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13-64 嵐雷賛歌3

 砂が足を取る。

 普段から宙に浮くことに、空を駆けることに慣れ過ぎた足が空間を満たす水の抵抗と相まって思うように進まない。

 もどかしい、はやく、いそがないと。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 ごぼごぼと、肺に入り込むこともない癖に口から溢れ出る気泡が目の前を通り前髪を嬲り視界を滲ませる。

 不快と思う気持ちが僅かに掠めるも、それよりも前に。少しでも先へと魂が吼え猛る様に、痛みすら置き去りにした本能にも似た衝動が裕理の足を突き動かしていた。

 襟足だけが長く伸ばされた金の髪が仄暗い水に揺れ、失った左腕から流れ続ける血液が絡んでは通り過ぎて赤の軌跡を水中に描く。

 既に遠くなった主戦場はもはや光すら見えないほどだが、それでも水を伝って背を押される様な微細な振動めいた感覚が断続的に降りかかる事で未だ決着がついていないことを裕理に伝えていた。


「(間違いない。間違いない、あっちだ、急げ急げ急げ俺の身体がダメになる前に……!)」


 刻一刻と流れ出す自身の命を自覚しながらも、それでも進まねばならないという執念めいた決意が裕理の心を急かせ、生まれて初めて感じる抵抗を振り払うように目的地へ向かって進む。

 ぜぇぜぇという不規則な荒い呼吸、噎せた拍子に一際大きな気泡が裕理の顔を撫でて上がり、咳き込んだ反動で足を躓かせて銀の砂地に膝をつく。


「げほ、ごほッ、じゃ、まだ……! 俺は、行かなきゃならない、んだぞ」


 残った右腕を砂地に埋める様につき、握り込む様に突き出した反動で立ち上がった裕理がふらふらと、しかし確固とした足取りで再び歩き出す。

 顔色が仄暗い水に溶ける様な青紫に近づいてゆくのも構わず、裕理は未だ見えない先に挑む様に足を動かす傍ら、意識を保つべく、今も明確に感じ続けている感覚に至るまでの思考を整理する。






 ずっと。不思議だった。


 最後に一発殴ってやろうと我部が座すアメノミハシラ頂上部へと殴り込む――その直前。

 自由落下を極める真居也遙(ガキ)を拾って、中々に気合あるじゃんなどと気紛れ的に緩やかに降下する浮遊大地へと届け、勢いそのままに最上階へと突撃した時のこと。

 アメノミハシラへと乗り込むと同時に、確かに悠斗はここ(・・)に居ると確信するだけの気配がして。

 裕理の中で我部を殴るという目的の他に、悠斗を見つけ出す、自身の隣へと連れ戻すという明確な目的が産まれた。


「(俺が悠斗の気配を間違えるわけがない)」


 黄泉路に向かう雷撃をいなし、有象無象の能力を雑に打ち払いながらも、裕理は終始、他とは出力が桁違いの雷撃を観察していた。

 事実、我部の放つ雷撃は紛うことなく悠斗の能力によるものであるとすぐにわかった。

 傍らに操る影が似た境遇の対策局員であった逢坂愛の物であることも即座に察することもあったが、それは裕理にとっては思考に挟まったノイズ程度の重要度でしかない。

 大事なのは、我部が操る悠斗の雷撃には、ある違和感(・・・・・)が居座り続けているということであった。


「(思えば、最初に悠斗を感じた時からずっとおかしいと思ってたんだ)」


 第一に弱い(・・)

 悠斗が本気で――しかも我部は想念因子結晶の塊のような身体で出力の化物と言って差し支えなく、それが正しく力を揮うならば、あの空間全てを一瞬で焼き切る無差別放射くらいはできてしかるべきだと裕理は確信していた。

 黄泉路にダメージを徹すだけでなく、邪魔をする裕理諸共一撃で葬れるだけの力だ。使えたならば隠し札にする理由がない。


「(力もよえーし使い方が雑なんだよな。悠斗がサボってる時だってもっと考えて使ってたし)」


 第二に誘導が甘い。

 本来の悠斗は裕理無しでも雷撃の誘導程度ならば磁場への干渉によって容易に行えていた。

 悠斗がある時から出来るということ自体を隠していることを裕理は知っている。

 それでも、頼られることは悠斗にとって必要な事だったのだろうと、裕理は黙認する形で悠斗の周囲を風で包み、無差別に垂れ流されているらしい(・・・)電磁場や電気を遮断することにしていたが、我部の使う雷撃にそうした精密な誘導能力はない。


