ストーカー疑惑
アキが目覚めると扉をノックする音が部屋に響いた。
サラが扉を開き応対すると、嵐三が扉の前で立っていた。
嵐三はサラに促され部屋に入ってきた。
「なんだ、じいちゃんかよ。さっさと入ってくればいいのに」
嵐三はいつもならお構いなしにアキの部屋に入ってくる。その嵐三がらしくないことをしていることにアキは訝しく感じていた。
「あ、うむ、まあなんだ、お邪魔しては悪いと思うてのう」
嵐三は意識してアキとサラを交互にチラチラ見て言った。
その言葉で察したアキは目を鋭くし言い放つ。
「このエロジジィ! 何考えてんだ!」
「ほっほっほっ、若いもん同士じゃからのう無きにしも非ずじゃろ?」
嵐三はニヤニヤいやらしく笑う。
サラは顔を赤くし俯く。
「まあ、冬華がいてはそれも無理じゃろうがのう」
嵐三は冬華へ視線を向け微笑みかける。
「お兄ちゃん、風音にご飯全部食べられちゃうといけないから私先行ってるね」
「ん? おう」
冬華はアキの返事を聞くと足早に部屋を出て行った。
嵐三は冬華の背をチラリと見るとアキへと視線を向ける。
「それにしてもよう寝ておったのう。というか寝すぎじゃろう。丸二日も寝おって」
「仕方ねぇだろ、寝不足だったん……は? 二日?」
アキは聞き間違いかと思い聞き直した。
「うむ、二日じゃ」
やはり二日だった。聞き間違いじゃないようだ。
アキはサラへ視線を向けると、念の為再度確認する。
「はい、昨日の晩も、今朝も起こしたんですけどアキ起きなくて、昨日アキが眠ってから一日経ってますので丸二日寝ていたことになりますね」
サラは悪くもないのに申し訳なさげに表情を曇らせる。
「マジか……あ、別にサラは悪くないから気にしなくていいよ。にしても二日か……」
アキは窓の外を見て昨日見た空の色と同じことを確認する。
いくら寝不足でもこれは寝すぎだった。
昨日起きた時点では怪我もなく疲労も特になかったはず、あの悪夢のせいなのかとアキは疑っていた。
アキは無意識に険しい表情になり自分の体へ視線を向けていた。
その様子を訝しく思い、嵐三は目を細めてアキを観察していた。
アキは考えても仕方がないと思い、おもむろに口を開いた。
「じいちゃん、冬華と喧嘩でもした?」
「な、ななな、何を言うとる、そそそんなことないわい!」
いきなり投げかけられた言葉に嵐三は目を見開き、観察していたことを忘れ挙動不審になる。完全に動揺していた。
滅多なことでは動揺しない嵐三も、冬華の事となると動揺を隠しきれなくなる。昔からそうだと知っているアキは図星なのだと確信した。
「なに? またなの? またしつこく纏わりついちゃった? ダメだよ~、嫌がる子にしつこく付き纏ったら~」
アキはまるでストーカー犯を尋問するかのように問い詰める。
「ワシをストーカーと一緒にするでないわ! ワシの冬華への愛は、ちゃんと冬華に伝わっておるわい!」
嵐三は冬華が愛を受けとめているのだと主張する。
「ハイハイ、ストーカーはみんなそう言うよ。今の見てなかったの? 彼女、完全に避けてたよね? あんたの愛は迷惑だって言ってるんだよ彼女は!」
アキは取り調べする刑事風に言った。
「そんな、そんな事ないんじゃぁ! 冬華はワシを愛しているとゆーてくれたんじゃぁ!」
嵐三は涙ながらに相思相愛だと主張する。
「はぁ、ちょっと優しくしただけでそこまで想われちゃあ、彼女も迷惑だっただろうに。もうこんなことはやめなさい。もう近づくんじゃないぞ」
アキは嵐三の肩に優しく手を乗せた。
「冬華ぁぁぁぁぁ!」
嵐三は泣き崩れた。
一連のやり取りを黙って見ていたサラは引いていた。
サラの中のアキのイメージが崩れていった。このようなアキは以前のアキには見られなかった。これではまるで冬華だった。
