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3-24 夜鷹の蛇9

 朝。起床時刻になり、鳴り響く目覚ましを止めるべく黄泉路は布団の中から手を伸ばす。

 カチリと音を立てて目覚まし時計が停止した後、もそもそと動き出した黄泉路は洗面所へと向かい冷水で顔を洗う。

 しっかりと目を覚ました黄泉路は、鏡に映った自身の瞳を見据える。

 その瞳の奥に、深い闇にも似た水底が確かにあることを実感して、黄泉路はふるりと首を振って日課の中庭の手入れへと向かうのだった。




 中庭ではすでに誠が待っており、昨日までの急用は終わったらしく、平時と変わらぬにこやかな笑みを浮かべていた。

 挨拶を交わし中庭の手入れを行う中、誠は世間話の体で黄泉路へと話を振る。


 「そういえば、昨日はお休みのようでしたね。よく休めましたか?」

 「はい、少し、掴めた様な気がします」

 「……掴めた、とは?」


 やさしげな笑みを浮かべ、伸びすぎた枝を剪定鋏で整えながら問いかける誠に、黄泉路は神妙な顔で頷く。


 「僕の、能力の使い方について」

 「ほう」


 中庭に風が流れる。

 時節はそろそろ夏と呼んでも差し支えない時期に差し掛かった頃であり、通常であれば暖かな風が吹いてきていてもおかしくはない。

 だが、こと【夜鷹の止まり木】に限っては立地が山間にある為か、吹き込む風は未だに冷たさを孕んでいた。

 頬を撫で、髪を弄る風が木の葉のざわめきを誘い、感心する様な、興味を抱くような誠の声が呑まれて消える。

 やがて一陣の風によって訪れた自然のさざめきが静まれば、誠は楽しげに語りかける。


 「それでは、今日の訓練はその成果を見せてもらいましょうか」


 黄泉路は気を引き締めなおすような思いでその提案に頷くのであった。





 中庭の整備が終わり、昼食をとり終えた黄泉路は足早に訓練場へと向かう。

 やはり先に柔軟をして待っていた誠へと一礼すれば、誠は首の動きだけで頷き返しながら柔軟の続きを再開させる。

 それを横目に一瞥し、黄泉路は模擬戦の際の開始位置へと足を運び静かに瞳を閉じて集中する。

 集中して向ける意識の先は、自身の内側。

 身体の温度を感じなくなり、すべての感覚が水の膜を通したもののようにぼんやりとしてゆく。


 ――とぷん。


 生身ならざる聴覚が水に浸るような音を捉えると同時に、黄泉路は自身が水底に足を付ける感触を覚えて瞳を開いた。

 蒼銀の流砂に覆われたどこまでも不毛で、何一つ存在しない大地と、暗く澄み渡った水で満たされた静謐の世界。

 天から降り注ぐ、人一人がすっぽり納まる程の大きさの一筋の光の中に佇んだ黄泉路は天に顔を向け、光を手元に寄せるイメージをする。

 すると、天の光が水中へと沈み、徐々に黄泉路の手元へと降下を始めた。

 光は内側は灰色、よく中を覗けば、黄泉路の現実の身体が現在映し出している外の世界を投影したコンクリートの色彩であることがわかる。

 映し出す光景へとさらに意識を集中させ、黄泉路は自身の現実の身体をその場から動かすイメージをする。


 「準備は終わりましたか?」


 雰囲気が変わったことを察した誠が柔軟を終えて黄泉路へと声をかけた。

 水中から聞くようにぼやけた声を聞きながら、黄泉路は頷いてから自身の現実の身体にその動作がフィードバックされていない事に気づき、あわてて光の向こう側の現実の身体へと意識を集中させる。