「(それに。何より――)」


 第三に……悠斗を(・・・)感じられなかった(・・・・・・・・)

 これは単なる感覚の問題でしかなく、裕理自身も確信をもって断言できるほどのものではなかったが、


「(この場所に触れて(・・・)、確信できた」


 我部の攻撃を受け、黄泉路の領域内へと(・・・・・・・・・)墜落した(・・・・)瞬間。

 幽世という、魂がむき出しにされる(・・・・・・・・・・)場所(・・)に立ったことでその感覚が鋭敏に、断言できるほどに鋭くなったことで。


「悠斗は最初から幽世(ここ)にいたんだ」


 伝播を諦める様に曇った声が気泡に包まれて逃げる様に上へと昇る。

 自身に向けて吐き出した、確信を音として発する為の言葉が裕理の内側に力を沸き立たせる。

 本来であれば完全な死の領域であり、悠斗を感じる為にあえて生身を幽世の水にさらしている裕理の身体はいつ崩壊を初めてもおかしくないほどに生死が曖昧な存在になり果てていた。

 だが、内側から湧き上がる底なしの感情が、一念となって裕理という魂、その存在の芯として幽世において黄泉路の制御を外れ動き回る自由を裕理に与えていた。





 どれだけ歩いてきただろうか。

 時間の認識はとうに失われ、残っているはずの右腕、今もなお銀砂を踏みしめて歩いているはずの両足すら存在しているかわからないほどに五感が薄れて、ただ、霞んだ様に暗く滲む視界を超えて、魂そのものに突き刺さる様に眩くか細い光だけを頼りに歩き続けた裕理は、やがて、銀の砂丘がどこまでも広がる薄暗い水底の最中で足を止めた。

 周囲は何処までも続く様な闇に覆われ、黄泉路と我部の戦闘音や衝突する光すら遠く届かず。

 黄泉路達の側にあったはずの天を突かんばかりの銀の大樹すら影も見えない。

 どこまでも独り。青白く発光する砂の上に立ち尽くす様に足を止めた裕理は、踏み出そうとした足をもつれさせて砂地に頭から身を投げる。


「……」


 半ばから失われた左腕からか細くなった赤の軌跡が砂に染み入る様に微かな色を移し、辛うじて顔を砂から出した裕理は霞んだ視界の中でぼんやりと、目の前の光に向かって右手を伸ばした。


「(やっべぇ……めちゃくちゃ、眠い……寝たら、死ぬって、理解ってる、のになぁ……)」


 仄暗い水の冷たさが身体の芯にまで浸食する様で、これを受け入れたら完全にこの世界の住民になってしまうのだろうと裕理はぼんやりとした意識の中で確信していたが、それでも、今以上に一歩、更に先へと歩くだけの力を、もう裕理は持ち合わせていなかった。


「(くそ……悠斗、どこ、居んだよ……)」


 もがく様に伸ばされた、霞んでゆく意識だけが先行しているかのように前へと突き出された右手が落ちる。

 感覚が消えてゆく。意識の揺らぎがそのまま存在の、命の揺らぎであるかのように曖昧になってゆく。

 停滞しているが故に感じ取れる幽世を満たす暗い水の微かな流れが揺り籠の様に裕理の身体を揺らし、顔の側の砂を撫でて子守唄のようなさざめきを奏でていた。

 どこまでも静かで、どこまでも穏やかな終末。全てを抱く様な仄暗い闇の中に取り残された最後の意識が途切れる間際、本能と衝動が混ざり合った無意識によって伸ばされていた右手が砂の上にぱたりと落ち――






 パチッ(・・・)






 指先に刺激が奔った。

 それは静電気(・・・)にも似た微かなもの。

 しかし、失われかけていた感覚を呼び起こすには十分な刺激となって裕理の指がぴくりと動く。


「あ、ぁ……」


 口から零れた気泡が顔に張り付いた銀砂を払う様に立ち上る。

 全身の感覚が戻ってくると同時に襲い来る幽世の寒気に魂が悲鳴を上げる。だが、それすらも気にならないという風に、裕理は明瞭になった視界の先、伸ばされた右手の先に触れた砂を、這うように前に出ながら握りしめる。


