闇を吐き出す者
「え? 五十嵐君、今なんて……?」
汐音は、アキがドラゴンへ向け突進していく前、ルゥについて叫んでいた言葉に引っ掛かりを覚えた。アキは「よくもルゥを」と言っていた。
汐音は胸騒ぎがし、辺りを見渡した。しかし、特に変わったものは見当たらなかった。アキがここに来ているというのにいるべき者たちがいない。アキに付いて行ったカレンも、二人の後を追って行ったルゥの姿も見えない。カレンはどこか物陰に隠れているかもしれないが、ルゥはそうもいかない。あの巨体にあの目立つシルエット、隠しようがないだろう。
それなのに姿が見えない。そしてアキのあの怒りよう。ルゥの身に何かあったとしか思えない。
「ル、ルゥちゃん……ハッハァハァッ」
汐音は最悪の事態を想像し、呼吸を荒くし回復の手が緩む。
「汐音さん? どうしたんですか?」
汐音の異変に気付いたサラが声を掛ける。
しかし、汐音は放心したように一点を見つめ動かない。
こんな汐音は見たことのないサラは焦ったよう声を上げる。
「汐音さん! しっかりしてください!」
汐音はピクリと反応するとフラフラと視線を泳がせる。
「え? サラさん?」
焦点が合っていないような汐音を心配し、サラは汐音の目の覗き込み視線を合わせて訊ねる。
「汐音さん、どうしたんですか? どこか痛むのですか?」
突然様子がおかしくなった為、そう訊ねるほかなかった。この付近に汐音の様子が変わる原因となるものは何もなく、汐音自身に何かあったと考えるほかなかったのだ。
汐音は口を力なく動かし、弱々しく声を発する。
「五十嵐君があんなに怒ってる……ルゥちゃんに何か……う、うぅぅ」
汐音はそういうと口元を押さえ、嗚咽する。
サラはチラリとアキを見る。
アキはものすごく怒っていた。
アキはいつも優しく微笑み、誰かを守るために一生懸命で、辛そうな顔は見たことがあるけれど、あんなに怒っているところを見たことがない。
サラはアキとの思い出を引っ張り出して照合して見るが、やはりそのような記憶はない。
あれほど怒るなんて、それこそ何か大事なものを奪われでもしない限りありえないのではないか?
サラはそう思い、汐音が「ルゥの身に何かあったのではないか」と考えているのだと気付いた。
「汐音さん、気をしっかり持ってください。まだそうと決まったわけではないでしょう? カレンさんとどこかでお留守番してるかもしれないですし。後でアキに聞いて迎えに行きましょう。だから、今は出来ることに集中しましょう」
「……はい」
汐音は一応は返事をし回復に戻るが、やはり回復に力がない。納得は出来ていないようだ。
それでも何もしていないよりは気は紛れるだろう。
サラは心配そうに汐音を見つめ、回復に魔力を注ぎ込む。
サラはアキをチラリと見て思う。
(アキ、一体何があったんですか?)
アキは地面を蹴り、一気に間合いを詰める。そして、突進してくるドラゴンの右足を狙い気を纏わせた右拳を打ち込んだ。
「ぅらっ!」
ドゴッ
インパクトの瞬間、アキの拳を覆う気に闇が溢れ出し、重低音を響かせ弾けるとドラゴンにダメージを与える。
Gugyaaaaaa!?
ドラゴンはその衝撃に咆哮を上げる。そして、足を殴られたことにより、つんのめり前方に倒れ込んでくる。
アキは落下地点に移動し待ちかまえ、気を纏わせた左拳を引き絞る。落下に合わせて打ち上げるつもりでいた。
「その左目も貰う! うおぉぉぉぉぉぉ!」
アキはドラゴンの左目めがけて跳び上がっていく。
しかし、ドラゴンも黙って目を奪われはしない。何せ残り一つの目、死に物狂いで死守しに来る。
ドラゴンは息を吸い込み、間近に迫るアキにカウンターでファイアーブレスを浴びせた。
ゴォォォォォォォォォォ!
アキはファイアーブレスを見た目無防備に受け、地面に押し戻される。
そして地面につけて、体を支えるはずだった左手でアキを薙ぎ払う。
ブゥンッ
ガツッ
ドラゴンの一振りがアキを捉えたかのように見えた。
しかし、アキには届いていなかった。
アキは、ブレスが吐き出された瞬間、振り上げた左の拳を引っ込め気の障壁を展開しブレスを防いでいた。そして地面に降り立つと、迫るドラゴンの左手に引っ込めた左拳を打ち込んでいた。
インパクトの瞬間に闇が溢れ出し弾けると、ドラゴンの左腕を弾き返す。
Gugyaaaaaa!
