13-52 広がる異変2
◆◇◆
はるか天高く、世界を己が手にせんとする男が浮かべた超常の浮遊大地を見上げ、自身の能力である念話が途切れてしまった事に三肢鴉のオペレーター、藤代標は眉根を寄せて立ち尽くす。
『切れ、ちゃいました……』
「藤代さん!」
呆然としている様にも見える華奢な少女――歳の上では成人の女性だが――を左腕で押しのけ、体格が並ぶを通り越してやや大きくなった朝軒廻が身体をねじ込ませるように前に出ながら右手に握られた拳銃の引き金を引く。
「■■、■■■――!」
ガァン、と。撃鉄が落ちて薬室が爆ぜる音が響くと同時、正面に吐き出された鉛弾が空気を焼きながら目標物へと違わず着弾、石が砕ける様な破裂音が一瞬遅れて返ってくる。
「ッ」
着弾を見て廻が続けて引き金を引き、2発の発砲音が響くと漸くそれは支えを失ったように地面へと転がって動かなくなる。
「この辺りが潮時でしょう」
『ダメですよぅ!?』
「と言っても、このままここに残っていても危険が増すだけです。効きも悪くなってきましたし」
周囲を警戒するように視線を巡らせ、銃身の放熱を促す様に軽く振るった廻が太ももに括りつけたホルスターへ仕舞いながら声を掛ければ、標は未だに未練がある様子で空を――宙に浮かぶ島で戦っている黄泉路達へと視線を投げかけて、再び地上の惨状へと目を向ける。
「私としてもそろそろ身の安全を考えたい頃なのですが」
そんなふたりの会話に口を挟んだのは、戦地の真っただ中といっても差し支えないこの場所にありながら数えるほどの襲撃しか起きていないという特殊な状況を作り出している能力者――【領域手配師】郭沢来見だ。
結界の様に内外を認識で区切る能力者である彼女のお陰で、実質戦闘が出来るのは最年少の廻ひとりという歪な集団であるにもかかわらず無事でいられたのだ。
戦闘能力が皆無で身体能力も貧弱な標は言うに及ばず、能力が隠蔽や隠密に特化しており当人も事後処理や裏方などの生業をメインに活動していた来見はとてもではないが戦力として数えることはできない。
残る廻にしても、類まれなる経歴による蓄積によって実年齢にそぐわない戦闘能力を持つとはいえ、それは能力由来の破壊力の高いものではなく、地に足の着いた格闘術の延長などの常識の枠に収まる程度のもの。
「あとどれくらい持ちそうですか」
「範囲を限界まで絞って移動するくらいならば。ただ、境界面に接触されるとダメですね。どうやら意思がない分誘導の方は効いていないみたいなので、偶然でもふらりと境界を超えられてしまうと認識されてしまいます」
趣味に合った雇い主に返答しながら、来見は廻が倒したばかりの敵を注意深く見つめる。
自然光を受けて薄く淡い光沢を不規則に照らし返す人型の異形。全身を想念因子という、能力の根幹を司る微細な粒子の凝固体によって構成された、ヒトの名残を宿した成れの果て。
複数の銃弾を受けて欠けた身体を地面に投げ出している姿は地表に露出した歪な鉱脈の様にも見えるが、それは紛れもなく直前まで自立歩行して廻たちに襲い掛かってきた敵であった。
「こんなモノがうろうろしてるなんて、世も末ですね。いや、世を末にしようとしてるんだから当然なんでしょうけど」
『上手い事言った風な空気出さないでくださいよぅ。……とにかく、ここならまだ届くかもしれないのに、離れたら絶対に届かなくなっちゃいます。それはダメです!』
「だとして、もう私達に上の人たちに対して出来る事なんてあるんでしょうか。私はここまで送り届けたという時点で依頼は完遂されたと思っていたのですが」
『むぅうう!』
来見の意見は標も否定し辛く、また、この場で唯一守られている立場であるという点でも、標は唸るような思念を漏らしながら押し黙ってしまう。
「……どちらにせよ、心情の問題よりも現実的な側面で、ここに留まる事は出来なさそうですよ」
『はぇ?』
「――そのようですね」
周囲を警戒していた廻が話題を切り上げる様にふたりへと声をかけ、視線を誘導するように再び抜き放った拳銃を倒したばかりの結晶人間の転がった地面の方へと向ける。
