13-68 迎坂黄泉路の超能力戦線
お互いにとって見知った少女の乱入に、黄泉路は安堵を――我部は驚愕を顕わに両者の反応が二分する。
「歩深ちゃん!」
「水端歩深――何故」
我部の驚愕はそのまま、世界を支配し、ほしいままにしているはずの男が完成させた詰みの盤面、そこにひびを入れる不測の事態であることを証明していた。
対極な反応に挟まれた少女は、半透明に景色が貫通した身体で黄泉路へとふり返ったその表情に笑みを浮かべる。
『今の歩深に出来るのはこれだけ』
少女然とした半透明な身体が、徐々にではあるが解れる様にして銀色の粒子へと変わりつつあるのに気が付いた黄泉路はハッとなって声をかける。
「歩深ちゃん、僕は」
『大丈夫。皆いるよ』
――間違ってなかったよね。
――正しかったのかな。
どちらともつかない、どちらを口にすべきか逡巡する様な途切れてしまった問いかけを察している様に、歩深は手を広げ、
『死なない人の力になるから』
大丈夫、と。繰り返す様に黄泉路に笑いかけた歩深が黄泉路を抱きしめる。
重量を感じない、粒子が滞留して人の形を作っているのだと言われれば納得してしまいそうなほどに儚い身体が、黄泉路との接触面を通して解け、歩深を構成していた銀の粒子が黄泉路の中へと吸い込まれてゆく。
「何故だ、取り込んだはずだ、私が全てを、集約したはずだ……! なのに、何故――」
歩深の形が失われ、淡く輝く様な粒子の滞留を黄泉路が纏う。
「――貴方が作る新しい世界よりも、今の世界が好きなんだ」
未だ驚きと戸惑いから復帰できないでいた我部の眼が瞠目に見開かれる。
満身創痍と呼ぶにふさわしい傷だらけの黄泉路の身体が修復されて行く様子に目を瞠った。
「君のいう世界など、既に消えた、私に取り込まれた世界のはずだ――!」
「でも、そうなってない」
断言する。
大きな声でもない、ただ、静かすぎる世界の中で芯の籠った声音が染みわたる様に伝播してゆく中、黄泉路は両の足でしっかりと地面を踏みしめて我部を見上げた。
そこには満身創痍だった少年の姿はなく、戦いが始まった時――否、それ以上に力に満ちた、不死の能力者が黒と銀が絡み合った欠けたままの槍を構え、宙に立つ神にならんとした男へとボロボロの穂先を突き付けていた。
「バカバカしい、彼女が現れたのは確かに想定外だった。だが、わかるとも。水端歩深は成長の概念。適応する能力者なのだからこの状況に適応したとしても不思議ではない。加えてこの世界の原型、私の能力を育んだ揺籃は彼女の持つ無秩序な成長性を押し固めた想念因子結晶だ。核たる能力が共通しているならば干渉とて――」
「理屈としてはそうかもしれない」
黄泉路は否定しない。我部のそれが、まるで自身を納得させようとするようなものだとしても、歩深がいの一番に駆け付けた理由は恐らく間違っていないのだから。
だとして、黄泉路はそれを肯定するつもりもない。
「でもそれだけじゃない」
「他に論拠があるものかね」
「じゃあ、この世界に未だに声が残ってるのは何故?」
「こえ……かい?」
我部は自身の仮説を覆される、そんな直感めいた感覚に思わず耳を澄ませる。
だが、黄泉路の言う声が分からない。聞こえない。
「何を言うかと思えば、どこに声があるというんだい? まさかとは思うが、こうして私と対話をしていることだとは言うまいね?」
「……貴方には聞こえてないんだね」
じっと、黄泉路は我部を見据える。――我部を透過し、その奥を。何かがあるのだと伝える様な眼差しで、黄泉路の視線が我部を捉える。
「貴方にも、声をかけてくれる人がいたのに」
「何を、憐れんでいるんだい!?」
憐憫――というほど明確ではないが、それでも黄泉路のその言葉は我部の奥にあったものを逆撫でするのには十分すぎるものであった。
「確かに傷は回復した。それが何だというんだい? それくらいで状況が覆るとでも――」
会話は終わりと態度で示す我部の周囲に再び能力が浮かび上がる。
