4-8 笹井支部1
次に黄泉路の視界が安定して形を取り戻した時には、すでにそこは夜鷹支部の見慣れたコンクリート作りの灰色の景色ではなく。
「……」
どうやら民家の裏庭らしく、手入れしてから暫く経っているらしい芝生と雑草の入り混じった庭とコンクリートの塀に囲まれた庭の隅にひっそりと佇む家庭菜園。
勝手口と思しき裏口が唯一この場から繋がっている場所であるらしく、姫更に手を引かれて初めて黄泉路は自身が惚けていた事に気づく。
「よみにい。こっち」
「あ、うん」
我に返った黄泉路の手を引き、勝手知ったると言った様子で裏口のほうへと歩いてゆく姫更に急かされて、黄泉路は慌てて姫更と並んで歩く。
しかし、塀の外に見える空はまだ明るくなって間もなく、時刻としては午前7時にもなっていない頃だろう。このような時刻に訪問する事自体失礼なのではないか。
その様な思考が頭によぎったが時既に遅く、なんのためらいもなく姫更が裏口の戸をトントンと叩く。
「さすがにこんな朝早くから訪ねたらまずいんじゃない?」
「……?」
どうやら姫更には訪問時間の概念がないらしいと、小首をかしげて見上げる少女を見て確信した黄泉路は、兄としてその辺の常識を今からでも教えていかねばなるまいと考えざるを得ないのだった。
「はいはい、どなたかな?」
黄泉路が依頼とは無関係なところで決意を新たにしていると、建物の中からぱたぱたと足音が響き、勝手口の鍵が開く音がする。
続けて現れたのは、人がよさそうな還暦に差し掛かろうかという年頃の男性。
男性は黄泉路をみて一瞬首をかしげ、しかしすぐに隣に並んだ姫更の姿に理解を示したようであった。
「いらい。はこんで、きました」
「ああ、はいはい。よくきたねぇ姫更ちゃん。いらっしゃい。 ……それと」
「朝早くからすみません。【夜鷹支部】から来ました。迎坂黄泉路です」
「――ほぅ。君みたいな若い子が、夜鷹にねぇ……」
「……?」
夜鷹、という単語に、瞠目した様な、興味の光を宿した瞳を向ける男性に、黄泉路は首をかしげる。
姫更も特に思い当たる節は無い様子で、二人そろって少しばかり困惑したような表情を浮かべていると、男性はそれに気づいて改めて口を開く。
「……いや、すまないね。依頼を受けたというのは聞いていたんだけれど、まさかこんなに若い子が来るとは思って居なくてね」
「ああ、そういう事でしたか」
「まぁ、この話はこの位にして、どうぞ狭い家ですが」
「すみません、失礼します」
「しつれい、します」
男性に促され、黄泉路と姫更は家に上がりこむ。
勝手口から入れば、すぐ奥には茶の間が見え、その茶の間の先には土足で歩きまわれる用の、どうやら民家の一部を店舗に改装したような光景が広がっていた。
黄泉路は年齢的にも生まれ育った東都という土地も含めて生まれて初めて見るので知らない事であるが、それは一昔前には片田舎のどこかしらには必ずといって良いほど存在していた駄菓子屋であった。
初めて見る、しかしどこか懐かしさの漂う店内の光景に思わず目を奪われる黄泉路に、男性は仄かに嬉しげな表情を浮かべる。
「笹井駄菓子店へようこそ。……自己紹介が遅くなったが、僕は笹井清蔵といって、趣味で駄菓子屋を営んでいる」
「へぇ、駄菓子屋さん……」
「今時の子供にはあまり馴染みが無いかもしれないね」
黄泉路は実年齢こそ外見とイコールではないものの、人生経験として言うならば確かにまだまだ子供である。
そのため曖昧に苦笑するのみに留めた黄泉路に対し、笹井は孫を見るような柔らかな物腰で小さく笑みを浮かべた。
「とまぁ、趣味と言ってもお店はお店、これくらいの時間なら早くも無いさ」
「あはは……すみません」
「さて、折角来てくれたとはいえ、依頼の事でもあるし、三肢鴉としての話をするとしようか」
「はい、お願いします」
こくりと頷く黄泉路に頷き返し、店が見える位置にある畳敷きの居間の座布団へと座るよう促して、笹井は姫更に目を向ける。
「姫更ちゃん、お店のほうから好きなお菓子を持ってきて良いよ」
「ありがとう、おじいちゃん」
どうやらここへ来た時の慣習であるらしく、姫更は無表情ながらも歳相応の仕草でぱたぱたと店舗スペースの方へと足早に歩いてゆく。
「姫ちゃん、良くここに来るんですか?」
「それほどの頻度ではないけれどね。近くに来たときには必ず立ち寄ってくれるよ。今じゃあ孫の様なものだねぇ」
「そうなんですか」
お菓子を選ぶ姿を微笑ましげに眺める笹井につられ、黄泉路もちらりと姫更の方へと目を向ける。
どうやらお菓子を選び終えたらしい姫更が居間の方へと戻ってくる所であった。
「ただい、ま」
「ん。お帰り姫ちゃん」
「……よみにい。に」
差し出されたのは、スーパーなどでは滅多に見かける事の無くなった、爪楊枝でつついて食べるタイプのカラフルなグミがプラスチックケースに収められているものであった。
受け取るべきかどうか、ちらりと笹井へと目を向けて確認を取る黄泉路に、笹井は物珍しげな調子で姫更を見ていたものの、黄泉路の視線に気づけば小さく頷く。
「ありがとうね。姫ちゃん」
「ん」
隣へと座った姫更の頭をなでれば、嬉しそうにテディベアに顔を隠す。
「迎坂君は姫更ちゃんと仲が良いのですね。本当の兄妹のようです」
「あはは、ありがとうございます」
二人の様子を孫が増えたような心持で眺めていた笹井が笑い、黄泉路はつられてはにかむような笑みを浮かべるのだった。