13-63 嵐雷賛歌2
ふたりが飛ぶと同時にその間を駆け抜けた雷の名残、イオン化した大気の臭気が一瞬鼻腔を掠める。
「雷は俺がやる!」
「任せるね」
吹き荒れる暴風の中では火球は容易くかき消され、氷塊も黄泉路の行く手を阻むには足りず、裕理には触れる事すら叶わず砕かれ微細な氷の粒となって宙を舞う。
風塊など言わずもがな、裕理という最上位能力者が居る以上、風や大気にまつわる能力を使ったとて一瞬で制御が引きはがされて無効化される。
木っ端な能力全てが無に帰したことで我部は能力の出力を悠斗由来の雷と逢坂由来の影を主力と定めて有り余る出力を偏らせたことで光と影が荒れ狂う様に入り乱れる。だが――
「こんな雑な雷撃が悠斗の力ぁ……?」
バチ、バチ、と。絶えず空間を焼き焦がしながら放射される無数の雷が見えざる道をたどる様にふたりを避け、あらぬ方向へと放り出されてゆく。
それは悠斗という最上の使い手が制御を手放した雷を絶えず抑制し続けてきた裕理だからこそできる、大気の密度差による空気の壁での電磁気の誘導。
悠斗と比べるべくもない精度の雷など、裕理にとっては造作もない。
「雷撃に対する対応力はさすがだが、知っているとも。君に影に対応する術はない」
「チッ」
怪訝な顔を浮かべるのも一瞬、我部の結晶下部から自身の放つ光沢から滲み出た光の濃淡を素材に練り上げられた影が撓ると、これまで全ての攻撃を風の鎧や横殴りの暴風によって引きちぎってきた裕理は素直に宙を舞って影から大きく距離を取る。
「――だから僕が影を相手にすればいい」
同時に、幾ら出力を上げて数と密度を増やそうとも、影が裕理へと差し向けられるということは、必然的に先ほどまでの状況よりも黄泉路へと差し向けられる攻撃の密度が下がるということ。
影の間を縫い、一筋の銀の軌跡を描いた黄泉路がその手に握った影よりも濃い黒の切っ先でもって我部に接近する。
「やはり鍵になるのはそれかい?」
「はッ!!」
影諸共、我部の結晶体を抉らんと閃く黒曜の刃の軌道に杭剣が間に合い、硬質な音と共に火花が散る。
「だからって俺を無視して言い訳ねぇだろッ」
間近でかつ危険度の高い黄泉路へと意識が集中した、警戒度の濃淡を的確に理解している裕理が頭上から殴りつける様な風の弾丸を降らせ、切り返そうとしていた我部の体勢を崩す。
確かに裕理には我部に対する有効打――致命傷を刻めるだけの一手がない。だが、裕理はその有り余る実働経験からこと戦闘に関しては我部の知見をはるかに上回るのだ。結晶体となって表情の変化すら見せかけのものかもしれないというリスクは有れど、その意識が発する警戒の濃淡を見極め隙を突くくらいは造作もないものだ。
そして――
「銀砂の槍よ」
我部の意識外から裕理が作り出した隙を、真正面に立つ黄泉路が逃すはずがない。
下段から逆袈裟に切り上げる様に振るわれた黒の一閃が、我部の身体――巨大な結晶と上半身を繋ぐ接続部に深々と傷を刻む。
「ぐ、ぬっ……!?」
ビシリ、と。傷口から上半身に向けて巨大な亀裂が走り、我部の顔が歪む。
能力を阻害する――つまりは、能力者がなんであれその本質へと届いてしまう刃による斬撃からの痛みか、はたまた結晶から突き出した人間の上半身には確かな意味があり、そこに機能が集約されていた事によるダメージからか。
黄泉路や裕理からはどちらとも推測できないが、我部の結晶の顔から確かに苦悶の声が漏れ、深く入った傷によって自重から結晶の上半身が崩れかけている姿は、誰がどう見ても会心の一撃が決まっているように見える。
「まだだ! 《片腕・装填》!」
「ッ」