廻の所作に釣られてそちらをみたふたりも、一瞬の間をおいて廻が言わんとしている事を理解すると小さく息を呑んだ。
地面に瓦礫と混じるように散らばっていた結晶人間、その辛うじて人型をしていた外観が崩れ、地面に、その上を散らばる瓦礫に、根を張るようにその透き通った結晶を伸ばしている光景を目にしてしまえば、いつその侵蝕が自分たちの足元にまで広がってしまう懸念はすぐさま想起できるものだ。
加えて、結晶人間が人を襲った際、その人間を結晶の中に取り込んで溶かしてしまう様な挙動も初期のころから確認されているとなれば、残骸から出来た侵蝕する想念因子結晶に触れる可能性に危惧が浮かぶのも当然のことと言えた。
「撤退です。良いですね?」
『む、むぅ……わかりましたよぅ』
「藤代さんは周囲や本部と連絡を取ってルートの策定と戦線後退の指示を。領域手配師は引き続き僕らの保護をお願いします。場合によっては他の部隊と合流しての後退になりますからその分の保護も」
「わかりました。私の命もかかっていますからね。否やはありませんよ」
「では、移動します」
最年少の指示に女性陣が従いつつ移動を開始する。
方や雇い主と傭兵という関係、方や、前線での状況判断能力を持たない後方連絡員であるため、必然的に集団の指揮権を持つことになる廻だが、状況判断能力からしても女性陣は彼の指示に従うことに不安はないのだった。
最も体力のない標に合わせたゆっくりとした移動、しかし、来見の能力を十全に張り巡らせてとなると元より徒歩より少し早い程度の移動速度が限界であることもあって、その移動は廻たちがとれる最速のもの。
ビルの内や合間から結晶人間が這い出して来ない事を祈りつつ、また、遭遇した場合にはすり抜けられるほどの密度的余裕があるかを検討し、結晶による侵蝕が激しい地形に突き当たれば迂回をしながら着実に中心地から外れていく。
『周辺に展開していたチームはおおよそ第二次ラインまで後退完了したみたいです。指揮本部の方には政府から自衛隊が派遣されたそうでそちらとの折衝を終夜さんが負ってくれているらしいですねぇ』
「やっぱり僕らが最後の部隊になりそうですね」
「あれだけ最奥まで突出していたらそうなりますよね。移動速度の面もありますし」
『まぁ、その分戦闘の音に釣られて近くの敵が少なくなっているからトントンってことで――』
「まって。何か聞こえます」
廻の制止を求める声に足音がサッと消える。
足を止めた3人が耳を済ませば、微かに聞こえる声、そして――
『地震……?』
カタカタカタカタ、と。足元を伝う微細な振動に標が怪訝な表情で首をかしげる。
耳を澄まして辛うじて聞こえるかというほどに微かな声と、足を止めていなければ気づかないほどの断続した微かな振動に注意深く周囲を窺う廻と標だったが、このまま足を止めていても仕方がないと来見はふたりへ問いかける。
「どうします?」
「音源に向かうか、予定通り撤退するかですか」
『……私は向かった方が良いと思いますぅ。念話が繋がらない以上、私達とは別系統の可能性も高いですけど、民間人だったら助けないといけませんしぃ』
「私は雇い主の意向に従いますよ。ただ、危険と見たらすぐに撤退したいところですが」
「わかりました。行きましょう」
声自体は微かだが、指向性が強いのかどちらから聞こえてきているのかは入り組んだビルやその残骸が乱立した街中であっても自然と判別がつく。
3人が慎重に音源へと近づいてゆくにつれ、その声がまだ若い女性のものであること、そして、足元を抜けて行く振動はその声に連動していることが感じ取れていた。
「La――!」
声を正しく声と認識できるほどの距離になれば、その女性がどうしてずっと叫んでいるのかも自然と理解できてしまう。
「ああ、なるほど……」
『およ。知ってるんですぅ?』
得心言ったという様に足を止めた来見が呟けば、同様にふたりも足を止めて来見に見解を求め、
「【潮騒】も来ていたんですね」
