4-26 朝軒17
廻の瞳から溢れ落ちる雨が止み、午前よりも弱くなった様子の雨が窓の外で奏でる音色が空調に紛れる。
どちらからともなくそっと離れてお互いに顔を見合わせ、どう言葉を紡ごうかと迷うように視線で互いに譲り合う。
そうこうしている内に、黄泉路の内に先ほどはその場の流れとはいえ、大見得を切ってしまったなと後悔が顔を出し始めてしまい、黄泉路は湧き上がる羞恥心に蓋をする様に口を開く。
「もう能力を使わなくていい、って言った矢先からで、すごく格好悪いんだけど」
「……?」
「例の脅迫犯がいつ頃襲ってくるかとか、予知できたりしないかな?」
「……ぁ」
気恥ずかしげに頬をかきながら問いかける黄泉路に、廻も言われて漸く気づいたように小さく声を漏らす。
いくら廻の能力が原因で不幸を呼び込む可能性があるのだとしても、この喫緊に限った話で言うならば頼らざるを得ない。
既に脅迫状という直接的な被害が発生している以上は、この先起こるであろう事に備えなければならないからだ。
黄泉路には、自身一人で朝軒家全員を守りきれるという自信はない。
下手に驕り慢心するだけの経験がないとも言うが、今回に限って言うならば黄泉路の判断は間違っていないだろう。
使える物は何でも使う。それが黄泉路のスタンスであった。
「判らないなら良いんだ。能力を使うのも、これで最後で良い」
諭す様に声をかける黄泉路であったが、廻の瞳を覗き込んだと同時に肌が粟立つ。
見てはいけない、知ってはいけないと本能が叫ぶような何かが、廻の瞳の内側に渦巻いていた。
戦慄して固まってしまった黄泉路はそこから目を離すことも出来ずにいたが、幸いなことに廻はそんな黄泉路の様子に気づくことはなかった。
そのとき既に廻は現在の世界とは別のものを見ており、現実の黄泉路がどういった表情をしていたかなど見えていなかったのだ。
廻の瞳に色が戻ってくるのを感じ、黄泉路はハッと我に返る。
「……何か見えた?」
内心の動揺を隠すように、努めて緩やかな口調で問いかける黄泉路に対して廻はふるふると横に首を振った。
そのこと自体が良かったのか悪かったのか。黄泉路には判断することもできず、また、廻が何を言う様子もなかったことから小さく息を吐く。
「そっか、それじゃあ仕方ないね。何もみえなかったってことは、しばらくの間は何もない、って事でいいんだよね?」
「はい、たぶん。そうだと思います……」
「……油断はできないから、何かあったらすぐ連絡してね。文字通り飛んでくるから」
自信なさ気に答える廻の頭にぽんと手を置いて、黄泉路は優しく撫でる様にしながら今後について、黄泉路が考えてきた案を説明する。
「姫ちゃん――さっき僕と一緒にいた女の子がね、僕たちと同じ能力者で、遠い場所を一瞬で移動できる能力を持ってるんだ」
「そ、そうなんですか?」
黄泉路の言葉に、そういえば先ほど階下に見知らぬ子が居たなと思い至った廻は思わず感心したように声音が高まる。
自身以外の能力者と遭遇したことのない廻にとって、瞬間移動能力を持つ少女というのは大いに気を引くものであったからだ。
先日の出来事もあり、黄泉路が能力者であるということに疑いの余地はないものの、どうした所で黄泉路の能力は派手ではない。というより、むしろ地味な部類である。
よくある能力と言われればそれまでであるし、なにより日常生活を行うにおいては全くと言っていいほど能力が発揮されないのだから仕方のないことであった。
「あの、能力者って、ほかにどんな人が居るんですか?」
これまで、他人を寄せ付けないようにと抑えていた好奇心に負けて、年相応の表情で興味津々と言った具合で問い掛ける廻に、黄泉路は夜鷹支部へ着たばかりの自身を思い出して小さく笑う。
「んーっと。僕もそんなに色々な能力者と会ってる訳じゃないから、期待に副えるかはわからないけど」
前置きをした上で、黄泉路はどんな話をしようかと記憶の引き出しを探りながら取捨選択をする。
夜鷹支部の面々は話し易さとしては確実であった。しかし、いくら害のない相手であっても、黄泉路は親しい人の秘密をぽんぽんと話そうと思うほどの軽薄さは持ち合わせていない。
となれば消去法として、黄泉路にとってどうでもいい、なおかつ、秘密を暴露したところでなんら不都合のない相手を選ばねばならない。
結果、黄泉路は自身が施設内の実験の際に引き合わされた能力者について、刺激の強い部分は意図的に省いて話していくのだった。
そろそろ話題も尽きようかという頃。
控えめなノックの音がして、黄泉路は話を区切る。
「よみにい。いる?」
扉の外から聞こえてくる少女の声に、黄泉路はベッドから立ち上がって壁掛けの時計へと目を向ける。
「ごめんね、そろそろ良い時間だから、あんまり長居するのもね」
「ぁ、はい。わかりました……」
一日中降り続いた雨によって時間の感覚が薄れていた所為であっという間に過ぎ去ったという印象が強いものの、時計はすでに夕刻を指しており、普段ならばそろそろお暇する時間であった。
扉を開ければ、姫更がいつの間に取り出したのか、きた時には持っていなかったいつもどおりのテディベアを両手で抱いたまま立っていた。
「よみにい。マーキング、おわった、よ」
「うん。ご苦労様。ありがとうね」
労う様に頭をなでれば、姫更は擽ったそうに目を細め、しかしすぐに黄泉路の手を引いて部屋から連れ出したかと思えば、廻に対して黄泉路を盾にするように隠れてしまう。
「かえろ?」
「え、っと、でも巌夫さんたちに挨拶していかなきゃじゃ?」
「ん。わたしが、さきにした」
どうしてもこのまま帰りたいらしく、姫更がぎゅっと黄泉路の服の裾を掴む。
人見知りの気の強い姫更の様子に苦笑しつつ、黄泉路は廻の方へと振り返る。
「えっと、それじゃあ、また明日」
「ぁ、はい。また……明日」
小さく答える廻に手を振ろうと黄泉路は片手を上げかける。
しかしその直後には姫更に能力によって転移させられる感覚が訪れ、しっかりと手を振るよりも早く黄泉路の姿は朝軒邸から消えてしまう。
この時黄泉路は――いや、当事者である廻ですら、大きな思い違いをしている事に気づいていなかった。
それが返す波となって目前まで迫っている事を、今はまだ、誰も知らない。