13-50 たとえ世を違えても
黒い驟雨、そう表現して過言ではないほどの密度で降り注ぐ黒曜の弾丸を弾き、躱しながら黄泉路は目まぐるしく戦場を駆け回っていた己刃――その手元を注視する。
ドクン、ドクンと呼吸する様に赤い筋が中心へと奔る漆黒の武器は己刃の手の中で流体かのように次々と姿を変え、
「いやー、びっくり。俺と似たよーなことできるのは知ってたけどさー」
危うく事故る所だったぜ、などと、黄泉路の銀槍が突き刺さった後が深々と残る足元を靴先でトントンと小突く様にしながら冗談めかす己刃だが、その首筋を薄らと汗が伝う。
乱れた息を整えるための時間稼ぎだと察しつつも、黄泉路は立ち止まった己刃の持つ黒楽葉を観察し、
「(やっぱり、少し減ってる)」
己刃の手の内で、今は二挺拳銃の体をしている黒楽葉は一見すると変わりがないように見える。しかし、黄泉路の感覚が捉える情報は単なる視覚情報に留まらず、黒楽葉が圧縮して内に蓄えている想念因子の密度が先ほど近接戦を繰り広げた際と比べると明らかに圧が減っているのを感じ取っていた。
「(思った通り、いくら変形できるとしてもその容量を超えた変化は作れない……!)」
思考を纏めながら、散らばった黒曜の杭を蹴り飛ばす勢いで駆けだした黄泉路に己刃が口の端を吊り上げながら迎え撃つように両手の黒楽葉を一つに纏めて長剣を描き出しながら振りかぶる。
――ガ、ギィッ……!
銀砂の槍の穂先が黄泉路という人体の限界を超えた膂力によって振われ、受け流す様に合わせた黒の長剣に逃がしきれない衝撃を叩きつける甲高い音が響く。
「うっ、おぉっ!?」
「(それに――軽い!)」
弾き飛ばし、なお勢い付く黄泉路が手元で槍を回して身体ごと旋回する様に石突を薙げば、己刃は長剣を逆手に握る様な体勢に作り替えて更にその長さを身の丈よりも長く、床に突き刺して支点として後方へ跳ぶことで銀槍の石突を避けながら手元に引き戻した黒楽葉を先端に鋭い鉤爪の付いたワイヤーフックめいた形状へと変えて素早く射出するなり飛び上がって壁へと逃げた。
想念因子結晶の壁に突き立った鉤爪の芯が赤々と脈動し、着地と同時に再び大鎌の形に持ち替えながら床をガリガリと削る様に駆ける己刃を黄泉路も追いかける様に走り出す。
「ちぇっ、さすがにバレるの早ぇーってーのっ!」
素早く、最小限の動きで壁を蹴って高く跳んだ――壁に黒楽葉を突き立てて一瞬滞空した瞬間に更に壁を蹴って高度を稼ぐ離れ業まで披露した――己刃がすぐ目の前にまで迫っていた黄泉路の頭上を取る形で散弾をばら撒きながら悪態を吐く。
黄泉路は降り注ぐ杭めいた黒曜の礫を槍で弾き、着地したばかりの己刃を逃がすまいと赤黒い塵をまき散らしながら追いすがる。
「逃がさないよ!」
間合いを取りながら、牽制しながらもあるタイミングを見計らう己刃に対し、それをさせまいと今度は黄泉路が怒涛の勢いで追い迫る。
行木己刃の黒楽葉。最悪の相性を実現した万能兵装といえるそれは凡そどんな能力者が相手であろうが打倒しうるだけのポテンシャルを持つ強力な組み合わせだが、欠点もある。
「(黒楽葉は恐らく、斬ったモノ、突き刺したモノから想念因子を吸い上げることで成長する武器だ。能力者。想念因子結晶。僕の銀砂。吸収するに事欠かない環境だからこその無尽蔵の飛び道具だけど、補給が出来ることが前提……だから――)」
己刃が周囲を抉り斬って黒楽葉のリソースを回復させる暇を与えない。
まだ補給が足りていない事を示すような、先ほどまでの黒の雨を思わせる弾幕には程遠い牽制射を掻い潜り、それでもなお被弾してしまうのを痛みを噛み殺して近接戦に持ち込もうとする黄泉路に、さすがの己刃も表情を引き攣らせながら嗤う。
「確かにそれは困るけどー……」
「ふっ!」
槍の穂先、銀の残光を描きながら突き出されたそれを紙一重で躱しながら己刃は黒楽葉をアーミーナイフの形状に纏め、踊る様に黄泉路の踏み込んだ間合い、その一歩先へとあえて距離を詰め、
