呟く。
「わかんないけど、変なものでも食べたのかな? 雑食っていうし」
ニーナはそう呟いた。
二人はあまりの出来事に現実逃避気味な事を口にしていた。ドラゴンを気遣う必要はないと言うのに。
そしてドラゴンが喰ったものといえば、先ほどの人間だった。
人間って毒を持ってるのかな? 二人はそんな事を考えていた。すでに現実から逃げていた。そうでもしないと、精神が壊れてしまいそうだったのだ。無意識の自己防衛だった。
ドラゴンの暴れっぷりは次第に大きくなっていく。見ているだけで恐ろしく思えてくるほど暴れ狂っている。目は見開き、口は顎が外れるのではないかというほど開き、絶叫を上げながらよだれを吐き散らしている。ドラゴンは終始腹を押さえていた。
そして、どこからともなく声が聞こえてくる。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」
すると、
Gyaaaaaaaaa……
ドゥパッ
というドラゴンの絶叫が響き渡り、その腹が弾け飛んだ。
その衝撃でドラゴンは暴れるのを止め、ピクピクと体を痙攣させると動かなくなった。
二人はその光景を目を見開いて見ていると、愕然とする。
ドラゴンの腹の中から人間の男が出てきたのだ。
「うぅ~生臭い」
そんな間の抜けたことを口走っていた。
ドラゴンの腹は内側からズタズタに斬り裂かれている。この男が鱗のない、比較的柔らかい内部から攻撃していたようだ。
男は噛み砕かれることなく飲み下されていたのだ。それが幸いし生き延びたのだろう。
それにしてもこの男、これだけの事をしたというのに、ドラゴンの血肉がまったく付いていない。付いているのは羽を斬り落とした際の返り血のみだった。一体どうすればそんな芸当ができるのだろう? 二人には知る由もない事だった。
二人は生き残れたことに、ドラゴンが息絶えたことに喜びや驚きを抱くのではなく、ただただ放心し男を見つめていた。
その視線に気付いた男は二人に近づいて来る。そして手を伸ばしてきた。
二人はもうこの男に怯えてはいなかった。
しかし、どこか怒ってるっぽい。
二人はボーッと男の顔を見ていた。
すると、
コツンッ
「「イタッ!?」」
と声を漏らしてしまったが、さほど痛くはなかった。
男は二人の頭を軽く叩くとしゃがみ込み、目線を合わせる。
「ったく、出てくるなって言っただろ。もしものことがあったらどうするんだ!」
男は二人を叱り付けた。そして安心させるように頭を撫でる。
その手から優しさが伝わり、本当に心配して叱ってくれたのだと感じた。
そして、守ってくれたのだと認識し、生きていることを実感する。
二人はその優しさに触れ、緊張の糸が切れ、涙が止めどなく溢れ出した。
「「うえぇぇぇぇん、ごめんなさ~い」」
二人は男に縋り付き泣きじゃくりはじめ、尻尾はダランと垂れ下がっていた。
男は二人が泣き止むまで、安心させるように優しく背中を撫でていた。
そういえば、巨大な鳥はどうなったのでしょう?