4-20 朝軒11
雨音が奏でる自然の音楽を背景に、黄泉路はこの日起きた事を笹井へと語る。
最初こそ、普段よりも早い帰宅であった黄泉路に対して少しばかり驚いたような顔をしていた笹井であったが、話を聞くにつれてその表情が徐々に険しくなっていった。
「――と、いうわけなんです。笹井さん。増援の要請、お願いできますか?」
「……わかりました。各所に連絡を通してみましょう」
「お願いします」
ひとまずは援軍要請をしてくれるらしい笹井に感謝を述べつつ、席を立った笹井の背中を見送っていると、黄泉路の腕を控えめに引く感触に気づいてそちらへと顔を向ける。
姫更がじっと黄泉路を見上げながら、普段どおりの読みづらい表情で小さく首をかしげる。
「よみにい。こまって、る?」
「……んー……どうだろう」
先ほどまでの会話の間も同席してはいた物の、例によってご馳走されていた駄菓子の方に集中していた様子であった為、まさか姫更が話の内容を理解していたとは思っておらず、黄泉路はやや面食らったように首をかしげる。
実際困ってはいるのだが、それがどういった種類の困りごとなのか、黄泉路は判断がつかずにいた。
その様子をどうやら我慢していると捉えたらしい姫更は、誰が教えたのか、手を伸ばしたかと思えば黄泉路の頬を挟み込むように両手で黄泉路の顔に触れ、黄泉路の顔が正面から姫更を捉えるように促す。
「ためこむの、だめ」
「……ありがとうね」
むすっとした表情のまま見上げるように睨む姫皿に、黄泉路は小さく笑みを浮かべる。
しかし、その笑みが姫更にはまだ黄泉路が本気で頼ってくれるつもりはないように思えて――実際、黄泉路にその発想はないのだから、あながち間違いともいえない――黄泉路の両頬に触れたままの手でむにむにと黄泉路の頬を揉み抓る。
「んにゅ……ちょ、姫ちゃ……んぶっ」
「……ふふ」
「ありぇ? 姫ひゃん、今わら――いひゃいいひゃい」
「むぅ」
珍しく笑う姫更の様子に黄泉路はきょとんとした声を上げてしまうも、誤魔化す様に強く頬を抓った姫更によって黄泉路の言葉がかき消される。
その後どうにかして姫更に手を離してもらえないかと考えては見たが、これといった有効な手段を思いつく事も出来ず、黄泉路は暫しの間姫更が満足いくまで頬をいじられ続けるのであった。
「……満足した?」
「……うん」
最初は不満があっての頬を抓ると言う行為であったはずだが、いつの間にやら黄泉路の男のものにしては弾力がある頬の感触を楽しんでいたらしい姫更は、心なしか満足げな顔で頷く。
やっと解放された黄泉路の頬は薄紅色に腫れていたが、それもすぐに平時のやや白い肌へと戻ってしまった事に姫更が仄かに不満そうな視線を向ける。
その視線に気づいた黄泉路がさっと姫更の手の届かない位置に顔をずらすと、姫更は再びむすっとした表情を浮かべた。
ただ、それ以上の追撃はあきらめた様子であることに黄泉路が内心でほっと息を吐いていると、席をはずしていた笹井が居間へと戻ってくるなり、何かを察した様子で黄泉路と姫更を交互に見比べて笑みを深める。
「本当に2人は仲が良いですね」
「あはは……」
「まぁ、それはさておき。援軍要請の依頼は出してきましたよ」
「ありがとうございます」
「ただ、緊急性があるとはいえ、依頼が依頼ですから、受けてもらえるかどうかは……」
言葉尻が窄み、笹井の濁すような調子で頬をかく。
今回の援軍要請を依頼として起こすならば、内容としては孤独同盟と思しき襲撃者から依頼人を守る、という事になる。
しかし、これは完全に戦闘を前提とした警護依頼に該当するものであり、そうした依頼を好き好んで受けようとする者はそう多くはない。
依頼、という形式をとっている以上、成功時には一定の報酬が入る仕組みにはなっているのだが、今回に限っていえば、援軍はつまるところ黄泉路の依頼に乗っかる形になるため、報酬もその分少なくなってしまう。
ただでさえ他の依頼に比べて危険度が上がっているにもかかわらず、報酬が悪いとなれば受け手が少ないというのも頷ける話である。
「わかりました。……援軍についてはあまり期待せずに、自力で解決できるか努力してみます」
黄泉路としても、ここまで関わった朝軒家の面々を他の人に任せて放り投げるつもりは更々なく、頼れない以上は自身で何とかするしかないと、自身をして小心者だという自覚のある黄泉路にしては珍しく責任感をもって笹井を見返す。
そんな反応と裏腹に、笹井はやや困ったような顔色を浮かべる。
笹井にしてみれば、黄泉路が武闘派で知られる夜鷹支部のメンバーである事は理解してはいても、ここ1週間寝食を共にすれば、黄泉路が外見相応の穏やかな少年である事くらい容易に理解できてしまうのだから、不安になるのも当然といえた。
「……僕にも戦うだけの力があればよかったんだけどねぇ」
「いえ、そんな、これは僕が受けた依頼ですし……」
その様な笹井の心配をよそに、自身の外面的な評価に対する考えがすっぽりと抜け落ちてしまっている黄泉路は気にしていないと示すように首を振った。
黄泉路の態度や言葉端から、微妙に会話に齟齬が生まれているような違和感を覚えつつも、指摘したところで現状は黄泉路が対処するほかないという現実的な問題を思い出し、諦めた様に小さく首を振る。
「……姫更ちゃんの為にも、くれぐれも無理だけはしないようにしてくださいね」
「……? えっと、はい」
ただ、釘でも刺すようにそれだけを告げて、笹井はこの話は終わりだとばかりに黄泉路に背を向け、店舗のほうへと歩いてゆくのだった。