「それならそれで補給先を変えるだけなんだよなー!!」
黄泉路の腕を流れる様な動作で切りつけ、血飛沫が黒楽葉へと流れ込む。
「それでも!」
「うおっ!?」
痛みに眉を顰める黄泉路はしかし、それで勢いを削がれるどころか短く持った槍を素早く連続で突き出し、先の己刃への意趣返しの様な刺突の乱打が己刃を襲う。
己刃は黒楽葉の形状をナイフからマチェットへと切り替えて避け切れないものだけを器用に迎撃するものの、密度が下がったことで銀砂の槍に打ち負け、黒の刃の欠片が零れ始める。
「こ、の……!」
加えて、無限の体力を持つと言っても過言ではない黄泉路の、息切れが存在しない連続刺突を相手し続けることは常人の己刃には不可能。
どこかで身体を休ませ、黒楽葉の補給をしなければ。
己刃は自分が追い詰められている事実を冷静に認識しながらも、その上で黄泉路の怒涛の攻勢が自らの望む命を最大限輝かせる死線であること――キラキラの真っただ中にいることに喜色を浮かべていた。
「(一旦、距離取らないと無理だなこれ。つっても黄泉路がそんなもん織り込み済みじゃねーはずねーしー……)」
激戦を歓迎する――戦闘そのものが楽しいわけではない。ただ、お互いが一挙手一投足に自らの命を賭している、そんな状況が堪らなく愛おしい――己刃ではあるが、その思考は何処までも透き通って静かなものだ。
能力を持たない、それは戦場に置いてハンデや瑕疵の類に他ならず、かといって人工的に能力者となれる能力使用者になる道を自ら拒んだ己刃はその思考、本能的に理解している身の熟しだけを頼りにこの瞬間まで生き抜いてきた。
だからこその冷静さ。故にこその狡猾さで、己刃は現状を整理し、
「よし。仕切り直そ!」
「マズ――」
床のいたるところに漆黒の杭が突き立ち、足の踏み場もなくなってきた戦場。そのシチュエーションを利用する様にステップを踏んで足の踏み場が少ない場所へと誘導していた己刃が床に突き刺さったいくつもの黒曜石の破片を蹴り上げる。
それらは容易く槍によって打ち払われる程度の目くらましに過ぎないが、しかし、問題はそこにはなく、
「ほじゅーは3割、じょーとーじょーとー!」
「ッ」
一瞬の目くらまし、その最中に投網の様に細く長く広げた黒楽葉が周囲に散らばった黒曜の杭に接続するや、元々が同じものであったが故に他から吸収するよりも早い速度で吸い上げてリソースを回復させる。
黄泉路からすれば、懸念こそあれど手を付けさせない様にするという牽制が手いっぱいだった所を突かれた形であった。
床や壁に突き刺さった黒楽葉の断片全てに対処しようとすれば、黄泉路にできるのは自らの内側を開帳し世界を侵食することや、砂塵大公などによる銀砂の奔流で押し流すことなど、どちらにせよ能力を主体とした干渉しか手段がない。
黒楽葉は能力に――厳密に言えば能力の大本となる想念因子に対して特攻とも言える性質を持ち合わせており、散らばっていたとしてそれらに広域干渉を、言い換えれば、干渉面積を広げる代わりに個々の強度を落とした能力を使った場合、どう転がるかという賭けに出るのを躊躇させていた。
無効化されるだけならばまだしも、これが本体の様に黄泉路のリソースを食い始めてしまえば最悪だ。
それだけでなく、広域に干渉するということは本体を持つ己刃をも纏めて相手にするということで、黄泉路本人を切りつけてリソースを回復しようとする人間がそのような安易な手段を座して受け入れてくれるかなど、考えるまでもないことであった。
「くっ」
「これでまだまだ楽しめる!」
猫の様に滑らかに駆け寄ってきた己刃の突き出した腕の動きに合わせ、極細の針となったそれが文字通り目に飛び込んでくる。
正しく目に対して水平に打ち込まれればその細さから近接距離での目測を狂わせる一撃を黄泉路が顔を傾けて躱せば、耳のすぐ側を通り抜ける漆黒の線がすぐさま横に薙ぐための片刃へと変わる。
