闇に堕ちたアキ
「……う、ん……ア、キ?」
サラが目覚めた時、事態は最悪な方向へと進んでいた。
この国にとっては幸いしたのかもしれないが、サラにとっては最悪だった。石碑から溢れる瘴気がどういうわけかアキに流れ込んでいたのだ。
アキは身動き一つせず横たわり、瘴気を流し込まれていた。もう死んでいるのではないかと思える状況にサラは悲痛な声を上げる。
「アキィィィィィッ!」
サラはアキの下へと駆け寄り手を伸ばす。
バチンッ
サラの手は瘴気によって払い除けられる。まるでアキを外敵から守るかのように。
サラは何度も手を伸ばしアキを救い出そうと試みるが、そのたびに瘴気に弾き返される。
「アキ! アキ!」
サラは成す術もなく涙を流しながらアキの名を呼び続ける。
「サラ! 魔力防御魔法で瘴気を抑えて! これ以上アキさんに瘴気を流し込んではダメ!」
総司を回復しているマリアがサラに告げる。
サラは涙を拭うことも忘れ石碑に両手をかざし魔法を放つ。
「魔力防御魔法!」
サラは瘴気を抑えつつもアキを気にし声を掛け続けている。
「アキ! アキィィ!」
瘴気は止まったが、ピクリともせず横たわっているアキのまわりを瘴気の靄が覆っていた。
「お兄ちゃん!」
入り口から血相を変えた冬華が駆け込んできた。
「冬華ちゃん! 五十嵐君が!」
汐音は冬華ならなんとかできると思い声を上げる。
「お兄ちゃん……ウィンディの言ってた通りだ。早く浄化しなきゃ!」
「冬華さん! お願い! アキを、アキを助けて!」
サラは綺麗な顔を悲しみに歪ませ涙と鼻水で濡らしながら懇願する。
「うん、任せて! そのために戻ってきたんだから!」
冬華が両手をかざし魔力を籠める。
「ミ……」
ドッカァァァァァァン
冬華が魔法を放つ前に大爆発が起こった。
冬華は魔法の制御に失敗したのかと焦りを見せるが、目の前では何も起こっていない。
まわりを見ると汐音たちも何が起こっとのかと首をキョロキョロとさせていた。
すると天井から土ぼこりがパラパラと降り注いできていた。爆発は上の階で起こったようだ。
「光輝!?」
汐音が上を向き、謁見の間へ向かった光輝に何かあったのだと察し今にも駆け出しそうにしている。
「汐音さん、ここは私が。汐音さんは光輝さんのもとへ行ってあげてください」
心配そうにしている汐音にカレンは気を遣いそう告げる。
汐音はカレンを見、状況を見て踏みとどまる。
「いいえ、今私がやるべきことはここにあります。それを投げだして光輝のもとへは行けません」
「汐音さん……」
汐音とカレンは回復に集中する。
冬華も自分のやるべきことを使用と再びアキに魔法を放とうとする。
しかし、今の一瞬でアキの様子が変わっていた。
アキを覆う瘴気が無くなっていたのだ。
「え? あれ? 何があったの?」
冬華は一人呟いた。
「瘴気がアキの中に吸い込まれて……早く浄化を!」
アキから目を離さなかったサラがそう告げる。
「う、うん」
冬華は両手はかざし魔法を放つ。
「ミ……」
「あぶねぇ!」
「うわっ!?」
カルマが冬華に飛びつき冬華に覆いかぶさってきた。
「ちょっ、ちょっと! こ、こんなときに何してんのよ!」
冬華は顔を赤くし動揺を見せる。カルマが自分を押し倒してきたとでも思っていたのだろう。
「ば、バカ! 勘違いすんな! あれだあれ!」
カルマは誤解を解くため、すぐさまその理由へと指を差す。
その先には変貌したアキが立っていた。
「アキ……?」
「お兄ちゃん?」
サラと冬華は茫然とアキを見つめる。
アキの肌はどす黒く変色し、髪は真っ白になり、目の色は紅と黄となり怪しく光っている。
アキのまわりに直径2メートルくらいの薄黒い半透明な球状の膜が広がっていた。
この膜が何かわからなかったが、カルマが押し倒さなければ冬華は確実にあの膜に触れていただろう。
