ワイバーン戦、再び
城の中からワイバーンがズシンズシンッとこれ見よがしに地響きを鳴らし歩み出て来た。
「あ、ああ……」
汐音はワイバーンを前に硬直してしまった。
ワイバーンは足元で行く手を阻むように立ち尽くす汐音に気付き目を細める。
汐音はワイバーンにとっては取るに足らない存在のはずだ。そんなちっぽけな存在は気付かず踏みつぶして行くものだと思っていたが、こいつは目ざとく見つけていた。
今回はそれが幸いし汐音は踏み潰されずに済んだのだが、それで危機が去ったわけではない。
このワイバーン、こともあろうに汐音を見てよだれを垂らしている。エサとして見ているようだ。腹が減っていた為、踏み潰さなかったのだ。
しかし、よく見つけられたものだ。匂いでも嗅いでいるのだろうか? 確かに汐音からは良い匂いがするが……
などと考えている場合ではない。
ワイバーンが体を屈め、汐音に顔を近づけていく。よだれの量も増えているようだ。ボタボタと落ちてきている。このままでは汐音が喰われてしまう。
「汐音! 逃げろ!」
光輝は声を張り上げるが汐音は体が硬直し動けないようだ。
代わりに光輝の声に反応したのはワイバーンだった。
汐音に近づけようとしていた顔を持ち上げ、光輝へと向ける。
そして、まわりを見渡し、ここにいる全員を確認するように視線を泳がしている。
この時ワイバーンが何を思ったのかはわからない。
ただ、よだれの量がさらに増えたことは確かだった。
ワイバーンは胸が膨らむほど息を吸い込んだ。
光輝はハッとし声を張り上げる。
「麻土香! 障壁を張ってモニカ様たちを守れ!」
光輝は返事を聞く前に汐音に向け駆け出した。
ワイバーンは息を吸い込んでいるため上体をのけ反らせている。
(これなら間に合う)
光輝は汐音に手を伸ばしていく。
「う、うん!」
麻土香はすぐさま両手を地面につけ、魔力を注ぎ込む。
「石の壁!」
麻土香の前からモニカたちの前へ、彼らを守るように地面から一繋ぎの石の壁がそそり立った。
「光輝君! 汐音ちゃんを連れて早くこっちに!」
しかし、麻土香の声が光輝の届いたのと同時にワイバーンはファイアーブレスを吐き出した。
ゴォォォォォォォォォォ……
「汐音!」
光輝は立ち尽くす汐音を抱き寄せる。
麻土香の下へ戻ることはもう無理だった。
光輝は汐音を庇うように包み込み横に飛び退いた。
ブレスは汐音の目の前を通り過ぎ、石の壁に直撃した。
ゴォォォォォォ
ブレスはワイバーンの息が切れるまで吐き出され続けた。
ブレスが石の壁を焼き続けている中、汐音は硬直が解け体を起こしていた。
「うっ、私は……」
そして、状況を確認する。まわりを見て、体を包み込む光輝のぬくもりを感じ、自分がワイバーンのブレスから光輝に助けられたのだと思い出した。
しかし、助けてくれた光輝が起き上がらない。
すぐ近くから焼け焦げたような独特の嫌な臭いがする。汐音は予感がし、光輝へと視線を向ける。
「っ!? 光輝!」
光輝の背中は焼け爛れていた。
汐音の目の前をブレスが通り過ぎたあの時に、ブレスを受けてしまっていたのだろう。
「光輝! 光輝!」
汐音は取り乱したように光輝の名を連呼する。
「……うっ、くっ」
光輝は苦し気な声を漏らした。
「光輝! 大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、だ、大丈夫……」
光輝は汐音を安心させるために努めて平静を装う。その引き攣った微笑みはとても大丈夫には見えなかった。
「すみません私の為に……」
汐音は表情を暗くする。
「それより、回復してくれるとありがたいんだけど……」
「ハッ、そ、そうでした! すみません、すぐに回復します」
光輝に言われるまで回復の事をすっかり忘れていた。それだけ取り乱していたのだ。
汐音は光輝の背中に手をかざし、回復魔法を掛けようとする。
しかし、もう一つ忘れていることがあった。
ワイバーンが目の前にいると言うことだ。
ワイバーンのブレスはいつの間にか止んでおり。石の壁が焼け焦げ黒々としているのが目に入った。
そして、石の壁で遮られ、獲物が見えなくなったワイバーンは、麻土香たちから汐音たちへと狙いを変えようとしていた。
ワイバーンは鼻を鳴らし、光輝の背中から漂う匂いに誘われ顔をこちらに向けて来た。
