再び異世界へ
ほんの少し時間をさかのぼる。
「やっべ、今すっげぇエロい夢見た」
目覚めの第一声がこれだった。
そんなアキの隣に座っていた祥子は半眼でアキを見据える。
「空雄君、そういうのは女性がいないところで言おうね」
「す、すいません。ていうかなんで祥子さんがここにいるの? いつから? ここオレの部屋、じゃない!?」
アキは条件反射のように謝ると、疑問を口にし、状況を確認する。
どうやら道場の縁側で寝ていたようだ。
「空雄君が稽古してると思って見に来たんだけど、なんだか気持ちよさそうに寝てたから」
本音を言うなら、仕事上がりにアキの顔が見たくなったのだ。道場へ来たらアキが寝ていて、その寝顔を近くで見ていたのだ。
当然祥子はそんなことは口が裂けても言えなかった。
「なんだぁ、起こしてくれればよかったのに。いや、この際膝枕してくれててもよかったんだけど」
アキは祥子の太腿を物欲しそうに眺める。もちろん生太腿というわけではない。仕事上がりのためOL風のスカートをはいている。
「空雄君はそんな事ばかり言うね。そんなに膝枕が好きなの?」
祥子はアキの顔を両手で挟むと目線を上に向けさせる。しかし顔は向いても目線までは動かせなかった。
「そりゃあ、膝枕は男のロマンだから」
アキは遠くを見るようなまなざしで近くの祥子の太腿を見ていた。
「それは空雄君のロマンだよね。ハァ、それじゃ、誰の膝枕でもいいみたいだね」
祥子はガッカリしたように肩を落とす。
「心外だ! 誰のでもいいってわけじゃないよ! ぷいっ」
アキは腕を組み、ぷいっと口に出しそっぽを向く。
「じゃ、じゃあ、誰ならいいの?」
祥子は躊躇いつつも期待を込めて訊ねた。
「ふふん、やはりフィット感!」
アキはよくぞ聞いてくれましたと言いたげな表情を見せ嬉々として言った。
「は?」
祥子は誰のなのかさっぱりわからない答えが返ってきたことで、冷たい声を漏らしてしまった。
「頭を乗せた時の優しく包み込むようなあの感じ! あの暖かさ! そして目を覚ました時、女神様と対面したかのような幸福感。それを感じさせてくれないと、膝枕にあらず!」
アキは恍惚とした表情で希望の膝枕を語ると、キリッとした表情を見せ言い切った。
「その条件が合えば誰でもいいんだね」
祥子はジト目を向けて蔑んだ。
「しょ、祥子さんその視線はなかなかに刺激的過ぎるよ」
アキは思わず変態発言を口にしてしまった。
「はぁ、空雄君は変態さんなんだね。お姉さんは悲しいよ」
祥子は額に手をあて溜息を吐く。
「じょ、冗談に決まってるじゃないですかぁ。ヤダなぁもう、本気にしないでくださいよう」
アキは今更ながら誤魔化すように取り繕う。
祥子は再び溜息を吐いた。
「(ハァ、私はなんでこんな子を……)」
祥子は自嘲するように嘆いた。
「ん? どうしたの?」
アキは不思議そうな表情をする。
「ううん、なんでもない……あ、そうだ。空雄君、もう聞いてるよね? こちら側からゲートを開くって」
祥子は突っ込まれて聞かれるのを避けるため、話を変えた。
「うん。じいちゃんから聞いてるけど? ミュウたちも準備でそっちに行ってるし」
だからアキは一人で稽古し、一人で寝ていたのだ。アーサーが一緒に寝ていなかったのはそのためだった。
「それでね……明日、ゲートを開くんだって」
祥子は寂しそうに告げた。
「明日かぁ、じゃあ稽古はこれで切りあげて準備しないとな」
祥子の表情に気付かずアキは準備の事へ頭を巡らす。
「……そう、だね」
祥子の表情はますます沈んでいく。心の内に沈んでいく。
向こうの世界へ行く準備、もうすぐ空雄君は手の届かない世界へ行ってしまう。次に会えるのはいつになるかもわからない。
「ん? 祥子さん?」
あっちは魔物が徘徊する命の危険がすぐ隣にある世界、死んでしまうかもしれない。空雄君をそんな世界に送り出さないといけないなんて……
「お~い、祥子さ~ん」
おまけに向こうには空雄君の想っている人がいる。生き残っても戻って来ないかもしれない。向こうでその人と幸せに暮らすことを選ぶかもしれない。
「あれ? 俺無視されてる?」
そしたら私忘れられちゃうのかな。……イヤだ、イヤだよ。忘れられたくない。ずっと空雄君の側にいたいよ。でも……一緒になんて行けない。足手まといにはなりたくないもの。
「え~、俺なんかしちゃった? 膝枕か? 熱く語ったのがまずかったとか? それで嫌われた?」
空雄君、行かないでほしい。向こうには十分な戦力は揃ってるんだよね。だったら空雄君が行く必要なんてないのに! ……じゃあなんで? なんで行くの? やっぱりその人に会いたいから?
