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13-60 幻想

 駆け出した遙の視界を閃光が染め上げる。

 その瞬間、遙は死を覚悟しながらも足だけは止めるなと必死に言い聞かせて歯を食いしばった。


「ィ……ッ!?」


 頭上すれすれ――少しでも被弾面積を狭くするために身を屈めていた――を突き抜け、自身の前方に走らせていた虚像の胸に大穴が空いて霞の如く霧散するのを、鼻につく大気の焼け焦げる臭いと共に認識した遙は小さく悲鳴を呑み込む。

 強く踏み出した足は慣性に乗ってまた1歩、結晶体へと向けて駆け寄る。

 対の足が車輪の如く前へと突き出される反射にも似た強硬な前進をする遙であるが、内心は心臓が飛び出してしまいかねないほどの極度の緊張、自身の前の結晶体しか目に入らないほどの視野狭窄を起こしながらも、走り出してしまった足が衝動的に前へと進んでいる事実を理性と感情が乖離した認識の中で呼吸すら忘れて次の1歩を踏みしめ、明確に近くなってゆく彼我の距離と、結晶の内に貯め込まれる眩いばかりの暴力(・・)を視認する。


「――!」


 ひきつける、という認識すらない。ただ、撃たれてからでは遅いという怯えと事実の認識から、遙は足から滑り込む様に地面へと身体をひき倒してスライディングして距離を詰め、その目の前を、咄嗟に目を瞑った上からでも焼く様な光が駆け抜ける。


「は、はっ、はっ……!」


 助走をつけたと言えど、スライディングが数メートルもの距離を詰め切ることなど出来るはずもなく。


「く、っ」


 背中を強かに打ち付けながらの滑り込みに噎せながらも、死ぬよりマシという気力のみで無理やり姿勢を起こす遙と、次射の準備を終えた結晶体が向かい合う。


「(くそ、まだ足りねぇ!)」


 結晶体と遙の距離ははじめと比べて大幅に縮まっていた。だが、決定的に――致命的なまでに。最後のひと押しが足りなかった。


「(来――)」


 バリンッ!


 目の前で雷光が爆ぜ、一瞬遅れて大気を焼く音が遅れて聞こえた気がする。

 遙が認識できたのはそこまでだった。

 光を帯びた圧倒的な熱量が、これまで同様に遙本体の胸を違わず穿ち――


()……」


 遙の口から漏れた吐息、そして、


った(・・)ぞオラァ!!!」


 強く、遙は健康そのものの身体(・・・・・・・・・)を前へと捻じ込む様に踏み出す。

 あと1歩で拳が届く距離にまで駆け寄りながら、遙は胸元に固定していた(・・・・・・・・・)短剣(・・)を取り出しながら右手で握り込む。

 その短剣は刀身から握りに至るまで、全てをひとつの鉱石から削りだたかのように均一な材質によって作られていた。


 ()

 その短剣を一言で表す色であり、その色を持つ鉱石が武器の形をしている意味は。


対能力素材(コイツ)ならなんとかなるだろ!?」


 【黒曜造り(ブラック・スミス)】揚町真麻が持つ、対能力に特化した物質生成能力の結晶。その一旦を握りしめた遙が刃を振り下ろしたのと、結晶体が危機を察したのか、これまでよりも早いスパンで雷撃を放射するのは同時だった。


