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4-39 廃工場の攻防5

 男の拳が、黄泉路の心臓諸共に黄泉路が背を預けていた支柱を穿つ。

 黄泉路の未成熟な少年の胸板を易々と貫通した拳は支柱を砕く。

 拳を引き抜き、本来ならば致命傷であるはずの黄泉路へと追撃を加えるべく拳を振り上げては振り下ろす。

 執拗に、何度も何度も、柱と拳で黄泉路を挟み込むように幾度となく拳を振り下ろした。

 男の視界は戻らない。だが、見えていなくともこの距離、そして逃げる事もできない黄泉路を殴るだけならば視界などなくても事足りる。

 それを証明するように、幾度目かの振り下ろされた拳が黄泉路の額に当たる。


 「はッはァ!! 今のは完全に頭ブチ抜いた感触だ!!! どうだよクソガキ、まだ喋れるンならなんか言ッてみろよォ! ま、喋る頭ぶッ潰しちまッたんだから無理だろうがよォ!!!」


 度重なる殴打によって粉砕された柱だったものから拳を引き抜きながら、男は吼える。

 頭蓋を砕き、脳を粉砕した感触に、致命的な一撃を加えた確信を抱いた男の得意気な声が屋内に轟いた。



 「――」


 黄泉路からの反応はなく、今度こそ仕留めたという実感が男の手から腕、そして胸へ、全身をめぐる。

 コレほどまでに時間がかかり、かつ、手間の掛かる敵というのも、男にとっては久しぶりのことであった。

 勝利。これこそが、男が焦がれていた暴力の根源であり、勝利への道のりが遠ければ遠いほど、その達成感は高まってゆくことを、男は知っていた。




 ――ぎし(・・)……ぎぎぃ(・・・)……。




 咆哮の余韻がフェードアウトしていくにつれて、男の耳にも届いた微かな空気の震え。

 それは金属が撓み、軋む音。この場において、既に自然に思えるほどに聞き慣れてしまった音であったが、しかし、ある違和感に気づき、男は耳を澄ませる。

 断続的。そう、あくまで断続的に鳴り響いていた耳障りな金属音。

 その大半は男によって成されたものであったが、しかし、現在響く音は全く趣を違えていた。


 「……なんだァ? ……音が(・・)止まねェ(・・・・)……?」


 男が拳を引き抜いた後も、空間全体を震わせる様な金属音は鳴り続ける。

 それどころか、次第に大きく、激しくなる音に、男は見えもしないのに頭をきょろきょろと方々へと向けて、少しでも状況を探ろうと躍起になっていた。

 そして、男はある異音に気づく。




 金属音の中に混ざる、砕けた頭蓋が(・・・・・・)修復されていく(・・・・・・・)微かな物音(・・・・・)に。




 「ああ、もう」

 「――ッ!?」


 男の耳に届く少年の声に、男は愕然と声のした方をへと、目が正常だった頃の癖で顔を向ける。

 男によって、確かに頭蓋を砕かれ、未だに男の手には脳漿の混じった血液が付着しているにも関わらず、少年は極当たり前のように口を開いた。


 「こんなに殴られるとは思ってなかった……。服まで直せないのはどうしようもないなぁ」


 廃工場の内部に鳴り渡る音が一層の激しさを増す中で、黄泉路はなんの気負いもない様な自然な仕草で男の胴体に腕を回す。

 それは、男と黄泉路が始めて真正面から相対した時の焼きまわしのような光景であった。

 だが、かつての状況と今とでは、その趣旨は異なっていた。


 「何しやがる、テメェ……ッ!!」

 「時間稼ぎ(・・・・)。ですよ」

 「なん――」


 男が上げる抗議の声に、黄泉路は淡々と応える。


 「ここが崩落するまでのね」

 「こ、の――ッ!!!!」


 黄泉路の言葉に、男は今度こそ、音の正体を理解した。

 そして、それと同時に黄泉路が狙っていたものの正体をも、男は悟る。


 「僕に注意を向けてもらえるように、努力した甲斐があった」

 「テメェ……いつから……ッ!」


 そう、黄泉路が勝つ為の手段。それは、場所そのもの(・・・・・・)を武器とすること。

 激しく動き回ったのは、黄泉路へと向けた男の攻撃が、建物の支えを破壊する様に仕向ける為。

 慣れない挑発を繰り返したのは、男の注意を、黄泉路という単一の敵にひきつけ続け、崩れ、脆くなって行く建物を意識させない為であった。


 「純粋な殴り合いで勝てないと思ったとき、からかな?」

 「しャらくせェマネを……」


 殴り合いで勝てない。だからといって、負けて良い訳ではない。

 黄泉路は自身が弱い事を、誰よりも良く知っている。だからこそ、目的に対して手段を選ぶなどという強者の理論を、端から持ち合わせていない。

 どこまでも生きる為に貪欲で、一度覚悟を決めた目的を達成する為ならどんなことでもしてみせるのが、黄泉路という少年であった。


 「僕は弱い。だから、どんな手でも使うよ」

 「く、そッ」

 「卑怯だとは、言わせない」


 能力者でもなく、ましてや老人である朝軒夫妻を弄ぶ様に殺した男にだけは、言わせない。

 そう心の中で付け加え、黄泉路は拘束した腕に力を込め、足を地面に突き刺すようにして男を固定する。

 男はがむしゃらに黄泉路を引き剥がそうと暴れるが、初めてこの体勢に持ち込んだ際にも、男は黄泉路の拘束から逃れることはできなかった。

 だからこそ、黄泉路は拘束する手段として用いたのだ。


 「ぐ、オォォ!!!」


 そして、黄泉路が待っていた時が訪れる。

 宙吊りになっていた梁の一部が崩落し始め、黄泉路たちに程近い位置に轟音を立てて落下する。

 その衝撃が壁を伝い、脆くなった屋内全体が鳴動するように連鎖してゆく。




 視界を奪われた男は、そこかしこで響き始める崩壊の音に、空気を伝って肌に触れる衝撃に、ここへ来て初めて、死というものを意識した。

 男は奪う側で、相手は常に奪われる側だった。

 だからこそ、男は戦いを楽しんでこそいたが、自身が死ぬという事を真剣に考えたことはなかった。

 潰された視界の中でもはっきりと感じる目の前の、自身を細腕で拘束してのける少年の冷たい感触。それこそが死なのだと、男は理解する。

 これほどまでにおぞましいモノが死なのだと、男は、初めて恐怖した。


 「ウ、ガァァアァァアアァァァァアァアァアァ!!!!!!」

 「うるさいよ」


 冷ややかな少年の声。内側にするりと入り込み、希望を刈り取るような声音にも聞こえ、男は更にがむしゃらに暴れ散らす。


 「(離せ、離せ!!! 離せッてんだよクソがァ!!!!! 俺が、俺がこんな所で死んでいいはずがねェんだよォ!!!! クソッ、クソッ、クソォ!!!!!)」

 「――人を殺しておいて、自分は死にたくない?」

 「な、ん――」


 唐突に投げかけられた問いに、男は一瞬身動きを止めた。

 男にとって、考えるまでもない事だったはずのその問いに、男は思考が止まる。

 奪う側で、奪われる側の気持ちなど、考えたこともなかったが故に、その問いに対する答えを男は持ち合わせていなかった。


 「ふざけるな(・・・・・)!」


 殺意、そう表現するのが的確な黄泉路の短くも激しい激昂を聞いた途端。

 示し合わせたかのように男の思考が空白に染まる。






 崩落した天井が梁を、柱を飲み込んで、男の意志を、黄泉路の身体を、その場にある全てを諸共に押しつぶした。

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