4-9 笹井支部2
早くも黄泉路に渡したのと同様のお菓子を開けて爪楊枝で刺してひとつずつ口へと運び始める姫更を一瞥し、笹井は改めて口を開く。
「さて、こちらが受けている依頼は、担当地区内での依頼遂行者への支援となっています。具体的には日を跨いでの活動の場合の宿や食事の提供ですね」
確認するように指折り数えて言う笹井に、黄泉路は無言のままこくりと頷く。
依頼の話となってからは、先ほどまでの柔らかい空気はどこか鳴りを潜め、心地のよい朝の空気が入り込む中、澄んだ緊張感が居間を支配していた。
「依頼の内容についての大まかな把握はしていますが、細かい事情等は聞かされておりませんのでご了承を」
「あ、はい。了解しました」
「支部長といってもほとんど僕一人の支部ですからねぇ。僕もちょっとした事ができる程度ですし。依頼に関係があるのは僕だけ、と思って頂いて大丈夫です」
「……わかりました。笹井さんの支部は、他に誰も居ないんですか?」
「ええ、一応は寄り合いとしての役割はありますが、正式な人員、という意味では僕だけです」
「そんな支部もあるんですね」
事前に聞かされていたとはいえ、本当にそうなのだと当事者に断言されてしまえば黄泉路は思わずといった具合に相槌を打つ。
「夜鷹が特殊だという方が正しいでしょうねぇ。他の支部は大抵似たり寄ったりだそうですよ」
「そうなんですか?」
「一切能力者が所属していない支部というのも珍しくないそうです。逆に能力者しか所属していない支部の方が少数派でしょうね」
言われて見れば、黄泉路は道敷出雲として生きてきた15年の間、能力者に出会う事がなかった。
それは、能力者が自身の能力を隠していたという事も勿論あるのだろうが、それを抜きにしても社会全体で見た場合の能力者人口が少ないからなのであろう。
であるならば、いかに能力者の保護を主張している団体とはいえ、各地に存在する支部が能力者であふれているとは考えづらい。
改めて自身のおかれた環境が特殊だったのだなと納得した黄泉路は、自身の依頼に注力すべく話を切り出す。
「……笹井さんの依頼の方は了解しました。僕が受けた依頼、朝軒廻君との接触についてなんですが、彼の住所までの道順や、この周囲に何があるのか等、教えてもらっても良いですか?」
「ええ、ええ。わかりました。地図を持ってきますので、少々お待ちくださいね」
「すみません。お願いします」
よっこいしょ、と。年相応の緩慢な所作で席を立った笹井が戸棚から引っ張り出してきた地図をちゃぶ台の上に広げる。
黄泉路は地図に目を落とし、ふと、自身がかつて住んでいた住宅街の地図と雰囲気が似ているなという感想を抱く。
東都という都会の高層ビルや店舗、路線が犇く都会の地図と、自身の住んでいた住宅街の、家屋ばかりが軒を連ねる比較的閑散としたベッドタウンの地図程度しかまともに見た事の無い黄泉路である。
それ以外の基準を持たない黄泉路にとっては、片田舎の住宅地の地図が自身の住んでいたベッドタウンの地図に似ている、と思うのも無理からぬ事であった。
「まず、ここが僕の店兼自宅でもある【笹井支部】」
地図上を指差して示された、住宅街の中では比較的大きな通りに面した立地に、黄泉路は頷いて先を促す。
「次に、ここが迎坂君が依頼で訪問する予定の朝軒さんのお宅で、後は特にこれといった特徴はないねぇ」
道順を示すように道をなぞりながら示された地点をしっかりと記憶するように、何度か地図上に目を走らせていた黄泉路はふと、町のはずれの方に大きな空白があることに気づく。
「えっと、ここは?」
「ああ。何年か前までは工場があったんだけどねぇ。ほら、住宅が近いだろう? 住民からの苦情もあって、今は閉鎖されているんだよ」
「なるほど……」
「まぁ、子供たちにしても住宅街からはちょっと離れているし、大人にしても用事もないのに寄り付かないからね。居間は完全に無人の、放置された廃工場といった所だよ」
うちに寄る子達にも近づかないように言ってあるんだよ。と、好々爺然とした笑みを浮かべる笹井に、黄泉路はなるほどなと小さく頷いて納得を示す。
「わかりました。 ……普通に訪問するには、まだちょっと早いですよね」
「朝軒さんのお宅はどちらも定年しているから、今の時間でも在宅しているはずだよ。ここからゆっくり歩いていくなら丁度良い時間になるさ」
「……そうですか。ありがとうございます。じゃあ、これから向かってみますね」
「困った事があったらすぐに相談なさい。僕では力になれるかどうか分からないけれど、人生経験が役に立つこともあるだろう」
「はい、頼りにさせて貰いますね」
依頼についての話も終わり、そろそろ出発しようと黄泉路は席を立つ。
裏手に脱いだ靴を拾って店舗の方へもって行こうとする背中を不意に引かれ、黄泉路は其方へと顔を向けた。
「あれ? 姫ちゃん、どうしたの?」
黄泉路が顔を向けた先では、どうやら食べ終わった後も黙って話を聞いていたらしい姫更が黄泉路の制服の袖を摘んでいた。
目線を合わせるようにしゃがみこんだ黄泉路に、姫更はテディベアで顔の半分を隠すようにしながら小さく告げる。
「わたしのいらい。ここまで……。かえってほうこく、しなきゃだから」
「ああ、そっか……送ってくれてありがとうね」
「ん」
頭をやんわりとなでてやれば、姫更は僅かに嬉しそうに目を細めてから笹井の方へと体をむける。
テディベアに手を振らせ、笹井がそれに微笑んで手を振り返すのを確認した姫更はそそくさと裏口に脱いだ靴を履いて空間に掻き消えるようにして姿を消す。
「それじゃあ、僕もそろそろ出ます。色々ありがとうございました」
「いやいや、孫が増えたみたいで楽しい時間だったよ」
丁寧にお辞儀をして謝意を伝える黄泉路に、笹井は楽しげに手を振り返す。
初めての依頼に僅かに緊張していた黄泉路の心をほぐしてくれた笹井に内心感謝しながら、黄泉路は通勤通学のラッシュが落ち着き始めた表通りへと出て行くのだった。