「お、らァァァッ!!!」


 黒の刃先が光を掻き分ける。ある種幻想的とすら言える一瞬の芸術の最中、散らされた雷の残滓が遙の頬を、腕を駆け抜けて赤いのたうつような腫れを皮膚に刻んでゆく。

 やがて、短い押し合いの末に遙の振り下ろした黒が結晶体の胸に深々と突き立つと、ピシリと音を立てて結晶体の動きが固まった。


「……」


 静寂。

 これまで耳が割れる程の轟音がかき鳴らされていた空間から打って変わった、痛いと感じる程の耳鳴りを孕んだ静けさの中、遙は用心深く結晶体を睨みつけ、


「は、は、はは……っ」


 動かなくなった結晶体を前に数秒間。柄を深く握り込んでいた遙は力なく手を離しその場にへたり込む。

 後から身体の震えと最後の押し込みで負った傷の焼ける様な痛みに涙が出そうになるも、それすら気にならないとばかりに零された乾いた笑いが静寂に滲んだ。


「勝ったァ……!」


 大きく息を吐き、漸く実感が湧いてきた遙はそれだけを零す。

 まさしく一世一代の大博打。それが遙がとった咄嗟の行動だった。

 扉の裏から隠れて幻を嗾けている時も、遙が不意に室内に飛び込んでしまった時も。結晶体は常に遙の胸目掛けて雷を投射していた。

 それ故に、遙は扉の裏に居る時から服に刺す形で胸元に黒曜石の短剣を忍ばせていたのだった。

 咄嗟の際のお守り、その程度の気休めでしかない賭けであったが、遙は確かにその賭けに勝った。

 漆黒の短剣は必中の雷撃を確かに弾き、遙を守った。その一瞬のチャンスが勝負の明暗を分ける結果となっていた。


「……にしても、貰っといて正解だったぜ」


 へたり込んだまま見上げる様に、青年の形をした結晶の胸元に突き立った黒々とした刃を受け取った時のことを思い出す。


 もとはと言えば、それは黄泉路が終夜唯陽より手渡されていた、対我部を想定した秘策(・・・・・・・・・・)

 能力を簒奪する能力を持つ我部に対し、想念因子結晶の塊である銀砂の槍しか持たない黄泉路では塔が地下にあった際に起きたことの焼き直しになってしまう。そう懸念した黄泉路が密かに対策手段として頼った結果。

 月浦の実験施設に放置されていたそれを唯陽が買い上げ――その際裏では本命の武器(黒楽葉)が盗難された事で端材にも等しい質量でしかない短剣は半ば捨て置かれていたこともあってすんなりと譲渡された――、黄泉路へと託されていた。

 だが、図らずしも同じ出自を持つ上位互換である黒楽葉が己刃を経由して黄泉路の手に渡った事でお役御免となり、それならばと、塔への突入前に最も物理的解決手段に乏しい遙に手渡されたものであった。


 巡り巡って、遙が手にした黒の短剣は雷を司る結晶体を貫いて、遙の命を救い、同時に、大きく狂いを生む大金星を成し遂げた。

 その自覚がない遙は未だ落ち着かぬ心臓の鼓動が鎮まるまで、手足の痺れが抜けるまでと内心に言い訳を溜めながら勝利の余韻と勝ち取った安全を享受する。

 何度かの深呼吸の後、一際強い地震に全身を揺らされて今も尚別の場所で目まぐるしく動いているだろう現実に引き戻された遙は、ふと再び結晶体を視界に収めて目を見開く。


「ゲッ!? うっそだろ!?」


 動きを止めた結晶体、その、黒曜の刃が突き立った胸元に内側から光が集まっていた。

 この短い戦いの中でも何度も見せられた雷の射出準備だと確信する遙が咄嗟にもう一度深く短剣を差し込もうと身を起こし、


「うおぉっ」


 激しくなる地揺れに、遙の無理がたたっていた足が掬われる。

 強かに腰を打ち付けて転倒した遙が顔だけでも結晶体へ向けると同時に、内側に溢れていた光が収束して黒曜の刃によって押し開かれた胸の傷からあふれ出す。


「うわぁぁあ!?」


 ビィィィンッ、と。

 遙の悲鳴を呑み込む甲高い大気の絶叫が迸り、直線となった雷の閃光が黒曜の短剣を駆け抜けてレーザーの如く収束して壁面を貫いた。

 そのまま、結晶体が痛みにもがく様に、身を捩じる動きに合わせて雷のレーザーがぐりんと水平に塔の壁を薙ぎ払って――




 ずるり(・・・)

 遙は聞こえないはずの幻聴が聞こえた気がして呆けた様に口を開ける。




「は、あ……?」



 無理な能力放出による限界を示す様に自壊し始める結晶体。

 腰が浮くのも慮外という風に、遙の視界は()を見ていた。

 空気を焼く焦げた臭いも痛いほどの静寂が齎す耳鳴りも、壁から青空が顔を覗かせ、見る見るうちにその広さが増してゆく光景を前にしてしまえば気にする余裕など持ちようもなく。


 全周の壁の外に空が見える。


 すなわち、塔そのものが今の一撃をもって輪切りにされたという事実は、そこより上の倒壊か、はたまた、そこより下の崩落か。そのどちらかしかないという現実を遙の理解に突き付ける。