だとして、これで終わりと油断する様な黄泉路と裕理ではない。
頭上から声が降ると同時に黄泉路が後方へ飛ぶ。その直後、
「《一爪・大空砲》!!!」
拳を真下に殴りつける様に振り下ろした裕理から、巨大な見えざる弾丸が射出される。
瞬く間に着弾したそれが我部を捉え、半ばまで欠けていた繋ぎ目を無理やりにへし折って我部の上半身が強かに床に激突、その衝撃で元々ひびの入っていた胴体がばらばらと砕けた。
「……」
普通の人間ならば即死、致命傷は間違いない光景だが、警戒する様に槍を構え結晶の塊に相対する黄泉路と、再び距離を保つように宙に舞ったまま睥睨する裕理の耳に、ややあってから声が響く。
「やれやれ……少しは警戒を解いてくれるかと期待したんだがね?」
「んな見え見えのナリで騙せると思うなよ」
結晶から響く声。それは先ほど砕いた我部の顔が発声していたものと全く同じもので、ふたりは考えるまでもなくその声の主を理解し、槍と拳を構える。
「折角私を倒したのだから素直に喜べばいいと思うのだがね。それも成長というやつかい?」
胴体が失われ、歪な切断面のみを露出させていた結晶の表面が波紋を打つ。
結晶の方々から、まるで水面に雨が打つように互いの波紋に干渉し合いながら表面全体を流れるそれが通り過ぎるにつれて断面がつるりとしたものに。表面に新たな凹凸が産まれ、先ほどから見慣れた青年の顔が掘り出される。
「そっちが本体なのは初めから想定してたよ。あの上半身と戦ってたのは、これでダメージが通せるならそれでもいいと思ったからだし」
なんなら動かない狙いやすい的があって助かった、とは、さすがに黄泉路は空気を読んで口にはしないものの、言葉が意味することはなんらオブラートに包まずにいるため、空気を読むなどという経験がものを言うコミュニケーションが得意ではない裕理ですら察することができる程度にはあからさまな物言いに、我部は表情を歪めて憂いにも似た顔色を描き口を開く。
とはいえ、黄泉路や裕理も素直にそれを呑み込むほど純粋ではない。
我部という男の主戦場が知略であることは承知の上で、それでもなお黄泉路達と直接的な戦闘をしている現状そのものに何らかの保険や仕込みをしていても不思議ではない、否。当然と考えている程度には、黄泉路達は我部幹人という男を警戒していた。
「とはいえ半分は正解だ。先の身体はあの時点で出力できる最適解だったのだからね」
「あの、時点――」
我部の言葉の含みを察した瞬間、黄泉路が強く踏み込み、同時に黄泉路の様子から即座に風を束ねた裕理が結晶へ攻撃を向け――
「お陰で時間はかかったが適合することが出来たよ」
ガチン、という硬質な音が黄泉路の槍を拒絶して、風の弾丸を受け流す様に斜に構えた姿勢で男が黄泉路の前に立っていた。
その姿はこれまで結晶迷宮などでも見飽きる程に見てきた結晶人間、それよりも幾分か洗練された造形をした青年ほどの男が、剣の様に変質させた腕を黄泉路の槍の間合いの内へ滑らせる様に踏み込んでくる。
「く……!」
これまでの様に間合いを退く事は出来ない、床と同化する様に鎮座していた巨大な結晶と違い、二本の足によって距離を詰める我部の結晶体に槍を短く回して穂先で剣を受け流しながら石突で床を叩いて宙へと逃れる。
「動けるようになったくらいで――」
即座に裕理が風を使って黄泉路の着地点を操作するも、我部が杭剣を銃口めいて黄泉路へと向けると剣先から迸った雷撃が空間を染め上げる。
雷撃自体を槍で受けた黄泉路が風の制御を離れて弾かれる。入れ替わる様に裕理が弾幕を張って我部の身体を固定する様に押しとどめ、その隙に黄泉路は背面に生やした巨大な銀腕で姿勢を整えて着地する。