左腕は弾かれ、右腕は矢が刺さり動かせない、体を支えるモノが無くなったドラゴンは、重力に逆らえず、アキの待ち構える場所に倒れ込んでくる。
ドラゴンの目には獰猛に嗤うアキの姿が焼き付いた。
「つぅぶぅれぇろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
アキは右拳に気を纏わせ、憎しみを籠め渾身の力で振り上げた。
ドラゴンは左目に迫るアキの右拳をカッと見開いた目で見据えると、動かせないと思っていた右腕を振り回してきた。
ドガッ
完全に不意を突かれたアキは気の障壁を張る間もなく直撃を受け、吹き飛ばされた。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
ドザッ、ズザザザザザザ……
アキは地面に体を打ちつけ転がっていく。
ズズゥゥゥン
ドラゴンはアキを吹き飛ばした右腕を下敷きにし、地面に体を打ちつけた。
Gugya!?
アキはヨロヨロと立ち上がると、怨嗟を絞り出すようにブツブツと呟いていく。
「クソッ! 殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤル殺してヤルゥゥゥゥ!」
それはまるで呪詛のようだった。
『(あぁん、アキィ! すごい、すごいよぉ、僕の中にズンズンくるよぉ……もっと、もっとぉ)』
頭の中に恍惚としたアルスの声が響いていたが、今のアキには聞こえていなかった。
「うがぁぁぁぁぁっ!」
ドガッ
アキは地面を蹴り、左腕で体を支え立ち上がろうとするドラゴンへ向け駆け出して行く。
蹴り出した地面は軽く抉れ、土煙が後方に吹き飛んでいく。
アキは一気に間合いを詰めると、ドラゴンの左腕を蹴り飛ばす。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
ドガッ
ドラゴンは再び倒れ込み、アキはその顎をめがけて拳を打ち上げた。
「ぐがぁぁぁぁぁっ!」
ドパッ
その拳は気が覆われていなく、拳の前面に障壁として展開されていた。
インパクトの瞬間濃密な闇が吹き上がり、ドラゴンの顎を打ち上げた。
Guu!?
ドラゴンの顎が浮くとアキはさらに連続で打ち上げていく。
「うがぁぁぁぁぁっ!」
ズガズガズガズガズガッ
ドラゴンの体は少しずつ打ち上げられていく。
しかし、ドラゴンの鱗を貫通することは叶わず、ドラゴンの憎しみに染まる目はアキを捉えて放さない。
ドラゴンは成すがままに打ち上げられ、それを利用するかのように立ち上がる。そして、そのまま体を捻り尻尾を振りまわした。
ドラゴンを打ち上げることに集中していたアキは障壁をそちらにまわすことができなかった。
ズドンッ
ドラゴンの尻尾がアキを捉えたかに見えたが、そこにアキの姿はなかった。
尻尾が直撃する瞬間、アキは即座にディバイド(旧ステ振りマスター)を使い、魔力を脚力に全振りし回避していた。
先ほどまでは、戦いに必要な箇所に均等に魔力を振り分け、気で筋力を活性化させ戦っていた。要所要所でディバイドを使っていたが、全力で使ったのはずいぶんと久しぶりだった。いや、随分どころかリオル村での魚人との戦い以来かもしれない。修行はしていたが、あの後、シルフィの力を借り、気の使い方を覚え、今はアルスとウィンディの力を借りている。
アキは今一度全力で「ディバイド」使うことを決意する。
「おぉぉぉぉぉぉっ!」
アキは気を体に纏い、体内で魔力移動を繰り返し、ドラゴンへと駆け出して行く。
フッ
ドズッ
アキの姿が消えたかと思うと、ドラゴンの右足が殴り飛ばされる。
フッ
ドズッ
再びアキの姿が消えたかと思うと、ドラゴンの尻尾が殴り飛ばされる。
ドラゴンが左腕を振り下ろし爪で斬り裂こうとすると、
フッ
ズガッ
アキの姿は消え、爪はアキではなく地を斬り裂く。
「ヴガァァァァァァッ! 双拳乱舞ぅぅぅ!」
アキがそう吠えると、アキの姿は掻き消え、現れては殴り、殴っては消え、残像を残しヒット&アウェイでドラゴンの体を殴りつけていく。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇ!」
ズドズドズドズドズドズドッ……
今のアキは気配によりドラゴンを感知しているため、視界もおぼろげで、においも感じられず、耳に聞こえる音も遥か遠くの音のようで聞き取れなくなっていた。
だから余計に気になる。先ほどまで聞こえていなかったものが今はハッキリと頭に響く。
『(アァァン、アキィ、もうダメ、ダメダメェン、すご過ぎるよぉ、これ以上はぁ、僕もう、くぅぅうん……ア、ア、アァァァァァッ)』
『(……)』
「(……)」
アキは卑猥な声を聴き、あまりにもこの場にそぐわない声だった為毒気を抜かれてしまい、負の感情供給がストップしてしまう。
次第にアキの拳から力が失われていく。
「くっ、まずい……」
攻撃途中だったアキは動きを止めてしまった。
『(……あ、アキィ? どうしたのぉ? もっと、もっと頂戴、アキの黒くて濃いぃのがもっとほしいのぉ)』
アルスが若干壊れつつあるようだが、それに構っている暇はない。
アキに殴りつけられていたドラゴンが怒りを露わにし、怨嗟の籠った眼をアキに向けている。
Gyaaaaaaaa!