『あ、知ってます知ってますぅ! よみちんが個人的に協力できる人だって言ってた人の相方さんでしたよね!?』
「【落星】のことを指しているのであれば、そうですね」
「ですが、独りみたいですが……」
間接的な知り合い――来見に至っては顔見知りではある――にも拘らず、それ以上の接近をせずに廻たちが足を止めて、潮騒の口から発されているであろう罵声に耳を塞ぐように手を当てる。
「ルカのバカァァアァァァァァ!!!! 一緒に行く雰囲気だったじゃんっ!! どうして置いていくかなー!!!! 私はイカリムシかってのー! ぜっっったい許さないんだからァ!!!!」
轟音。まさにそう表するほかない衝撃を伴った罵声が、音に釣られて群がってきていた結晶人間を諸共吹き飛ばしながら砕き割る。
まさに台風の目とも言うべき暴れっぷりに廻はちらりと来見を見上げ、
「……接触、します?」
「それ、私に聞きますか?」
自己判断で言うなら即答でNoですよと目で語る来見だが、状況を見れば後先考えず能力を、そして喉を酷使していたからだろう。肩で息をする少女とそれを包囲せんとする結晶人間の群れという、いつ絶体絶命に傾いてもおかしくない状況であることもあり、眉根を寄せて悩みながらも言葉を紡ぐ。
「一応面識はありますから、即座に攻撃されるということはない、と思いたいですが。先も言いましたけど、落星が同行していないのが気になりますね。彼らは常にセットという印象が強かったので」
『逸れちゃった、というより、あの口ぶりからするにおいて行かれたみたいですねぇ』
「問題は落星が何処に行ったか、という点でしょうが、おそらく」
ちらりと廻が視線を空へ。
高く留まった浮遊島へと向ければ、来見と標もなるほどと納得する。
「ともあれ、助けましょうか。兄さんの知り合いの知り合いなら見捨てても寝覚めが悪いですし」
「戦力としても魅力的ですからね。私は良いと思いますよ」
『私も異論ないですけどー。どー接触しますぅ?』
周囲には結晶人間、中心にはいつ音による爆撃をかますか分からない要救助者。
動くにしても難しいんじゃないかという標の問いに、廻は自身の手持ちの装備を確認して来見に問いかける。
「僕が合図したら能力を解除して、潮騒さんが合流したら即座に張り直す、ということは可能ですか?」
「……展開前と同じ範囲にするならば可能です。ただ、その場合あれらがどう動くかはわかりませんよ」
「いざとなったら手榴弾で吹き飛ばしつつ撤退します。隙があれば彼女も逃げるくらいはできるでしょうし」
『……走る準備、しておきますねぇ』
うへぇ、と。顔を歪めつつも覚悟を決めた様子の標を他所に、廻は拳銃を構え、自分達と潮騒――海張涼音の間に展開した結晶人間へと照準を合わせる。
「僕が発砲したら能力を解いて、潮騒に向けてこちらに来るよう声をかけてください。僕が声をかけるより顔見知りに指示された方が理解が早いはずです」
「わかりました。援護はお願いしますね」
「ええ。3、2、1――」
ダァンッ。
銃声が高らかに鳴り、同時に打ち抜かれた結晶人間が衝撃で姿勢を大きく崩すのを確認しながら前へと走り出した廻の背後で来見の声が響く。
「【潮騒】さん! こちらへ走って!」
「【領域手配師】!? なんで――ううん、助かったわ!」
「道は僕が作ります」
駆け出した涼音の道を阻む様に躍り掛かる結晶人間達を廻が素早く射撃して牽制する。
包囲網を抜け出した涼音が突出した廻とすれ違う様に駆けこんでくるのを見送り、廻は口でピンを抜いた手榴弾を前方へ放り投げ、
「発破と同時に展開してください!」
「ええ!? 忙しなさ過ぎるでしょう!?」
涼音のすぐ後を追うように踵を返して駆け寄ってくる廻に文句をたれながらも、すぐに視界を守るように目元に手を当てながらふたりが範囲に入ったのを感じ取った瞬間に来見が隔離結界を敷き、その直後に手榴弾の爆発が周囲に破片をまき散らす。
「スマートじゃ、ないわね……助かった身からしたら、文句言うのも違うのは、わかるけど……」
