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4-30 朝軒21

 緩やかに浮上した廻の意識が、薄暗い光景を視界に捉える。

 口元に噛まされた湿った布のせいで口で呼吸することができず、鼻腔から埃と土の匂いの混じった空気が肺へと供給されると、思わず咳き込みそうになって目尻に涙がたまる。

 息苦しさに猿轡をはずそうと手を動かそうとすれば、きつく括られたロープが鉄の支柱に擦れ合ってぎしぎしと軋んだ音を立てながら細く華奢な腕を締め上げた。

 鈍い痛みに今度こそたまった涙が溢れ、元々雨によって濡れていた頬に新たな水の軌跡を残す。

 思わず漏れた呻きが布を介して曇った響きへと変わるも、やや離れた位置から聞こえた音にハッとなって廻は息を飲み込む。

 目覚めている事を悟らせぬよう、緩やかに薄目を開けて自身以外の音の発生源の方へと視線を向けた。


 『……』


 何かを耳元へと宛がう仕草をしている巨躯の後姿に、廻は会話を盗み聞こうとじっと耳を済ませる。

 やがて、苛立ち紛れに貧乏ゆすりを始めた男が至極面倒臭そうな声音を隠しもせず、通話相手に対して口を開く。


 「――だからよォ、ガキは攫ッて来たつッてんだろォが。……だァ!! うるせェうるせェ。そんなに気になるならテメェでやれ」

 『――。……』

 「チッ……」


 廻の耳には通話相手の発言が届く事はなかったものの、それでも巨躯の男に旗色が悪いらしい事は容易に理解する事ができた。

 というのも、男は終始機嫌が悪そうに電話先に聞こえよがしの舌打ちをしていたからだ。


 『――』

 「判ッた判ッた、もし来たら回収しといてやんよ。……まァ、そう都合良く来るとは思えねェがな」


 どうやら言い負けたらしい。

 これ以上議論を重ねるよりも早く会話を切り上げたいという調子で男がため息をはいて首を振る。


 「あァ、わァッてるよォ。……そッちのガキはぶッ殺しても良いんだろ?」

 『……。――』


 通話が終了したらしい事を悟り、廻は再び気を失った振りをして様子を窺う。

 電話口で2、3会話を交わして携帯をしまった男が廻の方へと近づいてくる足音に、胸の鼓動が否応なし早くなるのを感じていた。

 気絶させられてこの場所へ連れ出される直前に廻が見たのは、薄暗く埃っぽい工場を定点から眺めるだけの光景であった。

 それはつい先ほど、目が覚めてすぐに見た光景そのものであった。つまりは、既に予知で把握していた状況は終わっていることになる。

 自身はこれからどうなってしまうのか。不安に押しつぶされそうになるのをじっと我慢して、廻は狸寝入りを続けていると、不意に頬に衝撃が走る。


 「――ぅぎッ!?」

 「はッ。やッぱり起きてやがッたか」


 驚きのあまり、思わず顔を上げてしまった廻の目が、男の強面を捉える。

 男の嗜虐的な瞳に映りこんだ自身の青白い顔を認識して、廻は思わず喉を鳴らす。

 遅れてやってきた痛みすら再び遠のくほどの緊張の中で男がにやりと口の端を吊り上げて粗暴な笑みを浮かべた。


 「よォ、お前」

 「……」

 「未来、見えるんだってなァ?」

 「――ッ!?」


 男の口から漏れた言葉に、廻の息が詰まる。

 どうしてそれを、と。自身の口から漏れなかったことを廻が内心で震えに感謝するのも束の間、男は更に言葉を重ねた。


 「お前ん家に毎日足繁く通ってたもう1人のガキィ、アイツがここにくるか、予知しろよ。出来んだろォ?」


 口を戒めていた布を強引に解けば、久方ぶりの十分な空気の供給を得た肺を満たす湿った鉄臭い匂いに廻は思わず数度咳を零す。


 「げ、ほっ、けほっ、ぇ……ぅ」

 「あん? なんとか言ッてみろよォ!」


 男の低く腹に響く様な声音が廻を責め立てるも、当の廻の口からはカチカチと歯が小刻みに当たる音と荒くおびえた吐息が漏れるのみ。

 知っていたとしても語る事はなかっただろうが、そもそもをして、今の廻に予知するだけの余裕はなかった。

 一向にまともな音を発する様子のない廻に、男は痺れを切らしたように舌打ちを響かせる。


 「チッ、使えねェなァ……まァ、いい。こなかッたらお前を売ッ払ッて仕舞いだ」


 これ以上返答を待っても仕方がない、そう判断した男は踵を返す。

 知らないといっても無駄かもしれないと思っていた廻からすれば意外であったが、男の目的を考えれば廻が手を上げられることはそもそもとしてありえないのだ。

 廻に背を向けたまま、男は廃棄された機材の上にどかりと座りこんで朝軒邸から強奪してきた金品の数える作業を再開する。


 「現金はこんなもんか……。ま、本命からすりャあはした金だなァ」


 男は判り易い種類の強盗であり、人攫いである。

 廻を攫ったのも、強盗ついでに好事家に売り渡すつもりであったからに他ならず、男から見ても整っている――男にしてみれば、ただ、いい値がつきそうだという程度の認識でしかないが――廻を無駄に傷物にしてしまうのは、商品価値が下がるだけなのであった。

 能力者のみの集団だけあって能力者だというだけで親近感を抱く者も少なくはないが、孤独同盟は自由な集団であり、個々の趣向や手法に口出しすることは原則的に起こり得ない。

 そして、男は完全なる実力主義趣向であり、それに基づいた利害関係程度以上の考慮をすることはない。

 男にとっての廻の価値などその程度でしかなかったことが、廻にとっては幸いであった。

 程なくして、身支度を終えたらしい男が立ち上がり、その音に廻はびくりと肩を揺らす。


 「う、し。朝になッちまう前にづらかるとするかァ」

 「――っ」


 どうにかして逃げ出さねば。

 歩み寄ってくる男を前に、廻が慌てて周囲を見回した時だった。


 ――ガシャン。


 工場の外で、金属製のフェンスが揺れる音が響いた。

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