冬華は冷や汗を拭いカルマに礼を言う。
「ゴメン、ありがと。首の怪我をいいの?」
「ああ、なんとかな。それよりこれどうする?」
カルマは注意深くアキを見据える。
「は? どうするって、お兄ちゃんを助けるに決まってんでしょ!」
冬華は当たり前のことを聞くカルマを怒鳴りつける。
「だから、どうやって助けるのかって聞いてんだよ!」
売り言葉に買い言葉、カルマも声を荒げて言う。
これだけ事態が急転していれば平静を保てなくても仕方がなかった。
二人の怒鳴り声にアキは反応した。
なんの感情もない表情を冬華たちへと向ける。
「「っ!?」」
二人は絶句し硬直する。
その表情にではない。その瞳から放たれる得体の知れない圧によって動きを抑え込まれていた。
その圧がアキのモノなのか、瘴気に寄ってもたらされてモノなのかはわからない。ただ、今のアキの相手をするには並の者では無理だということは理解できた。
消耗しているとはいえ冬華でさえ動きを抑え込まれているのだ、カルマでは太刀打ちできないのは火を見るより明らかだった。
冬華は硬直を解く為、下っ腹に力を籠め気勢を放つ。
「キエェェェェェェェェェッ!」
それを合図とするかのようにアキが動き出した。
動き出すのと同時に半透明の膜は消え失せていた。
アキは冬華へ向け駆け寄ってくる。
こう聞くと余裕がありそうに聞こえるが、実際には一瞬の出来事だった。
冬華はカルマを突き飛ばそうとする。しかし、それはかなわず、アキは冬華の目の前まで間合いを詰めていた。その時にはすでにアキによってカルマは突き飛ばされていた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
カルマはいつどうやって突き飛ばされたのかもわからず壁に激突し、床に倒れ込んだ。
冬華はカルマを気遣う余裕もなく、そしてアキを迎え撃つための剣を抜く間もなかった。
冬華は身を守るため声を上げる。
「ミズチ!!」
足元から口を開けた水蛇が現れ冬華を呑み込む。
しかし、冬華はミズチごと吹き飛ばされてしまう。
「きゃっ!?」
冬華は壁に激突すると、ミズチを維持することができずミズチは水に戻ってしまった。
「な、なんで……?」
冬華は困惑する。
冬華のプランでは、ミズチの中に突っ込んできたアキを冬華が抱きとめ、そのまま浄化するはずだった。
しかし、アキはミズチの中には入って来ず、ミズチごと冬華を体当たりで突き飛ばしていた。
アキは魔力制御ができるとは言っても体の外にまで影響を及ぼすことはできないはず、部分強化はできても魔法は防げないはずなのだ。
冬華はアキへと視線を向ける。
「あの、膜のせい?」
再びアキのまわりを球状に膜が張られていた。
あの膜には魔法を弾く効果があるのだと冬華は理解した。理解したはいいが、あれを突破しない限りアキを浄化できなくなってしまった。
冬華はヨロヨロと立ち上がり、アキを見据える。
「まったく、お兄ちゃん強過ぎよ……どの口が弱っちいなんて言ってんだか……」
冬華は、アキはやっぱり強いのだと再確認し喜ぶ半面、強すぎだろうと愚痴をこぼしていた。
「冬華ちゃん!」
汐音が心配そうに見守っていたが、呼びかけに答える余裕は冬華にはなかった。
冬華はチラリとカルマは見る。
カルマは起き上がろうとしていた。
生きていることを確認した冬華は、あの膜を突破する方法を考えはじめる。
あの膜がどういうモノかはわかんないけど、身を守るモノのはず。その証拠にお兄ちゃんを中心に広がってるし。攻撃用にしてはずいぶんと丸みを帯びてる。まあ、さっきはあの突進で吹き飛ばされてダメージ貰っちゃったんだけど……身を守る障壁だと仮定して、どんなに強い防御魔法でもそれ以上の力を加えれば破壊できる。あの膜もきっとその例に漏れないはず。でも今の私にお兄ちゃん以上の力が出せるの?
