13-51 広がる異変
塔へと引き返す様に歩きながら、黄泉路は肩に担ぐようにして持った黒銀の槍、とでも評すべき変貌した自身の得物に目を向ける。
「(感覚としては、あまり違いはないんだけど……)」
手にしている限りにおいて、重量や重心の変化のような、体感でわかる変化はない。
元が黒楽葉であったが故に能力を吸収したり阻害したりする能力がある可能性もないではないが、それを試すには相手が要るため一旦保留。
懸念はあれど、不便が出ていない以上遺品として継承したものにケチをつけようという気にはなれない黄泉路は、これまでと同じように槍を自身の内に仕舞えることを確認し、まだまだ遠くに見える塔へと向ける足を早める。
「(己刃がやってくれたおかげで手間は省けたけど、その分己刃と戦ってトントン。他の皆も上手くやってくれてるみたいだけど、あまり時間をかけたくないのは変わらない)」
物理的に入り組み、迷宮の如き様相を作り出している想念因子結晶の壁の内側を循環する力の流れは寸断されており、空間的にも歪んで転移の危険性を考慮しながら移動していた迷宮内も、今は見たままの構造として移動が可能になっていた。
駆け抜けながら、結晶人間と出会わない事に内心首を傾げる。
「(あれだけ居たはずの結晶人間が出てこない……。リソースが有限なのは間違いないだろうから不思議じゃないけど、だとしたらどこかに集中させてる? でも何処に――考えても仕方がないか)」
考察を重ねてはみるものの、結局の所、これから誰かの救援に向かう余裕はないと分かっている黄泉路は初志貫徹こそが一番の近道だろうと改めて結論付けて我部幹人が今もなお世界中の魂を収奪し続けているであろう塔を目指す。
直線的に目指せるようになったことでものの5分としない内に塔の前の開けた場所まで戻ってくることが出来た黄泉路は改めて塔を見上げ、
「……よし。これなら入れそうだ」
少し前であれば不可視の現象によって触れる事すら叶わなかった塔の外壁に触れた、ひやりとした冷たい感覚に黄泉路は小さく頷く。
そしていざ塔へ踏み込もうと、1階エントランスが透けて見えるガラス製の扉の前へと立とうとしたところで、背後に見知った気配が出現する。
「黄泉にい、待って」
「姫ちゃん!」
振り向けば、黄泉路達を送り届けて以降連絡が途絶えていた少女の姿があり、黄泉路は無事を喜ぶと同時に島を覆っていた空間の歪みが解消された理由を察して確認がてら問いかける。
「この塔の防備は姫ちゃんが?」
「うん。結晶に、閉じ込められてた対策局の、転送使い」
「……そっか」
姫更の文言から、恐らくは菱崎満孝は同意や任意の下で協力していたわけではなく、我部が得た能力によって従わされていた事を理解する。
「それで、菱崎……君は」
「結晶ごと溶けて、消えちゃった」
溶ける、という表現に、黄泉路は薄らと嫌な予感が浮かぶ。
もし仮に使役の能力が黄泉路の極一部を吸収したことで発現した模倣的なものであれば、
「倒したら本体に戻るだけで意味がないのか……?」
「黄泉にい?」
「ごめん、すぐに島中に散ってる皆を集めて欲しい。時間がない」
「わかった」
ひゅ、と、空間が切り替わるように姿を消した姫更を見送ると、黄泉路は険しい表情で塔を睨み上げる。
「(浮遊島全体に敷かれた防衛網はただの時間稼ぎ。それも、突破されても損失が出ない類の……!)」
倒せば相手の総合戦力が削れる、などという甘いものではない。倒した所で本体である我部の下に還るだけの、何度でも再利用可能な妨害でしかなかったことに、黄泉路は銀砂に覆われた自らの世界で無意識に強くこぶしを握っていた。
時間稼ぎを設置するということは我部の側でまだ準備が整っていない事を示しているが、それがどの程度の猶予なのかが分からない以上、黄泉路はこの一分一秒が惜しいとすら思ってしまう。
「悪ぃ、待たせた!」
黄泉路の背後に現れた遙の声に、黄泉路はいっそ先に自分だけでもと考えていた思考が一時中断して振り返る。
「こっちも1か所潰した所でお迎えが来てな。乗り心地のいい良いタクシーだったぜ。ま、景色が見れないのが欠点だが」
肉体的な疲労は見えるものの外見上は怪我の類もなく健常そのものな遙とルカの姿を見て内心ホッとしたのも束の間、すぐ隣に姫更と、寝かされた状態の彩華が転移してくれば僅かに弛緩した空気が一気に引き締まる。
「彩華ちゃん!?」
「うぇえッ! だ、大丈夫なのか!?」
慌てて駆け寄った黄泉路と遙だが、そばで座り込む様にして転移してきた姫更の目が咎める様に細められれば、ふたりとも大声を出してしまった事に気づいて声量を落として姫更へと問いかける。
「それで、彩華ちゃんの容体は?」
「生きてはいる。お腹、大怪我。自分で止血してるみたい?」
「良かったァ……死んでるのかと思ってめっちゃビビった……」
「でも、無理に動かすの、危ないと思う」
ここに医療のプロはいない。その為、能力者の持つ能力に紐づいたある分野に特化した感性と、経験からくる推測でしか判断できないものの、黄泉路の目からみても彩華の魂が身体を離れる気配はなく、今すぐに死ぬというわけでもなさそうだと理解できていた。
