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第五章:山の道連れ

 後は、あの山に行くだけだ。


 一つだけ独立した小さい袋に入れたペットボトルを握り締めると、掌が異様に熱くなって、全身にじわっと軽い汗が滲む。


 繁華街が終わったところで、目的の山への案内が立っていた。


 市街地を出てからもう暫くは歩くと思ったら、案外裾野の広い山だったらしい。

 見上げてみると、駅から眺めた時よりも頂上は高くなくても道のりは遠く思える。


 何にせよ、アスファルトで舗装されたハイキングコースになっているのはありがたい。


 少年は体温より高いペットボトルを胸に抱いたまま、緩やかな坂道に足を踏み入れた。


 数歩も行かない内に陽光が木々に遮られて視野が薄暗くなり、急速に湿った落ち葉の匂いに包まれる。


 もう、山に着いたんだから、急がなくてもいいよね。

 私服警官だって、さすがにここまではパトロールしてないはずだし。


 そう思い当たると、いていた足取りがふっと緩やかになった。


 おまわりさんだって、賑やかな街で派手に遊んでいる連中には目を光らせても、たった一人で山に入って首を括る人間なんて視野にも入れてないんだろう。


 まして、ここは樹海みたいな年季の入った場所でもないし。

 ほとんどの人は遠足やハイキングで楽しく登って、安全に降りていく山なんだろうな。

 そんなところに縁もゆかりもないのに行き当たりばったりでやって来て、死のうとしてるんだ。

 誰の目にも留まらずに。


 ザワザワザワザワ……。

 頭の上に張り巡らされるように伸びた木々の枝の間を風が通り抜けていく。


 少年はぞくりと寒気に襲われて立ち止まると、ボトルの蓋を開けて茶を啜った。


 何か、全てがショボい道具立ての中で死のうとしてるんだなあ、俺って。

 派手に注目されてかっこいいと思われる形で死にたいわけじゃないけど。


 少しぬるくなった緑茶は一口呑むと喉の奥にうっすら苦くこびりついた。

 フーッと吐いた息の音まで山の薄暗がりと湿った緑の匂いの中に紛れて消えていく気がした。

 これが遠足なら「爽やかな空気」と思えたのに。


 フー、ハー、フー、ハー。


 木々の向こうに広がるやや白んだ水色の空を見上げると、耳の中で呼吸の音が次第に大きくなる。


 フー、ハー、フー……。


 ポンと肩を叩かれ、ギクリとして振り向く。


「気分でも悪いのかい?」


 手に杖こそ持っていたが、相手は「おじいさん」ではなく、まだ「おじさん」の部類に属す人であった。


「いえ、大丈夫です」


 この人、多分、父さんと同じくらいだな、と少年は推し量る。

 顔は全然違うけど、中背で肩の張った体形は似ている。


「今日、学校は休みなのかい?」


 少年のジャージのズボンとバスケットシューズに目を留めると、相手は親しげに声を掛けた。


「はい」


 怪しまれないように笑って頷く。

 ――今日は学校の創立記念日で、部活の朝練の帰りに来ました。

 頭の中で付け加えながら、さりげなくまた歩き出す。


 早く、人目の付かない場所に行こう。

 微妙に傾斜が増していく道を進む足が加速する。


 どこまで行けば、誰にも見つからない場所に着くんだろう?


 コツ、コツと規則正しく響く杖の音を背中に聞きながら、少年は眼前に延びているアスファルトの路面に目が回る心地がした。


 まだ頂上には遠いみたいだし、このおじさんも頂上まで登るのが目的だとするとそこまで行っても隠れようがない。

 それに、歩くのもそろそろ疲れてきた。


 コツ、コツ、カチッ、コツ、コツ……。

 背後でまるでせっつくように杖の音が鳴り続ける。


 ついてくんな!

 振り向いてそう怒鳴りたい衝動が胸の中に燻っているが、決して振り向けない。


 もしかすると、この人は地元の人で、毎日この山を散歩していて「今日はいつものコースに変なのがいる」と思っているのかもしれない。

 そうでなくたって、俺の方が山にとってよほど迷惑なよそ者なのに変わりはない。


 何とかして、この人を上手くく方法は……。


 カーブを曲がったところで、乾いた木の薄い焦げ茶色と葉の濃い緑から、人工的に浮き上がった細い黄色の斜線が目に飛び込んできた。


「そっちは立入禁止だよ!」


 案の定、おじさんの声が飛ぶ。

 少年は出来るだけ決まり悪そうに作った笑顔を振り向けた。


「トイレです」


 もう見逃してくれよ、おじさん。

 左目が痛いし、俺、もうこんな顔、自分でも晒したくないよ。


 黄色いテープの向こう側で、相手は立ち止まったまま、表情のない顔をしている。


「すぐ戻りますから」


 返事を待たずに少年は背を向けて走り出す。

 出来るだけ遠くに行こう。


 胸に抱きしめたナイロン袋の包みがガサガサ鳴った。

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