ドラゴンは止まっているアキを左腕で薙ぎ払った。
ドスッ
「ぐぅ!?」
ズザザザザザザ……
気の障壁によるガードが間に合わなかった為、魔力を一点に集中し防いだが、吹き飛ばされ地面に体を打ちつけられダメージを受けてしまった。
「ぐ、う……」
人間風情にここまで醜態をさらされて、誇り高きドラゴンのプライドはズタズタになってしまったのだろう。
ドラゴンは怒りに我を忘れているのか、アキの事が見えなくなり闇雲に腕を、尻尾を振り回し暴れまわっている。
そして、憎しみをぶつける人間を求め汐音たちの方へと進みはじめた。
汐音たちはカルマの回復が終わったのか、カルマを汐音と風音が支え、消耗しきったシルフィをサラが支え退避しようとしている最中だった。そのため、反対方向を向いていてドラゴンの動向に気付いていないようだ。
アキの脳裏にサラたちがドラゴンに蹂躙される光景が過る。そして再び負の感情が沸き起こった。
「うおあぁぁぁぁっ! 俺の女に手ぇ出すんじゃねぇぇぇっ!」
アキは地面を蹴り、一気に駆け出して行く。
『(あはっ、アキィ、イイ、イイよぉ、もっとぉ)』
アルスは順調に壊れていた。
アキは背後から接近し、ドラゴンの左足を裏から殴りつける。
「うがぁぁぁぁぁっ!」
ドズッ
Gugyaaaaaa!
ドラゴンはよろめき進行が止まる。
アキはドラゴンの体を駆け上がりつつ叫ぶ。
「ウィンディィィィ! みんなを守れ!」
『はい!』
サラたちの前に風が立ち昇ると、ウィンディが姿を現す。
『あなたは!?』
シルフィがウィンディを目の当たりにし、鏡でも見ているのかと思えるほど似通っている姿に驚愕の表情を見せる。
『私はアキの意思に従うだけです』
ウィンディはシルフィを見据えそう告げると、サラたちを守るように風の障壁を張る。
『はぁぁぁぁぁっ!』
ドラゴンは風の障壁を破壊しようと爪で斬り裂き、炎を吐き攻撃していく。
ドラゴンの揺れに翻弄されつつ、アキはドラゴンの頭部へ登り着く。
アキはドラゴンの頭部に触れ頭の中に語り掛ける。
ドラゴンの頭の中ではなく、自分の頭の中へだ。
「(アルス!)」
『(……ハァハァハァ、な、なぁにぃ?)』
なんだかぐったりしたような声が聞こえるが構わずにつづける。
「(アルス、もっと負の感情が欲しいんだよな?)」
『(え? これ以上貰ったら僕壊れちゃうよぉ)』
(もう十分壊れていた気もするが……)
「(遠慮するな。まだ戦いは終わってないんだ。もっと欲しがれ)」
『(うん、アキがそういうなら、僕頑張ってアキの黒くて濃いぃの、アキの愛をいっぱい受けとめるね)』
負の感情に愛などないのだが。
「(いや、愛はないと思うぞ、それに俺のじゃないし)」
『(え? どういうこと?)』
「(ドラゴンがため込んだ負の感情を吸い出せ!)」
『(えぇぇぇっ!? 僕にアキ以外のモノを吸えって言うの!)』
もう言い方がダメだった。
「(その言い方をやめろ! もう俺の前に他のヤツのをいっぱい食ってんだろ!)」
『(酷いよアキ! 僕の事そんな尻軽みたいに思ってたの!?)』
「(尻軽って、どこで覚えたそんな言葉! つべこべ言わずに吸い出せ! 時間がねぇんだよ!)」
『(えぇぇぇん、僕汚れちゃうよぉぉ)』
(いやいや、お前もう真っ黒だろうが……)
アキの掌から闇が吹き出ると、ドラゴンの頭にピタッと貼り付く。そして、何かを吸い出すように脈動しはじめた。
が、数秒で脈動がピタリと止まる。
『(うっ!? まずっ! アキィ、これマズイよぉ。なんか臭いしイヤだよぉ)』