黒楽葉が顔を削ぐより早く黄泉路が密着距離まで踏み込む。
「させ、ねーよ!」
「まだ――!」
黒楽葉を握る己刃の腕をへし折らんと槍を手放し素手で掴みかかる黄泉路に対し、己刃も無手になった黄泉路を仕留めんと形状を取り回しやすい短剣の逆手持ちへと切り替えた漆黒の刃を腕ごと手前へと引き戻す。
黒の刃が黄泉路の首の皮を一枚裂いて戻るのと、黄泉路の手が己刃の服の袖をひっかけて己刃の姿勢が揺らぐのが同時。
「ガ……あッ!」
「ッ」
瞬時に地面へと倒れることを選択しながらも受け身と同時に黄泉路の顎を蹴り上げ隙を捻出しようとする己刃に、ただの攻撃ではもはや止まらないとばかりに歯が欠け、舌を噛み切ってしまいかねない一撃でもひるむことなく拳を振り下ろす黄泉路の視線が交錯する。
「あは、ははっ!」
己刃の口から楽しくてたまらないと主張する様な笑みがこぼれる。
顎を蹴りぬいた衝撃で黄泉路の身体がぶれ、人体を容易く破砕する拳が己刃の薄桃色の髪の人房をちぎりながら床にひびを入れるに留まり。
対照に己刃が握った黒楽葉は伸び切った黄泉路の右肘に深々とその刃を沈ませて。
「ぐ、ぅ……!」
「この距離はさすがにやーだ、よ」
「うぁッ」
ぐり、と。刃が捩じられ、僅かに怯んだ隙に己刃は黄泉路の腹を強かに蹴り上げることで吹き飛ばして立ち上がる。
吹き飛ばされたとはいえ常人によるもの。すぐに復帰した黄泉路は神経も骨も筋肉も断裂してぷらりと垂れ下がるのみの肘から先を修復しながら、痛みを堪える様に深々と息を吐いて己刃を見据え、
「……仕方ない」
「お?」
肘を壊された事で――というより、近接戦闘でも圧倒できないという厳然たる事実を前に――黄泉路は告げる。
「僕も覚悟を決めるよ」
「覚悟ぉ?」
怪訝な顔。己刃にしてみれば、戦いとは常に覚悟の後にあるもので、それは自分が初めて人を殺した時から、ずっと胸の奥底に居座っているものでもある。
殺す覚悟、殺される覚悟。生きる覚悟に死ぬ覚悟。それらは全て、己刃にとっては常に隣を歩む隣人の様なものだ。
なればこそ、黄泉路が今この段になって何に対する覚悟を決めたのかと首をかしげていれば、
「……一緒に死ぬ、覚悟さ」
「……あはっ」
思いがけない殺し文句に、己刃は思わずけらりと笑う。
「さすがに、痛いのが嫌だのなんだの言ってる余裕もなさそうだからね。ちょっと、後先考えないでやることにするよ」
「いーのかよ。あのオッサン殺すんだろ?」
「良いよ。それは後の僕が考える」
「あははっ。いーなそれ。そーゆー思考大事だぜ?」
まるで、目の前の殺人鬼の刹那主義にあてられた様な主張に、当の殺人鬼は楽し気に笑うのみ。
冗談のような気軽いやりとり――だが、その言葉が宙に溶けるより早く駆け出した黄泉路に、己刃は黒楽葉を自動小銃へと再び変化させて即座に対応する。
マズルフラッシュはない。黒楽葉がどのような原理で弾を打ち出しているかは定かではないが、吐き出された漆黒の杭めいた弾丸は銃弾をやや遅くした――常人には到底回避などできない――速度で以て黄泉路の行く手を阻む、が……
「まぁそーなるよなぁ!?」
これまでであれば、回避にしろ迎撃にしろ、それをするために足が多少なり鈍らざるを得なかった対応。そのすべてをかなぐり捨てて致命傷だけを両腕で受け止めて真正面から飛び込んでくる黄泉路に、己刃は予想していたとばかりに自動小銃から片手斧へと作り替えながら唐竹割の要領で脳天目掛けて振り下ろす。
「ごほっ、言ったろ……! 一緒に死んでやるって!!」
僅かに重心を傾けるのみで、肩口からばっさりと肋骨ごと胸をさかれて胴体の半ばにまで漆黒の刃を食い込ませた黄泉路が血を吐きながら己刃の肩を掴み、
「魅力的すぎるお誘いやめろよ――」
血まみれ、そして致命傷。そうとしか思えない黄泉路の右手の先に集った銀色の光が己刃の胴目掛けて噴射され、