多種多様な自然現象の概念が害意の被膜で形成されたそれらを前に、黄泉路は静かに足に力を込めながら告げた。
「貴方のやり方に納得していないから、こうして僕に力を貸してくれる!」
ドッ、と。黄泉路が踏みしめた結晶の大地がひび割れる。
同時に飛び出した黄泉路が地上から天へ、逆巻く流星の如く銀の尾を引きながら駆けあがると、我部の周囲に滞留していた能力群が一斉に標的を見つけた肉食動物が如く降り注ぐ。
それを、
『任せて。黄泉にいはそのまま進んで』
座標がズレた様に、黄泉路の身体が一瞬にして弾幕の裏側へとすり抜け、黄泉路の背後で能力どうしが干渉し合って空間を揺るがすほどの爆発を生む。
「姫ちゃん!」
衝撃で更に高く飛ばされた黄泉路は姿勢を制御しながら、今しがた手を貸してくれた相手の名を呼ぶ。
黄泉路のすぐ傍に、一緒に飛翔する様に浮いた半透明の声の主が自身の内へと宿るように黄泉路が纏う銀の粒子へと合流してくるのを感じていると、
『はいはーい。心を繋げるお仕事なら私にお任せですよぅ!』
「標ちゃん」
頭に――魂に響く聞きなれた声に、黄泉路は次なる弾幕を見据えながら槍を構えつつ応じる。
『ここは格好良くオペレーターと呼ぶのがオツなのではー? ま、いいですけどねぇー。みんな、よみちんに力を貸したくて集まってきてくれてます。管制はいつも通り私にお任せくださいな』
「頼りになるよ、ありがとう!」
標の力が広がってゆく。黄泉路を中心に、結晶で覆われた世界の隅々まで糸が繋がって、声が。能力が。自身へと集まってくるのを黄泉路は感じていた。
「――」
空を駆けあがってくる黄泉路の存在感が増した。
直感的に、本能としてそれを理解した我部は思わず息をのむ。
「(何が、何が起こっている!?)」
我部が理解するよりも早く、次々に装填された能力たちが描く炎の雨が、大岩の礫が、光の刃が、黄泉路に新たな弾幕となって降り注ぐ。
だが、黄泉路は既に自身に繋がった彼らが手を貸してくれる、そう確信して避けることなく突き進む覚悟に満ち溢れていた。
『とはいえ足場がないのは不便でしょう。足場は私が』
「操木さん……」
『ずっと、話すことも出来ず辛い時に寄り添えなくてすみませんでした』
『私が眼になります。さぁ、進んで』
「皆見さん――」
懐かしい声、もう二度と逢えないと思っていた声の主が黄泉路の両脇に並び立つ。
黄泉路は目の端に涙が浮かぶのを感じながらも、いつも以上に明瞭に――弾幕で遮られた奥にいる我部の表情まで――見通せる透き通った視界をいっぱいに見開き、足元に広がった銀の枝葉を生やした太い幹に足をかける。
「ずっと、ずっと逢いたかった……!」
『私達の魂はここにありました。ですが、私達は喋る口を持っていなかったから』
『力になれていた事だけが幸いでした。ですからどうか、気にせず先へ』
「はい……!」
踏みしめた幹が撓み、膝を曲げ、極限まで縮められたバネのような足を強く蹴りだして弾幕へと踏み出した黄泉路が大きく跳びあがると、黄泉路の足元に追随する様に植物が枝葉を広げって足場を作ってゆく。
「たかが数人、この程度で私の計画を阻めるとは」
「数人じゃない」
「むっ!?」
空中に編み上がった植物の回廊を伝い、弾幕をすり抜けた黄泉路が我部に肉薄する。
再びの近接戦にもつれ込んだ両者の結晶の杭剣とボロボロの黒銀槍が火花を散らす。
「皆、僕の大切な人たちだ!」
「それが、何だというんだい!?」
爆炎が舞う。直撃すれば良くて墜落、悪くて消し炭になってもおかしくないそれを、黄泉路の背から生えた銀の巨腕が庇う様に包み込み、
「皆がいたから」
吹雪が吹き荒れ、光の槍が雪の合間を縫うように乱反射して黄泉路へと降り注いだ。
「僕はここに立っていられる!!」
黄泉路に触れるよりも前にピタリと、まるで世界が止まったかのようにその場に固まって留まり、静止した背景の中で打ち合った杭剣と銀槍が欠け、反動で互いに吹き飛び合い距離が開く。