「(味すんのかよ!? てか、我慢しろ! イヤならすぐ終わらせればいいだろ)」
『(う、うん……)』
アルスは再び嫌そうに吸い出しにかかる。
闇の脈動のリズムが早くなる
すると、ドラゴンの動きが緩やかになっていく。怒りで頭に血が上っていたのが、負の感情を吸い出されることにより、冷静さを取り戻しはじめたようだ。
それに伴い、頭上の違和感に気付いてしまった。
すなわち、自分の頭の上でアキが何やらしていることに気付いたのだ。当然よくない事をしているのだと思ったのだろう、ドラゴンはアキを振り払おうと、頭を振り、左手で払い除けようとする。
「うわっ!?」
アキは身を屈め、ドラゴンの頭にしがみ付きそれに耐える。
「(おい! アルス! まだ終わんねぇのか!)」
アキはしびれを切らしたように呼び掛ける。
『(………………んぐ、ぶはぁっ、ハァハァハァ、うえぇぇぇぇ気持ち悪いよぉ)』
アルスの声は本当に気持ちの悪そうな声だった。
アキはなんだか悪い気がしてきた。
「(わ、悪かったな。それで、どうだ?)」
アキは闇の溜まり具合を尋ねた。
『(僕、汚れちゃった……僕が受け入れるのはアキのモノだけって決めてたのに……ぐすん)』
アルスはそれどころではなかった。アキ以外のモノを吸い出す羽目になりショックを受けていた。
アキもそれどころではない。いつドラゴンに掴まるかもわからないのだ。
「(んなもん、そこらへんの瘴気も吸い込んでるだろ! いいからどのくらい溜まったのか教えろ!)」
『(よくないよ! 僕汚れちゃったんだよ! アキ責任とってよね!)』
アルスは憤慨し、アキに責任を求める。アルスの思考は明後日の方向へと突き進んでいるようだ。
アキの心は折れてしまった。
「(わ、わかったから、後で俺のを食わしてやるから、な? 機嫌直して教えてくれよ)」
『(……ホント? 本当に、アキのを僕の中に注ぎ込んでくれるの? 黒くて濃いぃのだよ?)』
「(その表現はあれだけど、ああ約束する)」
『(わぁぁい、約束だからね)』
アルスの機嫌はあっさり直った。
「(で、どうなんだ?)」
『(あのね、このトカゲ野郎、随分と溜まってたから、短い時間なら全力でいけるよぉ)』
トカゲ君からトカゲ野郎に変わっていた。相当嫌だったのだろう刺々しい言い方だった。
「(そうか、無理させて悪かったな。ありがとな、アルス)」
『(うん! 約束忘れないでねぇ)』
アルスを何か遠足前の子供ようなウキウキした声で言った。
「(お、おう)」
アキは意識を外に戻した。
ドラゴンの手が再びアキを振り払おうとしていた。
アキは上空へ跳び上がり、ドラゴンの手を躱す。
そして、闇を吐き出した。
「おぉぉぉぉぉぉっ! ぶっ殺してやるぅぅぅっ! 来い! アルスゥゥゥッ!」
なぜかアルスの返事はなかったが、アキの体からはちゃんと闇が溢れだす。
闇はアキの体に纏わりつき、凝縮し濃密になると形を成していく。
闇は闇の衣となりアキを覆った。
闇の衣を纏ったアキはドラゴンの見下ろし、ドラゴンはアキを見上げる。
その場の皆はアキの変貌ぶりをただ黙って見つめていた。
その光景は、闇の王が降臨したかのようだった。
外の世界とは裏腹に、
『(あぁん、アキィ、いきなりくれるなんて聞いてないよぉ、不意打ちだよぉ)』
アキの頭の中では悶えるようなアルスの声がこだましていた。
返事がなかったのはこの為だった。
アルスのエロ回ですね。でもアルスは女の子ではありません。男でもないですが。
アルスがいる限り、アキはシリアスにはなりきれないようです。