よだれを垂らし、喉をごくりと鳴らす。
その視線は「今食べてあげるからね」と言っているようだった。
ここで回復をしている余裕はない。
そして、こんな狭い所では回避するのも難しい。下手をするとモニカを巻き込むことになる。
汐音は決断する。
「光輝! ここを離れます。私に掴まってください」
光輝からは返事はなかったが、構わずに抱き起す。
そして、自らに身体強化の魔法を掛けると、光輝に肩を貸し駆け出した。
城門を抜ける前、汐音は麻土香をチラリと見ると顎で合図し目配せする。
麻土香は二人の状況を見て頷いて見せた。
汐音はそれに頷き返すと、城門を出て東へと向かう。
目的地は演習場。モニカたちのいない広い場所へおびき寄せるつもりなのだ。
ワイバーンは光輝の匂いに誘われるように汐音たちの後を追って来ていた。途中城門にその巨体を引っかけていたが飛ぶことはせずに潜り抜け、ズシンズシンッと地響きを鳴らし歩いてくる。食するまでの過程を楽しんでいるようだ。
「光輝! もう少しだけ耐えて下さい」
汐音は光輝が意識を失わないように声を掛ける。
「あ、ああ……」
今度は何とか返事を返してくれた為、ホッとした。
回復は麻土香が合流してからになるが、光輝の体力なら持ちこたえられるだろう。
麻土香にちゃんと伝わったのか心配ではあるが、汐音は全力で駆け抜けていく。
人の気配もなく、生い茂っていた植物もなくなった道をひたすら駆け抜ける。
演習場に着くと、すぐ左脇にある建物に身を隠した。
ここは変異植物を集めるときに麻土香と隠れていた備品庫のような建物だった。中には木刀や防具といった稽古に使う道具が収められていた。木刀に混じり真剣も混じっているようだ。
汐音は光輝を座らせると、外の様子を窺う。
ワイバーンは演習場に入ると、そのまま真っ直ぐに奥へと向かった。
回復するチャンスかと思ったが、ワイバーンは汐音たちの姿がない事を確認すると、すぐさま振り返り鼻を鳴らしはじめた。
スンスンッ
「なに?」
汐音はワイバーンの挙動に注目する。
鼻を鳴らし、顔をキョロキョロさせている。光輝から漂う匂いを探しているようだ。
しかしこの場所は、先ほど変異植物を焼き払ったばかりだ、まわりは焼け焦げた臭いが充満している。見つけ出すには時間が掛かるだろう。
今度こそチャンスと思った汐音は、麻土香の到着を待たず、光輝の回復をはじめる。
傷が治ってしまえば匂いも薄らぎ、さらに見つけずらくなると考えたのだ。
しかし、腹を空かしたワイバーンの鼻はかなり敏感になっていた。どんな微かな匂いだろうと嗅ぎ分けられるだろう。
ワイバーンは鼻を鳴らしながら歩きはじめる。光輝の匂いを見つけたわけではないようだが、演習場を回りながら匂いを嗅ぎ分けようとしているようだ。
汐音は地響きを感じながら回復を続ける。
「(大丈夫、まだ遠い。間に合うわよ。大丈夫、大丈夫よ、落ち着いて、大丈夫……)」
自分を落ち着かせるように、信じ込ませるように言い続けている。
ワイバーンの地響きは尚も続いている。
遠くにいたと思われていた足音は演習場を時計回りに進み、入り口を過ぎ、次第に近づいて来ていた。
「(早く、早く治って!)」
汐音は目を閉じ祈る思いで回復を続けていた。
すると、
ガシッ
汐音は腕を掴まれた。
汐音はハッとし、自分の腕を掴む者へ視線を向ける。
「光輝……」
「汐音、僕が押さえている間に麻土香と合流しろ」
光輝はそういうとヨロヨロと立ち上がる。
光輝の火傷はまだ治ってはいない。こんなボロボロの状態で何ができると言うのだろう。
「ダメです。まだ治しきれていないのですよ。そんな体ではまともに戦うことなんてできませんよ!」
「大丈夫だ! 汐音の回復をよく効くからもう動けるよ」
光輝は微笑みを向け大丈夫だと見せつける。
しかし、脂汗を掻いているのが見て取れる。痩せ我慢をしているのが見え見えだった。
「痩せ我慢しないでください。大丈夫ですから。麻土香さんならモニカ様を非難させてすぐに来てくれます」
アイコンタクトが通じていれば、きっとそうなるはずだ。
「しかし……!?」
二人が言い争っていると、地響きがすぐ近くで止まった。
二人は顔を見合わせ地響きが止まった方へと視線を向ける。
ドッガァァァァァァァァン