それらの攻防がたった一瞬で行われたというのに、本来戦闘者でないはずの我部はこともなげに裕理の束縛を抜け出すと影を足場に雷を纏った剣を着地したばかりの裕理へと揮う為に宙へと駆け出していた。
「はははっ。やはり自由に動くからだというのは良い。君もそう思わないかい?」
「先生は元々そんなに動けねぇだろーが!」
「それは痛い所を突かれたな。口も上手くなったようだね」
裕理は大気の層を多重に構築することで空中を飛翔する電気の通り道を誘導できる、だが、それはあくまで大気を介した空間そのものに作用するものであり、我部の様に剣そのものにまとう様に貯えられた電気をどうこう出来るだけの技能ではない。
それ故の接近戦、武器を持たない裕理に対する最適解。想念因子の結晶自体が暴風の鎧を無理やりに斬り拓き、纏った雷撃が裕理の身体を焼く。対裕理の最適解ともいえる行動を即座にはじき出したのはさすがの養育者であり研究者といった所だろう。
「させ、るか!」
だが、先の一瞬の後に復帰していた黄泉路がそれを咎める様に迫る。
同時に、足元の隆起した影に銀砂の根が絡みついて足場が崩れたことで我部は裕理を詰める手が阻まれ、雷光を蓄えた杭剣を落下の重力に任せて迫る黄泉路の黒刃へと合わせ、刃を支点に宙を翻る様に影の上にしなやかに着地する。
元々は50を過ぎた研究者とはとても思えない身のこなし、それは先ほどまでは剣を振るう、刃を受けるなどの瞬発的な動作にしか恩恵をもたらしていなかった数多の強弱入り混じった世界中の身体強化能力の発露。
世界の能力者人口が能力使用者の出現によって大幅に書き換わる前まで、能力者の多くはその身の機能を強化する――肉体強化系能力であることが多かった。
それは非日常への飛躍をする際、危機的状況を脱するなどの緊急時。何か突飛なものに縋るよりも、その状況を脱するだけの肉体を求める本能を持つ者が多いというだけの、至極当然の比率。
世界中の能力を簒奪する我部がそれらの機能を束ねて使えないという道理はなく、これまでの制限が解除された我部は――
「はははははっ、良い、ここまで身体が自由に動くのは久々だ!」
「ジジィがテンション上げてんじゃねーぞ!!!」
「速、い……ッ」
裕理のような宙に身を置ける能力も使わず。
黄泉路のような補助肢も使わず。
ただ、当たり前の様に空間の床や壁、天井を跳ねる様に駆けまわりながらふたりの頂点能力者を相手取っていた。
我部の足元から発生する影の鞭、槍先が動き回る事でその可動域と撓りをより複雑にし、その影を濃くする雷光が四方八方から打ち込まれる様は先ほどまで黄泉路が単身で能力の豪雨とも言うべき数多の攻撃に対処していた時とまるで変わりない――それ以上の物理的制圧力を発揮し、黄泉路と裕理は背を預ける様に固まってその対処に追われてしまう。
「なんか手はねーのか」
「そっちは?」
「んー……」
そんな影と雷光、斬撃の結界とも呼べる猛攻の中、手や能力だけは絶え間なく動かしながらも距離が近くなり、何よりも裕理の能力範囲内にとどまっている事で大気の振動を最小限に抑えた密談を可能にした空間で黄泉路達は互いに策を求める。
「(気になってることは。ある)」
黄泉路の問いかけに、かすかに眉根を寄せるだけにとどめて小さく唸る様に返答を濁す裕理は、ジッと目で追うことを諦めて大気の流れで現在位置を感知している我部に意識を向ける。
「(悠斗の雷、間違いはないはずなんだなのに――) 何でだ……?」
「裕理くん?」
思わずと言った様子で呟く裕理に黄泉路が声をかける。