降り注ぐ異能が巨腕と静止によって阻まれ、形を持たないもの同士が音と衝撃となって相殺し合う。
再び黄泉路が跳び出そうとすると、欠けた槍を握る手に、新たに手が重ねられた。
『その皆の中には、私もきちんと含まれてるのよね?』
「――もちろんだよ、彩華ちゃん」
『ならいいわ』
重ねた手を通して、実際の温度とは違ったぬくもりが黄泉路へと伝播する。
ジッと黄泉路を見つめた彩華は、少し迷うようにしてから口を開く。
『これが最後の機会かもしれないから。ずっと待ってた答え。聞かせて貰える?』
それはかつて、黄泉路が初めて彩華と出会った事件の際。
去り際に濁した問いへの回答。
『貴方は一体何者なの?』
あの日から、問いの意味も答えも変わってしまったそれを、黄泉路は改めて彩華の瞳を見つめながらはっきりと答えた。
「僕は僕だよ。迎坂黄泉路で、道敷出雲。君と同じ。――ただの、人間だ」
答えてしまえば呆気ないほどに簡潔なもの。しかし、そこに含まれた意図は偽りない本心。
彩華は黄泉路の回答に小さく笑みを浮かべると、黄泉路の手に重ねた自らの手を沈める様に槍へと触れる。
『そう。長く待たされていた割には、普通の答えね。……でも、その回答が出せるようになった今の貴方の方が、断然好きよ』
彩華の言葉が終わるより早く、彩華の透ける身体が槍へと沈み込む様に溶けて、ぼろぼろだった黒と銀の槍が瞬く間に元の優美で艶やかな光沢を取り戻してゆく。
銀の奔流を纏って真新しい輝く様な槍へと変貌した得物に黄泉路が驚いていると、
「彩華ちゃん」
最後に、穂先から捻じれる様に二又に別れ螺旋を描く黒と銀の刃の根本、柄と合流する場所に咲いた鈍色の彼岸花の意匠を見て、黄泉路は小さく呟いた。
「ありがとう」
強く踏み出した黄泉路が直線で我部へと迫り、我部が咄嗟に作り出した行く手を塞ぐ結晶の壁に新しくなった黒の穂先で薙ぎ払う様に一閃する。
キン、と。
澄んだ音が僅かに振動し、直後に壁がずるりと崩れ落ちて黄泉路一人分の隙間が開く。
隙間をくぐる間にも更に加速した黄泉路が我部へと迫る。
「はぁっ!」
「ぐ」
幾度目にもなる打ち合い、しかし黄泉路が振った槍は我部の杭剣を綺麗に両断して切り飛ばすと、返す刀で切り上げた穂先を我部が常人ならざる身体能力によって辛うじて表面を掠めるにとどめて回避する。
即座に新たな結晶の剣を精製した我部だったが、先の打ち合いに続いて瞬く間に半ばから切り落とされたそれを認識して黄泉路の握る槍が直前までの物とは全くの別物になっていることに大きく歯噛みする様な表情で声を荒げた。
「何故、何故だ。私とて多くを背負っている! 世界は私が救う、それの何がいけないというんだい!? 何故君ばかりが!! 運命に愛されていなければその資格すらないとでもいうつもりかい!?」
「違う!」
納得がいかないと、研究者然とした冷静な態度を崩して吼える我部に黄泉路は強く言葉を吐きながら、身体機能ばかりが突出し技術が追い付いていない我部の剣を潜り抜けて槍を振るう。
「貴方は今だってひとりきりだ。世界中を取り込んでも、貴方の中にはひとりもいない」
「何を……」
目まぐるしい刃の応酬が両者の間で激しく火花を散らす。
横薙ぎに振るわれた結晶を黄泉路の槍の柄が軌道に合わせる様に受け流し、鋭く突き入れられた石突が逆手に持ち替えられた我部の剣に阻まれる。
剣に追従する様に空間に線を描く影の刃が黄泉路の身体を捉え、制服が大きく引き裂かれるも、黄泉路自身は傷を負うでもなくその姿が一瞬にして霞と消える。
直後、背後から滲む様にして姿を現した黄泉路の槍先が咄嗟に身を捻った我部の首筋を浅くなぞり結晶を散らす。
「この場所で目が覚めてから、ずっと不思議だった」
お互いに全力、出し惜しみ無しの攻防の最中、黄泉路の小さな声は意識を研ぎ澄ませ黄泉路を注視していた我部の耳にすんなりと入ってくる。
「確かに僕らはひとつになった。この場所は世界そのもので、貴方の能力の内側だ」
だからこそ、と。