「うわっ!?」
「キャッ!?」
爆発音にも似た音が鳴り響くと、建物の屋根が吹き飛ばされていた。
ワイバーンの体がくるりと回転しているのが目の端に映った。尻尾を振り回し屋根を吹き飛ばしたようだ。
ワイバーンは屋根の無くなった建物をのぞき込む。
その視線と合ってしまった。「みぃつけた」と言っているようだった。
その児戯を楽しんだ後のような目は、ご馳走にありつける喜びに代わり、目を細めている。
光輝は汐音を庇うように立ち、剣に手を掛け、ジワリジワリと後ずさる。
今のボロボロの光輝ではワイバーンの鱗を斬り裂くほどの力は出せない。
喰いついて来たところを剣で喉を突き刺すくらしかできないだろう。
光輝は相打ちを覚悟していた。
光輝の思惑など知る由もないワイバーンは、大口を開けて光輝たちを丸かじりしようとする。
光輝の剣を握る手に力が籠る。
「っ!?」
光輝が剣を抜こうとした時、
ヒュンッ
光輝のすぐ横から何かが飛び行き、ワイバーンの口の中に吸い込まれて行った。
Gyaaaaaaa
大口を開けていたワイバーンはその大口のまま絶叫を上げのけ反っている。
「大袈裟な、あの程度、喉に魚の骨が刺さったようなものでしょう」
光輝の後ろからこんな声が聞こえて来た。
もちろん、この綺麗な声は汐音のモノだった。
「汐音……」
振り返ると、弓を持った汐音がワイバーンを見据えていた。
どうやら、喰いついて来たところを貫こうとしていたのは光輝だけではなかったようだ。
今のワイバーンは戦闘中ではなく食事をしようとしていた為、喉の奥には炎はなく、矢は燃え尽きることなく喉に突き刺さったようだ。
「光輝! 今のうちに」
汐音は光輝に肩を貸し、建物から出て行く。屋根がないから変な感じだが、律儀にもちゃんと扉を開けて出て行った。
横目でワイバーンの様子を見ると、
ワイバーンは矢を吐き出そうと、まるでタンでも吐くかのように喉を鳴らしていた。
Gaaaa、Gaaaa……
そして喉に刺さる異物が取れない事に苛立ったのか、息を吸い込むとファイアーブレスを吐き出した。
ボォォォォォォォ……
きっと今のブレスで喉に刺さった矢は燃え尽きたことだろう。矢を取り除くためだけにブレスを吐いたのだ。大げさすぎるだろう。
人間でも魚の骨を取るのにブレスなど吐かない。ご飯を丸のみするくらいだろう。
ブレスなど吐けないのだから当たり前なのだが、もし吐けるのであれば同じことをするのだろうか? 一度くらいを試すかもしれないが、その都度部屋がボヤ騒ぎになりそうだ。
まったくもって、やることが大雑把だ。
野生のドラゴンなら仕方がないのだろう。飼いならされたドラゴンなど知らないのだけれど。
矢を取り除いたワイバーンは、怒りの形相で、建物の中を覗き込む。
すでに逃げられていることに気付き、さらに怒りを増す。
キョロキョロまわりを見渡し、反対側、演習場の奥へ逃げていく光輝たちを見つける。
Gyaaaaaaaaaa
ワイバーンは咆哮を上げ、ズシンズシンッと地響きを轟かせ二人を追いはじめる。
今度は遊びではなく、確実に殺し喰らう勢いだ。
背後から肌を刺さすような殺気に気付き、二人は振り返る。
「「っ!?」」
声にならない悲鳴を上げ、逃げる足を速めていく。
しかし、負傷した光輝に肩を貸しながらの逃亡だ、怒り狂っているワイバーンとでは勝負にならない。
二人はあっという間に追いつかれてしまった。
ワイバーンは二人に追い付くと、なんの躊躇いもなくその鋭い爪を振り下ろした。
「くっ!?」
光輝は覚悟を決め、剣で応戦しようとした瞬間、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
ズガッ
Gugyaaaaaaa
ワイバーンは突如地面からそそり立ってきた石柱に顎を打ち上げられていた。
「麻土香さん!?」
汐音は麻土香が来てくれたのだと思いその姿を探す。
しかし、近くには見当たらない。
「あそこだ」
光輝は痛みに顔を歪めながら指差した。
演習場の入り口付近、かなり遠くに腰が引けている様子の麻土香がいた。
「こ、ここからは、私が相手をしてあげるわ!」
麻土香は戦々恐々としながらも啖呵を切っていた。
光輝、お荷物になる。
汐音を庇ったから仕方がないんだけど。