サラはこのアキも偽者なのではないかと疑いはじめていた。
「はぁ……突っ込み不在じゃあ不毛過ぎるな」
アキは溜息を吐いてストーカーコントを終了した。
「そうじゃな、冬華がおらんとつまらんわい」
嵐三は寂しげに立ち上がった。
二人の急な戻りっぷりにサラはまたしても引いていた。
「で、なにがあったの?」
アキは改めて訊ねた。
「……」
嵐三は口を噤んで話そうとはしない。
アキは、またどうでもいいようなことで喧嘩したんだろうと思っていた。
例えば、「冬華ぁワシとも一緒に寝てくれんか?」とか、「久々にじいちゃんと一緒に風呂はいらんか?」とか、「好きな男ができたのか!? 許さんぞ! どこのどいつだワシの冬華をたぶらかしたヤツは!」とかじゃないかと思っていた。
そんなことを考えていると、アキは嵐三の冬華愛にうんざりしてきた。
「はぁ、なんかどうでもよくなってきた」
アキは聞くのを止めようかと思いはじめた。
「なんじゃそれは! まだ何にも言っておらんというのに!」
嵐三は冷たい対応のアキに物申した。
「あ~はいはい、話す気あるなら聞くよ~」
アキは耳をほじりながら、やる気なさげに言い放った。
「じいちゃんを雑に扱うなぁ! 寂しいじゃろうが!」
嵐三は大好きな孫に雑に扱われ涙目になる。
そんな嵐三がなんだか可哀想に思えてきたサラが口を開いた。引いていただけにそう思えるようになるまでに幾分かの時間を要してしまった。
「あの、アキ? 聞くだけでも聞いてあげましょうよ」
なんだか立場が逆になってきている気はするが、誰もそこには触れなかった。
サラの言葉にパァッと顔を明るくし嵐三はサラの手を取る。そして感極まったように口を開く。
「空雄の嫁さんは優しいのう。空雄に泣かされたらワシに言うんじゃぞ。すぐに殴り飛ばしてやるからのう」
「は、はあ……」
嵐三の豹変ぶりにサラは嫁さんという単語に動揺する間もなく再び引いていた。冬華のそれは血筋なのだとサラは確信した。
ここまで誤魔化すとなると余程言い難いことなのかとアキは勘ぐった。
「俺には言い難いことなのか? だったら聞かねぇけど」
嵐三はサラの手を放すと、真剣な表情になりアキへと視線を向ける。
その変貌ぶりにサラはビクッとした。
嵐三は観念したのか重い口を開き話はじめる。
「……うむ、お前に隠しても仕方ないのう。先の戦いで、ワシはお前を止めようと拳を交えた。それは覚えておるか?」
「ああ、ちゃんと見てたぞ」
「見てた、か」
この言葉で、あの時アキが体を乗っ取られかけ体の自由が利かなかったのだと確認ができた。
「……戦いの最後、このままではお前を奪われると思い、ワシはお前を……殺す気で攻撃した」
「!?」
嵐三の告白にアキは表情を険しくし、サラは言葉を失った。
アキは目を閉じ思い出す。あの時の事を、あの時のアルスの言葉を……
『このままだと取り返しのつかないことになっちゃうよ?』
アルスはそう言った。「殺される」ではなく「取り返しのつかないことになる」と言った。確かにあの時サラが飛び込んできたから、サラの命が危なかった。しかし、その言葉を聞いたのはその前だ。だとすると戦っていた嵐三ということになる。……アルスは嵐三が何をしようとしていたのかをわかっていたのかもしれない。
アキにも思い当たる節はあった。気の性質を考えれば容易に想像はついた。伊達に気の修行をしてきたわけではなかった。
アキは目を開くと嵐三に訊ねる。
「本当に殺す気だったの? 本当に? それだけ?」
嵐三はアキの言葉に驚愕し言葉に詰まった。
アキが何を知っているのかと、何を見抜いたのかと……