黄泉路は迫りくる影を気にも留めず、それが彼方より迸る雷光によって打ち払われ轟音が木霊してなお、我部の事を見据えたまま自身の推理を、勝った賭けの中身を提示する様に語り掛ける。
「僕自身取り込まれた事で貴方の能力と深く繋がったからこそ、この世界の歪さが良くわかったよ」
「歪だと、それがどうしてこんなことになるというんだい!?」
「最初に違和感があったのは、世界を作り直す、世界をやり直すと言っていた癖に、この世界に人の姿がなかったこと」
「っ!?」
山もあり、空もあり、天体そのものを結晶として作り替えた様にそっくりそのまま地球を想念因子化した世界の中で。
街並みすらも再現されているにも関わらず、その世界に人だけが存在していない。
はじめはこれこそが我部が望んだ世界であると考えた黄泉路であったが、それならば黄泉路が現在もそうだが、自我を持ったまま自由に身動きが出来ている事の方が不自然だった。
故に、黄泉路は深まった繋がりを通して深く世界を観察し、皆の魂がこの世界の中に存在している事を把握していた。
「この世界は貴方が目指したゴールじゃない。だったら僕が繋がりを通じて皆の魂を呼び起こせば、まだ巻き返しが出来ると踏んだ」
「……くっ。君の自我を折らずに取り込んだことがそもそもの失敗だったというわけかい」
槍先の軌道に滑り込んだ剣が半ばで断ち切れるも、それを前提としていたように欠けた部分を軸に新たに短剣をこしらえた我部が黄泉路の腕を裂く。
瞬く間に補修されてゆく腕が蒼銀の粒子を噴き上げながら槍を力任せに切り返せば、反応が遅れた我部の肩口に黒の刃が深々と突き刺さり、
「ごっ、ぉ……ッ!」
「こうして皆を呼び起こして皆と一緒に戦ったことで、違和感が何だったのかが分かった」
「がぁっ!?」
我部の膂力に掴まれ、槍を抑え込まれる前に素早く引き抜いた際に飛び散った欠片が宙に舞い、周囲を飛び交う夥しい量の能力のぶつかり合いによって発生した光を乱反射する。
「結局、貴方は人が嫌いなんだ」
「――!?」
黄泉路が言い放った言葉に、我部の身体が硬直する。
結晶で作られた青年の顔が一瞬何を言われたのか分からないというような表情を形作り、それからすぐに取り繕ったような無表情へと変わることでそれが演技ではないと黄泉路に確信させる。
「魂だけになった彼らを結晶に包まれた世界の中に閉じ込めて、今もそうして世界から能力を引き出して使っているけど、それは彼らの力を借りようとしているわけじゃない。だからこうして僕なんかの呼びかけに、世界の主であるはずの貴方を裏切って反攻する人たちが出てくる」
「それは君が魂を支配する能力を」
「本当にそう思っているなら、僕の能力だって貴方はもう使えるんだから拮抗したはずだ。もう能力の規模では貴方の方が上なのに僕が一方的に勝っているのは、貴方に他人を求める気がないから」
――図星。
黄泉路が指摘した言葉がそのものずばりであったことを証明する様に、ぴたりと。全ての能力が停止する。
それはまるで時間そのものが凍結したかのように、黄泉路と我部を取り巻いて交錯していた数多の能力たちがその場でジッと身を固める様に滞空していた。
闘争の奏でる轟音が消え、恐ろしいほどの静けさが潮が満ちる様に押し寄せる中、我部は静かに剣を放り投げ、両の手で顔を覆う。
「は、ははは……はははははっ」
「世界のためと口で言いつつ、本当は――世界のことも嫌ってた。それが、貴方の本音。違う?」
乾いた笑いに重ねる様に、黄泉路は油断なく槍を構えながら問いかける。
黄泉路が見てきたこの世界。触れた魂。そして、標によって繋げられた我部から迸る――憎悪。
とても世界を救う為の、優れた能力者だけの世界を目指すなどと言ったきれいごとを掲げる精神性ではない男に対する真正面からの問いかけが止まった世界に浸透し、
「そんなわけがない。そんなはずはない、私は、世界を、救うために――!!!」
ビシリ、と。顔を覆った手の内側で、我部の顔面を形成していた結晶が砕ける音が響いた。