0-5 終焉へのプロローグ6
我部の手を取り立ち上がった出雲は改めてきょろきょろと視線を彷徨わせた。
視界に映る光景は出雲が逃げ込んだ路地裏そのままであったが、人の多さによってまったく別の印象を出雲に与える。
捜査の為なのか、ざっと見ても10人以上の少なくない人数が辺りをライトで照らし、証拠品の押収に努めていた。
その光景をいまだ現実味が戻ってこない様子で眺めていた出雲に、我部が声をかける。
「路地を出たところに車を呼んである。検査も兼ねて、続きはその先で聞かせてもらえるかい?」
「え、あ。はい……」
事情聴取、というやつだろうか。
出雲は検査という言葉に僅かに眉を顰める物の、かといって国家権力を明示してきた相手から無理やりに逃れようとした所で、この人数を相手に逃げられる自信もなかった。
ほかに選択肢もないと自覚すれば、諦めて小さく息を吐いて我部の後を追いかける。
冷静になって歩けば、逃げている最中はあれほど必死に走りまわったはずにも関わらず直ぐに通りへと出ることができた事で、出雲はぼんやりとだが、自身が巧みに誘導されていたのだと思い知らされた。
「さ、これに乗ってくれ」
とおりを抜けると、既に野次馬も遠ざけられている様子で、むしろ現場の路地裏よりも静けさを増したような大通りに一台だけ、車体から窓まで全て黒く塗りつぶしたような車が停車していた。
スモークガラスに反射して、近くに寄った出雲の顔が街灯に照らされて映し出される。
困惑と疲れとで酷い表情をしている以外、特に目立った変化や傷もない事で、困惑した出雲の顔色に僅かに安堵が戻る。
先に車に乗り込んでいた我部に促されるまま、我部と同じく後部座席へと出雲が上がり込んだのを運転手が確認し、手元のボタンで扉が自動的に閉まる。
緩やかに走り出したのを体感で悟った出雲は反射的に窓のほうへと顔を向ける物の、スモークガラスに映し出されるのは自身の顔のみであることを思い出す。
諦めた様子で座席に深く腰を下ろした出雲の傍ら、我部が口の端を緩めていたことに、出雲が気づくことはなかった。
それからしばらくの間、誰一人として口を開くことなく、ただ、車が揺れる音だけが支配する密室が続き、出雲は居心地の悪さから窓枠に寄りかかる。
密着したことで外部から僅かに伝わってくる、車は徐々に町から遠ざかり、人の生活の気配と言う物が薄れていく感覚。
検査にしろ、聴取にしろ、なぜ人の気配が離れていくのだろう。言い知れない不安感に駆られ、思わず出雲は再び口を開いた。
「あの、どこへ向かってるんですか……?」
ギリギリ道と呼んでも差し支えない程度の舗装しか為されていない道を走る車の中、出雲は沈黙に耐えかねたという風に隣に座った我部に目を向ける。
我部はちらりと出雲へと視線を向けると、直ぐに視線を前へと戻して口を開く。
「着けば判るよ」
笑みを浮かべたまま、ただ、思考に耽る様な我部の様子に問いを重ねることを諦めた出雲は、スモークガラスによって外部の見えない窓に映った自身の顔を眺めて溜息を吐いた。
◆◇◆
程なくして、車の揺れが緩やかになる。
どうやら目的地についたらしく、揺れが完全に収まると、外から扉が開かれる。
降りるように目で促す我部に従い車を降りた出雲は、目にした光景に思わず言葉を失ってしまった。
「――」
巨大な白い塔。
白塗りの外壁はどこか病院を連想させる造形をしている物の、出雲が言葉を失ったのはそれが理由ではない。
“窓ひとつない”巨大な尖塔が如き建物が密集してひしめき合い、まるで剣山のようにそそり立つ姿は天に輝く月を貫くような勢いであった。
出雲の体感として、都内から車でさほど移動していない。にもかかわらず、これだけ異様な光景が平和な日本社会にあったという事実を今まで一度として聞いたことがない。
背後には巨大な壁。おそらくは建物をぐるりと囲い込むように立てられたそれは、先ほど車が入ってきた場所以外に門らしきものはなく、まるで刑務所を囲う壁のようだという印象を出雲に与える。
その異常さに思わず息を呑んだ出雲の肩を、いつの間に隣に回り込んできたのか、反対側から車を降りたはずの我部が抱くように引き寄せる。
「さぁ、入ろうか」
「あ、の……」
口を開きかけ、内心で僅かにでも縋る様な心地を持って見上げた出雲の言葉が途切れる。
我部の口元に張り付いていた笑み。それは、決して出雲を落ち着かせるための笑みではないことを、この時出雲は初めて理解した。
それと同時に、ふと、出雲は腹部にチクリとした痛みを感じる。
「……ぁ」
全身の力が抜けるような感覚に襲われて膝が震える。
緩やかに視線を落とした出雲の腹部には、我部の手と、その手に握られた小型の注射器が深々と刺さっていた。
視界が定まらなくなり、力なく崩れ落ちる最中、出雲の耳に我部の声が届く。
「ようこそ、能力解剖隔離研究所へ」
出雲は遠のいていく意識で我部を見上げる。
我部の目は確かに笑っていた。しかし、そこに温かみと呼べるような物は一切存在していなかった。
意識が完全に途切れるまでの間。出雲は建物から出てきた白い防護服を着た集団に指示を出す我部をただ見つめている事しか出来なかった。