4-15 朝軒6
「こんにちはー」
「あらあら、いらっしゃい。今日も毎日ご苦労様です」
「いえいえ、此方こそ、連日お邪魔させていただいてすみません」
「気にしなくて良いのよ。主人も礼儀正しくていい子だって、食事の時に迎坂くんの事を褒めていたんだもの」
「妙恵、お喋りが過ぎるぞ」
「あらあら、主人ったら照れちゃって」
「あはは、ありがとうございます」
「……ふん」
黄泉路が依頼を受けてから1週間程が経過し、黄泉路はこの日も朝軒邸へと顔を出していた。
初訪問から毎日顔を見せる黄泉路に対して、最初こそ警戒心を潜ませた視線を向けていた巌夫であったが、今ではすっかり黄泉路に対する険は取れていた。
態度が硬いように見えるのも、最初に硬い態度で接してしまった為にどこで折り合いをつけるべきかと迷っている調子ですらある。
黄泉路の側としては最初から気にしてはいなかった上、受け入れてもらうことを目的にしていた為、そうした巌夫の態度はむしろ好ましくすらあった。
元々標からの連絡が入るまでじっくりと腰を落ち着けて確実に依頼を完遂するつもりであり、性急に事を運ぶ必要も感じられないのだから、ここであえて触れる必要もないという判断である。
「それじゃあ、廻君に声をかけてきますね」
「ええ、お願いね」
数日の間にすっかりとお互いに慣れてしまった言葉を交わし、黄泉路はリビングへは向かわず直接2階へと向かう。
階段を上りきれば、やはり閉まり切った廻の私室の扉が見て取れ、仕方ないこととは思いつつも、僅かな落胆が黄泉路の心に過ぎる。
しかし、今日に限っては廻の部屋の前の台の横に昨日まではなかったものを見て取れた事で黄泉路の意識はそちらへと向く。
「あれ?」
近くまで寄ってみれば、すぐにそれは椅子だとわかり、位置的にここ数日黄泉路が待機していた場所でもある為、黄泉路はすぐにこれが妙恵による好意であると理解するに到る。
「(気を使わせちゃったなぁ……)」
多惠の年齢としては、簡易的な組み立て式のパイプ椅子であっても運ぶのは骨が折れるだろう。
黄泉路は後でお礼を言わねばと考えながらも、まずは数日での恒例となっている廻の部屋への呼びかけを始めることにした。
「おはよう、廻君。外は夏まっさかりって感じだけど、空気が湿っていたから夕方からは雨になりそうだね」
「……」
「今日は、お世話になってるお店の店主さんにお菓子を貰って来たんだ。廻君と同じくらいの妹……みたいな子がいるんだけどね。その子も一緒に選んでくれたんだ。台においておくから、もしよかったら食べてね」
「……」
反応はない。ただ、扉を隔てて話を聞いているという雰囲気を感じられることに、黄泉路はまずまずの手ごたえを感じていた。
当初のような明確な拒絶が続くようではどうした物かと思ってしまうが、こうして無反応ながらも一応の関係は作れていると考えれば前進はしているのだと思うことができた。
一方的な感覚なのかもしれないという自覚はあるものの、黄泉路は自身の精神衛生上、少しずつではあるが進展していると思いたかったのだ。
それから暫くの間、何時もの様に扉の前に陣取って廻が出てきてくれるのを待つ。
この行為自体、現時点ではあまり効果的でないとの自覚はあるものの、ほかに明確な手段を思いつかないという事もあり、惰性でもしないよりは良いと言う結論から、黄泉路はこうして毎日、扉の前で待ち続けていた。
体内時計でちょうど昼を過ぎる頃。
階下から階段を上がってくる足音が聞こえ、黄泉路はそちらへと目を向ける。
「もうそろそろお昼の時間だから、迎坂くんも一緒にどうかと思って」
「ああ、ありがとうございます。それと、この椅子、妙恵さんが?」
「いつも床に座らせたままじゃあお客様に申し訳ないと思ってねぇ」
「気を使わせてしまってすみません」
「いいのよぉ。こんな年寄りの相手をしてくれるだけでも有難いんだから」
雑談を交えつつ階段を降りる。
食卓へと招かれれば、黄泉路と妙恵を待つように巌夫がラジオに耳を傾けながら既に席についており、2人の姿を認めて視線で席へと促した。
「ごちそうになります」
「ああ。……それで、廻の様子は?」
「一応、話を聞いてくれている気配はするんですが、まだ言葉を返してくれるまでは」
「そうか」
「すみません、大してお役に立てず」
「良い。親族の私達にすら距離をとっているんだ。突然やってきた君にすぐすぐ心を開かれては私達の立つ瀬がない」
「すみません」
席へとつきながら、経過報告めいた会話を交わしていると、多惠が3人前としては少しばかり多すぎではないだろうかと思える量の焼きそばを大皿に盛って現れる。
「迎坂くんは成長期だから、足りないと悪いと思って」
「ああ、なんかすみません」
「いいのよ。孫が増えたみたいで嬉しいもの。ねぇ、あなた」
「早く食わんと飯が冷めるぞ」
「あらあら、そうですねぇ」
強引に話を切り上げる巌夫のわかりやすい態度に、妙恵は楽しげにころころと笑い、黄泉路もつられた様に笑いそうになるものの、曖昧に微笑むのみにとどめる事に成功して手を合わせる。
3人のいただきますが重なって始まった昼食は、黄泉路にとってはとても心地のよいものであった。
黄泉路に祖父母はいない。
施設へと収容される、その随分と前には既に他界してしまっているからだ。
廻ほどの年の頃に亡くなったおぼろげな記憶の中の祖父母と朝軒夫妻を重ねてしまうのも、黄泉路が心地よいと感じられる理由なのかもしれない。
――ラジオの音声をBGMに穏やかな昼食を終えた所で、黄泉路の頭にキンキンと音声が響いた。