冬華は疲弊している自分の力に不安を覚える。
そして、あることに引っかかる。
あれ? お兄ちゃん以上の力って言ったけど、あの力、お兄ちゃんの力なの? 確かお兄ちゃん何か言ってたような……
冬華はアキの言葉を思い出す。
「これは実体のないものにダメージを与えられるようになるマジックアイテムなのだ」
「奇跡の手袋!」
冬華は思わず声を上げてしまった。
汐音はいきなり妙なことを口走る冬華を怪訝そうに見つめていた。
冬華はそんな汐音の視線に気付かず、考えをまとめる。
もしあの膜があの手袋の能力を最大限引き出したモノだとしたら、手袋を壊せばあの膜は消えるんじゃない? あ、でもあの手袋を壊すにしてもあの膜が邪魔じゃない……ダメじゃん。……あ、でもでも、さっき突っ込んできたときあの膜は無くなってた。そこを突けば……イケるかも。
冬華は考えがまとまりアキを見据える。
アキはなぜか何もせず立ち尽くしていた。いや、違う。アキへ縋り付くようにサラが声を掛け続けていた。
「アキ! アキ! お願い正気に戻って!」
サラがそこにいるということは……
冬華は石碑へと視線を向ける。
結衣が石碑へと防御障壁を張っていた。
冬華が考えに没頭している間に回復し終わり、結衣がサラと交替していたようだ。
「あれ?」
冬華は異変に気付いた。
サラがアキに縋り付いている。アキを覆っていたあの膜が無くなっていた。
「なんで? ……サラさんがいるから? だとしたら、まだ意識が……」
冬華はチャンスと思い声を上げる。
「サラさん! お兄ちゃんの手袋取って!」
「え?」
サラは冬華の言っている意味がわからなかった。
「いいから取って!」
サラは特に抵抗を見せないアキの手から奇跡の手袋を取り外した。
「よっしゃぁぁぁっ! サラさん離れてて!」
冬華は嬉々として飛び出していく。
サラはそれでアキが正気に戻るのならと、アキから離れていく。
冬華はアキに怪我をさせない為、ショートソードではなくダガーを抜くと水を纏わせる。
「お兄ちゃん! 今浄化するからね!」
冬華は水の剣で斬りかかる。
ガシッ
「え?」
アキは水の剣を素手で受け止めていた。よく見ると、手の表面を薄黒い半透明の膜が覆っていた。
アキはもう片方の手を冬華へとかざす。
「ウソ!? ウソつきぃぃぃぃっ!?」
冬華はアキの掌から迸る膜により吹き飛ばされ床を転がる。
「冬華ちゃん! なにしてるの!」
無謀にも真正面から飛び込んでいき、見事に返り討ちにあった冬華へ汐音は呆れるように声を上げた。
「だって、お兄ちゃんが……」
アキの言葉を鵜呑みにした冬華はアキのせいにする。
汐音へ視線を向け隙を見せた冬華へ、アキは追い打ちをかけるように飛び込んでくる。
「冬華ちゃん!」
「え!?」
冬華は汐音の言葉に反応しアキへと向き直るが、すでに目の前にアキは接近していた。
「!?」
ドスッ
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
冬華を体当たりで突き飛ばしたカルマが、冬華の代わりにアキに一撃を受け弾き飛ばされた。
「カルマァァァァッ!」
冬華は起き上がりカルマへと視線を向ける。
近くにいた汐音が駆け寄りカルマの様子を見ている。
「少し頭を打ったようですが、気を失ってるだけです」
汐音の診断に冬華は胸を撫で下ろす。
「お兄ちゃん……もう手加減しないからね!」
冬華はアキを見据えると水の双剣を構える。