「んあ、声漏れてたか」
「何が疑問なの?」
初めて声が漏れていた事に気づいた様子の裕理へと問いかける黄泉路に、裕理は静かに首を振る。
「いや。今はいーや。状況変える話でもねーし。それよっか、そっちなんか思いついたか?」
「……一応。あるにはあるけど、それをやるには裕理くんの負担が大きい」
「あるならやれよ。別に惜しむ命でもねーから」
あまりにも思い切りのいい……というよりは、恐らくは本当に今の生に対する執着がないのだろうと、先ほどの悠斗に対する思い入れを聞いていた黄泉路は声音から理解する。
確かに、我部が自由に動く身体の全能感や高揚感に無自覚に酔っている今だからこそこうした密着した迎撃によって対応し、会話をするだけの余力を作り出すことが出来ているが、もし我部が我に返り戦術としてこの高機動をものにしてしまえば即席の連携に過ぎないふたりでは互いにカバーすることは出来なくなるだろう。
「わかった。じゃあ、裕理くんは出来る限り自分の能力で身を守ってね」
「何を――」
まるで、これから先は裕理では足手纏いだと言わんばかりの物言いに僅かに気色ばむ裕理を他所に、黄泉路は我部が一瞬壁へと跳んだタイミングで裕理の側を離れ、
「境界、拡がれ! 皆、力を貸して!!」
ぶわりと、裕理が支配する大気の流れに大量の異物が流入する。
銀の砂の形をしたそれが植物の根、巨大な人型、昆虫や動物の形へと絶えず形を変えながら、ぐずぐずに崩れたキメラのような有様で黄泉路の維持していた領域からあふれ出して、その砂がぶちまけられた場所へと仄暗い水を湛えた空間が侵食する。
それは黄泉路が持つ内面の世界、死者の魂を統べる黄泉路という能力者の根幹に根付いた、世界で最も新しい冥界。
生と死を分かつ領域が曖昧になり、生者の領域を死者の領域がはみ始める様はまさしく世界の終わりにも似ているが、黄泉路はその領域を纏いながら踏みしめた足元が自然と砂を纏って宙を自在に駆け、戦域の変質に僅かに硬直した我部を急襲する。
「いいのかい? その領域は君そのもの、私が触れれば」
「今はまだ、拮抗するでしょう?」
世界を塗り替えるもの。それは能力の終着点にして根源だが、同時に自身の本質や核というべきものを眼前に晒すことに他ならない。
我部が目指す最終目標である世界を書き換えるとはとどのつまりこの現象を世界中に広げるということであると同時に、その現象が能力に由来するものである以上、我部は自身の簒奪の力によってその力を奪い取る事が出来るのだから、我部からすれば黄泉路は自ら急所をさらけ出しているに等しく、
「それに僕の世界は原則として生者を許さない。死者の世界である以上、そこにいるべきは死者だけだから」
「私が生きている以上、世界が反発する、訳か!!」
ごぽり、と。仄暗い水を纏う黄泉路の黒い槍先と剣杭を交えた我部の身体が僅かに鈍る。
それは水圧による減速などではない、ただただ本体の内側、魂に沁み込む様な本能的な寒気――すなわち、死への恐怖によるものだ。
振り払う様に身体に雷光を纏う我部と黄泉路が打ち合い、雷撃が幽世を満たす水を蒸発させながら黄泉路を焼くが、その傷が即座に銀砂によって補われ、黒の穂先が我部の雷を打ち払いながら影諸共に杭剣に僅かな傷を刻む。
両者の傷も致命傷に至らず、致命傷に至らない傷程度であれば即座に修復される互いの再生能力の高さがお互いの攻撃を更に苛烈にさせて行く。
「やはり君の本質は独りであるようだね!?」
「……」
「折角の助け、共闘できる相手であっても、最終的には自身ひとりで戦う方が効率がいい」
「ち、がう!」
