問いの二 覆うは白、隠すは本質 3
「………」
カーテン越しの陽射しが僕の顔を照らす。 寝てしまったか、そう思いながら身体を起こす。 おもむろにテレビをつけ、もう昼前だと確認する。
「……結局帰ってこなかったのか」
部屋を見渡しても神城の姿はない。 昨日の夜出て行ったまま行方知れず。 面倒ごとに巻き込まれてなければいいのだが…… 彼女の性格では、むしろ飛び込んでいきそうだな。
「……そんなこと気にする間柄でもないか」
こうして行方を気にすることも、突然帰って来ても部屋の中へ入れるようにしていたことも、連絡を取ろうかと思うことも。 彼女にしたらいらぬ世話というものかもしれないのだ。 控えめに鳴った自分のお腹の音を聞き、僕はキッチンへと向かった。
食事を終えて、テレビの音を耳にしながらコーヒーを口にする。 僕は写真家、なんて自称しているが。 依頼や仕事が待っていてもくるなんてことはない。 基本的に僕からお願いして仕事を貰っている。 でもその労力が収支に結びついているかと言われれば…… 全くそんなことはない。
僕の収入源は佐野からの依頼がほとんどだ。事件があればその場に行き、感じたものを伝え必要があれば写真におさめる。 情報提供の一種だ、なんて佐野は言っている。 まぁ僕はスクープやスキャンダルなんかで飯を食うのは嫌なので少しはマシだ。 あんな風に、他人の弱みを血まなこで探し当てるなんて。 嫌だし、そんな忍耐力もない。 そんな風景じゃなく、僕は僕の見たものを伝えたいのだ。 …まぁ、それが全く出来ていないのだから言える立場ではないのだが。
「……食材でも買いに行こうか」
もう時刻は正午を回った。 大抵の人は昼食の時間である。 僕は先ほど朝食にあたるものを食べたばかりだが。
連絡もないので、ここへ戻ってくるのかも分からないが。 突然現れる彼女を予想するのは困難だ。 突然帰って来て、お腹がすいたなんて言われたら僕もどうしようもない。
「ここまでする義理もないのだけど」
こんな事しなくてもいいのだ。 多分彼女も「お人好し」なんて言うだろう。 だけど、せめてそれくらいはしてあげないと。 なんて、思ってしまったんだ。
買い物カゴを手に、食材を見て回る。 神城が好きなものはなんだろう…… そう考えて出てくるのはお酒だけだった。 いろいろ考えても思い浮かぶものもない、それに僕自身料理は得意と言える腕前ではない。
「……鍋なら当たり障りないか」
無難ではないだろうか。そう結論づけ必要な食材を買い物カゴへと放り込む。 ……僕が飲むわけではない。 もし帰って来て、もし飲みたいと言われた時のためだ。 自分に言い聞かせ、お酒も何本かカゴに放り込んだ。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
店を出ると、空から求めてもいないのに強い光が降り注ぐ。 嫌がらせとしか思えない暑さ、着ているシャツが汗で肌にくっつく。 気持ち悪い、そう思いながら額の汗を拭った。
ふと自転車置き場の方を見る。 一人の男性が自転車の後輪近くにしゃがみ込んでいた。……窃盗? 物騒な世の中だ、十分あり得る。しかし…… こんな明るいうちに 、しかも人目も少なくない場所でそんなことをするだろうか。
見て見ぬふりも出来た。 それもまた正解だったろう。 しかし、僕は話しかけようと思った。 なんでかは分からない、気まぐれと言うのが一番当てはまるだろうか。 なんとなく、そのまま立ち去ることが出来なかったんだ。
「……あの」
「……はい? あ、えっと! 違いますよ⁉︎ これは俺のですよ⁉︎」
振り返って僕を見つめるその顔は。 30代ほどに思える顔立ちには少し似合わない高めの声。 暑さなのか焦りなのか、額にはじんわりと汗をかいていた。
「お困りですか?」
「え? え、ええまぁ。 その…… チェーンが外れちゃって」
そう言って、その人は困ったように笑う。 見れば両手の指先が黒く汚れている。 僕はそばにあったベンチにレジ袋を置いて、隣にしゃがみ込んだ。
「……良ければ。 直しましょうか?」
「え、あ、えっと…… お願いしても、いいですか?」
「はい、ちょっと待っててください」
その人が立ち上がるのを確認し、僕は自転車のチェーンへと手を伸ばす。 高校時代良く直したものだ、などと少し昔を思い出した。
「………はい。 これでとりあえず大丈夫だと思います」
そう告げて。試しにペダルを回してみると、二つの車輪がカラカラと音を鳴らして回りだした。
