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13-66 結晶世界

 仄暗い水中を艶めく輝きを纏った細かな結晶がぼたぼたと零れ落ち、蒼銀の砂丘へ血痕のように紅を描く。


「いまのは……何故――」


 黄泉路を拘束していた杭剣が緩む。

 即座に引き抜き、距離を取った黄泉路は困惑と疑問に彩られた我部と共に、視線を脇へ――迸った雷光の残滓が銀砂に巻かれるように砂丘へと溶けてゆくのを見やりながら、我部の疑問へと答えを突き付ける。


「貴方に奪われたのは力だけ。結末を見越していた悠斗は、僕の中に、一部を残していた」

「……なる、ほど」


 黄泉路の端的な説明だけでも察するに至ったのだろう。

 悠斗と裕理、ふたりの青年の成長を観測してきた我部にとって、先の裕理の唐突な離脱も含めてすべてが納得いくようにかちりとピースがはまり、疑念が納得へと、


「どうやら、私は彼らに裏切られたらしいな」

「裏切るというのなら、そもそも使い捨てになんてしなければ良かったのに」

「ははは、そういうことに、なるのだろうね」


 雷光を受け、背面から元々あった胸部の傷にまで貫通した我部の状態は致命傷と呼ぶにふさわしく、即座に修復されていた腕などとは明らかに違う血液めいた粒子の流出を止める手立てもないとばかりに滴り落ちる結晶粒が砂地に溜まってゆく中、黄泉路は改めて槍を構える。


「ふふ、ははは……やはり、何事も上手くいかないものだ。いや、あの時からこうなる事も覚悟は、していたのだがね?」

「この期に及んで時間稼ぎですか」

「そう思うかい? とはいえ、君は聴くべきだろう。なにせ君の妹が決死の覚悟で作った運命(シナリオ)なのだからね」

「……」


 妹――穂憂のことを持ち出され、黄泉路は僅かに槍を握る手を硬直させる。

 その微かな躊躇いを肯定と取った我部は傷の修復をするでもなく、ただ緩やかに想念因子結晶で形成された表情を作り、口を開き、声を出力する。


「穂憂君の運命支配……因果を望む結末に最短距離で収束させるそれは非常に強力だ。私が手元に置いていた頃から細心の注意を払い、彼女が願ったであろう運命の道筋を横切らない様に計画を練るのは非常に困難でもあったが、その労を払ってでも彼女を味方という立ち位置に落とし込んでおくことは有益だった」


 一歩間違えば暴走する、減速を知らない列車のレールに飛び出すようなもの。しかし、扱い方さえ気を付けていれば運命を最短距離で(・・・・・・・・)駆け抜ける快速列車(・・・・・・・・・)に便乗出来るのだから、遠大な計画を抱いていた我部としては是が非でも手元に置きたかった存在であった。

 そんな彼女が、最後の最後に残した巨大な置き土産。それこそが――


「取り込めば能力を再定義することも可能かと思ったのだがね。如何せんそこまで上手くいかない、ということも含めて彼女の敷いた運命とやらなのだろう。穂憂君の能力は一度設定した目標に向けて到達するまで止まらない、到達の邪魔になる要素を強制的に脇に除けてしまう、非常に強引かつ非制御的な能力なのは知っていたが、その最後の願いが君をここまでたどり着かせた」


 黄泉路の脳裏に穂憂との最後のやりとりが反響(リフレイン)する。



私はいず兄を(・・・・・・)信じて託すから(・・・・・・・)



 信じて託す、それは、穂憂が黄泉路へと向けた、運命の祝福。

 我部の策略を挫くだろう黄泉路の道行きを舗装するための能力の行使。


「だからこそ。私は君と相対するまでにいくつものプランを用意してきたのだよ」

「……憂の遺した強制力を掻い潜るため」


 とはいえ、そのすべては悉く食い破られてしまったが、と。我部は至極残念そうな表情を作り嘆息して見せる。

 その構造上、もはや酸素も必要としていない事は、幽世の水で満たされた空間に置いて気泡ひとつ上がらない口元が証明しており完全なるポーズでしかない、人間でないものが人間を真似る様な奇妙な不気味さを伴ったそれに黄泉路は僅かに眉を顰めるも、我部は構わず語り続ける。


「そもそも、君がアメノミハシラに昇ることがないのが最善であったし、よしんば昇ってきたとしてお友達と一緒でなければまだ時間も稼げただろう。加えて個別に隔離するにしても直通で私の下へ来てしまったのも、私の制御の甘さと片付けるには聊か不本意と言わざるを得ない」


 下層部の崩落自体も起こり得るとは想定していたが、まさかそれが混乱ひとつ起こせない形で軟着陸させられるとは想定外であったし、何より裕理がこの期に及んで乱入してきて、それがあまつさえ致命傷を呼び起こすことになろうとは、と。

 我部は自身が運命に拒まれた事を、苛立つでもなく、ただそうあるがままに事実を語る様に並べ立てる。


「何が言いたいの」

「いや何、こうしていくつものプランを用意してきた私が、最終策略(ラストプラン)を用意していて当然だ、と。君も思っているんじゃないかい?」


 言葉と同時に、黄泉路は黒銀の槍を構えて我部へと飛び掛かる様に駆けだしていた。


「時間稼ぎなのは知ってる。だけど、今更その身体で何が出来るんだ!?」


 彼我の距離は短く、あと数歩、黄泉路が踏み込めば穂先は我部を捉え――


「何が出来るかと言われれば、出来た(・・・)と言った方が正確だろうね」

「ッ!?」




 ビシリッ(・・・・)