息を切らしながらも礼を言いつつ、涼音は背後に注意を向ける。
元からひとりを囲むような形で集合していたこと、包囲が崩れてそちらを機械的に追いかけた結果ひと固まりになっていたことも合わせて手榴弾による爆発がほとんどを吹き飛ばした惨状に漸く一安心できたのか、ゆっくりと息を整え始めた涼音に廻は肩をすくめて応えた。
「緊急手段だったということでひとつ」
「いいわ。それで、アンタ達は何者? 領域手配師と一緒にいるってことは孤独同盟?」
見ない顔だけど、と。息を整えつつ廻と標を見る涼音に、来見は緩く首を振り、
「いいえ。今は私、彼に雇われてるんですよ」
「僕達は三肢鴉……迎坂黄泉路に近しい人間と言えば上手く伝わりますか? 落星の相棒さん」
「――そう。黄泉渡の仲間なんだ」
三肢鴉と聞いて一瞬硬直した涼音だが、続く言葉に小さな納得と共に一端の警戒を下げ、改めて口を開く。
「それで。どうして私を助けたの?」
「色々打算もありますが、率直に言えば協力しませんか、ということです」
「協力?」
「ええ。そちらは察するに落星がアレに乗り込んでしまって置いてけぼりを喰らった、僕達は兄さん――黄泉路兄さん達を浮遊島に送り届け、今は途絶えていますが連絡手段がある」
わかりやすいメリットを提示され、涼音は目の前の少年が見た目ほど可愛らしい存在ではないと理解して口の中で小さく舌を転がす。
「ふぅん。ま、いいわ。こっちからの条件はひとつ。上と連絡がついたらルカのバカに一言文句を言わせて」
「わかりました。ひとまずこちらで敷いている防衛戦までの撤退をしている最中なので、同行してください。基本は隠密重視で移動しますが――」
「戦力が必要な所は私が、ってことよね?」
「はい。お願いします」
「やってやろうじゃないの。ストレス発散してたとは言ってもまだまだ不満はあるんだから丁度いいわ」
ふんす、と。意気込む涼音に心底助かったという風に胸をなでおろす廻が握手を求め、涼音は握手を返しながら問いかける。
「ところで、三肢鴉の子供っぽい見た目してる男ってみんなこうなの?」
「こう、とは?」
「年齢詐欺ってことよ」
『ぶっ』
思わず噴き出した標の念話が、握手による接触で能力対象となった涼音に届いたのだろう。
びくりと肩を揺らした涼音が即座に顔を左右に動かして存在しない音源を探るように目を瞠る。
「わ、何か聞こえた!?」
『ひひひっ、ごめんなさいぃー私の念話能力ですよぅー。はははっ、めぐっちが、年齢詐欺、ふははっ』
「あまり、笑えないんですけどね」
「? まぁいいわ。よろしく」
どこか気の抜けるやり取りの中、小さくため息を吐く廻に対して涼音は首を傾げていると、
――パキ。
来見の張る認識の結界の外。
先ほど作ったばかりの想念因子結晶の残骸の山から微かな音が響き、音に敏感な涼音がハッとそちらへ顔を向ける。
釣られて一同が根を張る結晶鉱脈へ目を向けると、小さくパキパキという、硬質な何かが剥離する様な音が耳を叩く。
「これは、急いだほうがよさそうですね」
来見の声は心なしか硬い。
だが、目の前の光景に意識を割かざるを得ない面々はそれに反応することはなく、ただ同意を返す様に息を潜めて静かに一歩ずつ後退し始めていた。
多くの結晶人間から形成された大地を侵食する結晶鉱脈、その中から、新たな結晶人間と呼ぶべき腕が突き出し、徐々にその形を人型へと成長させながら這い出てくる姿に一同は警戒を強める。
もし、結晶人間を倒した後に残る他の結晶の侵蝕からも同じようなことが起きるのだとすれば。
「藤代さん、今の情報連絡は」
『今やってますよぅ! でも本部の方も色々混雑してるみたいでぇ』
「とにかく、今は退避するのが優先ですよ」
「なんなら正面突破してでも急ぎたいわ」
もはや撃退などという甘い事を言っている段階はとうに過ぎてしまっているのではないかという悪い方向への想像が容易に頭に浮かんでしまい、4人は誰ともなく出来たばかりの結晶鉱脈を避ける様にして歩き出すのだった。