4-6 依頼6
標との話で時間を潰した黄泉路は支部から暁の間を通って旅館へと出る。
この時間帯ならば既に果も通常業務としての接客は終わっている為、黄泉路は迷うことなく西館の果の私室へと向かう。
東館の端に位置する暁の間から西館の1階に存在する果の私室へと向かう間、宿泊客と遭遇しないようにと注意を払う事も忘れていなかった黄泉路であったが、幸いな事に誰とも遭遇することなく私室の前へと到着する。
「南条さん、今、大丈夫ですか?」
「――あら、黄泉路君。鍵は掛かってませんから、どうぞお入りくださいな」
「はい、失礼します」
扉をノックして伺い、返答を受けてから黄泉路は部屋へと入る。
客室と同じ畳敷きの部屋。控えめで実用性重視の家具が並べられた室内で、果は編み物をしていたらしい手を止めて黄泉路を迎え入れる。
しかし、その姿よりも、黄泉路はちゃぶ台とも呼ぶ様な足の低いテーブル、果の対面に座ってヨーグルトを頬張っている少女の姿に注意が向いてしまう。
「あ、れ。姫更ちゃん?」
「……ん」
「ふふふ。暫くの間姫更ちゃんを預かる事になったの」
楽しげに微笑みかける果に、黄泉路はどうしたらよいのかわからずに曖昧な笑みを浮かべる。
そんな黄泉路の手にある書類を一瞥し、果は笑みを消すと黄泉路に席に着くように促しながら、黄泉路が尋ねようとしていた本題へと触れた。
「さっきリーダーから聞きましたわ。依頼、受けるのでしょう?」
「あ、はい。その事で相談を……」
「そのつもりで姫更ちゃんと待っていたのですわ」
「よみ、おそい」
「あ、はは……ごめんね」
「いい」
よみ、と呼ばれ、一瞬誰の事かと思った黄泉路であったが、それが自分のことを指しているのだと気づけば苦笑を浮かべる。
「とりあえず、お茶を淹れましょうか」
「あ、僕がやりますよ」
「ここは私の部屋ですもの。宿泊客ではなくとも、来客にさせる事ではないでしょう」
黄泉路と姫更のやり取りを微笑ましく見ていた果が席を立ち、それに気づいた黄泉路があわてて立ち上がりかけた所で果に窘められる。
その様子が面白かったのか、姫更の方から小さく笑うような声が聞こえ、黄泉路はそちらへと目を向ける。
普段表情変化の乏しい姫更が笑っている姿に、黄泉路は結局再会出来ずにいた妹を思い出す。
監禁されていた4年を考えれば、むしろ現在は標と近い年齢になっているだろうという理性的な結論には、当然黄泉路も理解してはいたのだが、実物を見ていない事で未だに妹といえば姫更の様な小さな女の子を重ねてしまうのであった。
黄泉路の視線に気づいた姫更が首をかしげる。
「よみ、どうした、の?」
「――いや、ううん。ごめんね」
「なんであやまる、の?」
「姫更ちゃんを見てて、ちょっと、妹の事を思い出してね」
「いもうと?」
「うん。憂――穂憂って言うんだけどね。会えなくなる前が、ちょうど姫更ちゃんくらいの年だったから、つい」
「わたし、よみのいもうと?」
小首をかしげる姿が小動物のようで、黄泉路は苦笑ともつかない様な笑みを浮かべながら、同様に首を傾げてしまう。
「うーん。何て言ったら良いだろう」
「……よみにい?」
「っ」
姫更の言葉に、黄泉路は妹の言葉が脳裏にフラッシュバックする。
――いず兄。迎坂黄泉路が、道敷出雲として生きた15年の間の、掛け替えのない思い出。
目の前の少女が妹と重なるようで、黄泉路は言葉を失ってしまう。
その様子を、機嫌を悪くしたと捉えたようで、姫更はばつがわるそうな、少し悲しげな様子で黄泉路を見つめる。
「よみにい、ダメ?」
「……ダメじゃないよ。姫更ちゃん」
「わたしも、よみにいのいもうと。あだなほしい」
「じゃあ、姫ちゃん、でいい?」
「……わかった」
黄泉路自身でも安直かなと不安になるような愛称であったが、姫更ははにかむように笑みを浮かべてひざに乗せていたテディベアで顔を隠してしまう。
どうやら気に入ったらしい姫更の様子に黄泉路がほっと安堵の息を吐いた所で、戻ってきた果がちゃぶ台に湯飲みを並べながら潜めた笑いを零す。
「良かったわね。姫ちゃん」
「ん」
「それでは、よみお兄さん。本題といきましょうか」
「あはは……」
からかうような調子で席に着く果に乾いた笑いを返し、自身の前に出されたお茶に手をだして、文字通りお茶を濁す。
そんな黄泉路を一瞥し、ちゃぶ台の上に置かれた書類を一瞥した果はなるほどと呟く。
「それでは、書類も目を通した事ですし。夜鷹支部、支部長の皆見として正式に依頼を受理、迎坂黄泉路の受領を確認しました。間違いないですね?」
「はい」
「移動については普段であればカガリさんや美花さんにお願いするのですが、現在2人が不在という事で一時的にではありますが、姫更ちゃんをお借りしています」
「ん。よみにい、おくる」
「あ、なるほど」
どうしてリーダーの側を離れた姿を見た事のなかった姫更を夜鷹支部で預かる事になったという理由がここにあるのだと理解し、納得するように黄泉路は一つうなずいて話の続きを促す。
「……依頼主と最寄の【笹井支部】は早期の受諾をとの事でしたので、黄泉路君には明日には現地に向かってもらいます。良いですか?」
「わ、わかりました」
「それほど気負う必要はありませんよ。現地の支部長、笹井さんですが、温和な方ですし、困った事があれば相談に乗ってくれますよ」
「はい」
「それと、任務の期間は定められていませんので、少しばかり長期になったとしても問題はありません。……ただし、これは私の支部の方針ですが」
一度言葉を区切り、じっと黄泉路の瞳を覗き込むような果に、黄泉路は思わずごくりと喉を鳴らす。
「必ず無事に帰ってくる事。命の危険を感じたならば最悪依頼は破棄しても構いません。何よりも自分の身を案じてくださいね」
「……わかりました」
「よろしい。では、話は以上ですが、質問はありますか?」
死ぬ事のない能力者である黄泉路に対してもこの様な事をいうのは、果の気遣い、優しさなのであろう。
それをかみ締めて神妙な顔で頷く黄泉路に満足した果は、引き締まった空気を緩めるような軽い調子へと声音を戻して問いかける。
「いいえ、大丈夫です。がんばってきますね。皆見支部長」
しっかりした声で、黄泉路は張り切って答えた。