「いやいや、そんなことで嫌われてたら、今まで何回嫌われてることか」
そうよね、両想いなんだもんそれ以外に危険な世界に戻る理由なんて、ないよね。……ううん、そんなことない。向こうには妹さんやお友達がいるんだもん、助けたいに決まってるじゃない! それなのに、空雄君をそんな風に見ちゃうなんて、私はそんな事しか考えてないイヤらしい子なの? ホント恥ずかしい。
「ん? 祥子さん? 顔赤いですよ? 目も閉じてどうし……まさか!? これは別れの……」
でもこのままでいいの? 私、何も伝えてない。報われない結果になるかもしれない。しばらく泣いて過ごすかもしれない。それでも、気持ちを伝えずに後悔なんてしたくない!
祥子は覚悟を決め目を開く。
「ん~~」
目の前にアキの顔が迫っていた。
「!? きゃぁぁぁぁぁっ!?」
バチンッ
「ぶふっ!?」
祥子は平手打ちをお見舞いした。
「な、ななな、何してるんですかいきなり!」
祥子は顔を赤くし息を荒くして声を上げた。
「い、痛いです」
アキは涙目になり頬をさすっている。
「あ、当たり前です! 何を考えてるんですか!」
祥子は激しく高鳴る鼓動を抑えるように胸を押さえる。
「いや~、てっきり俺を送り出す、お別れのキスかと思って」
アキは苦笑いを浮かべて勝手な思い込みを口にした。
「そんなわけないでしょう! まったくもう」
祥子は腕を組み頬を膨らませアキを睨みつける。慣れていないのか迫力に欠け、どちらかと言うと可愛く見えてしまう。
しかし、そんなことを言えばまた怒られてしまう。アキは黙ってその顔を脳内思い出フォルダに保存する。
「祥子さん、いきなり黙り込むんだもん。呼びかけても反応ないし。何考えてたの?」
アキは原因は自分だけではないと、罪を軽くしようと試みる。
「し、知りません! 空雄君が変なことするから忘れました!」
祥子は頬を赤らめプイッとそっぽを向いた。
アキは罪を上乗せされた。
「え~俺が悪いのかよ~」
「当たり前です!」
しばらく祥子の機嫌は直らず、アキは何とか機嫌を直してもらおうと時間を費やした。
そんな二人を、道場の陰から由美子が覗き見ていた。そして頭を抱える。
「はぁ、何やってるのよ、祥子は……」
翌日、予定通りゲートを開く。
アキの出で立ちは、ジーンズにティーシャツ、指なしの革手袋、拳の部分に鉄板が入っているのか少しふくらみ丈夫そうだ。向こうで身に着けていたウエストポーチに手作りナイフホルダーにローブを纏っている。ホルダーには投げナイフは差さっていないが、サバイバルナイフを一本差している。ローブは風穴の空いていた箇所は楓華が繕ってくれていた。最後にサラに貰ったネックレスを首に掛けている。
それを見た嵐三が呟く。
「ずいぶんと軽装だのう。銃とかはいらんのか?」
とても日本とは思えない発言だった。
「銃ってあんのかよ!? ここ日本だろ! 弾の補充はどうすんだよ。弾がなくなったら終わりじゃねぇか。それに撃ったこともないのにあぶねぇだけじゃん」
もう突っ込みどころがあり過ぎて、言い切れなかった。興味がないと言ったら嘘になるが、日本人として銃を撃つのに抵抗があったのだ。魔物はザクザク殺してきたアキだったが、そこだけは譲れなかった。異世界では意味のないこだわりなのだが。
「まあ、お前には不要じゃろうしな」
嵐三はそう呟くと、歩き出す。
その先にはミュウたちがすでにスタンバっていた。
屋外の広いグラウンドのような場所、野球やサッカーもできそうな広さだ。こんなものまで敷地内にあったとは知らなかった。
ミュウたちはグラウンドの中央に描かれた円の四方に立っている。嵐三はその一か所へと向かう。
グラウンドの隅にテントを張り、所員たちがモニタリングしていた。祥子もそこにいる。
アキは祥子に笑顔で手を振ると円の中へと向かう。
