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13-42 世界を天秤に

 約束という、己刃の言葉を聞いて、黄泉路が思い出すのはいつかの地下闘技場でのこと。


「……」


 もう一度戦うこと。それまでの間、出来る限り無関係な殺しは慎むこと。

 そんな、曖昧で緩い約束事を交わしたふたりだったが、その後面と向かって会うこともなかったが故に、黄泉路は漠然と、その約束が果たされる日は遠いいつの日かだと思っていた。


「あ。ちょい待ってなー。先に()ること済ませちゃうから」

「っ」


 思い出したように黄泉路に背を向けた己刃、その視線が向いた先へと黄泉路も自然と視線を吸い寄せられたことで初めて気づく。

 残骸の山と化した結晶人間のバラバラの亡骸に隠れる様に、今もなお赤々とした流血を絶え間なく床に広げながら微かに痙攣している人間の姿。


「己刃――」

「よいしょーっ!」


 軽い、あまりにも軽い掛け声とともに振り下ろされた斧が遠心力を伴って結晶で満たされた床に叩きつけられる。

 床の結晶が砕けるバキバキバキという音に交じり、飛び散った血肉が、骨が、脳漿が、淡い色を付けて透ける結晶の上に飛び散った。

 止める間も無く行われた凶行。瀕死故、想念因子で満たされた空間故に気づけなかった命が今まさに失われた事に黄泉路が顔を顰めていると、


「あはっ。何で黄泉路が不機嫌になってんの?」

「目の前で人が死んだら、誰だっていやだろ」

「えー? だってこいつここの番人っぽかったぜー? どっちみち黄泉路が殺すんなら俺が殺っても問題なくね?」


 そう言われてしまえば、黄泉路は反論する言葉もない。

 殺すつもりがなかったとしても、そうできるかは相手の実力次第でもあり、この状況で生かしておいても、その内我部が吸収してその力が増してしまうなら、黄泉路自身が手にかけて取り込んでしまった方が良いということすらありえるのだから。

 そこまで考え、はたと、黄泉路は目の前で起きている違和感に気づいて目を細めた。


「……その斧」

「あ、気づいたー? やっぱ見えるんだなぁ。俺には見えねーけど、スゴくね? スゴくね!? 特注品なんだー」


 ドクン、ドクン。

 葉脈に水が流れる様に。刃先を根とし、刃が突き立った死肉から血を啜る様に存在を主張する黒い片刃の斧が静かに脈動していた。

 水晶のように透明感がありつつも、それ自体の色が黒く、中心に向けて密度を増すごとにその濃度を上げて漆黒を描く斧を担ぎ直した己刃が楽し気に笑う。


「ほら、俺さー、黄泉路を殺したいとは思ってても、殺せる方法ってまだ見つけられてなかったじゃん? 世界を変える―とか、そんな大層(たいそー)な能力も持ってねーし」


 日常と変わらない、雑談でもするかのような気安い調子のまま、己刃は血を吸い上げ、内側が赤々と脈打つ斧を背の後ろに振りかぶる。


「そんなんで黄泉路を殺したいなんて言い続けるのも負け犬ワンワンでかっこわりーじゃん!」


 ダッ、と。獣を思わせるような低い姿勢で――それこそ、初速を踏み出した継足の際には斧を持たない左手で地面を叩く様に身体が沈み過ぎるのを支えて速度を保ち――結晶の残骸を踏み散らして一瞬で距離を詰めた己刃が間合いの直前で勢いよく姿勢を起こしながら、そのバネすら利用して背面から振り切った斧を重量のままに叩き下ろす。


「ど、うして……!」


 咄嗟に、身を捩った黄泉路の髪をひと房巻き込んで脳天から地面までを振り抜けた斧にゾッとしたものを感じながらも黄泉路が声をひねり出すが、己刃は叩きつけた斧の柄を支点に黄泉路の脇腹を靴裏で踏む様に蹴りつけ、


「どーしてぇー? んなもん決まってんだろー!」

「ッ」


 再び、地面から引き抜いた斧を手の中でぐるりと水平に持ち替えて横薙ぎ――まるで、足で押さえつけた樹に対して力いっぱいに振りかぶる木こりの様――に黄泉路の首を落とさんと黒々とした刃が奔る。


「う――ッ!?」


 己刃の蹴りによって重心が崩された状態で、踏ん張りも効かぬままに自身の首へと吸い込まれるように向かってくる斧に対して黄泉路は身を捩りながら後ろへと飛びつつ、下方からかちあげる様に拳を振るう。

 迫りくる刃の側面へと叩きつけることでギリギリ軌道を逸らすことに成功する。

 そのままブリッジ状に背から倒れ込む身体を腕で支えて正面の己刃を蹴りで牽制しながらバク転の要領で距離を取った黄泉路は深く息を吐きながら、再びの己刃の強襲に警戒して重心を落としながら問いかける。