「あ……あは、ははっ……」


 それは砂。

 周囲を埋め尽くす銀砂とさして変わらない見た目の一粒の砂に過ぎないそれを抱く様に握りしめた裕理は、嗚咽にも似た笑い声をあげて腕を引き寄せ、今度こそ胸に大事に抱きしめる様に手繰り寄せ、


「やっと、見つけたぁ(・・・・・)


 水中で無ければ、ぼろぼろと大粒の涙がその瞳から零れていたことがわかるだろう程に泣きじゃくりながら、一粒の砂を抱きしめる。

 砂粒ひとつにすぎないソレから感じ取れる、確かな気配。

 それは間違えようもない、この世にたったひとりしかいない片割れの――


「――ねーと」


 裕理は静かに、しかししっかりとした動きで立ち上がる。


「見つけねーと」


 その周囲には緩やかに水が流れ、まるで裕理の動きを補助する様に、大気が常にそうしてきたように裕理のボロボロの身体を支えて前へと突き動かす。


残りの悠斗を(・・・・・・)


 裕理が柔らかな砂地に足を埋めながらもゆっくりと歩き出す。

 抱きしめた砂がパチパチと輝く様に爆ぜて、裕理はその熱を頼りに一歩ずつ前へ。


「(ずっと。不思議だった)」


 思い起こすのは、アメノミハシラに突入するよりもずっと前。

 世界一周を実行に移すきっかけとなった、悠斗との長い別離(わかれ)の日。


 黄泉路の不死性、それは自らの領域たる幽世に本体となる核を隠している事で現世を撫でるだけの攻撃の一切合切を無意味に変えるもの。

 それを貫くには、魔女の様に理そのものを超えてしまうか。または、魂の領域たる幽世に届くほどの――それこそ、魂を削って能力に載せるような――捨身の攻撃を行うしかない。

 悠斗自身が決して(・・・・・・・・)勝てないと(・・・・・)分かっている相手に(・・・・・・・・・)何故挑んだのか(・・・・・・・)


「(今ならわかる)」


 悠斗の間接的な自殺としか思えない黄泉路への挑戦。ただ、我部に唆され、追い詰められた果ての暴挙にしか見えなかったソレ。

 命を削りだして(・・・・・・・)幽世に攻撃を渡すということは。

 削りだした命を乗せた雷撃(スキル)幽世(よみじ)に突き立てるということは。


「(自分を割けて(・・・・・・)黄泉路の中に送り込む(・・・・・・・・・・)ためだったんだ)」


 削られ、分割された魂が載った攻撃が黄泉路の中へ――幽世の中へと、魂というあるべき形で収まること。

 悠斗が死してなお、自分を残そうとしたあがき。

 我部の手中から逃げ出して、鳥籠の中を良しとしない裕理へと遺した、最後の一計。

 裕理よりもなお黄泉路との関わりが薄かった悠斗がどうしてその結論に至れたのかは定かではないが、裕理にしてみれば、悠斗はいつだって自分よりも先を、上の問題を考えていたのだから、今回もそうなのだろうとしか思わない。