「おー! あ、ありがとうございます! 本当どうやって帰ろうかと思ってたんですよ‼︎ そうだ! お兄さん、暑いですよね? 飲み物でも奢らせてください!」
頭を下げた後、近くにあった自販機へと歩いて行く。……そんなつもりはなかったが、あまりにも押しが強く感じたので、気持ちに甘えることにした。
「いやぁ、暑いですよねぇ」
「そうですね。 夏の暑さは毎年体験しているはずなのに…… どうしても暑いと口にしてしまいます」
「あはは! 慣れるまであと何年かかりますかねぇ!」
そう言って、その人は笑う。 細い目が少し垂れ下がり、なんともにこやかに笑い顔が出来る。 気さくで、どこか人懐っこい雰囲気を感じた。
「……買い出しですか?」
そう言って、僕の足元にある袋を見る。
「ええ、まぁそんな所です」
「へぇ。 一人分、にしては多いですね。 ご家族の分も?」
「いえ。 ……まぁ一応、二人分と考えて」
「ああ。 彼女さんとかですね?」
「いや、そう言うものではなくて……」
……なんと説明すればいいだろうか。 そう考えて、僕の頭には居候という言葉が浮かぶ。 でもそんなこと、親しい友人にも言えない。 今日あったばかりの人になんて尚更だ。
「……俺も。 買い出しに来たんですよ!」
「そうなんですか」
「はい! 小さい子供もいるんで、何がいいか悩んでるんですけど」
「はぁ…… 奥さんは、どうされてるんですか?」
「………子供の世話で大変なんで! 飯くらい、俺が作ろうかなって思って!」
……父親の心境はまだ経験がないので、客観的にしか物が言えないけれど、こういう父親を良い父親と呼ぶのだろう。 家族を第一に、と言うのは実際難しい。 いつか、佐野がそうぼやいていた気がする。
「……大事なんですね」
「はい! もちろん!」
「俺はあの人のこと、愛してますから!」
金本と名乗ったその人は、ニッコリと笑ってそう言った。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「……やっっと! 見つけたよ!」
「あの…… あなたは一体」
「皆まで言うな‼︎ あんたは運がいい。 訪問販売ってのは個人の実績が全てだろう? まっかせなさい! わたしがついてれば売り上げトップは確定したようなもんだよ‼︎」
「………はぁ」
どうにかして直接話を聞きたかった、そう思ってウロウロしてたらとんだ拾い物だ。 訪問販売なら重たい扉もすんなり開くはず。
チラッと横目に男を見る。 …なよなよしてる、これならまだ写真屋さんの方が頼りになりそうだ。 な〜んで明らかに向いてなさそうな職を選んだんだか。 まぁ、ちょっと気になるけど今はどうでもいい。
「さ、行くよ!」
「……このお宅ってあれですよね。 ほら、前テレビでやってたーー」
「……ミイラの格好した人が住む家」
「そうですそうです! はぁ…… 一番手がそこなんてついてない……」
「いんや、むしろ強運だよ。 なんたってわたしの協力を受けれるんだからね!」
「はぁ……… 確か男の23歳は前厄だったよなぁ…… だからかなぁ……」
ブツブツブツブツと、ちっちゃいやつだねぇ。 男だったら覚悟を決めろっての! 全く……
ピンポーン。
男を置いて、わたしは玄関前まで行きインターホンを鳴らした。
「ちょ、待ってくださいよぉ!」
「なんだい? ここで間違いはないんだろう?」
「間違ってないけど! あの、心の準備とか!」
「馬鹿だね。 時間は待っちゃくれないんだよ。 準備に時間かけたって、実行に移さなきゃただの無駄さ」
「そんなぁ……」
ガチャッ。
男が頭を抱える様を見ていた時。 扉が開く音がした。
ゆっくりと開く扉ーー
「ひっ!」
男の小さな悲鳴を背中で聞く。 まぁ、不気味に見えるよねこれは。
「……なんでしょう?」
女の声。少し聞き取りづらい声なのは。 この人物の性分なのか、それとも…… その表情を覆い隠す、白い包帯のせいなのか。
……ふふ。 なんだい、最近のミイラは話せるし包帯も新品みたいに綺麗なんだねぇ。 それにしても、余計な過程を省いていきなり解答のお出ましかい? 運が良いのか悪いのか…… 後ろで怯えてる男の前厄のせいかねぇ。
「突然すみません! 今、よろしいですか?」
「……あまり、長くならないのなら」
「そりゃあもう! 少しお話を聞いていただければ! あ、ちなみに確認なんですが」
「こちら、金本さんのお宅で間違いないですか?」