「認めるしかないだろう? 君は何処まで行っても叶えるもの! 君自身が求めるのではない、求められる――与えるものなのだから、君自身が何よりも誰よりも強いのは当然だ!」
万能の能力者、他者の願望を叶えるもの。
であればその身は誰よりも強く、他者は足枷にしかなりえない。他者を欲する精神性とは真逆に他者を必要としない完全性こそが黄泉路の本質だと、興奮した口調でまくしたてる我部に、黄泉路は歯を食いしばって否定する。
「僕が今ここにいるのは皆のお陰だ! この力だって、皆が居てくれたからこうして強くなってる! 貴方には、彼らが見えないのか!!」
黄泉路には自身の周囲で力を貸してくれている多くの存在が感じられていた。
たとえ人の形をもう保っていなくとも。その魂が、能力を刻み込んだその心が黄泉路を支えてくれている。
だからこそ背に生えた銀腕は衰えず影を破り、砂は生物の様に多様に蠢いて足場を作る。
黄泉路自身の意思だけではない、黄泉路の背を支える存在をまるごと黄泉路の権能だと言わんばかりの我部の物言いは黄泉路にとって受け入れがたいものであった。
たとえそれが、限りなく本質を突いた一言であることも内心で自覚していたとしても。黄泉路はそれを受け入れられない。受け入れるわけにはいかない。
「見えないとも。君の権能は欠片しか手に入れていないのだから!」
「そういう話じゃない……!」
言葉を交わす間も激しく打ち合う両者の視界から、裕理が消える。
黄泉路からすれば純粋な生者である裕理を巻き込むわけにはいかず、我部からすれば決定打を持たない優先順位が低い元実験動物。
そうした両者の驕りとも言える思考の狭間、刹那にも似た一瞬の攻防の途切れ目に飛び込む様に裕理が吼える。
「無視してんじゃねぇぞオラァ!!!!」
「ぐッ!?」
風の鎧。言ってしまえばそれは極限まで圧縮された裕理の能力そのもの。であれば、わずかな間であろうとも黄泉路の広げた領域を割って入ること自体は可能。
だとして、それをやってまで前線に加わる意図が何なのかわからず、急襲を受けた我部は咄嗟に雷撃を纏った杭剣をかざして嵐が圧縮されたような裕理のこぶしを受けて、その圧力にがくんと重心を落とす。
「ゆ、裕理くん!?」
「うるせぇ! 勝手に蚊帳の外にしやがって!!」
激昂している。そうとしか言い表しようのないド直球の罵倒が両者を襲い、暴風が銀砂を巻き込んでチリチリと杭剣を削りながら鍔迫り合いを起こす。
「無謀、と、理解しているんじゃないのかい」
「知、る、か、よー!」
理由は分からずとも再び戦線に乱入した裕理の拳を受けた我部も拮抗状態から徐々に押し返す様にその能力によって巻き込んだ銀砂を拒み、裕理を保護する風の鎧を解きほぐし始めれば、裕理は仕方なしとばかりに宙を蹴って距離を取る。
同時に、内心の動揺はさておき身体は反射的に動いてくれた黄泉路が差し込む様に槍を振るうと、我部は雷光を削り散らされてむき出しになった杭剣を半ばまで断ち切られながらも真正面から受け、
「止まったなァー!!」
我部がハッと視線を離脱したはずの、黄泉路の後方で指を銃のように構えた裕理へと向ける。
「《一爪・空圧弾》」
短い、それでいて鋭い一言によって発射された、これまでのものよりは規模が小さい風が仄暗い水を掻き分けて直進する。
我部が身動ぎするよりも早く到達したそれが刃を食い込ませて鍔迫り合う黄泉路の銀の槍、その穂先へと直撃すれば、爆発的な風が指向性を纏って吹き荒れて槍を押し込む様に力が加わり――
「なっ――がはっ!?」
瞬間的に力が加わった槍先が我部の腕を両断し、今度こそ我部の本体、その結晶の中央に堂々たる傷を描く。