 いつだって悠斗は裕理よりも頭が良くて、要領が良くて。


「(その癖ちょいちょい空回りして)」


 自然、笑みがこぼれ、思考が漏れているのか胸に抱えた砂が抗議する様にパチリと痺れにも似た刺激を裕理へと伝える。


「悪かったって」


 窘める様に、甘える様に。いつもと変わらぬ声音で軽く悪びれない謝罪を告げる裕理に、砂粒は痺れを伴わない微かな光でもって応える。

 愛おしい相棒がここにいる。

 たったそれだけの事実で、裕理の足はこれまでにないほど軽く、明確な目的地へ向かって進んでいた。

 時折立ち止まり、膝をついて。新たに一粒砂を迎える。


 歩き出し、立ち止まり、救い上げ、抱えて。


「俺さー。あれから色んなとこ行ったんだぜ」


 裕理に出来るのは、悠斗が決めた計画、悠斗が求めた結末へ、自分が思いつく限りの手助けと協力を惜しまない事だけだ。

 だから、今やる事も変わらない。分割され、欠片となって数多の砂の中に散った悠斗を見つけ出す。


「すっげー昔からある神社。石の階段から並んだ石像まで、全部コケまみれでさー。長い階段昇り切るとでっけー鳥居見えてさー。格好良(かっけー)くて――」


 この地の支配者たる黄泉路にはできなかった。彼は統括する魂があまりにも多すぎる。

 分割されて欠片になった一個人など、意識して初めて認識できる程度だろう。


「サバンナっつーの? 一面茶色の草と木しかなくて、あと、ライオンとかも見たぜ。デカいだけの猫。あとキリンがすっげーデカくてさー」


 だが、裕理は違う。裕理だけは、悠斗が分かる。

 生まれた時から隣にいて、隣にいることが当然だった裕理だからこそ。悠斗の居場所が感じ取れる。


「(ったく、バカだよなー)」


 世界を回った。それを報告する様に、一粒一粒抱え込んで、徐々にその存在感をしっかりと感じられるようになってきた悠斗へと語り掛けながら、裕理は苦笑する。


悠斗(おまえ)さえ隣にいりゃ、どこだってよかったのに」


 集まった砂粒がパチパチと弾けて、裕理の周囲をふわりと舞う。

 立ち止まった裕理が、どさりとしりもちをついて。


「あー。ごめん。そろそろ限界っぽい」


 気力――魂の力だけで、既に幽世と同化しつつある身体を動かし続けた裕理が、薄々理解していた自らの限界を告白する様に仄暗い水中に舞った眩い砂を見上げて呟くと、砂粒それぞれがひとつの意思を持つように裕理の下へと舞い降り、


『十分だよ。だって裕理は、僕を見つけてくれたから』


 声が降る。

 それは耳元で囁かれている様な、隣に佇む様な。いつもの、慣れ親しんだ声。


「じゃあ、ここ(・・)でいっか……」


 隣に相棒(ゆうと)が居るならば。

 現世だろうと幽世だろうと大した違いはないだろう。

 裕理が迷いなくそう呟けば、砂粒が見知ったシルエットを作り、


『そうだね。でも』

「あー……そうだな」


 肩を抱く様な、暖かい感触に言葉を重ねる。


「『最期に』」


 バチ(・・)バチバチ(・・・・)


 裕理の身体が発光する。否――それは仄暗い水を押しのける様に爆ぜ、悠斗を取り巻く気流のように断続的に光を放つ熱の塊。


先生(あのひと)の横っ面引っ叩いて、お礼参りしないと』

先生(あいつ)から悠斗を奪い返さないと」


 互いに食い違う言葉に、お互いがくすりと笑った気配がする。

 胡坐を崩し、右膝を立てた姿勢。膝の上に右腕を載せて指を銃の様に構えた裕理に、そっと砂粒のシルエットが手を添えた。


『結果的に手助けすることになるよね』

「まー、そーだな。でも良いんじゃね?」


 軽いやり取り、笑いすら含んだ緩やかな空気とは裏腹に裕理の周囲ではじける雷はボルテージを上げ、幽世の水を、銀の砂を巻き込んで眩く発光し、


「新しい俺達の居場所のゴシュジンサマへのあいさつって事でさ」

『……本当に良いの?』

「何がだよ」

『本当は……裕理には、自由に生きて欲しかった』

「知ってる」


 悠斗の言葉を区切る様に、改めて、断言する形で裕理は口を開く。


「俺は、さ。悠斗が隣にいるなら、別に籠の鳥だって構わなかったんだぜ」

『じゃあ、これからはずっと一緒に居てくれる?』

「当然。逆に俺の方が聞きて―よそれ。先にどっか行ったのお前だぜ?」

『それは――ごめん』

「良いよ。許した」


 臨界に達しつつある雷。大気の存在しないはずの幽世の水中に空白を作り出すほどの眩い熱量の中、裕理はゆっくりと撃鉄を起こす様に指を動かし、


「照準、合ってる?」

『うん。大丈夫、そっちこそ、身体は持つの?』

「これ一発撃ったら終わりだから別にいいよそれは」

『じゃあ』

「ああ」


 指先が示す、銀の砂丘の地平線の彼方。


「『終局合砲(ラストモーメント)()嵐雷賛歌(グングニル)』」


 轟音が水を押しのけ、砂地が爆散する。

 一瞬にして全ての音が失われ、視界が眩んで白に塗りつぶされる。

 裕理の指先から放たれた極大の雷が風のトンネルを抜けてただ一直線に。

 戦場へと舞い戻る、一条の光が幽世の闇を引き裂いて駆け抜ける。




「……これからは、ずっと」

『うん。ずっと、一緒に』




 光が溶けた静寂。

 衝撃で大きく窪んだ砂丘に倒れ込んだ悠斗の身体が砂に同化する様に崩れ、寄り添うように瞬くシルエットがその横にそっと転がり。






 仄暗い世界から色が消えた。

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