 その予測が正しいと言わんばかりに足元が斜めに、激しく揺らぐ地面の振動に耐えかねた様にボロボロと崩れて行く足場から放り出され……


「う、わ、おま、おまあぁああああぁあ!?」


 人間、あまりにも咄嗟な時には言葉など出ない。それを証明する様な言語になりきらない悲鳴が遙の喉を劈いて木霊する。

 遙の身体が足場から離れてふわりと浮く。だがそれは決して遙が唐突に浮遊能力に目覚めたということを意味しない。

 地球の引力下において、人体が浮遊――ないし滞空するというケースはいくつか存在するが、この場合、より正確に表現するとするならば、


()落ち(・・)落ちるぅっ(・・・・・)!?」


 落下。

 それも、飛行機などが飛ぶ高度1万メートルを遥かに超える上空に投げ出される形で宙を舞った遙は悲鳴を上げた。

 幸いにして、本来ならば襲い掛かってくるはずの急激な気圧の変化や気温の低下などは島全体に生い茂った想念因子結晶による事象の歪曲が発生していることで免れているものの、そこまで気が回るはずのない遙にとっては何ら救いにはなりはしない。

 なによりも、宙へ投げ出された遙は眼下に見える景色を処理するのに精いっぱいであった。


「うっ……そだろ……!? 島が――!」


 姫更の能力によって乗り込んだ浮遊島、それが今まさに崩壊の一途を辿っていた。

 ボロボロに割れたクッキーの様に方々に亀裂が走り、所々決壊してどうして同じ高度を保っているのか分からない状態の巨大な瓦礫と化した浮遊大地が、遙の落下と同じくごうごうと風を切りながら地表へ向けて落下しつつある。そのような光景を前に遙は言語化機能が麻痺した様に目を見開いて押し黙る。


「(一体何がどうなってんだよ!? さっきのビームの所為か!? オレが悪ぃのか!? 皆無事なのか!?)」


 姫更とともにいるはずの彩華や、殺しても死なない黄泉路はともかく、一緒に突入したルカはどうなったのか。

 それらを意識する間にも、遙の身体は重力に曳かれて真っ逆さまに地へと向けて落ちつつあった。

 本来ならば暴風にも似た大気の壁に押し付けられるような落下になるはずのそれは不幸中の幸い、島が風よけの役割を果たしている事で遙が受ける落下の圧はまだ常人の許容量を超えないが、それもいつまで保つか。

 このまま地表に堕ちれば助かる助からないの話ではなく、遺体が残るかどうかというレベルで話さねばならない。よしんばそれまでに同じく落下しつつある浮遊大地のどこかしらに堕ちたとて、よくて骨折、打ちどころが悪ければ死に至るだろうことは想像に難くない。


「(やべぇ、やべぇ、やべぇ! どーすんだよ!! 落下死とか洒落になんねぇって!!)」


 飛び降り自殺でもこうも長く落ちはしないだろうという滑空の中で頭を埋め尽くす焦りと恐怖に遙がパニックを起こしかけた、その時だった。


『――る、はるはる、聞こえますかぁ!?』


 頭に響く聞き馴染みのある声が、遙を正気へと繋ぎとめた。


「オペレーター!? 聞こえる、聞こえてるぜ!!」

『あぁ、良かったぁー! 何とかまだ生きてますねぇ』

「今まさに死にそうなんだけどな!?」


 標から念話が届き、逼迫した声であることはお互い把握しているものの、詳細な状況が互いにつかめないが故の暢気にも聞こえる応酬に遙が悲鳴を上げる。


『かいつまんで。現在、浮遊島そのものが制御を失って崩落し始めています。【落星】明星ルカが懸命な遅滞作業を行ってくれていますが、力及ばず落下速度は緩やかにはなれど止まるところまでは行っていません』