 ややあって、水が肌に纏わりつくような感触を残して現実へと戻ってきた黄泉路はぎこちなくこくりと頷く。


 「それでは、いきますよ」

 「はい」


 口元から気泡が上がる感触を覚えつつも、黄泉路は極力それを思考の外へと追い出し、飛び込むように駆け出した。

 普段ならば再三の注意を貰っていてもなお、苦痛を恐れて及び腰になる黄泉路からすれば考えられない行動に、誠は僅かに目を見開く。


 「――ふっ!!!」

 「ほう」


 型も何もない、素人目に見てもただの力任せにしか見えない所作で殴りかかる黄泉路を事も無げにいなしながら、誠は手に伝わる衝撃に感心したように音を漏らす。

 ビリビリと誠の腕に伝わる衝撃は、とても1ヶ月程度護身術の手ほどきをしただけの素人とは思えない威力を物語っており、何かを吹っ切ったような、奥を見通す事のできない闇そのものの如き瞳で誠を見据える黄泉路に、誠の背筋に冷たいものが走る。

 僅かな間の視線の交錯。

 その中に、誠は黄泉路の内側に覗いてはいけない何かを垣間見た気がしていた。


 「は、あああぁぁあぁッ!!」

 「――ッ」


 黄泉路の声によって意識を引き戻された誠はすかさず黄泉路の大振りの拳を逸らし、地面の方へと向けさせる事で体勢を崩させる。

 勢いをそのままに地面へと吸い込まれるような拳がコンクリートへと振り下ろされ、直後、黄泉路自身の拳が砕ける鈍い音が響く。

 痛々しい音を聞き流して一歩下がろうとする誠は信じられない光景を目の当たりにした。

 それは、骨が砕け、肉から骨が飛び出すほどに損壊した拳を物ともせず、地面に接したその部分を軸に足を浮かせて倒立の要領で踵落としを仕掛けてくる黄泉路の姿であった。

 行動そのものには驚いたものの、しかし、所詮は素人が繰り出す技。

 よける事もたやすく身体の軸を動かすことによってやすやすと横に回避した誠は、黄泉路の足が通過する最中に自らの肘と膝で挟み込むことで黄泉路の脛の骨を砕く。

 砕かれたにも関わらず振り下ろされた足の骨が肉を突き破り、見ている側が痛々しく感じるほどの損壊をしてもなお、黄泉路は顔色を変えることなく立ち上がる。

 立ち上がる時に地面についた拳は既に、男児にしては綺麗な白くすらりとした指先がわかるほどに修復されており、完全に立ち上がる頃には砕けたはずの足はしっかりと地に下ろされて、その足でもって誠へと踏み込んでこれるほどであった。


 「これは……確かに、成長しましたね」


 素人臭いとはいえ絶え間なく続く重い一撃に、誠は訓練を始めてから1ヶ月の間で初めて、額に汗を滲ませながら呟いた。

 たしかに、誠は痛みを捨てろといった。それは再生力や耐久力に優れた、自己強化型の能力者が最初に乗り越えるべき壁であるからだ。

 しかし、その壁を越えたからといってこれ程までに露骨に自身の損傷を度外視して攻撃を仕掛けてくる能力者というのも例を見ない。

 何故なら、一般的にそうした能力者であっても強化はあくまで強化であり、痛覚は痛覚として残っているのが一般的だからだ。

 どれだけ強化されようと痛覚が残っている限り、痛みに耐える、痛みに慣れる事でしかその壁を越えることはできない。

 誠には黄泉路がどのようにしてその痛みを克服したのか想像すらできなかったが、それが確かに黄泉路の生存率を、捕獲難易度を引き上げる結果になるのであれば否やはなかった。

 訓練の方針を痛みに耐えさせる事から、しっかりとした戦闘技法の伝授へと意識を切り替えて、誠は静かに告げる。


 「訓練の難易度を上げますよ。最終目標は、僭越ながら【夜鷹の蛇】と呼ばれる私と対等に戦えるまで、です」

 「は、いっ!!!」


 久方ぶりに仕込み甲斐のある弟子に対し、誠は楽しげに笑う。

 柔らかな、それでいて怖気のする様な冷たい殺気を前面に押し出した誠に、黄泉路は巨木に絡みついた大蛇を連想する。

 大口を開けて迫る幻影に呑まれまいと、黄泉路は再び拳を振るうのだった。

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