「空雄君!」
祥子がアキの後を追って来て声を掛ける。
「祥子さん、どうしたの?」
アキは微笑みかける。
「空雄君、その、気を付けて」
祥子は不安そうな表情をしている。
「うん、無理はしないつもりだから平気だよ」
もちろん嘘である。無理をしなければ生き抜くことなどできないとわかっている。それでも祥子の不安を少しでも和らげようとした。
「嘘、無理はするよね。……それはいいの、いいけど……生きて、生きて帰ってきてね」
祥子は微笑むとアキを抱きしめる。
アキは友好のハグだと思い、祥子を抱きしめ返す。
「うん、俺はもう死なないよ」
「うん」
祥子は頷くとアキへとまわしていた腕を離すとアキを引き寄せる。
チュッ
そして、アキの頬にキスをした。
アキは頬に手をあて祥子を見る。
「フフッ、お守り。頑張って」
祥子は頬を朱に染め照れたように言う。
「お守りなら口にしてほしかったなぁ」
アキが唇に指をあて、冗談めかして言う。
「……無事に帰ってきたら、してあげる」
祥子も唇び指をあて消え入りそうな声で言うと、顔を真っ赤にしテントへ走って戻っていく。
アキはその後ろ姿を微笑みを浮かべ見つめる。
戻った祥子に由美子が声を掛ける。
「まあ、祥子にしては及第点かなぁ。空雄君が戻ったらキスだけじゃなくしっかりヤっちゃいなさいよ」
由美子はオブラートに包むことなく言った。
「な、何言ってるのよ由美子! そんなんじゃないから!」
祥子は赤い顔をさらに赤くする。
テント内の全員がそんな祥子を微笑ましく見ていた。密かに祥子の事を応援していたのだ。
アキは祥子を見送ると円の中央へと入る。
『アキ~おせぇぞ~』
フラムが待ちくたびれたように言う。
「わりぃ」
『顔がニヤけてますよ』
ミュウは顔を顰める。
「してねぇから」
『……』
アーサーがコクコク頷いている。
「おう、がんばろうな」
今の返しはあっていたのだろうか? アーサーだけが知っている。
「空雄、お前も隅におけんのう」
嵐三はヤラシイ目を向けて言う。
「うっさいじじぃ、集中しろ!」
アキはそんな嵐三に悪態をついた。
冗談はここまでと嵐三は一つ咳ばらいをすると本題に入る。
「コホン、空雄、極力シルフィに負担が掛からぬようにするが、向こうに着いたらすぐにシルフィを守るのじゃぞ」
「わかってるよ。ミュウたちはいいのか?」
『はい、私たちはシルフィお姉様と違い準備はできていますから、自分の身は守れます』
シルフィが戦闘中だった場合、狙われる可能性がある。当然シルフィがゲートを開く準備をしているはずもない。
「わかった、俺はシルフィを守ることを優先させてもらう」
「うむ、でははじめるぞ」
嵐三が開始の合図を出すと、嵐三をはじめミュウたちは瞳を閉じ両手を広げる。
そして嵐三は世界へと語り掛けるように言霊を紡ぎはじめる。
アキは精霊の言葉なのか嵐三が何を言っているのかわからなかった。
嵐三だけではない。ミュウたちも精霊の言葉らしき言霊を紡いでいる。
こうして見ると、怪しい宗教団体が妙な儀式をしているようで若干引いてしまう。
アキは頬を引き攣らせながら成り行きを見守っていた。
しばらくすると4人の体が、光り出した。白、青、赤、黄、それぞれの色に光り輝くと両手から光が伸びる。光の筋は4人をつなぎ、光の円を描き、円柱状の柱を作る。
4人の光が点滅をはじめると魔法陣が描かれて行く。
アキはその様を無意識に目で追っていた。
図形が完成すると点滅が止み、光が輝きを増すと文字のようなものが浮き出てくる。
「ミミズがのたくったような文字だな……」
アキは顎に手をやり足元の文字を読もうとするが当然読めなかった。
アキが顔を上げると嵐三がいたところにシルフィがいた。
「うおっ!? シルフィ?」