「そーかそーか! オレは今絶賛塔から放り出されて全体見下ろしてるよ!! ちびっ子呼んでくれちびっ子!!!」

『うぇえっ!? ちょ、ちょっと待ってください、今、島全体に強い想念因子の流れが出来てましてぇ……。全員、場所の特定が出来ないんですよぅ……!』


 標の側から姫更に連絡が取れない。取れたとして、空間全体が混線している事もあってうまく転移できるかは分からないという標の言葉に遙は頭を殴られたような衝撃を受ける。


『この念話も、島全体の速度を落としてる【落星】さんの能力規模に乗っかる形でランダム出力してるだけなのでぇ……!』


 つながったのは純然な運だと、そう言い切る標の声を他所に、遙は必死に頭を働かせる。


「(このまま死ぬ? 落ちて? 島が? オレが? どっちにしろ死ぬじゃん。何とかしねぇと。他のヤツは皆手一杯でこれ以上頼れないんだ、オレが何とかするしか、何とかって何だよ何をすりゃ良いんだよ)」


 何とかしなければ、だとして、自分に何ができるのか。葛藤が走馬灯のように頭を駆け巡る。


『――■■■■■』


 刹那(・・)、遙は風に乗ってくるような柔らかな声を聴いた。


「……は?」


 思わず意識を思考の海から引き揚げ、周囲を見渡す。

 相も変わらず突き抜ける様な青い空が水平に広がり、下方には緩やかに落ちつつある結晶の山脈を乗せた大地の塊と、頭上にはどんどん距離を離してゆく塔の上部。

 人など、他に誰もいないはず。そう確信する遙はしかし、再び声を聴くことで気の迷いや迫りくる死に発狂しての幻聴ではない事を確信する。


勿体ないな(・・・・・)貴様は(・・・)


 遙はこの声をかつて聞いたことがある。

 黄泉路に敗れ、自らの権能を譲渡することを良しとせず、現象という形で世界に溶けることで空位すら作らずに消え去った――魔女(・・)


黒帝院(・・・)刹那(・・)……」

『ふはっ。我の名を知る者よ』

「な、何だよ、いったい何処から……!」

『取り乱すな。我を継ぐ者(・・・・・)ともあろうものが』

「継ぐ!? 一体何の話を」


 あたりを見回し、かつて見た銀冠の魔女の姿などどこにもありはしないことを正しく認識する遙は大声で所在なき声の主へと問いかける。

 それは一見するとあまりの恐怖に発狂した者のそれにも見えたが、しかし、魔法(・・)は確かにそこに存在した。


『貴様、何を縮こまっているのだ。それだけの自由がありながら。それだけの権能を持ちながら。我という神座の足元に迫りながら。何故貴様は不自由なのだ』

「何が言いたいんだよ!? いい加減にしろよお前ェ!!」


 此方には戯言に付き合う余裕なんてないのだと、遙が必死な形相で吼えるのも構わず、魔女の声はなおも平坦に、獰猛に笑う様に遙へと語りかける。


『幻とはすなわち虚である。だが、幻が存在する以上、それは確かにこの世に存在する。講義をしてやろう。魔法とは何だ(・・・・・・)奇跡とは(・・・・)。是なる権能は幻を真に、世界を我が意に(・・・・・・・)染める力(・・・・)


 もって回った、非常時に聞くには大層長く感じる言い回しだが、遙は直感的に魔女が何を言っているのかを理解――否、自覚した。


「オレは……普通(・・)、なんだ」

『……』

黄泉路(アイツ)みたいに世界を掛けて戦えねぇし、彩華さんみたいに覚悟を決めて戦ってるわけじゃねぇ。神室城(ちびっこ)みてぇに生まれた時から特別な育ちだったわけじゃない。オレは、偽物で、まがい物なんだ!」


 悲鳴の様に吐き出されたのは、遙がずっと抱え続けてきた本心。

 どこまで行っても中途半端で。どこまでいっても逸れもの。


「どっちつかずで優柔不断で、そんなんだから能力だって幻なんつーふわふわした物になっちまった。そんなオレが、お前を継ぐ……?」


 無理だ。そう締め括りかけた遙の口を、何かがむぎゅりと物理的に塞いだ。


「むぐっ」

『無理、だなどというのはあまりにも愚か。貴様いくら何でも縛られ過ぎだぞ。もっと自分本位に生きろ。それが能力者(・・・)我々(・・)なのだからな』

「ぐぐっ、自由、ったって、オレは縛られてなんて」

『縛られてるではないか。常識に。社会に。結局のところ、貴様は自分の足場を失うのが怖いのだ。今いる場所から飛び出すのが怖い癖に、今いる場所に留まることも嫌だという。このままどうせ死ぬならばいっそ最後に常識のひとつくらい消し飛ばして見せよ』