「よし。これは一撃判定あってもいーだろ!」
裕理が渾身のガッツポーズを決める姿に目を向ける余裕もないまま、黄泉路は無理やり押し込まされた槍を引き抜こうと力を籠める。
あわよくば引き抜いた直後にもう一撃、確実にトドメとなる一撃を加えてしまいたいという黄泉路の焦りを結実する様に。
傷を負っているはずの我部の口元が微かに歪む。
「――裕理くん!!」
嫌な予感を覚え、咄嗟に呼びかけた黄泉路の声に裕理が反応する、同時に射出した牽制程度にしかならないはずの風の刃が結晶をすり抜ける。
「お、ま――ッ!?」
否。結晶をすり抜けたのではない。ただ、攻撃した場所に結晶が存在しなかった。
視界から我部が忽然と消えた、それを理解するよりも早く想念因子の残滓を肌で感じて黄泉路が咄嗟に振り返る。
宙に浮いた裕理、その背後に空間ごと転移した我部が片腕を構える光景が視界に映り、
「今のは良い不意打ちだった」
振り下ろされた杭剣を、裕理が咄嗟に左腕に嵐を纏って受け止める。
嵐を、剣に宿った簒奪が瞬く間に剥ぎ取って行く。
「温存していた転移まで使わされたが、まぁ及第点だろうとも」
「ぐ、がああぁぁあっ!?」
押し込まれた刃が人外の膂力で加速し、裕理の左腕が半ばから宙を舞う。
仄暗い水の中に鮮血が滲み、左腕で受け止めると同時に身を退いていた裕理の身体が支えを失ったように銀の砂地に転げ落ちる。
「裕理!!」
生身で砂の上に転がる、それは幽世において、死者の世界に生者が降り立つに等しい自殺行為。
咄嗟に流れてくる裕理の命を拒む様に駆けよる黄泉路だったが、身を起こした裕理が発した一言で心配が困惑へとさし変わる。
「なんだ。そこに居たのか」
「――? 何、が」
「悪い。ちょっとやる事出来た」
「はぁ!?」
痛みを忘れたような、あまりにも明確に目的を持った裕理の言葉に黄泉路が何かを問いかけるより早く、裕理が風を纏って銀の砂丘を駆けだしてゆく。
領域の奥、仄暗い水で満ちた銀の砂丘が広がる世界へと赤い軌跡を残しながら飛び去った裕理の背が瞬く間に小さくなってゆく。
境界を滲ませ現実世界を塗り替える領域はそもそも、黄泉路の内側に広がっている幽世が現実と地続きになっただけの状態であり、現実に表出している面積がそのままその場にあるわけではない。
理屈上、現実と幽世の境界から幽世へ入り、その奥へと進むことで幽世の中へと踏み込むことは可能だが、生身で踏み入れればその法則に適合しない存在は呑み込まれてしまう、それは黄泉路の幽世は勿論、悠斗が披露した電気の世界でも同様のことであり、それに対する防御を有さない裕理がそんなことをするとは思っていなかった。
あまりにも堂々とした戦線の離脱に黄泉路が目を白黒させるしかないが、そんな動揺を我部が許すはずもなく、
「おやおや、また独りになってしまったね。それはそれで君にとっては都合が良いのだろうが」
「ッ」
「惜しい事をした、いや、彼にしてみれば賢い選択だったのかもしれないな。私に吸収されるよりも、君の幽世で果てれば君の力となる。逃亡者を追う余裕もない私から姿をくらませるならばいい選択だ」
確かに、我部の理屈であれば説明はつく。だが、裕理の様子や態度からただ逃走したというには違和感がある黄泉路は、その程度には裕理のことを信用していた黄泉路は改めて槍を構え、境界を押し広げながら強く踏み出して吼える。
「貴方の推論は聞き飽きた!」
黄泉路の裂帛が暗闇を纏った水に滲み、槍先と剣がぶつかり合う音が響く。
その攻防のはるか遠方。幽世の冷たい水の中で、小さな光が密かに瞬いていた。