「でも、この怪我で意識がないとなるとこのままにはしておけない」
「ん。でも……」
黄泉路は彩華を地上へ、三肢鴉の医療班がいるだろう作戦本部へ送り届けることを提案するも、唯一それを実行可能な姫更の返答は渋い。
今浮遊島から誰かを外に送り出すには、自分が同伴するしかない。けれど自身が退去してしまえば、もう一度この場所に転移してこられる自信がない。
それ故に姫更は歯切れ悪く、どちらかを天秤に掛けなければならない状況に苦悩する。
「だ、いじょうぶ、よ」
「っ! 彩華さん!?」
「耳元で、大声出さないで」
「悪ぃ……」
意識を取り戻した彩華の声に反射的に声を上げた遙だったが、寝起き――しかも傷の痛みで目を覚ました彩華はその声すらも響くと眉を顰めつつ、能力を器用に使って上体を起こす。
やはり身体機能だけで起き上がるには負担が大きいほどに負傷しているのだとわかる動作に黄泉路が声を掛けようとするも、それを制すように彩華が黄泉路を見据えて口を開く。
「今は、急がなきゃいけないのでしょう? 私はこの通り無事よ。気にしなくていい」
「……じゃあ、少なくとも安静に。この場で、邪魔が入らないように見張っててもらっても良い?」
「ええ。そうさせてもらおうかしら」
黄泉路の配慮が滲む提案に対し、彩華もこれ以上無理を押すのは難しい事を自覚していたため小さく頷く。
「じゃ、じゃあオレも」
「見張りはひとりで間に合ってるわ」
「――ッスか」
勢い、挙手して自分が側に付くと意気込む遙を彩華の無慈悲な一言が一刀両断する。
そのやり取りがどうにも間の抜けたものであったこともあり、緊張感が緩んだ、そんなタイミングだった。
『兄さん! 聞こえますか!?』
「廻君! どうしたの?」
不意に、黄泉路の思考に響く声に黄泉路の意識がサッと切り替わる。
『時間がありません。簡潔に地上の情報を伝えます』
浮遊島に突入してからまださほど時間が経っていない、にも拘らず、大きく事態が動いたことを感じさせる口ぶりに黄泉路は廻の次の言葉を待つ。
『結晶人間の投下自体は落ち着きました。代わりに、世界各地で能力を奪われて昏睡した人間が結晶化、その結晶を起点に世界中で想念因子結晶が周囲を侵食する現象が確認されています』
「ッ!?」
齎された情報は黄泉路の予想をはるかに超えた深刻さで、黄泉路の表情の険しさから、念話が届いていないルカまでもがマズい事態になっている事を理解させられる。
『――こちら、でも……蝕が確認――され』
加えて、どうやら廻たちの現在地でも問題が起きている様子で、標の能力を使った念話にノイズが掛かり始めていた。
『結晶人――心に周囲が……今は避難を――』
「廻君!」
念話が途切れ途切れに、ぶつ切りになった単語からなんとか状況を拾い上げた黄泉路は、完全に念話が断絶したのを体感で理解しつつ顔を上げる。
「時間がない。今地上の仲間から連絡が届いて、世界中で結晶化が進行しているらしい」
「っつーことは、地上も今はこんな風景になりつつあると?」
周囲を見回しながらのルカの問いに黄泉路が頷けば、ルカは静かに息を吐いて、
「急ごうぜ。少なくとも、凱旋した時にきらきらしたピザを食わなきゃならないなんてことにならねぇようにな」
「あはは……ですね」
冗談めかした物言いで肩をすくめるルカに黄泉路が苦笑交じりに応える。
既に身体が負担にならない様な姿勢で静観を決め込んでいた彩華が小さく頷き、見送る姿勢を見せていると、背後でパキリ、と。硬い音が響いた。
「ッ」
一同が振り返る。
すると、結晶の迷宮の中から新たな人型が産み落とされようとしている所であり、しかもそれは1体や2体という数では利かない物量を伴っている事で彩華が咄嗟に声を張る。
「行って!」
「彩華さん、でもよぉ」
短い会話の間にもぞろぞろと増え続ける気配を見せる結晶人間、その物量を押しとどめると言っている彩華を案ずる遙の腕をつかみ、黄泉路が問いかける。
「……信じていいんだよね? 彩華ちゃん」
「勿論よ」
「死なないでね」
「あら。死んだら受け入れてくれるんでしょう?」
「死なないのが一番だから、ちゃんと生きて」
「……分かってるわ」
「ならいいよ」
塔へと駆け出す黄泉路と、それに引きずられるように走り出した遙。並ぶ様に走り出したルカを見送った彩華は最後に残った姫更へと目を向ける。
「行って」
「嫌」
言葉短く、梃子でも動かないという構えを見せる姫更の態度に、ただ指示を出すだけでは無駄だと悟った彩華が問いかける。
「……神室城さんの力はあっちにも必要のはずよ?」
「本当に危なくなったら。連れて行くから平気」
もしこの戦線の維持が難しいとなれば、一緒に黄泉路達の方まで飛べばいいという姫更の出した折衷案に、彩華は小さく息を吐き、
「そういうことなら頼らせてもらうわ」
躍りかかってくる結晶人間を纏めて薙ぎ払う様な特大の刃華が散らす火花の明かりが、微かに持ち上がった口の端を照らし、
「皆の分も。頑張る」
懐から取り出した――恐らくはどこかの保管庫から取り寄せたのだろう――銃架付き軽機関銃の吐き出す轟音が迫りくる結晶人間諸共に声を呑み込んだ。