アキは構えもとらず棒立ちのまま無表情の顔を冬華へ向ける。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
冬華が水の双剣で斬りかかると、半透明の膜がアキを包み込み防御する。
バシャン
激突の衝撃で、水の剣の方が弾け飛んだ。
「くっ!?」
それでも冬華はひるまず、再び水の双剣で斬りつけていく。
「あぁぁぁぁぁっ!」
アキは冬華へと手をかざす。
冬華はそれを見るとバックステップで距離を取り、水の双剣をクロスさせ防御の体勢をとる。
そしてアキが何かを放とうとすると、
ボボボボボォォォォォォッ
アキの視界を遮るように炎の壁が出現する。
「ソウ君!」
冬華は炎を出した人物を目に捕らえ声を上げる。
「悪い! 待たせた……またアキが相手なのか……」
総司は嫌そうな表情をする。
「今回は手加減してくれないから気を付けてよ!」
冬華は以前のアギトの時とは違うと注意を促す。
「ああ、わかってる、よ!」
総司は炎の壁を操りアキを覆うように囲んでいく。
「おぉぉぉぉぉっ!」
炎はアキを包み込み焼いて行く。炎は防げてもその熱までは防げないのではないかと、そして炎で覆うことでアキを酸欠にし気絶させようと考えていた。
しばらくすると、炎が収縮していく。
「ソウ君?」
炎の変化に気付き、冬華が訊ねる。
「俺じゃない……膜が縮小しているのか? ……っ!?」
総司はアキが酸欠で意識を失ったのだと思い、急ぎ炎を解除しようと手をかざす。
ボファァァァァァァァァッ
総司が炎を解く前に炎が弾け飛びまわりへと拡散する。
間近にいた総司と冬華はそれに巻き込まれ吹き飛ばされた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
二人は炎に巻かれ床を転げまわる。
汐音たちはかろうじてマリアの魔力防御魔法が間に合い難を逃れていた。
棒立ちのまま何かに守られたサラは、アキを見つめ涙を流していた。
アキの体は熱から守るように瘴気に覆われ、薄黒かった半透明の膜はその色を濃くしていた。
「アキ、アキ!」
サラはアキしか見えていないのかアキへと駆けていく。
サラが近づくと黒い膜から瘴気が溢れ出しサラを弾き返す。
「キャッ!?」
アキはサラには目もくれず、冬華たちへと近づいていく。
黒い膜からは瘴気があふれ近づく者を拒むかのように蠢いていた。
サラはアキの前に回り込みアキを正気に戻そうと声を掛け続ける。
「アキ! お願い戻ってきて! 約束したでしょ! 私のもとに戻ってくるって! アキ! 私を置いて行かないで!」
サラの声に反応するようにアキは歩みを止める。
サラは声が届いたのだと思い一歩近づく。
「アキ……」
サラが近づくと膜から溢れる瘴気の動きが活発になり、サラへと襲い掛かる。
「っ!?」
サラは愕然とし涙を流し立ち尽くす。
「サラ!」
マリアの声が広間に虚しく響く。
パァァァァァッン
突如鳴り響いた破裂音と共にアキを覆う黒い膜は弾け飛んだ。
「……え?」
サラは何が起こったのかわからずアキの顔を見つめていた。
アキは苦悶の表情を浮かべ苦しそうに胸を押さえていた。
「ぐっ!?」
「アキ!」
サラがアキへと駆けだそうとした時、広間に声が響いた。
「やれやれ、仕方ないのう……」
サラは声のした広間の入り口へと視線を向ける。
そこには一人の老人が佇んでいた。
「お、おじいちゃん……」
ヨロヨロと体を起こした冬華が呟いた。
「今一度、稽古をつけてやるとするか……のう空雄よ」
嵐三は鋭い視線をアキへと向ける。
次回、おじいちゃん頑張ります。