「ちょっといーかもって思っちゃうじゃん」
ドス、と。深い音と共に、銀の穂先が己刃の背に生えて鮮血を散らした。
「ごほっ……あは……は……。もー、力入んねーや……」
自身の胴体を見下ろし、貫通した銀の柄を見つめながら急速に力が抜けて行く身体の重さに身を任せて膝から崩れ落ちた己刃がかすれた声で呟く。
だが、黄泉路もまた傷の重さから、そして突き刺した槍が己刃と共に下へ下がったことで引きずられるように膝を付く。
「ぎ、い……ッ」
持ち主の意志か、それとも単に形状を維持できなくなっただけか。黒楽葉の太く重い刃がどろりと溶けて腕輪として己刃の手に収まると、傷口を塞いでいたモノが消失したことで黄泉路の全身から鮮血が吹き上がり至近距離の両者を濡らす。
痛みでショック死することすら有り得る、誰がどう見ても致命傷と言えるダメージを負ってなお、己刃は難しくなった呼吸を意識しながら顔を上げ、
「負け、たー。悔しー……っつーより、こんな、呆気ない、のかって」
へにゃりと、困ったような、物足りないような、己刃にしては珍しい顔で黄泉路に問いかける。
「キラキラ……してたかな。おれ……」
「してた、んじゃないかな。僕の解釈だけど。己刃の言うキラキラって、どれだけ自分の命を全力で生きたか、とかじゃないの?」
それなら、十分だと思う。
黄泉路の小さく答えた言葉すらも明瞭に聞こえる様な静寂と、死へ向かう己を繋ぎ留める極限の集中の中、己刃は小さく笑った。
「はっ……はっ」
ごぼっ、と。掠れた小さな笑い声を上回る様に喉からせり上がる赤黒い粘液の塊を吐き出す音が零れ、己刃の口元に新たな赤が混ざる。
もはや身動ぎ一つが寿命を削る、そんな末期にあるにも関わらず、己刃は伝えるべき言葉があるのだと口を開く。
「もってけ、よ。おれには……ひつよー、ねーから」
己刃の手が、震えながらも持ち上がる。最後まで腕輪の様に手首に纏わりついていた黒楽葉が蠢いて銀砂の槍へと絡みつけば、
「――これ……!」
己刃を貫く槍、その白銀の全身の一部に黒が差し、柄の先が二股に別れて螺旋を描きながら再び刃として統合されている形状の片側だけが黒く、白と黒の螺旋を描く。
祭器を下地とし、黄泉路の想念因子によって形作られていた銀砂の槍に黒楽葉が混じった姿は己刃なりの餞別。
「こんかい、は。まけたけど」
ごぽり、と。再び口から血の塊を吐きながらも土気色に代わりつつある顔色に笑みを浮かべ、己刃は黄泉路を見つめる。
「たとえ、せかいがちがっても」
その瞳は死に際とは思えないほどに鮮烈に、黄泉路だけを映して光り輝いている様に見えた。
「俺はお前を殺しに行くよ」
黄泉路の様に蘇りがいたり、魂という存在があるのだから。輪廻転生もあるのだろう。
そう確信しているかのように断言する己刃に、黄泉路は短く応える。
「うん。待ってる」
「あ。はっ」
満足した様に。けらりと笑った殺人鬼の顔から生気が抜ける。
常人に過ぎず、能力の色を持たない己刃の魂が身体から抜け落ちて溶ける様に世界に滲んでゆく。
「……最期の最期で勝ち逃げするのはちゃっかりしてるよ」
死んだとしても黄泉路の下には付かないと、あくまで対面に立って殺し合う間柄なのだという己刃の意志のように感じられ、黄泉路は小さく呟いた。
我部に奪われたわけでもなく、黄泉路の目の前で黄泉路という死者の魂を統べる能力者の手をすり抜け、世界へ溶けて逃げ切った殺人鬼への最大の賛辞を手向け、黄泉路はゆっくりと顔を上げる。
「行かないと」
その足元で沸き立った銀砂が己刃を、散らばった黒曜の断片を呑み込み、戦場全てを埋葬すると共に、黄泉路の身体が銀の奔流によって埋め合わされてゆく。
やがて、外見上は戦闘前と変わりない健常な姿へと戻った黄泉路は、踏み出した足がふらつくのも構わず歩き出す。
――黄泉路が視線を向ける先には、島の中央に聳え立つ主塔の堂々とした姿が揺らぐ事なく映っていた。