「今の状況は理解できてるはずだよ。なのに、どうして今なの?」


 時と場を考えろ。そう告げる黄泉路に己刃は首を傾げ、


「……んー?」


 心底、黄泉路の言が理解できないという風にきょとりとした顔を浮かべてしまう。

 まさかそんな反応が返ってくるとは思っていなかった黄泉路は一瞬言葉に詰まるものの、再度、己刃の本心を引き出そうと問いを重ねる。


「このままだと世界が滅ぶかもしれない。一刻だって時間が惜しい今、どうして僕の邪魔をするんだ? 己刃だって、世界が滅んだら困るだろ」


 余すところなく簡潔に疑問をぶつける黄泉路に、ようやっと理解した――というよりは、己と黄泉路で何が食い違っていたのかの疑問が解消できたというようなさっぱりした表情を浮かべた己刃はけらりと笑う。


「あー。なるほど、なるほどー。そーゆーことね。まーどっちにしても結論変わんねーよ? 世界が滅ぶかもしれない、だから(・・・)好きにする(・・・・・)。俺はそー考えただけって話」

「……」


 結論からして真逆を向いた己刃の答えに黄泉路は思わず黙り込む。

 身勝手だ、と糾弾するのは容易いが、だとしてそれで何かが変わるわけではない。

 黄泉路は己刃が世界が滅んでも良いとは思っていない様にも見えて、それでいて、現在やっていることは世界滅亡の阻止をしに来たという風でもないことの、行動と思考のズレのようなものを感じ取っていた。

 当然己刃も、黄泉路と意見がかみ合っていない事は理解した上で、このまま戦っても恐らくは面白みに欠けると、殺人鬼はあえて言葉の上でのやりとりを重ねることを選び、口を開く。


「世界が終わるかもしれない。終わらせねーために黄泉路が頑張ってるんだろーけど、それでも終わるかも(・・・・・・・・・)しれねーし(・・・・・)終らねーかもしれねー(・・・・・・・・・・)。だったらさ、俺自身が納得(・・・・・・)するためには今しかねーって思うんだよな」


 要するに優先順位の違い(・・・・・・・)だ、と。世界よりも、己を優先した殺人鬼は嗤う。


「世界を天秤にかけるなんてありきたりな言葉は要らねーよ。誰だって自分が一番だろ? 自分が生きていくために世界って言う(ゆー)土台が必要だから、世界に滅んで欲しくない。そんなら誰だって世界が大事だ、そんなん俺だって一緒だけど、俺はそれ以上に、仮に世界が(・・・・・)滅ぶとしても(・・・・・・)俺は俺の願望に(・・・・・・・)手を伸ばさないまま(・・・・・・・・・)終わりたくない(・・・・・・・)


 ぎらりと、(ねつ)を帯びた殺人鬼の視線が黄泉路を真正面から射抜いて絡みつく。


「安心しろよ。黄泉路を殺したら、ついでに我部とか言うおっさんも殺して世界も救っておくからさ」


 ジャギ、と。片刃の斧が、空気を食む様な軋みを上げて黄泉路に向けて構えられ。


「――ああ。そうか。なるほど確かに」


 黄泉路もまた、静かに槍を胸元から引きずりだして、その銀に輝く穂先を己刃へと静かに向ける。


優先順位の問題(・・・・・・・)、だね」


 なんのことはない。

 己刃にとって世界の危機は念頭にはあっても最優先ではないというだけの話。

 もし仮に世界が滅ぶのだとしても、その手前で自分の目的だけは達していれば、それは無念ではなく満足した終末だったというだけ。

 その上で、満足ついでに世界も救う余裕があれば救ってみてもいい。という、あまりにも身勝手で自分勝手な、殺人鬼の理屈だった。


「じゃあ、やろうか」


 だが、黄泉路は否定しない。行木己刃の世界を否定しない。

 黄泉路が世界を救おうとしているのは、ただそうするべきだと思った(・・・・・・・・・)からだ。

 明確にそうしたいと思った(・・・・・・・・・)己刃の動機を否定するだけの信念を黄泉路が持ち合わせていない以上、黄泉路が己刃の論を肯定できないと思ってしまった(・・・・・・・)以上、この衝突は必然だった。


「……」

「……」


 打って変わった、嵐の前を思わせる静寂が空間を満たしてゆく中、先ほど刃先から完全に逃れ切ることが出来ず、浅く裂かれ黄泉路の頬についた赤い筋からあふれ出した血が雫が、つぅっと顎のラインに伝う。

 それが完全に顎の下へと降り、張力によって肌に張り付いていた1滴が、ぱたりと結晶に覆われた床に落ち――






 図らずともお互いがその瞬間を合図としたように瞬時に駆けだし、次の瞬間にはけたたましい金属同士の衝突音が響き渡った。

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