シルフィは自我を失ったような表情をしている。
「綺麗な人……」
パソコンでモニタリングしていた祥子がシルフィを見て呟いた。
「おい! シルフィ! どうしたんだよ!」
アキがシルフィへ近寄り声を掛ける。
「気が散る! 黙っておれ!」
シルフィと重なるように嵐三がそこにいた。
「うわっ!? じ、じいちゃん?」
シルフィの力を中継するってこういうことなのかとアキは茫然として見ていた。
文字がすべて浮き上がり魔法陣が完成すると光の柱の中の空気が変わった。向こう側の空気が流れ込んできているようだ。乾燥しているような熱気が感じられる。
魔法陣の外の景色も蜃気楼のように歪み、こちらと向こう側の景色がごちゃ混ぜになっているように見える。
「なんか酔いそう……」
アキは口に手をあて視線を逸らし深呼吸する。
そしてもう一度視線を向けると、目の前に向こう側の景色が広がっていた。
「……砂漠?」
視界に広がる砂の世界を見てアキは呟いた。
「うおっ!?」
足元に地面がないことに気付き驚きの声を上げる。まさか空の上に出るとは思っていなかった。
「よし、ゲートは固定した。後はこじ開けるだけじゃ。よいか、ゲートをこじ開けたららすぐに出るのじゃぞ。さもなければゲートは閉じ空間の狭間の取り残されることになる」
嵐三は脂汗を流しながら伝える。かなり疲労しているようだ。
「わかった。で、どうやってこじ開けるんだ?」
アキは嵐三の様子から急いだ方がいいと思いすぐさま訊ねた。
「うむ、この柱を破壊するんじゃ、力ずくでじゃ」
嵐三は簡単じゃろ? とニヤリと笑う。
「オッケ~」
アキはニヤリと悪い顔をすると力を籠める。
そして、
「おおらぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ドゴォォォォォン
拳を打ち込んだ。
「もういっちょう!」
ドゴォォォォォン
「もっかい!」
ドゴォォォォォン
「……かってぇぇぇぇ!?」
アキは拳をフーフーして痛さを堪える。
拳が砕けてないかと心配になるすさまじい轟音だった。
祥子は祈るようにアキをモニター越しに見ていた。
「バカもん! 加減しとる場合か思いっきり行かんか!」
「わかってるよ! 思ったより硬かったん……!?」
嵐三に言い訳をして顔を上げるとアキの表情は一変する。
憤怒の形相を見せたと思いきや、姿をかき消した。
「ガッ!?」
ドッゴォォォォォォォォォン
先ほどよりも大きな轟音が鳴り響くと柱が破壊された。
その先では二体の人影がシルフィへと攻撃を仕掛けようとしていた。
「俺のシルフィに手ぇ出そうとしてんじゃねぇ!!」
アキは怒声を上げると柱を破壊し突き出した腕をそのまま振り下ろした。
ド、ドウッ
その人影たちは見えない力に叩き落とされた。
「クソ野郎共が……」
アキが悪態をつくと、シルフィが力尽きたように落下をはじめる。
「シルフィ!?」
下の方から聞きなれた声が聞こえた。
アキはその声でシルフィが落下していくのに気付いた。
アキは条件反射のように光の柱から飛び出そうとする。
「空雄君! いってらっしゃい」
アキは祥子の声が聞こえた気がし振り向くことなく呟く。
「行ってきます」
アキは外へと飛び出した。
シルフィを目視で確認し、シルフィへと接近する。
シルフィの腕を掴むと体を引き寄せしっかりと抱きしめる。
そして着地に備える。
ズタッ
スタッとはいかなかったが着地は成功した。というか足が痺れた。さすがに二人分の衝撃はキツかった。
正確には1.5人分くらいだろうか、シルフィはやはり軽かった。
アキは深く息を吸い込み立ち上がると一息吐く。
「ハァ、やっと戻ってこれた」
目の前には口をポカンと開けた冬華が地面に這いつくばっていた。
祥子がんばれ! しばらく出番はないですが……いや当分ないか。