あの時、嵐三はアキを殺す気だった。それは本当だ。しかし少し違う。一時的にそうなるというだけだ。あの時のアキの気は瘴気に蝕まれていた。その気を剥ぎ取るということはアキを殺すということ。嵐三は自らのありったけの気をぶつけ相殺し、気が空っぽになったアキへ自分の気を流し込み蘇生させようとしていた。アキよりも気に熟知していた嵐三にしかできない事だった。それを実際に行っていれば、嵐三は命を落としていただろう。アキが自らの力で瘴気を払い除けられた為、それを回避できたのだ。
それを気を扱いはじめて間もないアキがもう見抜いたのか? 嵐三は見定めるような視線をアキへと向けていた。
「……!?(気のせい、か?)」
嵐三は一瞬何か違和感がしたが、あまりにも一瞬の事で気のせいだと呑み込んだ。
嵐三の言葉につまる様子を見て、アキは殺すのではなく救ってくれるつもりだったのだと理解した。
「じいちゃんもいい年なんだから無理すんなよな。冬華もちゃんと話せばわかってくれんだから、 本当の事が言い難いなら適当に言っとけよ。まあ、本当の事言った方が冬華の愛をゲットできると思うぞ」
アキの冗談には乗らず、嵐三は真剣な表情のまま訊ねる。
「あの時、どうやって瘴気を払い除けたのじゃ? どう見ても無理であったじゃろう」
「……火事場の馬鹿力的な? 死ぬ気になるとなんでもできるもんだよな、まさに人間の神秘!」
明らかに誤魔化しているのが見え見えだった。
「空雄、お前は何を知っておるんじゃ? お前は……」
嵐三は何を隠しているんだと言いかけ、口を噤んだ。アキが誤魔化すときは、大抵嘘をついて本当の事は話さないとわかっていたからだ。
「ん? 俺は何も知らねぇよ。知ってるのは気の性質を少しだけかな」
アキは微笑みを浮かべて言う。嵐三に悟られないために……
アキは嵐三との話を終えると、サラに連れられ少し遅い昼食を摂りに食堂へと向かった。
昼をだいぶ過ぎていることもあり人はあまりいなかったが、人でごった返しているよりかはゆっくりできていい。とはいえ視線は感じた、ビシビシ突き刺さるのを感じた。きっとサラファンクラブの連中だろうと思い、アキはおとなしく食べてさっさと退散しようと食を進めた。
アキが食べている間、サラは終始観察するようにアキを見ていた。
サラはもう二度と騙されないよう、用心深くなっていた。まだ嵐三とのやり取り(ストーカーコント)を引きずっているようだ。
アキはそんな事とも知らず飯をかき込んでいた。
「ここの飯うまいね」
「そうですね。腕のいい料理人を雇っていますから」
「でも、俺的にはサラの手料理がよかったんだけど」
「……」
サラは口を噤みアキを観察している。
(あれ? なんか怒ってる? なんか余所余所しい気もするけど……)
アキは意を決して聞いてみることにした。
「あの~、サラ?」
「……」
サラは無言のままアキを観察し続ける。
「えっと、サラさん? 何か怒ってらっしゃいますか?」
アキは努めて低姿勢で訊ねた。
「いえ、怒ってなどいませんよ」
サラの言葉にはなんの感情も感じられない。サラは観察に集中していた。
(いやいや、これ絶対怒ってるでしょ! 目が怖い、怖すぎる! 俺なんかしたかなぁ……)
間違いなくストーカーコントをしていた。
アキとしては普通の流れだった為、サラがそこに引っかかっているとは気付かなかった。というか、すでにストーカーコント自体を忘れていた。
アキは気まずい雰囲気の中、チラチラとサラの顔色を窺いながら、緊張で味がわからなくなりつつも昼食を終えた。
(ハァ、マジで俺何したんだ?)
緊張感漂う中、アキは自問し続けていた。
サラのなかで疑念が芽生えてきましたね。偽者の時に芽生えてほしかったですねぇ。