「む、ちゃくちゃ言うじゃんコイツ……!」


 あまりにもあんまりな言い草――しかも、それでいて遙の本質に図太い杭を突き刺すような辛辣な本質の指摘――に、思わず額に血管を浮かせた遙が吼える。


「んじゃあテメェも力貸せよなァ!? 言いたい放題言ってるだけのとか負け犬から更に格が落ちんぞお前ッ!」

『ハッ。言うではないか。貴様が何を願い、何を成すか。その末を見届けてやろう。力を貸し与えるに値するか否か、貴様自身の手で証明して見せよ』


 売り言葉に買い言葉、あまりにもノリが軽い現世の化身(・・・・・)に遙は開き直る様に目を閉じ、意識を集中させる。

 作り出すのは幻――島全体を支える光景がすっと頭に浮かんでくる。


「(息を吸う。吐く。イメージは慣れたものがいい。狐火。光。それでいて掴めそうな、絹みたいなオーロラ。島全部を絡めとって、支えてゆっくり降る様な揺れるオーロラのカーテン)」


 クッションのような狐火、落下する大地を支えるオーロラ。

 あまりにもファンシーであまりにも非現実的なそれを、遙は真剣に頭に描く。


『……』


 現実が急激に改変されてゆくのを手に取るように感じながら、現象として世界に溶けた化身たる魔女は薄く笑う。

 幻とはすなわち現実に織り被せるもう一つの現実。ただ、偽物であるという要らぬ負い目が現実に対して自身の姿を譲ってしまっていただけの。未完成の魔法。


『その願い、確かに聞き届けてやろう』


 遙の願い。この島を、地表に被害が出ない様にする魔法のような奇跡。

 ふと、身体が軽くなったような感覚に遙は目を開く。


「うわ。すげぇ……」


 眼下に広がる光景に遙は思わず言葉を漏らす。

 大きく燃え盛る燃焼物を持たない無数の紫の火球。そこから四方八方へと絨毯の様に、レースのカーテンの様に広がって瓦礫の島の真下を敷き詰める様な光の波が支え、落下速度が目に見えて遅く、ゆったりとしたものになっていた。


『幻が現実を塗り替えられぬなど誰が決めたのだ。幻は偽り騙すもの。ならば世界すら騙して見せればいいだけのこと。それだけであろう?』

「……軽々言うことじゃねぇだろそれ」


 幻想的な嘘は超常的な真へと変わり、遙が意識を逸らした今も残るそれを改めて見下ろし、遙は大きく息を吐く。


「とにかく、何とかなったな……」


 返ってくる声はない。やはり極限状態が生み出した幻聴の類だったのか。一瞬だけそう考えるも、実体化した幻は自身の力だけではどうにかなるものではない事もどこか冷静に受け止めた遙は、緊張が解れたと同時に急に疲れが襲ってくる感覚に頭がかくんと傾いてしまう。


「(あ……やっべ……疲れ、と、能力の、使い過ぎ……だ、これ……)」


 確信した瞬間に遙の意識は急速に遠のいてゆく。


『――もし、もしもーし!! はるはるぅ!!! やっとつながったぁ!? 急に念話途切れちゃって心配してたんですよぅい! っていうかこれどーゆーことですぅ!?』


 先ほどまで聞こえていた声とは違う。明確に頭を揺らすような標の声に応じる余裕もなく、遙は辛うじて頭を振る。

 指一本動かせない、動かす気力がわかないと、ぼんやりする視界の中で浮遊大地がぐんぐんと近づいてくる。


「(どっか、引っかかって――)」


 身動ぎも出来ない身体は緩やかに降下する大地を裂け目から追い越して、オーロラすらも拒む様に頭から地表へと落ちて行く。


「(むり、これ。死ぬ……やつ……)」


 まだ遠い地表へと落下する。遙はもはや瞼を閉じてしまった方が死を直視せずにいられて良いのかもしれないなどと、眠気に浮かされて一周回った達観が過る中、


 ――ふわり。


「(? だ、れだ……)」


 何かに抱かれている様な感覚に一瞬目を開けようとし、しかしすぐに極度の緊張と緩和、絶えず行使され続ける能力による疲労から意識が夢に溶けてゆく。


「――」


 すぐ傍で誰かの声を聴いた。辛うじてそう認識すると同時に、遙は完全に意識を失うのだった。

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