4-4 依頼4
訓練の後、リーダーから依頼の大まかな説明を受けて訓練場を離れる頃には、すでに時刻は午後7時を過ぎており、上部の旅館では丁度宿泊客の食事時であった。
基本的に果は旅館の運営をする片手間に支部を切り盛りしている状態である為、話をするならば時間をずらさねばならない。
果の予定が空くのは平常時であれば午後20時を過ぎたころであり、それまでの間に時間をつぶすとなると、途端に選択肢が狭くなってしまう。
「さて……どうしようかな」
時間をつぶすにあたり、自信の部屋へと戻るというのは選択肢としてありえない。
暇つぶしになるような物を一切持っていないのだから当然と言えば当然であろう。
次に、誰かと話をして時間を潰す事を考えて現在支部に居るメンバーを頭に浮かべる。
しかし、浮かべて早々、誰と話すと言う選択肢が最初からなかったことに気づく。
外出中のカガリ、美花を除けば、この支部のメンバーは果、誠、標の3名なのだが、果と話す為の時間つぶしである為果は除外される。
誠は果と同じく旅館経営の方に重きを置いている為、現在は旅館の方で業務中であろう。
となると最終的に、黄泉路の中でも常に暇をしている印象の強い標しか話し相手が居ないという単純な事実に思い至り、黄泉路はその足を標の私室へと向けた。
元来そこまでアクティブな性格をしているわけではなく、同年代の異性の私室に気兼ねなく足を運べるほど垢抜けていない黄泉路であったが、こと、標に関しては先月の事も含め、どこか異性として扱って居ない節があるのであった。
当人が聞けば不服だと抗議される様な判断基準ではあるが、まさかそんな理由で部屋を訪ねてきたとは露ほども思っていない標は気安い調子で扉を開ける。
『はいはーい。よみちんおひっさー。どーしましたぁ?』
「いや、えっと。依頼、受ける事になって」
『え、えっ! うっそ、マジで!?』
ドアに体重を寄り掛ける様な体勢のまま、驚きを前面に押し出すように目を見開く標に、黄泉路は苦笑と共に書類の入った封筒をひらひらと示す。
「えーっと……これ、見せちゃってもいいのかなぁ」
『あー。はいはい、だいじょーぶですよぉ。どーせ私オペレーター役で仲介するでしょうしぃ。……とりあえず、部屋入りますぅ?』
「うん、ごめんね、唐突にお邪魔しちゃって」
『いえいえ。いーんですよぉ。私は大体暇してますしぃ』
招かれて足を踏み入れた標の部屋は1ヶ月前と変わらない。
と言うよりは、先月にはじめて足を踏み入れた際の堕落した生活っぷりに定期的に部屋の掃除を手伝っていた為、見慣れた光景といったほうが良いだろう。
その所為で黄泉路の中での認識では標は異性として認識されていないという辺り、標の生活態度がどれほどの物かは押して知るべし、である。
『んでんでぇー。よみちんはどんな依頼をうーけたのかなーっと』
部屋に入るなり、ささっと黄泉路の手にした書類をひったくって開き始める標のあまりの早業に、黄泉路は一瞬呆気に取られてしまう。
黄泉路が所在無さ気に標が書類を読み終わるのを待って居れば、ややあってから、幾度か頷きながら書類を流し読みした標が書類を封筒へと戻して黄泉路に手渡す。
『なぁーるほどねぇー。確かに夜鷹が一番近いし、今は皆出払ってるからよみちんが適任かぁー』
「うん。リーダーにもそういわれて」
『え、これリーダーが持ってきたの?』
「そうだけど……」
『あやしー……』
むむむ、と、唸る様な仕草で考え込んでしまう標に、黄泉路は首をかしげる。
依頼という言葉は聞き覚えがあっても、その形態がどういったものなのかに直接かかわる機会はこれが初めてである。
冷静に考えれば、小さくない組織にもかかわらずこの様な案件――依頼主と当事者にとってはその様な言い方は差し障りがあるかもしれないが、事実、この様な案件であれば比較的溢れているのだ――に、組織のトップが直々に末端の職員に手渡しに来ると言うのは確かに不自然であった。
標に指摘されて、知らずの内に流してしまっていた疑問が浮かび上がる。
「そう言われれば……」
『ふつーなら条件に合う人員とか立地の支部のぉ、皆見さんみたいに支部を統括してる人の所に届いてからその支部の人に参加の可否を尋ねる感じなんですよぉー。たぶんこれ、皆見さん通してないんじゃないんですかぁー?』
「えっと、なんでそう思うの?」
『皆見さん、結構過保護ですからぁ。訓練してるっていってもよみちんはまだまだ私と同じで子供ですしぃ。子供を少しでも危ない所に立たせたくないって人なんですよぉ』
「……えっと。僕、実年齢だけならもうたぶん20歳……」
いつ言おう、と。迷っているうちに言いそびれていた事実を口にすれば、ピシリと凍ったように標がその瞳を見開いて言葉を失う。
気にする必要も、改めて問われた事も無かったが故に。黄泉路は今の今まで標はおろか、カガリや美花にすらその事実を口にしていなかった。
数秒の沈黙の後、漸く戻ってきたらしい標はわたわたと手で顔を隠してベッドにダイブし、そのまま布団をすっぽりと被って丸くなってしまう。
『うっそ、えぇぇぇええぇぇえ!!! やだー!!!! 私よみちんなんて気安くあだ名つけちゃった年上じゃん先輩じゃん合法ショタじゃんうーわぁああぁあぁあぁぁあ!!!!』
「あ、あの? 標ちゃん?」
『しかも年上ぶって色々偉そうな事言っちゃったしぃいぃぃぃいぃいいいぃい!!!!!!』
「だ、大丈夫だよ? 気にしてないし、僕もそれに助けられたから……」
『挙句部屋掃除手伝わせちゃってるぅぅうぅぅぅぅうぅううう!!!! 大人の男の人に部屋掃除手伝わせるって女として失格じゃないですかぁああぁあぁぁぁぁああ!!!!!!』
布団の中から飛んでくる念話音声が標の心の叫びを黄泉路の頭の中にキンキンと響かせる。
黄泉路は困ったように苦笑しながら、標を落ち着かせる為にベッドの上に鎮座して震える布団子に声をかけ続けるのであった。