 世界にひびが入ったような甲高い音が響いた。


「う、ッ、ぐ……なんだ、これ! 何が……何をした……!?」


 突如として全身を包み込むような怖気に襲われた黄泉路が振り切った黒の刃が、我部の首を跳ね飛ばす。

 仄暗い水の中を赤い結晶粒をまき散らしながら揺蕩う様に転げた我部の首へと視線を向けた黄泉路は、その頭に描かれた表情が首を断ち切られた焦りでも、死に至る恐怖でもない、ただ、間に合った(・・・・・)という安堵が浮かんでいる事に息を呑む。


「――時に。君の世界(幽世)の外側。アメノミハシラの頂上部が空に打ち上がってから、どれくらい高く昇ったと思うかい?」


 黄泉路は応えない。

 応えられないというべきだろう。


「答えは衛星軌道(・・・・)。今この世界の外は君と私ふたりだけの宇宙の上ということになる」


 淡々と語る我部を止める事も出来ず、黄泉路はただ、押し寄せてくる(・・・・・・・)気配に、感覚に震える様にして荒い息を吐いていた。


「何故、と、思ったんじゃないかい? 答えるとも。世界中を呑み込んだ(・・・・・・・・・)今であればね」

「呑み込ん……どう、やって……!?」


 黄泉路は我部が未だ能力の習熟という点に関しては劣っていると考えていた。

 それ故に黄泉路は自らの世界の内部に我部を取り込み、発生するかもしれない法則の押し合いよりも、我部が黄泉路を一度放置して地上に進出することを選ぶリスクを封じに掛かった。

 だが、それがそもそも間違いであったなら。

 嫌な予想が次々と黄泉路の頭に浮かんでは消える中、我部は答え合わせの様に首から上だけになった頭を砂地に転げたまま声を響かせる。


「元々は衛星軌道上から地球全土へと結晶を広げ、既にある地上の結晶と併せて地球全土を呑み込み再構築する予定だったのだがね」


 世界が軋む(・・・・・)

 否。幽世という黄泉路の世界が今まさに外側から境界を叩かれている。


「君は私が世界に自分の概念を押し付ける、世界を塗り替える段階にまで至っていない。そう思っていたのだろう? だが、そもそも考えても見たまえよ。私は何だ? この私を構成するモノは? そう、想念因子の結晶(・・・・・・・)だ。すなわち私の世界とは、既に現実の世界に存在しているものでしかない。ならば、それを押し広げるだけで私の世界が現実世界を塗り替えて行くと言えるのではないかい?」

「――ッ」


 ピシピシとひび割れる様な音が黄泉路の脳内に響き、幽世の外を嫌が応にも意識させていた。


「君は私を閉じ込めることで移動手段を封じ、世界への干渉を封じたつもりだったのだろうが、現実と法則の異なる世界の中にあっては地上からの連絡が無くなっていたことも、外の世界がどうなっているのかも知覚することもできないのは君自身にも言える事だ」


 幽世が顎にかけられ、今まさに押しつぶさんとするような圧力が世界全体に掛かっていることを、自分自身の世界であるが故に強く自覚し、初めて体験するその悍ましい感覚に身を裂かれる様な震えを抱きながらも、今すぐに、これ以上事態が悪化する前に我部を仕留めなければと砂地を踏みしめ前へ出る。


「穂憂君の運命(のろい)を回避する為の幾重ものプラン、それすらも最終的に食い破られはしたが、お陰でこうしてどうにか間に合ったわけだ」


 勝ちを確信した我部の声が黄泉路の鼓膜を右から左へと抜ける。

 もはや我部の問答を聞く猶予もないと、黄泉路は強く理解していた。


「まだ――!」


 全ての感覚を捨て、足に力を込めた黄泉路が跳ぶ。

 切り離したばかりで砂地に転げた無防備な頭部を今度こそ叩き割るために振りかぶった縦振りの黒い刃が銀の軌跡を描き、


「いいや。もう手遅れだとも」


 ――バキン。

 と。世界が割れる音が響いた。


「うっ、あ――ッ!?」


 まるで堰を切ったかのように、黄泉路の世界に違うナニカが流れ込む。

 黄泉路という器に入った透明な水が急冷されて氷へと変わる様に、世界が果てから結晶に侵蝕されてゆく。

 世界が徐々に食い荒らされて小さくなる。

 瞬く間に押し寄せる結晶の津波。それは幽世の果てから中心たる黄泉路の下まで猛スピードで侵食し、幽世を満たす水を、蒼銀に輝く流砂を呑み込んで不規則な光沢を宿した結晶へと塗り替える、簒奪の権能。

 遠く視界の端に見えていたそれが黄泉路の目前まで迫る中、


「ああぁぁあっ!!!」

「ぐ、が――」


 それでも、魂が外周から食い荒らされている様な気持ちの悪さ、痛みを振り払う様に叩きつけた黒銀の刃が我部の頭部に突き刺さり、その刀身が頭の半ばまで食い込んで衝撃が砂を巻き上げる。

 巻き上げた流砂が揺蕩う水諸共結晶へと塗り替わり、ついには黄泉路の足をも呑み込む形で結晶が侵食する。


「こ、れだけ時間を、稼い、でも……ギリギリ、だと、は。ね」


 頭の半ばから裂けた、人体であれば間違いなく即死であろう損壊度合いを示す我部の頭部すら、同質の結晶に呑まれて見分けがつかなくなってゆく中、我部の途切れ途切れの声が黄泉路に宣言する。


「私の、勝ち、だ」


 黒銀の槍すら呑み込むように伝い浸食する結晶に両腕を取られ、身動きを奪われた黄泉路の身体が結晶に包まれる。


「(……ここで、終わり……?)」


 同化して溶け行く我部の顔が最後に作った笑み。

 うっすらとした視界の中でそれだけを認識した所で、黄泉路の意識もまた結晶の中へと溶けて行くのであった。

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